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結婚した悔い、しない悔い ⑨

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仕事に休日は合っても結婚生活に休日ナシ。10年も20年の長きにわたり、毎日同じ顔を突き合わせ、同じ言葉をやり取りし、どちらが出張なり旅行なりで数日間不在にするときは嬉しくなるか寂しくなるかも夫婦それぞれだ。嬉しくなったからといって愛がないわけでもなし、寂しくなったからといって愛情深い夫婦でもない。前者はひとときの骨休め、後者は習慣から起こるもの…

結婚についてローマ人の諺がある。「やがてまた、いつかはこれを憎まねばならぬものとしてこれを愛せよ。いずれまた愛さねばならぬものとしてこれを憎め」。これだけのことが分かる夫婦なら、たまには夫婦喧嘩の一つもよかろうが、残念(?)ながら自分は42年間で一度の喧嘩もない。反抗しないから喧嘩にならないが、新婚時に一度だけ腹を立てて怒鳴ったことがある。

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壁掛時計の電池が切れていたので電池交換を命じておいたが、翌日交換されていなかった。「電気屋さんが近くになかったので出かけたときに買ってきます」と彼女はいい、その言葉に自分は腹を立てた。彼女が仕事に行く際、毎日乗り降りするバス停は電気屋さんの前だった。彼女の言葉をその場しのぎの口から出まかせと理解した自分は、彼女の頬に強く張り手をくらわせた。

相手の性格が分らぬ時代の行き違いと分かったのは数年後…、彼女はそこに電気屋さんであることすら知らずに生きていた人間と知った。ウソや言い訳をする人間でないことも分かった。さらには、命じたことはすぐにやるべしという自分の性格も彼女の理解になかった。自他ともに何ごとにおいても、「即行動」を信条とする性格で、自分にとっては当たり前のことだった。

そうでない他者はいても妻がそうであるのは許せない。以後彼女は自分が命じたことを速攻実践したが、彼女にとって相当の意識改革だったろう。普通なら、「今、〇〇してるから」、「ちょっと手が離せない」などというのは妻にはない言葉だった。人から指示・命令された際に、「今、他の用事してる」などと必ずいい返す人間は少なくない。言いたい気持ちも分かるが無駄な言葉。

人からの命令に対する一種の反抗心理でしかない。それをしないだけでも有能な人間と捉えているし、自分もそれを実践する。いちいち仕事に感情を持ち込まないのが有能な人間と理解をし、仕事は黙々とやるから価値がある。農業従事者がまさにそれだ。指示・命令に口答えをするなど反抗心を抱く人間は、その分だけ無用な邪念を持っており、仕事のできない人間の典型である。

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「仕事は仕事、嫌な仕事も文句をいわず黙ってやる」という社内標語。これが行き届いている会社なり部署は仕事の効率や人間関係がよく段取りもいい。軍隊のようとの批判もあるが仕事の効率性にこの批判は筋違い。「〇〇イズム」ともてはやされ、企業の理想形である。"businesslike"とは、仕事とわりきって能率的にするさまをいうのは人間は感情の動物であるがゆえ。

命じる側にはちゃんと見ている、見えている。何事にも口答えする人間の無能さは、不思議なほどに歴然である。無用な自尊感情を排し、効率重視で黙々仕事をこなす方が間違いなく成果があがる。それが仕事の目的であり、会社は入場料を払って遊ぶ遊園地ではない。そうした仕事意識は人間性から発露されるものだろう。今に思うは、夫が命じる諸般の事柄に感情を排した妻は立派であった。

諸侯、将軍、管理者などの責任あるものは孤独である。仕事のできる男は人間関係より仕事を重視するからだ。孤独ゆえに陰ながらに支えとなる協力者の存在は有難い。そうである妻か、ナンだカンだと水を注し、足を引っ張る妻か、その差は大きい。あまりに自我の強い女は主導権を握った方がよかろう。「船頭多くして舟山に登る」といい、自我の強い同士は常に修羅場である。

任せてくれれば結果も出すぞ!責任も取るぞ!の性格の自分は行動派でバイタリティのある典型的夫唱婦随タイプ。それを見定めた妻は夫を活かすことにおいて遜色なかった。「私は何もしていない。しなかった」といつも周囲にいう妻であったが、「何もしていない、しなかった」ということこそ夫にとってはかけがえのない、最善の行動であったことになる。

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知的で明晰な妻は夫を手の平で操るというが、これは才覚である。子どものように無我夢中にばく進する男の性格を知る女を、「良妻」と定義する。夫に不満の多い妻に、「仕事から帰った時の夫は病人なんだよ…」と諭したことがある。諭して理解して実践できるなら、それは立派な妻である。「もう一度生まれ変わっても、今と同じ配偶者を選びたい」というのはしばしば耳にする。

自分がもっとも自分らしくいれる相手はまさに理想であろうか。女性からも耳にする理想の男性(夫)像であるらしい。「結婚は鳥籠のようなもの。外にいる鳥たちはいたずらに入ろうとするし、なかにいる鳥たちはいたずらに出ようともがく」というようにである。確かに結婚のことや夫婦生活のことは当人にしか分からぬ世界である。日本人の理想の夫婦像は、「空気のような…」といわれる。

存在を感じなくとも必要なものとの意味だが、これに対して、「それって、相手に興味が無くなることでは?」との批判もないではないが、いかにも表面的な批判である。「興味」とは、相手の「中身」を知るためのプロセス段階。中身が分かれば興味は薄れるが、長所・短所をうまく活用して生活にプラスにする。「興味」などという前に、「何のための興味か?」を考えれば分かろう。

西洋にも理想の夫婦を捉えた以下の言葉は、「空気」の意味と似ている。オスワルド・シュワルツという生理学者はよくは知らぬが、しばしば目にする名言である。人間生活のなかに、「純粋なもの」なんてないように思う。動物の生きざまに純粋性は感じることはあるが、人間というのは貪欲で不遜で野卑でそれだけとっても不純である。が、純粋なるものを求める気持ちはあってもいい。

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