「日本映画がつまらないのは大根役者とダメ脚本」といわれている。「ダメ脚本」はともかくとして大根役者もいい得ている。「大根役者」の出所は多説ある。①大根が白いことから素人とかける説。②大根は滅多なことで食あたりしないことで、「当たらない役者」を意味する。役者をその配役から外すことを、「おろす」といい、「おろす」といえば大根おろしなどあるが真説は謎。
世界的名作の誉れ高き『ゴッドファーザー』と、『仁義なき戦い』を比べるのもどうかと思うが、比べてみれば確かに月とスッポンほどの違いがある。もっとも、二十世紀の全作品から監督たちが選ぶ映画の第五位にランクされる『ゴッドファーザー』であるならやむを得ない。世界的に見れば駄作であっても、日本人にとって『仁義なき戦い』は面白い映画として人気がある。
ちなみに、キネマ旬報が2009年(平成21年)に実施した≪日本映画史上ベストテン≫「オールタイム・ベスト映画遺産200 (日本映画編)」で、『仁義なき戦い』を歴代第5位に選出した。制作した東映のスタッフ、プロデューサーの日下部五朗は語る。「飯干(晃一)さんからこの手記(美能幸三の獄中手記) をもとに雑誌連載するけど、映画にできないかといわれた。
上層部に聞いてみたところ、岡田茂社長は、『絶対にやれ』といわれ、すぐに美能氏に会いに呉に行きましたが、『映画なんてとんでもない』と会ってくれないし、とにかく何をいってもダメでした」。日下部に変わって呉に出向いたのが脚本家の笠原和夫氏だ。美能と笠原はともに軍隊経験があり、その話で意気投合し、ついに美能から映画化の了解をとる。
映画は大ヒットし、笠原が脚本を担当した第四作までの数字をいえば、観客動員数二百万人、興行収入二十五億円と、当時としてはものすごい数字であった。プロデューサーの日下部はいう。「笠原なくしてこの映画はない」。笠原の妻は、「書き始める前に軍艦マーチをかけるんですよ」。笠原と美能は奇遇なことに同じ広島の大竹海兵団に所属していた。
確かに凄まじいほどのセリフを笠原は生み出した。第一部でもっとも印象的な、「神輿が勝手に歩けるいうんなら、歩いてみいや、おう!」と、これは松方弘樹の爆裂啖呵である。目上の者や親分さんを奉じる際に、「神輿を担ぐ」という言い方をするが、「神輿が勝手に歩けるなら歩いてみろ!」というのはなかなか浮かばない。軍艦マーチの効果だろうか?
1973年(昭和48年)1月13日、正月映画第2弾として公開された『仁義なき戦い』は、ヤクザ映画でありながらこれまでの虚構性の強い、義理人情に厚い任侠道を歩むヒーローを描くといった仁侠映画とはまるで違っていた。様式美をまったく無視し、殺伐とした暴力描写を展開させた点、ヤクザを現実的に暴力団という視点で捉えた新しいヤクザ映画であった。
そのような新しさが生まれた背景には、実際に暴力団員だった美能幸三の獄中手記⇒実話小説⇒脚本⇒映画という道筋が、実在ヤクザの抗争を実録路線として、リアリティを表現させることになった本作は実録物の先駆けとなった。登場するヤクザたちは金にがめつく、弱者に強い社会悪としての姿がヤクザを美化することなく、それらが庶民に親近感を抱かせた。
それにしても当事者である美能幸三は、この映画をどんな気持ちで見たんじゃろか…?
新しいものが生まれる背景には必ずといっていいほど新しい手法が存在するようだ。『仁義なき戦い』は、ヤクザを主人公にするが、優れた群集活劇でもあり、暗黒社会の一戦後史でもあり、青春映画であり、自己啓発としての側面もあるが、基本は娯楽映画であるため、登場人物に感情移入させるためにもヤクザを魅力的な存在であるかのように描いている。
その点は、「犯罪者を美化するのか!」という批判もつきまとうことになる。しかし、そうした批判をあらかじめ予測しているかのような、笠原によるヤクザを茶化したような喜劇的薬味が本作品の魅力を増大させている。金子信雄演ずる山守親分などは、「本当にこんなヤクザの親分がいるのか?」と思わせるくらいの、まさにそこらにいる普通のおっちゃんである。
それどころか、人間のクズにさえ感じられた。金子信雄の演技は実在の山村辰雄親分を大幅にデフォルメさせて歪めている。その証拠に試写を観た脚本家の笠原は、「あんな親分などいるはずがない」と一刀両断している。笠原の綿密な取材と探求心が積み上げたれた彼なりの肌で感じたヤクザ社会からすれば、金子の露骨でオーバーな演技は許しがたかったという。
ところがそれが観客に受けたのだから、映画というものは分からない。作り手の意志をまったく離れたものが受けるというそのことに、笠原の思いはいかばかりであろうか。そのことは音楽シーンにも頻繁に起こること。例えばレコード盤のA面は音楽的にも秀逸でヒットも間違いないと踏んだものを充てるが、それよりも作品的質の落ちるB面がヒットをする。
山守のクチャイ芝居はともかく、木村俊恵の広島弁の見事さには自分でもカナワンわ
決して珍しいことではない。確かに山村親分には冴えた権謀術数や、老獪極まる立居振舞な要素は多分にあるが、金子演じる山守親分のオーバーアクションが現実の山村親分にスライドし、虚構の姿がそのまま定着した感がある。しかし、当時の組員や多くの証言からは、「多少の誇張はあるにせよ、山村という人はああいう人だった」というのはあちこちに書かれている。
山村の性格上の特性として挙げられる人心収攬(しゅうらん)の上手さ巧みさは、人を操るためには心にもない言葉を用いておだて、なだめすかし、金の力で懐柔し、果てはウソ泣きまでして落とす。そうした表情を目立たせるためか、山村は眉ズミを使用しているが、ウソ泣きしたあとスミが流れて顔が黒くなるため、コンパクトを携帯し、化粧直しに余念がなかった。
まさに役者である。こうした真実を知るに金子のオーバーな演技はあながち嘘ということでもない。証言者の一人として四代目共政会最高顧問で小原一家総長の門広はこのようにいう。山村親分が業を煮やしていた山村組若頭の佐々木哲彦を襲撃・殺害したのは門一派の三宅、平本だった。「三宅も平本もしっかりしちょった。警察でもワシのことは一言も喋っとらん」。
と門はいう。佐々木がこの世から消えたことをことのほか喜んだ山村は、殺害を指示した門を広島に呼び寄せ、手を握っていった。「ようやってくれた、しんぱいかけたのう、すまんのう」。そして、「『ワシは一生門らの面倒を見るけん』というてくれたがその後がいかんわ。『ところで門よお、警察に出頭してくれんじゃろうか。大した罪にはならんけん。
犯人隠匿じゃから、半年、いや三か月で出してやるけん頼むわ』といったが、なんのことはない、自分の身が汚れるのを怖れちょったんじゃろう。広島に競艇場を買う予定じゃった山村さんは、『ほいじゃけん、その売上の何割かをお前のために貯金しとくけん』というてた。山村親分はええ人じゃなあ思うて感謝もしたが、すべて人を動かすための空手形よ。
そういえば、佐々木を殺る少し前、刑務所からでてきた美能さんはワシにいういうた。『山村に騙されるな』。ワシは美能さんもおかしなことをいいよるなと半信半疑じゃった。じゃけど、美能さんのいう通りじゃった。山村さんはワシらの裁判費用こそ出してくれたが、三か月どころか二十年の懲役よ。ワシに積み立ててくれた貯金?そんなものはありゃあせん。」