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Channel: 死ぬまで生きよう!
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広島・呉・阿賀

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役所浩司主演の映画『孤狼の血』が公開されたのが2018年5月12日。もう8か月も前だが、そろそろWOWOWでやるんじゃないかと待ちわびている。DVDレンタルはされているが、レンタル店は2年くらいご無沙汰である。以前は月イチは欠かさなかったのに。やはりテレビ離れのせいだろう。最近テレビがついているだけで騒々しく感じられるようになった。

以前は(といっても5年、10年くらい前か)は、観なくてもテレビがつけているのが普通の日常だったことを思えば、静かに暮らしたいということだろう。それと目が悪くなった(にもかかわらずメガネ嫌い)から、観ようとするだけで疲れることもある。50インチとはいうものの、慣れればデカさは感じない。もうテレビは必要ないんじゃないかと思うこの頃だ。

ニュースは圧倒的にネットが迅速で、将棋の中継や番組もネットの頻度が高い。となるとテレビで何を観るか、どんな番組を観たいか、となると浮かばない。『スター・ウォーズ』も『エイリアン』も『ターミネータ』もビデオに撮って何度も観た。『仁義なき戦い』も『ゴッド・ファーザー』もDVDを買って何度も観たし、この映画は自分にとってのナンバーワン作品と思っている。

第一作は1972年というから、47年も前なのかと改めて驚く。あれから47歳も年を取ったのかという驚きである。2年後にpartⅡが公開されたが、これまた第一作を凌ぐ感動があった。若きデ・ニーロのヴィトー・コルレオーネ役がニヒルで素晴らしかったが、当時無名だったデ・ニーロは、第一作でソニー・コルレオーネ役のオーディションを受けていたという。

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最終的に起用されることはなかったが、コッポラはデ・ニーロの演技力を心に留めていた。その後スコセッシ監督作品の『ミーン・ストリート』のデ・ニーロを見たコッポラは、彼こそヴィトーの青年期を演じるのに相応しい人物と確信したという。その判断は間違ってはなく、デ・ニーロはヴィトの演技を絶賛され、アカデミー助演男優賞を受賞している。

PARTⅢは第二作公開後16年を経ての公開だ。「ゴッドファーザーがこんなゴミ映画で終わるのか!」。批評は芳しくなかった第三作だが、コッポラの娘ソフィアの演技が不評だったこともあげられる。過去に交際していたアル・パチーノとダイアン・キートンの共演は話題にすらなったが、不評・不評のなかにあって、自分的はそれほど悪い作品と感じなかった。

1919年1月8日に設立された米国映画撮影監督協会はその100周年を記念し、20世紀の映画撮影の業績を讃え、メンバーの投票により100本の映画のリストを発表した。1位に輝いたのはデヴィッド・リーン監督『アラビアのロレンス』(1962)で、『ゴッドファーザー』は第5位にランクされた。コッポラは第三位『地獄の黙示録』に続いてのベストテン入りだ。

さて、日本のヤクザ映画はマフィアに比べて陳腐感が否めない。『ゴッドファーザー』を観た後、相当の日数を経ないと『仁義なき戦い』は茶番で観れない。というのも、ここの映画は真面目なヤクザ映画というより、喜劇のニュアンスが盛り込まれているからだ。が、広島人としては方言が堪能できるし、その意味で親近感が湧くが主演の菅原文太の広島弁だけは…

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「こらえてつかーさい」である。広島弁の秀逸な役者の順位を独断でつけると以下のようになる。②内田朝雄、金子信雄、③松方弘樹、④北大路欣也、千葉真一、⑤田中邦衛、梅宮辰夫、小林旭、宍戸錠、⑥菅原文太、⑦小池朝雄、⑧山城新伍と、有名俳優のみの順位であるが、第一位は文句なく金子信雄の女房役の木村俊恵。彼女は広島出身者かと思った。

東京の大田区生まれである。他のどの役者よりもシッカリと方言を勉強したと見受けられる。「金子信雄演じる山守親分の女房役は、今も語り継がれている」(Wikipedia)と記されているくらいだから、誰もがちゃんと見てるということだろう。当時のプロデューサーで東映社長だった岡田茂が広島県賀茂郡西条町出身で、広島弁にはうるさかったようだ。


第四部「頂上作戦」(1974年1月公開)のワンシーンだが、こういうしっかり女房にかかればヤクザの親分もたじたじである。木村は同映画公開の4か月後の5月、舞台に出演中過敏性腸カタルで倒れ、以前から同棲中の中谷一郎と結婚式を挙げる予定日だった、7月26日に急性心不全で死去。39歳という若さであったし、晴れて花嫁衣裳を着ることも叶わなかった。

『孤狼の血』も『仁義なき戦い』と同じ広島と呉、呉の西にある阿賀という小さな漁師町が昔からヤクザ抗争の中心地で、阿賀町冠崎出身の友人がいろいろヤクザの話を聞かせてくれた。阿賀の土岡組は『仁義なき戦い』第一部の土井組のことで、土岡組は阿賀町の事業家・海生逸一から、海生逸一の経営する映画館や劇場の不良を押さえる用心棒を依頼されていた。

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その土岡組には"悪魔のキューピー"と恐れられた大西政寛がいた。『仁義なき戦い』は呉・山村組と阿賀・土岡組、広~阿賀が勢力圏の小原一家の抗争から始まるが、映画は小原一家の親分が土岡組の大西に片腕を落とされるシーンから始まる。土岡組と小原一家は同じ阿賀町内で小競り合いの中、剛毅一徹の阿賀者といわれたがゆえに土岡組長は山村組の凶弾に斃る。

それを機に場は呉・阿賀から広島の岡組、村上組へと広がっていく。『孤狼の血』の時代設定は昭和63年、暴対法成立直前の広島の架空都市・呉原を舞台にしたヤクザと警察の戦いである。広島、呉、阿賀のロケマップがネットに紹介されている。呉に郷原という町があるが、呉原よりは呉でよかったのでは?自分は呉・阿賀・広に友人がいるので何度か行った。

実家が海岸通りの酒店(現在はコンビニ)だった田中ルミ子嬢は、呉・三津田高校卒業後にビクターから歌手デビュー、自作曲アルバムを一枚出した後にミュージックスクールで、作曲技法の選任講師となる。阿賀の友人は、高卒後に呉市中通りの中山楽器店に就職。広の友人は大学卒業後広島・堀川町カワイショップの店長を長く勤めた後に浜松本社勤務となる。

ピアノに縁があったこともあって、なぜか音楽関係の友人多し。当ブログ内にも広島人はいるだろうか?おそらくいるだろう。ならば阿賀の大谷川、呉の中通り、広島のカワイショップというローカルチックな名前に、"キュン"となるかも知れん。ふるさとから遠く離れた地に住む人もいようし、そうした人は、ちょっぴり里ごころがつく記事かもしれない。

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