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五賢人 坂口安吾 ⑤

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安吾の生まれ故郷である新潟市の護国寺境内松林を進んでいくと、砂丘上にどんと据えられたおむすび型の石碑に出会う。それが寄居浜安吾碑で、尾崎士郎、壇一雄らが発起人となって、1957年6月に建立された。目の前には、安吾が中学校をさぼり、ここに来ては眺めていたという日本海を臨む。安吾は自伝『石の思い』にこのように書いている。

「中学をどうしても休んで海の松林でひっくりかえって空を眺めて暮さねばならなくなってから、私のふるさとの家は空と、海と、砂と、松林であった。そして吹く風であり、風の音であった」。安吾は新潟の海がステキだという。日本海を愛し、作品にも数多く登場させている。  妻の三千代は安吾の生前の言葉を『クラクラ日記』にこのように記している。

「日本海はくらいんだ、やっぱり荒波だ。一望千里砂浜だ、佐渡が見える。夜でも泳いだんだ。夜の海は怖いものだよ。オレだけが波にもまれているんだ」。寄居浜安吾碑の碑分には「ふるさとは 語ることなし 安吾」と彫られているが、碑文のもとになったのは、新潟の放送局でインタビュー番組を制作していた丸山一さんに送られた色紙に書いた言葉である。

これについては安吾の長男坂口綱男氏の言葉がある。「父は思春期に新潟の実家に背を向け文学の道に進んだ事もあり、この碑文をふるさとに対しての否定であると言う向きもあるが、その言葉を残したのが安吾だからと言ってそうヒネクレる必要もないと思う。もっともどちらとも取れる表現で、このような言葉を新潟に残したのは父らしいと言えば父らしい。

この碑が建てられたのは、私が五歳位の出来事だった。何があるのかも知らぬまま、大勢の人がいる賑々しい場所に引き出され、この紐を引けと言われ紐を引くと、真っ白い光沢のある布がスルスルと滑り落ち目の前に巨大な石が姿をあらわした。五歳の子供にこの行事はかなり衝撃的な出来事だったらしく、巨大な石の姿はいまだに脳裏に焼き付いている。」

「ふるさとは 語ることなし」の意味を想像するに、ふるさとが本当に嫌いだから、「語ることなどない」のか、あるいは語りたいことが山ほどあるのに、言葉にした途端、偽りになってしまうとの思いから、「語ることなどない」のか。もし、後者であるなら、あえて「語らないふるさと」という概念を保ち続けることで、ふるさとを永遠の存在とすることになるであろう。

昭和16年、安吾は戦時下の緊迫した社会情勢のなか、『島原の乱』を完成すべき歴史書を読み、当地に取材に出かけて執筆に専念する。「僕は悠々たる余裕の文学を書いていたい」(巻頭随筆)と表明するが、そこには人間のふるさとに、は「救いがない」という認識がある。「私自身の目で戦争を見て、私自身の知り得る人間の限界まで究めたかった」と語っている。

安吾は戦争を、「救いがない」究極の世界として冷厳に見ていたようで、『日本文化私観』は、そんな安吾の冷厳さで捉えられている。同著は1942年(昭和17年)2月28日、文芸同人雑誌『現代文学』に掲載されたが、そのなかで安吾は上記したような、「必要のやむべからず生成」の重要性を主張、「すべては、実質の問題」であることを展開している。

こうした考えは『青春論』にも継承され、戦後の安吾の思想基盤にもなっている。一切の迷いを断ち切り、悟りにも滞らず、「必要やむべからず生成」を見続ける安吾の精神は荻野アンナのいうユマニスト如きものではなく、大悟徹底精神の賜物と考える。女が安吾に傾倒するのも分からぬが、安吾は同じ無頼派で女性に人気のある太宰とは一線を画す作家である。

一般的に人は人に対して、「堕落するな」と説くものだが、「堕落する以外に人間を救う道はない」などと仏の道に反するようなことをいう人間が、安吾以外にいるだろうか。彼は、堕落という混乱の道を徹底することで、「必要のやむべからず生成」を発見することが重要と説く。これはモラルの問題ではない。すべて一切は、そのやんごとなき必要性と実質の問題である。

良書とは人格を向上させるものであろう。しかるに良書とは間違ったことが書かれているものであると述べたように、ならば、世間で悪書といわれるものには良いことが網羅されていることもある。世間一般で安吾は太宰や織田作之助と通じ合う要素を持っているといわれながら、まったく異質なのはその思考の徹底性にある。彼の特質はこういう文にも現れる。

「大マジメな社会改良家も、大マジメな殺人犯も、同じようなものだ。いずれも良識の敵であり、ひらたく云えば、風流に反しているのである」。「自分の本音を雑音なしに聞き出すことさへ、今日の我々には甚だ至難の業だと思ふ。日本の先輩でこの苦難な道を歩き通した人を、西鶴の他に私は知らない」。「本当の美しい魂は悪い子供が持っている」。これが安吾という人間である。

斯くの如き言葉の累々を、思考し悩み求めるだけで人間は一段成長する。三島由紀夫は『無題』として以下記す。「何たる悪い世相だ。太宰治がもてはやされて、坂口安吾が忘れられるとは、石が浮かんで、木の葉が沈むやうなものだ。坂口安吾は、何もかも洞察してゐた。底の底まで見透かしてゐたから、明るく、決してメソメソせず、生活は生活で、立派に狂的だった。

坂口安吾の文学を読むと、私はいつもトンネルを感じる。なぜだらう。余計なものがなく、ガランとしてゐて、空っ風が吹きとほって、しかもそれが一方から一方への単純な通路であることは明白で、向う側には、夢のやうに明るい丸い遠景の光が浮かんでいる。この人は、未来を怖れもせず、愛しもしなかった。」 (以下略) 三島は太宰を嫌っていた。

漫画家の近藤ようこの『戦争と一人の女』が発表されたのは、2012年だった。これは、坂口安吾の『戦争と一人の女』、『続・戦争と一人の女』、『わたしは海を抱きしめていたい』を原作とする漫画作品である。近藤はこのように述べている。「坂口安吾の『戦争と一人の女』を読んだとき、"女は戦争が好きだ"をはじめとして、強烈な言葉の数々に驚かされました。

また、『戦争と一人の女』を読むことで、それまで読んできた小説が戦争に対して通り一遍の見方をしていることに返って気づかされるようでした。『戦争と一人の女』は、戦争に対して全く異なる見方を差し出している。何よりそれが面白かったです」。近藤は、『戦争と一人の女』を漫画化する前に、『桜の森の満開の下』と、『夜長姫と耳男』の安吾作品を漫画化している。

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