児童といっても我が子である。「我子虐待」の方が正しくないか?ともかく、「百聞は一見にしかず」の習いにそって父親である栗原勇一郎の画像を見た感想をいえば、どこからみても、「よきパパ」である。真冬に冷水をかけるようなバカ親報道から、実際の画像を目にする前はどんな父親かと思ったが、あまりに父の顔は普通にみえた。この顔が我が子を虐待する父の顔なのか?
同じ思いを抱いた人はおそらく他にもいるだろう。これまで我が子を虐待する幾人かの父親の顔を見たが、多くのケースは母親の連れ子だったこともあり、そうした先入観もあってか、彼らはいかにも子どもを虐待するような顔をしていた。本当の父親でない男に対し、つれない態度の子どもの正直さに腹を立てる光景は浮かぶが、継父も所詮は継母と同じものなのかと考えさせられる。
連れ子が可愛くないのは仕方ないことかと、継父の子どもいじめに体を張って守る母もいるにはいるが、強いことが言えぬ母の思いも分からなくはない。しかし今回は実の父親による我が子虐待である。遠方であれご近所であれ、他人の家庭を見聞きするわけにはいかない。どんな風な家庭なのか、あったのかは想像するしかないが、この父親は何をそれ程怒りまくるのか情緒が疑われる。
虐待動機とは、あくまで情緒の問題と自分は考える。共同通信社による新たな報道によると、県警の取り調べに以下の供述がなされている。死亡前日の24日深夜、「娘を風呂場に連れて行ってもみ合いになっって意識や呼吸がなくなった」。父親はすぐに110番をし、到着した救急隊員が心愛さんが死亡しているのを発見した。もみあいだけで意識がなくなり、呼吸停止などあり得ない。
司法解剖で死因を調べることになるが、咄嗟のショック死の可能性もないこともない。どちらにしても殺人罪にはならず、過失致死である。殺そうなどと思っていなくて、相手が死んだ場合は過失ということになるが、過失とはいえ、人を死に至らしめたという事実は事実である。罪の軽減はなされたとしても、真っ当な親なら我が子を手にかけたことへの悔いは計り知れないものがあろう。
「殺す意図があったか、なかったか」は、法解釈にすぎない。躾を超えた非人間行為がそこにある。虐待とは、「子ども憎し」の感情が露わになった行為であろう。そこが躾と虐待のちがうところだが、頭に血が上った親ともなると、躾と虐待の違いすらも混乱してしまうのではないか。この父親が行ったことをみても、躾というにはあまりに常軌を逸脱した行為といわざるをいえない。
父親はこれまでにも心愛さんに虐待を重ねていたことは、学校のいじめアンケート調査で判明した。そこにはなんと、「父親からいじめられている」との回答があったという。驚いた学校は即座に対応した。市側に、「虐待がある」と報告し、心愛さんは一度は児童相談所に保護されている。児相は心愛さんの対応にあたったことは認めたものの、詳細ついて詳しいことを述べてはいない。
しかし心愛さんは、今年1月7日の始業式から小学校を欠席していたという。父親は欠席理由を学校側に、「家族で沖縄に行っていて滞在する予定」、「曽祖母が体調不良のため(心愛さんが)そばにいたいと言っている」などと伝えていた。一般的にはさほどの関係が深いと見込めぬ曾祖母でもあり、本当かどうかは疑わしい。この辺り、心愛さんをとりまく一切がネガティブに見えてくる。
虐待死という最悪な結果を前に担当した柏児童相談所の二瓶一嗣所長は、「解除はその時点では妥当な判断と思っているが、その後の対応が不足していた」と述べている。お役所仕事・お役所言葉というのは、いつもながらの自己保身が優先されて抜け目がない。「こういう結果になってみると、解除は妥当でなかった」など口が裂けてもいわないばかりか、下した判断の正当化に余念がない。
捜査関係者からの新たな報道では、「死亡当日は朝10時から休ませずに立たせた」ことも分かった。また、一昨年まで居住していた沖縄糸満市の親族から、「子どもが恫喝されている」との相談も市に寄せられていた。女児の体に残る複数のあざが胴体部分に集中していたことから、警察は父親のが虐待の発覚を恐れ、暴力を振るう箇所を選んでいた可能性も視野に入れて捜査を進めている。
「児童の権利に関する宣言」は1924年に国際連盟に採択され、1959年に拡張されたものが国際連合に採択された。さらには、人権としての「児童の権利に関する条約」が1989年に署名され、1990年9月2日に効力が発生した。この条約は、児童を「保護の対象」としてではなく、「権利の主体」としている。が、日本という国は、「子どもは神からの捧げもの」という宗教的バックボーンがない。
ゆえにか、子どもは親の所有物との意識が強い。子どもは夫婦の宝というが、宝とは何かを深く考える必要がある。自分はこう考える。「子どもがあっても、母となりすぎない妻、さらに父となりすぎない夫。つまりは、子どもをある程度無視できて、それでいて相変わらず夫婦であり得る男女」。無視は放任という自由を得る。自分の経験でいうなら、このことが真の自分を作るものとなった。