堀は宗教と格闘したことから、宗教的観念的なことに一家言を持っているものの、批判のためだけのする批判は決してしない。堀はまた、バートランド・ラッセルの『幸福論』、『教育論』、『怠情への讃歌』の訳者としても知られており、ラッセルにつての造形も深い。堀が『幸福論』の訳著を出版したのが昭和27年である。当時ラッセルは学者の間では著名であった。
が、一般人にとってラッセルとは豪雪地帯の雪かき列車(ラッセル車)くらいだった。堀はラッセルに影響を受けていたろうし、『幸福論』のあとがき解説にはなんと23ページも書いている。アランやヒルティの「幸福論」と並んで、三大幸福論と称され、世界的に有名な名著のラッセル『幸福論』の最大の特徴は観念的でないこと。よって実務的・実用的である。
二部に分かれており一部においては、「何が不幸の原因か!」を徹底的に洗い出している。堀はこのように解説する。「本書は60歳に近い思想家がまじめに書いたものだ。50歳を超えた人間がまじめに『幸福』ということを論ずるのには、みずみずしい精神が必要だ。私たち平凡な人間の多くは50を過ぎればもはや幸福などということをまじめに論じたがらない」。
その影響もあってか、堀の著作は超実務的である。堀には女性向きの指南書が多いといったが、その名もズバリ『女性へひとこと』(昭和37年出版)には、ひとことどころか、200こと(204項目)くらい書かれているが、書かれてあることの具体的なことには開いた口が塞がらないほどである。こんなことまで書くのかと現代人なら笑えてしまうこともまじめに書いている。
たとえば、103項目の表題は、「処女演出」として以下の記述。「ある週刊誌上で、病院長西島実氏は、"処女演出"をやれ、とすすめている。『わたしは絶対に処女なの、あんまりだわ』と泣いてもいいと書いている。これは新しい結婚の知恵なのか?(中略) 処女演出論とは一体、処女性を尊重した理論なのか?それとも処女なんて大したことではないという理論なのか?」
「肉体的純潔」と、「精神的純潔」が論議された時代である。肉体的に処女でなくとも、精神的に処女性を持っているならいいのだと。精神的処女性とは何だ?家庭の事情でやむなく売春婦の仕事に就いた女性がいう。「本当に愛人に肉体を与える喜びを感じたなら、その人の肉体的純潔は保たれている。処女であるあるかないかだけで純潔を定義するのはナンセンス」。
処女であるかないかの問題は物理的にあるが、「純潔」という言葉は死語。妻は処女でなければというのも聞かない、いわれない。自分らも10代~20代ころにはそういう話をしたが、今そんな話題は誰もしない。なぜなら、処女を望むなら小学生を妻にせねばならない時代になっている。こんにち処女は女性の権利にあらずで、処女でないのが女性の人権行使と考える。
項目63には、「こんな会話が魅力」という表題。「『僕たちは、今日、こんな風に見合い絵をしたわけですが、これからもっと気楽に、時々会ってみませんか』。初めての見合いのあとで別れしなに、こうはっきり口に出して言ったらどうだろう。『じゃまた来月の第三日曜日に』なんて、事務的な言い方をしないで」。古い世代の堀には悪いがこれも笑ってしまった。
前の言葉がよくて、後の言葉がダメな理由が分からない。自分は後の方が簡素で良いと思うが…。見合いというシュチエーションはどこかしどろもどろ感はあるにしろ、こういう出会いも緊張感があって新鮮でよいと感じる部分もある。自分なら、「表面だけでなくいろいろやってみるのも大事だからね~。相性もあるし」と、当然のごとく服を脱がしにかかるが、これって昔なら顰蹙ものか?
「あなた、お見合いの女性に失礼なこといったらしいね」と、世話人から苦情が入るのか?そんなで怯む必要もない。「何事もフタを開けてみる必要があるんじゃないの?当たり前のことじゃないの?失礼もヘチマもないでしょ?」といえばいいだけのこと。世話人如きに物怖じする必要もない。チューやセイコーも初デートでいいんじゃないのか?人は中身、中の身や具が大事だ。
最高に笑えるのが項目75の「手を組むということ」。「さて、あなたは彼と婚約した。世界中で、あなたと彼とが手を組んで歩くことに文句を言う人間は一人もいなくなったのだ。あなたはおおっぴらに彼の手にブラさがっることができる。だが、それだからこそ、あんまりおおっっぴらに、まるであなたの身体の重心全来を、彼の左手にかけたような手の組み方はしない方がいい。
この記述は自分らでも笑うのだから、平成生まれのお嬢さんなら、へそが茶を沸かすだろう(これとて古臭い)。「手を組んでもいい?」習慣化すると感激も失せるので、たまにはイタズラっぽく、こうききたまえ」。具体的に過ぎるがそういう時代なのだ。江戸時代、嫁ぐ娘の衣類などの梱りの中に、春画を忍ばせた親心を思い出す。それって見ただけで分かるのか?
『女性についての103章』(昭和32年刊)と、『女性のための71章』(昭和44年刊)は、いささか内容が違う。「女性について」と、「女性のため」という微妙な言葉の違いということか。後者の69項目、「処女について」は、内容が現代的に変わってこういう内容だ。「ふとしたことであなたが処女を失ったとする。その場合あなたは二つの考え方、生き方を持つことでできる。
①処女を失ったんだから、何度でも第二、第三の処女を失ってやれ、という考え方。②処女をあんな風にして失ったんだから、これから先は肉体のことをもっと重大に考えなくちゃ」。という反省を軸にした考え。いやいやどうして、記述の違いはあれども、堀の頭のなかにある女性観は変わりようがない。自分ならこんな風には書けない、書かない。ならばどう書くのだろうか?
「ふとしたことで処女を失った女性」というのは、自分の意志とは無関係の事件(事故)であろうから、セラピストによる専門的な助言がよかろう。今時、「ふとしたことで」というのはそうそうないし、自らの意志と自己責任で行ったとする。そんな女性に助言などない。処女がどうとかこうとかの問題にもしない。せいぜいいうことは、「妊娠だけは気をつけろよ」である。
処女を失うなどは、自分的には歯医者で虫歯を抜いたと同等のことで助言はない。明治生まれの堀の女性についての論評に、50年前の女性がどう反応したかを知らないが、残念ながら堀の賢人度は女性本には感じない。女性個人の生き方を男が決めないし、他の女性にも決められない。あれこれ言うのは自由だが、その人の生きた道こそが人生である。