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五賢人 坂口安吾 🈡

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『戦争と一人の女』に決まった経緯はこうだ。荒井が監督を井上淳一に推し、引き受けた井上が何か良い台本はないものか、戦時中を舞台にした小説をいろいろ読み漁った中で出会った一冊だった。寺脇も荒井も了解し映画のタイトルはそのままの『戦争と一人の女』に決まったものの、安吾を原作としたことで予算はピンク映画の枠を超え1200万円と跳ね上がった。

撮影は2012年の夏、京都市内でわずか10日という短期間で撮影された。この年は猛暑であったが京都の夏はとくに蒸し暑い。撮影が終わり、13年のゴールデンウィークから全国で順次公開された。坂口安吾の知名度をもってしても、客はなかなか劇場に足を運ばない。監督の井上は、「苦戦してますぅ」とこぼしたが、興行収支がどうであったか分からない。

観ていないので感想はない。小説はこういう書き出しで始まる。「野村は戦争中一人の女と住んでいた。夫婦と同じ関係にあったけれども女房ではない」。最後はこんな風に終わっている。「戦争は終わったのか、と、野村は女の肢体をむさぼり眺めながら、ますますつめたく冴えわたるように考えつづけた」。『続戦争と一人の女』の書き出しはこんな風に始まる。

「カマキリ親爺は私のことを奥さんと呼んだり姐さんと呼んだりした。デブ親爺は奥さんと呼んだ。だからデブが好きであった」。以下で終わる。「私達は早晩別れるであろう。私はそれを悲しいこととも思わなかった。私達が動くと、私達の影が動く。どうして、みんな陳腐なのだろう。この影のように!私はなぜだかひどく影が憎くなって、胸がはりさけるようだった」。

『戦争と一人の女』は作家としての安吾の主要作品で、敗戦後の1945年から翌1946年末までに書かれた作品の投票から傑作として選出された作品。当初はGHQの検閲により文章が大幅作削除された初出作品だが、1971年(昭和46年)以降復刊となる。「私達が動くと、私達の影が動く。どうして、みんな陳腐なのだろう。この影のように!」は名文の香りがする。

ウォルト・ディズニーの名作アニメ『ピーターパン』では、ピーターパン自身の影が自由勝手に動き回るので、ウェンディに頼んで靴に影を縫い付けてもらうという発想がユニークだった。ああいう発想はどこから湧いてくるのだろうか?童話や児童文学にも一般的な大人の感性では思いもつかない話しや仕掛けがでてくるが、すべては大人によって考えたものである。

安吾を読んでいると彼の独自の論法に驚かされることがある。何をも恐れぬ自由な発想であっても論理として整合性があるのだから、思考というのはとてつもなく洋々としたものだと気づかされる。しかし、「本当の倫理は健全なものではない」、「ただれた愛欲、無軌道な放埓のなかにやがて高い魂が宿るようになる」などの言葉に驚かぬものがいるだろうか?

「文化の進歩は、秩序より悪徳による」というような言葉を安吾以外に吐く者がいるだろうか?人間の動物性は社会秩序という網によってすくいあげることは不可能。どうしても網の目からこぼれてしまう。我々は秩序の網にすくいあげることのできない人間の動物性を悪徳というが、しかしながら、社会生活の幅といい文化というものが発展してきたものは秩序以上に悪徳であろう。

安吾の言葉はただの読み物ではなく、これでもか、これでどうだと人を納得させる。「不倫は文化」だとのたもうた芸能人が批判され番組を下ろされた。安吾がテレビに出たとするならすぐさま首を切られ、以後はどこからも声がかからないだろう。テレビに出ることがそんなにいいことか?テレビのない時代であれある時代であれ安吾は自らを変えないだろう。

(テレビに)出してもらえないではなく、出なきゃいいことだ。視聴率に反映されるメディアであれど、人間の心の豊かさは数式化できるものではないし、硬直化した社会秩序の網で捉えようとするところに問題がある。ジョブズが有名大学の卒業式に呼ばれ、スピーチの最後に「愚かであれ」といった。ジョブズを呼んだ学生の委員の一人が、「なんてことを」言ってくれた。

と悲観していていたという。ジョブズの言葉はスタンフォードを卒業する学生を揶揄したものでも批判したものでもなく、「学位などに頼るなかれ」といったつもりだった。学位や学歴に依存して箔をつける人間の実力はしれたもの。ジョブズの心にはそれがあった。「秩序って誰のためにあるんだ?」ジョブズの心底は、安吾とまったく同じものであったろう。

「生と死を論ずる宗教だの哲学などに正義も真理もない。」という安吾の過激発言は哲学者にも向けられる。「私は聖母の理想というものと自殺とは同じものの表裏と考える。そしてどちらも好きになれない」。キルケゴールは実存主義哲学の先駆者だが、彼は絶望を「死に至る病」とした。して万能の神に自己を預けることが治癒であり、救いであるとした。

「バカなことを言ってはいかん!」と安吾は言っている。ラッセルを始めとする大方の無神論者も同じ考えにある。「絶望が死に至る病」などと、いかにも神の救済という答えの用意された言葉である。「人生不可解」の遺書を残し、17歳で華厳の滝に飛び込んだ藤村操は、なぜ「不可解」という絶望を突破しようと思わなかったのか?答えは明白である。

彼には最初から「死」という答えがあったと見受ける。キルケゴールもそうであるが、「まず最初に結論ありき」で物事を考えるとこういうことになる。それからすれば、『創世記』の記述は結論ありきで書き留めたお伽噺である。全能の神は何でもできるのだという都合の良い免罪符が用意されている。マンガやSF映画がどんなことでも可能であるように…

「はじめに言葉があった」。この一言がいかにバカげているか。なぜなら、成人した人間が急に言葉が喋れるのか?言葉は生を受けて以降、幼児期に周囲の人たちの話し言葉を耳にし、学習しながら言葉と事物や実体とを照らし合わす。リンゴをリンゴと知るのは人がリンゴをリンゴと呼ぶからである。言葉は知識、語彙とは言葉に使われる単語の総体である。

いきなり成人男女が出現し、事物の知識も名称も瞬時獲得して会話をするなどあり得ない。犬・猿・雉と人間が共通語で会話をするようなものだ。「全能の神」と信者はいうが、魔法で人間を造り出すなどの非理性行為はお伽噺である。安吾の太宰への追悼文は『不良少年とキリスト』である。太宰は聖書やキリスト教の影響を受けているがキリスト教信者ではない。

キリスト教信者は、キリストによって罪が赦されたということを喜ぶ人の集まりである。聖書に影響されながらも自ら罪の生活に浸り続け、最後は罪と知りながら命を絶つ。これはキリスト教で言えば背信行為である。そんな太宰を安吾は不良少年と詰るついでに、芥川にも言及する。「まったく、笑わせる奴らだ。先輩と称し、羽織袴で、やってきやがる。

不良少年の仁義である。礼儀正しい。そして天皇の子どもみたいに、日本一、礼儀正しいツモリでいやがる。芥川は太宰よりも、もっと大人のような利口のような顔をして、そして、秀才でおとなしくてウブらしかったが、実際は同じ不良少年であった。(略)芥川も太宰も不良少年の自殺である。不良少年の中でも、特別、弱虫、泣き虫小僧であったのである」。

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