女性と男のコメントには大きな違いがある。男の言葉にはそれなりの配慮や気づかいが見れるが、女性に特徴的なのは「棘」。花嫁の角隠しという風習が面白い。角を隠して嫁ぎ先のしきたりに従順ということだが、女の言葉に見る棘は角を思わせる。こんな感じの妻なら夫は一事が万事か。率直を旨とし、嫌味とは無縁の世界に生きる男から見た女のホンネは嫌味を含む。
希林さんの発言はホンネというより嫌味発言である。一部に評価の声はあるが女のホンネはなぜに嫌味を伴うのか。「正論はTPOに関係なく発すべし」との意見もあるが、「正論」とは真実・事実ではなく道理において正しいこと。したがって、正論は吐けばいいというのではない。「伝え方を考える」という事を放棄してしまっては、正論吐く人の資質に問題ありとなる。
「私は何処でも誰にもホンネしかいわない」という人がいる。そんな言い方を自慢げにいうのは結構いたが、ホンネをいえばバカである。なぜなら、考えないでモノをいうのは大人としての適格性がない。やはり、「場」や「状況」は大事であり、それを無視して振舞うのは、ファミレスの廊下を駆けまわる子どもと何らかわりなく、その類の者は案の定大人ではなかった。
「お前はもう少し考えてものをいえよ」などと無知者を諫めるが、考えてものを言うのが大人のたしなみなら、TPOに合わせた対応が大事。「私は何処でもホンネしかいわない」人間は、なぜか嫌われていた。自分も率直であるが、人を傷つける可能性には配慮を怠らなかった。節度やわきまえが育ってこそ社会人だが、芸能人というのは特殊社会に生息する人だ。
目だってナンぼの芸能界と、節度重視の一般社会とは大きく隔たる。「芸能界の常識は一般社会の非常識」といわれるように、芸能人の常識や価値観を我々の一般社会に持ち込むのはいかにも無理がある。一般企業やどこの会社に女装従業員がいよう。オカマがホテルのフロントにいたら気持ち悪いし、トヨタのディーラーがオカマを雇わないのをみても乖離がある。
しかしながら希林さんの暴露発言は恨みあっての所行か自己満か。いかに彼女がホンネを隠せない人間であれ、場をわきまえずに人を怒らせたり傷つける発言は、自分の常識からして非道である。「人前で晒されて恥じる方が悪い」というのはあまりに他人事。もし、自分が隠して置きたいことがあって、それが天に恥じることであっても公衆の面前で晒されてどう思うのか?
自分に置き換えてみればわかるだろう。他人の所行を不道徳と謗るものがどれだけ道徳であるのか?誰にも分からないのをいい事に、人に石を投げつける人間を偽善者といわずに何といおう。どこの世界に完全な人間がいよう。互いが傷をなめ合ってこそ人の社会ではないのか?正論なら許されるというではなく、言い方が悪ければいかなる正論も暴言となろう。
公然と他人に恥をかかせる希林さんの批判は当然で、たしなみはホンネより圧倒的に優先する。他人を傷つけてまでホンネをいう意味がどこにあろう。「(希林さんを)底意地が悪いと思うのは、まだあなたが若くて世間体重視の未熟な方…」との批判は、いかにも女性ならではの棘である。見知らぬ他人にホンネを返す必要を感じないが、もしホンネを要求されるなら…
「私を若いというあなたは百歳の老婆?」くらいはいうだろうか。「二人で朝までホンネで語り合おう!」そういうホンネは良いとして、他人をあげつらうようなホンネは理由の遺憾に関わらず賛同できない。ましてや女性の棘発言は同性には普通と思えても、男からみれば、「底意地の悪さ」、「性悪女」としか例えようがない。一部の男に理解されようと人の思いは人のもの。
同じ人間であれ、場を和やかにする人間もいれば、場の雰囲気を険悪にする人間もいる。後者の人間を望む者がいるのだろうか?人間は社会的な生き物だが、「人騒がせな女」は迷惑をまき散らす。いかに迷惑であるのかは、実際その場で被った者にしか分からないだろう。「底意地の悪さ」と定義するのは、自身の体験者としての実感であり、倫理観である。
人と人との関係には機微がある。その場、その状況から自分をどう律し、どう振舞うのが正解かを見つけるのが社会人としてのイロハ。見つけて行動するのが大人、見つけられないのが子ども。自分がホンネや正論をいうときに留意することがある。それがどんなに正しいことであれ、相手が求めていないなら、ホンネも正論も何の意味をなさないし、労力の節約にもなる。
いかに価値のある言葉であろうと、耳に入れる能力もない者を前に、昔の人はこのように例えている。「馬の耳に念仏」、「猫に小判」、「豚に真珠」。出来すぎた言葉だけに実感が伴う。実社会なら場なら洞察をもとに振舞うが、そういう場に遭遇せずともこうした書き物を通し、自己の主張を述べている。目にして気に障るのは仕方がないが、その責任は負わない。
自分のブログである以上遠慮はしない。ただし、公人については率直な批判をし、ゲストコメントには回りくどくはなるがホンネを控える。それが自分のスタンスである。「自分はホンネしかいわない」などと威張りくさった人間は山ほどいたが、多くは自己満でしかない。そのために無慈悲に他人を傷つけるなどは、いじめの論理と何ら変わりようがないし、許容はできない。
男に女は分からないが、永井路子に『歴史をさわがせた女たち』という著書がある。女性が女性を批判する視点は、男が読むと細やかで面白い。数十人の名だたる女性が列挙されている。「歴史」というだけにいずれの女性も樹木希林など足元に及ばぬ猛女である。が、そんな目立つ女より、市井の片隅でひっそり生きる名もなき女こそが果報者…、そんな読後感であった。