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五賢人 堀秀彦 ③

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「残念ながら堀の賢人度は女性本には感じない」。と言ったが、よくよく考えると明治生まれの堀が同時代に生息した女性について述べているのを、戦後生まれの自分が批判するのはいかがなものかと気づき反省させられた。自分とて同時代の女性しか知らないわけだ。女はいつの時代においても女であると同時に、自身の時代を時代の許容のなかで生きていくのである。

所有する堀の著書で最も古いものは『女を知る法』で、これは昭和23年12月15日刊となっている。昭和23年は1948年だから、今日でピッタンコ70年前。1902年生まれの堀が46歳時の執筆である。『女を知る法』とはなんともエグイ表題であろうか。そんな表題を置いていながら、あえて堀は以下自問する。「一体、われわれは何のために女を知らねばならぬのか。

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女の本質を知らないでうっかり女を愛しようものなら、女に騙されるからだというのか。女を愛し、女と恋におち入って、それから諸君が騙されたところでいいじゃないか。女と恋をしている間、諸君は恋を楽しんだのだから。恋をし恋を楽しむためなら、いっそ女について何にも知らない方が仕合せなのだ」と、堀らしい合理に満ちている。堀は自身の肩書を評論家とする。

哲学者を拒否するのも堀らしい。確かに何を以て哲学者を自称するのかは疑問である。カントやニーチェなどのドイツ観念哲学とは一線を画す、実践的哲学体系を信条とする堀である。一口に実践的・実用的などというが、実践は自分と他人との相対関係のなかでの思索行動ゆえに難しい。Aにとっての実践(実用性)は、Bには絵に描いた餅でしかないということは多い。

そうと知りつつ、自己断罪しつつもあえて堀は持論を展開する。行為者は怖れてなどうられない。『女を知る法』は二年後に、『続・女を知る法』として刊行された。のっけの記述はこうである。「お前は彼女と結婚したがっている。ところがお前は彼女を識(知)ってからまだ五か月にもならないのだ!」で始まるが、これはルソーの『エミール』からの引用である。

そのことは堀も書いている。その理由として、「この18世紀のフランス人の言葉はいま以て今日の私たちにも充分当てはまる。多くの青年は愛することが知ることであると早合点している」。こうしたルソーの一文をもって堀が、『女を知る法』などと老婆心を若い男たちのために書きたてたのがよくわかる。堀は著書の最後、「母」という表題の中で苦悩を以下のように書いている。

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「私は継母の手で少年期から青年期を過ごした。継母は私の母を汚辱するものでしかなかった。私は継母を憎むことによって母を愛した。いや、継母を憎むことが即ち母を愛することであった。イミテーションの真珠を軽蔑することが、本物の真珠を讃えることであるように。私は今まで女についてあれこれ書いた。女というものをめぐって散歩してきた。

私にとって母は男でも女でもないのである。母は母なのである。女の美しさは母に於いて極まり、女の強さと優しさは母に於いて無限である。私は母を知ることができない。私がどうして冷静に客観的に母を観察し得ようか。母は、私にとって認識の対象ではなくして、限りない愛情の対象なのだ。母の愛が盲目的であるならば、母に対する私の愛も盲目的であろう。

これほど素晴らしいものがこの世にあろうか。盲目的であればこそ母の愛なのだ」。良い文章である以上に、堀の実母への想いが伝わる。昔から継母というのは、"怖いもの"の代名詞だったが、五賢人のいずれもが母と強い確執をもっていた。彼らは母によって揺さぶられる自我と格闘者であり、堀と林田が継母体験の苦痛を述べている。以下は林田の自伝の一文。

自我は成長に即して自然に身につくものであるが、親の揺さぶりによって「自己」という自我を身につけられなかった者は少なくない。自我の真っ当な成長に相応しい親もいればそうでない親もいる。後者の場合は、壮絶なる自我格闘を強いられることになる。親を分断するか、自我を獲得するかの選択であるが、継母体験というのは斯くも悲惨であるらしい。

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「キリスト教信仰を放逐したものは一人の女性だっとといえるほどにだらしのない信仰であった」と堀はいうが、継母のなかに憎むべき偽善者を見出すとともに、「イエスの教えしたがって憎むべき偽善者を愛そうと努める自分自身に対し、より悪質なる偽善を見出した」と悟った。こういう体験は誰にもあるが、堀にとってキリストの教えを批判する契機となる。

大嫌いな教師がいた。ある日職員室に呼ばれ、「君はなぜ私と道ですれ違って顔をそらすのか?」といわれた。注意というより嫌味である。たしかに陰険な教師であった。それ以後自分は、この教師の嫌味に迎合し、ワザと顔をそらすことにした。教師だけではない、嫌な奴に対してもへらへらと笑顔で、「別に君のことを嫌ってなんかないよ」という態度の、何らたる自己欺瞞。

そんな自分への痛烈な自己批判はあってしかりである。「誰とも仲良く」こんなものは幼児の標語にすぎない。観念的な理想であり、人は実社会をストレスなしに生きることが大事である。嫌な奴の前でニコニコする自分って一体何なのだ?そんな自分を許容はできないし、自己矛盾も甚だしい。こうした考えの善悪はともかく、偽善を排すであろうことは間違いない。

自分も堀と同じように生きてきたから、観念である宗教を捨てて現実主義に走った堀の気持ちは理解できる。宗教を否定するのは、観念否定ということもまた事実であろう。大学受験に失敗したある女性が、貧困であることを親に咎められて浪人の道を閉ざされた。即ち大学進学の道を閉ざされた。そんなときに彼女に救いの手を伸べたのがキリスト教であったという。

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以後、彼女はエホバの証人として生きる決意をした。彼女の切実体験は身を乗り出して聞き入ったが、もう20年以上も前のことである。宗教は自身への救いであると当時に、自らを確信するための宗教離脱もまた事実である。見方を変えれば毒は薬に、薬はまた毒になる。何気ないことであれ、しかと目を凝らしてみるに、多くの事柄は相対的であることに気づく。

絶対性よりも相対性という考え方が宗教批判の根底にある。いずれのスタンスも、「間違い」とは言えない。いずれのスタンスも人の選択である。宗教批判は宗教者批判ではない。なぜなら宗教は個々の生き方の選択である。大学進学を閉ざされ、生きる屍状態にあった彼女が、宗教によって新たなる道、自己の確たる生きる道を授かった事実を批判はできない。

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