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「南部坂の別れ」に見る人間の確信

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「忠臣蔵」の時節である。史実の、「赤穂事件」と、映画の、「忠臣蔵」は種々違っている。後者には事件と関係のない話が混入されているが、史実より創作された、「忠臣蔵」のほうが、日本人の精神性をより反映しているようで、作り話のほうが実体と思っている日本人は多い。我々も「忠臣蔵」の魅力はそちらの方に感じているが、心打つものはなんであろうか。

「赤穂事件」をもとにした芝居は何種類も作られているが、何といっても現在の忠臣蔵の基となったのが『仮名手本忠臣蔵』であろう。本作は刃傷事件から47年後の寛延元年(1748年)に大阪竹本座で人形浄瑠璃として初演、大喝采を浴びた。今から丁度270年前である。なぜ江戸ではなく上方で誕生したのかについては、戯作者の近松門左衛門が基を作ったからだ。


近松門左衛門は承応2年(1653年)、越前国(現在の福井県)に父信義の次男として生を受けるが、越前・吉江藩を辞した父らとともに京都に移り住む。藩を辞した理由は不明である。近松はその後、青年期に京都において位のある公家に仕え暮らしたと見られ、その間に修めた知識や教養が、のちに浄瑠璃を書くにあたって生かされたということになろう。

創作の筆頭と推測されるのが、内匠頭の辞世とされる、「風さそふ 花よりもなを われはまた 春の名残を いかにとかせむ」で、いろは47文字(色は匂へど散りぬるを)を意識しているのが見え見えである。それと、内蔵助のあのような大掛かりな復讐劇を行った真意も不明なら、内匠頭が一国一城を投げ打って、上野介に刃傷に及んだのも正気の沙汰と思えない。

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自分が最も気に入っている1961年版の『赤穂浪士』(東映)でも、江戸の民衆が浪士の討ち入りを期待しているのが、面白かしく描かれている。赤穂藩浪人であるのを伏せて江戸町人に成りすました堀部安兵衛と後に吉良邸内の図面作製を依頼された畳職人伝吉とのやり取りが傑作である。実際に浪士が討ち入った時も民衆は木戸を開けたり高提灯をあげたり協力した。

当時の江戸は人工的にも商業的にも大都市としての風情があった。ゆえに赤穂の浪人が商人になりすまして潜んでいても見破られないという都市の暗部があったのだろう。赤穂の四十七士は最終的なもので、幾人かの脱落者はあった。彼らは「赤穂不義士」としてその末路が描かれている。例えば浪士の切腹から18年目の享保6年(1721年)殺された中島隆碩のこと。

町医者であった隆碩夫婦は、奉公人である直助という男に殺されたが、彼は赤穂の旧臣・小山田庄左衛門その人と記されている。庄左衛門といえば、一度は討ち入り参加を約定するも、討ち入り間近に逃亡、しかも同志の金子を盗んで逃げたことから、脱落者のなかで最も評判の悪い人物である。彼が殺された屋敷を小山田屋敷とはいわず、直助屋敷と呼び伝える。

もう人の脱落者として、四世鶴屋南北によって描かれた『東海道四谷怪談』であるが、主人公の民谷伊右衛門は創作上の人物でありながら、脱落した赤穂浪士との設定である。かくも時が経てば"不忠臣"が話題になるのも、不忠臣側に人間の本質をみるからであろう。世の中というのは、善人より悪人の方が、人間としての様々な資質を持っているというものだ。

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『東海道四谷怪談』は、設定や科白のなかに、『仮名手本忠臣蔵』がパロディとしてふんだんに盛り込まれていることから、当時の観客には大受けしたようだ。「忠臣になどそうそうなれるものではない」と、大半の人間は知っている。そんな立派なことができるわけはないと。だからこそ、南北のような眼力を備えた人物が、脱落した人間にこそ世の真実があるとした。

偉人や賢人にしろ、過去の幾多の英雄・豪傑にしても、好人物や善人は盛られたりの場合は多く、むしろ悪人の方が真実に晒されているのではないか。勧善懲悪物は、真実が大事というのではなく、たとえそれが偽善であろうと美化されることを重視するのだろう。歴史上、極悪人とされた人物は多いが、実は心優しき善人であったのかも知れない。

その反対もしかりであろう。どちらもいわずと知れた人間である。不倫は悪だの、売春婦もいかがわしいだの、人は簡単にいうし、切って捨てる。しかし、人間の歴史を考えてみるに、こういうこと、ああいう人たちは何時の世にもいたではないか。また、先の世にもなくなること、消えることもなかろう。このような事実を言ったり書いてはみても、それに不服な人もいる。

事実がだいじなのか、自身の不服感情が大事なのかを言いたいのではなく、人の感じ方はそれぞれである。人の数ほど考えかたの微妙な違いはあるだろう。性の問題、人格の問題に融通性を持たすか、道徳的に締め上げるか、自分が自身についてどういうスタンスをとるかではなく、他人が他人をあれこれという社会が、本当に良い社会になるのだろうか?

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他人は他人を誉めそやすより、悪口をいう方が楽しそうだ。それでいい世の中になるのだろうか?何かの時に、決まって一言引っ提げて出てくる人間がいるが、同調であれ批判であれ、彼(彼女)らの一家言には融通を感じないことが多い。自分は融通という言葉が好きだし、融通という行為も好きである。融通とは誰もが不断に頻繁に使うが実は仏教用語である。

「別々のものが、融け合い通じ合い(まさに言葉のごとく)、両方相まって完全になること」だという。そこまで正しい意味で融通を理解はしないが、自分は何事にも「ぞんざいであれ」という気持ちで融通とする。「ぞんざい」とは決していい意味ではない。「いい加減に物事をする」という風にだ。が、自分の場合、「いい加減」とは「いいあんばい」とする。

「あんばい」とは、「塩梅」と書く。調理に大事ないい塩梅。お風呂の湯はいい按排。そもそも人間はぞんざいな生き物だから、無理をし、無理をさせるよりは、ぞんざいにしておくのが人間に適している。他人からどうされるではなく、自分が自分をどう律するか、泳がすかの加減を決めればいいのであって、人が人をあれこれいうのは趣味と思われる。

自分はこれを悪趣味とする。ただし、すこぶる向上心高き人は、人の言葉を生かす。人から学ぶが、これすら自主的、主体的なもの。他人から学ばぬも生き方である。他人をボロカスいうのも生き方である。多くのいろいろな人を見ながら、自分をどうしていくかを決めていくのが人生だろう。善も悪も世の中には大事であると以前にもまして考えるこの頃だ。


朝から1961年版の『赤穂浪士』を観た。観たくてたまらずであったから観た。傍には亡き父も座していた。物語最後の段、「南部坂の別れ」のシーンでは瑤泉院と内蔵助の今生の別れの場面である。心と言葉が別々の想いを語るこの場の表現力は難しい演技力が問われる。数々観たが、もっとも自然でもっとも深遠でもっとも心を打つのが大川恵子と千恵蔵であろう。

「同床異夢」という言葉がある。夫婦がともに同じ床にありながら、別のことを考えているという風にも使われるが、この場面をたとえていうに、「異言同夢」であろうか。それぞれの言葉はちぐはぐであるが、的確に相手の心をつかみ取っている。西国の大名に仕官となる内蔵助に賛辞を贈るべく瑤泉院と内蔵助が、心中共に涙の別れを告げるのがいたわしい。

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