だから自己責任。すべて一切を自己責任とするしかない。天国ばかりを夢見るでなく、地獄を見るかも知れないとの想像力や、覚悟も含めた行動を自らに言い聞かせるしかない。親切や優しさを相手がどのように受け止めようと、利用しようと、発する側の責任ということだ。相手への親切や優しさが自分の意図に反することになろうとも、一切の責任は自らが負う。
このことを高校時代に坂口安吾から学んだ。ここに幾度も書いたことだがあえて言うなら、赤頭巾ちゃんがどれほどお婆さんに親切にしてみても、結局は狼が化けたお婆さんに食い殺されてしまう。西洋の童話というのは、表層以上に深層が込められている。世の中、男にも女にも狼が化けたかのようなのがいるし、社会という見えない世界とはそんな風である。
オオカミ相手に対するいかなる親切も優しさも、相手に好都合と利用されたりもする。だから騙され、だから食われ、だから殺される。無慈悲な仕打ちを、「自分は悪くない。相手が悪い」などと言ってみたところでどうなるでもない。「情けは人のためならず」という言葉は西洋にはない、日本人の義理・人情を象徴する言葉だが、これは性善説に殉じている。
「相手に情けをかけると、必ず自分に返ってくる」。半分正しいが、半分は間違っている。そういう期待のもとに情けをかけるなら、見返りがない場合慣用句にに文句をいうのか?良い教えは悪い教えでもある。すべては自身が切り開くもの。だから安吾のいうように、「善を施す場合、その代償として殺されても文句を言わぬ気持ちでやれ!」というのが正解となる。
都合のいい事ばかり考えるのは自らも甘さである。最悪の事態も考慮に入れ、それでも相手に善意を施したいのなら、殺されても文句はいわないという覚悟をもってやる。起こったことは相手が起こしたことも含めて、一切が自分の責任とする。「ウチは悪くないのに相手が悪い」と、少女ならともかく、こんなことをいい大人がいってみても仕方がないのよ。親からの虐待は子どもの責任ではない。
子どもは親からの庇護のもとで生活するという権利が保障されている。ところが、成人になっても親から精神的苦痛を受けるというなら、家を出る選択をすべきだ。成人という親の庇護下にない状況にありながら、親元に留まるのも自己責任。自立をすべき時に自立をしない、それすらも自己責任。同じことは夫婦にもいえる。DV夫は直らない。我慢の継続より即刻別れるのが良策。
しかし、それでも一緒にいることの旨味があるならら、それは自己責任の範疇である。負わなければ済むことを解決も解消もせず、DV夫の場に留まっって不満を言い続けるのも自ら選んだ生活である。そういう人はいろいろな都合を自分に言い聞かせて離婚をしない妻もいるが、マイナスだけの苦しい日常なら人は行動する。しない人にはプラスとマイナスの相殺がある。それも自己責任である。
奴隷でない限り人間は自らの意志で行動するが、そうできる状況にある以上、現状況は自己責任とみなされる。自分で選んでおきながら自分に文句を言わず、他人の責任にするのは一人で相撲を取っているようなもの。愚痴を女の友というが、男の自己責任主義からすれば、愚痴は最大の恥となる。それでも愚痴を牛のよだれの如くダラダラいう男は、女よりも腐った男というしかない。
「女の腐ったような男」という言い方は女性差別的臭いがあるが、そういう時代に生まれた言葉が今も使われるということで、女は腐っているというではない。男に騙されて殺された若い女性に、「自己責任」を吹っ掛けるのは可哀そうという人もいようが、同じ人間でも自己責任を厳しく躾けられた欧米社会から見れば、見知らぬ人とは公共の場で会うよう親に躾けられる。
報道によると金銭トラブルがあったようだが、ネット交流の相手が近しい関係のような錯覚を抱くとしても、見ず知らずの相手との金銭貸借は絶対に避けるのが鉄則だ。理由は、近しい関係と認識しても距離は遠く、返済をされなかったら相手の居住地まで出向かなければならない。今回はそうであった可能性もある。職場の同僚という関係ならともかく、それでも金銭貸借は罪を作る。
人間関係を絶縁すべき理由の第一に金銭要求がある。要求とは、「貸せ」も含む。そもそも10歳以上も離れた人間が年下でそれも学生に、「金を貸せ」と要求された時点で関係を切るべきである。これは法則として頭に入れておくといい。むやみに人に金銭要求する人間のどこが非常識でないのか?ネットの出会い如き相手なら、要求時点でまともでないと縁切りをすべし。
自分の財産を脅かす要求に人間性などない。これは自分の他人の見方の基本である。なぜなら、そういう人間はルーズで非常識であるのは経験則でもある。これは金銭貸借に限ったことではない。飲食付き合いにおいても人間性が現れる。自分で食ったものは自分で支払うのが人間関係の基本であって、他人の財布を宛てにする人間は心の卑しさの表出と自分には映る。
お金を貸すのは相手のためにならぬばかりか、自分が自分に罪を作ることになる。貸す時は多少なりいい気分になるかも知れぬが、返済を履行しない相手に対し、気をもんだりするという罪が自分に生じる。何でこんな気分にならねばならぬのか?それ程のバカをしたと自らを強く戒め、責めた方がいい。それからはたとえ明日地球が消滅しても、人にはカネを貸さぬ人間になる。