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Channel: 死ぬまで生きよう!
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「わきまえる」はホンネに勝る ③

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樹木希林が他界して5か月になる。過去に書いた記事が蒸し返されるのもファンが目にしたことが発端と思われるが、2013年3月15日だから6年前の記事である。6年前だろうが10年だろうが、記事が残っている限り目を通す人もいようし、読後感としての批判もしくは共感を書き手に伝えるのも、ブログのシステム上許されており、誰もが自身の思いを述べる自由はある。

が、あえていうまでもないが、インターネットといえども発言においては実社会と同じマナーやルールが存在し、それはサイト(ブログ)の運営や利用についても同じことだ。これらがキチンと守られるのが理想であるが、実社会でもマナーやルールを守らない人がいるように、ネット社会にもそういう人は存在する。が、問題の本質はネットの方が実は大きいのではないだろうか。

イメージ 1理由はインターネットの匿名性であろう。実社会では口数も少ないような大人しくて蚊も殺せないようないい人であれ、架空の自己を作ることは可能で、これは大なり小なり多くの人が演じていると思われる。気持ちが大きくなれる、普段はいえないようなことでもネットならいえるなどのメリットは、自己変革したような感覚に陥るため、性格の大人しい人にはメリットとなろう。

インターネットの初期にニフティなどがユーザーを増やす一環として、当時はパソコン通信といわれたがネット上に様々なフォーラムを設けて決して多くはないがパソコン通信愛好者の語りの場となっていた。政治・経済・国際・国内・社会問題などのジャンルに分かれて、我こそは論客を自負する議論好きが世を徹して語り合ったりと、現初期当時のフォーラムは活気にあふれていた。

今から約25年前くらいだから90年代初頭である。仕事でパソコンを操る女性ユーザーも5%くらいはいたが、男が話題にしたい政治や社会問題フォーラムに女性は少なかったし、たまに来ても熱い議論について行けなかった。男同士の白熱した議論であっても、絶対に御法度としたのは人格批判であり、これはディベートの最低限のルールでありマナーと誰もが認識していたのだが…

心ない女性は追い込まれるとこういう発言をする。そうしたマナーを許さぬ論客たちは「でて行け!」と追い立てる。もちろん自分も遠慮も容赦もしなかった。論理を戦わせるディベートに人格品を持ち込まないはイロハの「イ」である。素性が分からぬことをいい事に何をいおうが相手から殴られるなど、直接攻撃されることはないが、斯くの人間は言葉で追い出した。

自主規制がなされていたのは、ネットユーザーの多くはディベートの何たるかを知るインテリたちだったことも規制無用の大きな要素だったろう。マナーやルールというのは法規制以前に自主規制の世界。ところが近年は誰もが気軽にネットに参入できることで、webサイトやブログに共通するマナーやルールが軽んじられ、他人を傷つけたり、法律および公序良俗に反する発言も多くなった。

これら一切は、気軽さ・安易さがもたらせた負の遺産である。ネットで最大限に注意すべきは、顔を突き合わせて話す実社会の会話とは異なり、相手から受け取れる(伝わってくる)情報が少なくなることも問題の本質である。つまり、喜怒哀楽をつかみにくいことで、心ない発言が醸されることもあるが、他人を傷つけることを拠り所・気晴らしにする意地汚い人間もいる。

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これらはスパム行為として確信犯である。ただし、他人を傷つける発言、あるいは怒らせる発言は、故意であってもなくても、受け取る側には同じこと。どちらであるかは関係ないが、社会体に多くの人間を熟知するとそういうことも分かってくるし、幅を持った対応も可能となるが、ヒドイ暴言を吐かれてネットから退散した人は実に多く、話を聞くと同情の余地もある。

時おり、「心ない発言コメントは当方の一存で削除させていただきます」というのを見かけるが、自分は過去においてその経験はない。どんな意地汚いクソコメントが来ようと、吐いた唾をのみ込ませて追い返す自信もあってか、刺激も含めてそれらを楽しんだフシもある。「二度と来ないよう!」の言葉を用意したこともあった。が、それらは超絶無作法な類であった。

が、年を重ねると、そういう行為をする自分ですら醜いと思うようになった。これを「金持ち喧嘩せず」と言い換えるなら、もっともっとお金持ちになる必要がある。さらには、「人の口に戸板を建てられない」の道理を周知し、発言に目くじらを立てるものでないのも分かってくる。マナーやルールの規制はあれども、本音を正当化する身勝手な発言も無知者の類である。

そうであると分かっていれば、「マナー違反・ルール違反」などと形骸化されたものを持ち出し、腹を立てても仕方がない。要は自身のキャパシティの問題だ。「マナー違反・ルール違反」を無神経な口にしてどうにかなるものではないし、それが誰でも参入可のネット社会。「目には目を」では喧騒になろうし、至らぬ者(子ども)をあやせてこそ大人、こうした大きな視野が大事である。

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