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Channel: 死ぬまで生きよう!
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五賢人 堀秀彦 ①

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堀は五賢人の最年長者。1902年(明治35年)3月10日石川県金沢市に生まれ、旧制松本高校文科甲類を経て東京帝国大学哲学科卒。1958年東洋大学教授となるが、1972年(昭和47年)には学内紛争の最中で学長に担ぎ出されたが、「私は政治屋ではない」と二年後に辞職する。堀は1971年に妻を亡くし、一人やもめでありながら朝・夕三度三度の献立を自炊したという。

材料の仕入れは通いの家政婦に頼むが、食通としても知られる堀は、調理、味付けに自ら台所に立つこともあった。晩年のことは後程とし、幼少期の堀についていくつかの記述がある。堀直筆の自伝はなく、伝記が書かれるほどの著名人でもなく、彼のひととなりは堀の著書からの断片で知るしかないが、母親で苦労したところはいささか共感を覚える。

堀は敬虔なキリスト教徒の父母家庭に生まれ、中学三年のとき、プロテスタント牧師によって洗礼を受けている。堀は自ら希望して洗礼を受けたのは、キリスト教徒になることを強く望んだからである。彼はまじめに聖書を読み祈りを捧げていた。彼は当時、内村鑑三の説教を2度聞いたというが、内村の説教を怖ろしいと感じていたという。そして遂に堀は信仰を捨てた。

キリスト教信仰をやめた理由を堀はこのように述べている。わたしの思春期というのは中学一年生以降、人を恨むことから始まっている。それは我が家にある日突然やってきた継母の影響である。彼女は私の青年期を通してこの上なく悩ませた存在だった。父も亡くなった母もクリスチャンだが、継母もクリスチャンだった。そこで当時の私はこのように考えた。

「この憎むべき継母がキリスト教徒であるというのなら、私はキリスト教徒たることを断然やめよう。若い日の私のなかからキリスト教信仰を放逐したものは一人の女性だっとといえるほどにだらしのない信仰であった。私は継母のなかに憎むべき偽善者を見出し、そしてイエスの教えにしたがって、この偽善者を愛そうと努める自分自身により悪質な偽善を見出した。

こんな動機でキリスト教徒をやめて、私は無宗教の状態に立ち返られるのか。私には信仰のない状態が寂しくてやり切れず、高校に入る頃には禅宗に心をひかれるようになった。しかし、禅宗への愛情も冷めてしまう。私の青春時代は宗教的放浪であり、今となってはそのことを恥じている。堀はいつしか無宗教で無信仰のとなったが、それが良かったといっている。

自分も幼少期には母の信仰する新興宗教にいつも連れていかれ、自然と習わぬ教を復唱するようになっていたが、母親への憎悪が増すにつれて、母の宗教が嫌いになったのは、やはり宗教者たる者の偽善的振舞である。信仰あるものは善い心の持ち主というのは大ウソで、鬼畜にもとる邪悪な人間であった。そんな宗教者などとんでもない。宗教を信じない根本的な要因となる。

一般的にいって、宗教という付加価値を人生にプラスするということは、善人を目指す者と誰が考えてもそうであろう。信仰とはそういうものではないのか?キリスト教はキリストに従うものを救い、親鸞は念仏を唱えさえすれば阿弥陀如来を信じなうどんな悪人も救われるなどというが、どちらも正しいのか、どちらも間違いなのか、一体どういうこっちゃでか?

「キリスト信じる者、この指と~まれ!」、「親鸞を信じる者、この指と~まれ!」という子どもの遊びではあるまいが似て非也。「麻原を信じる者、この指と~まれ!」、「上祐を信じる者この指と~まれ!」って、子どもの遊びじゃないんだから。自分には池田大作や大川隆法らが、自我を捨てて真理に従う人のようには見えない。真理を真理のままに知るのを、「菩薩の智慧」という。

疑わず躊躇わず突進するのが、「菩薩の行」という。真理を知るとか、真理に従うといえば何やら難しそうに聞こえるが、実は簡単なことで、要は自分をも他人をも絶対に誤魔化さぬという生き方なのである。が、この生き方が並大抵でないことくらいは誰でもわかる。小さな自我を守るために我々がどれだけ自分をあざむき、他人を誤魔化すことをしているか。

「帰依」という仏教用語は、神仏を尊いものとして崇め、その教えを拠り所として生きるということなら、20年も30年も宗教をやってる人間はそんな風に立派になるのだろうか?自分は、「菩薩の行」などしたことも、しようと思ったこともないが、普段日常、「ボサっ」とするのは得意である。帰依者という言葉はあるが、そんな人が本当にこの世にいるのだろうか。

ときどき、道端のごみを拾う人を見かけるが、とても良い心掛けと感心させられる。その人たちは信仰者ということでもないだろうし、帰依者がそういうことをするということもなかろうし、言葉に尾ひれをつけて人を見ない方が良かろう。これまで観念好きの人は結構いたが、物事を観念化する人は、現実をあるがままに見ない人が多く、だから観念好きなのだろう。

堀は一時期「禅」に傾倒したが、このように述べている。「坐っている、あるいは坐禅しているということは、社会的な関係を一切排除することである。釈迦的な関係を排除するということは、坐って考える思考のなかに一切の人間関係を含まないということである。禅問答は人間と人間との問答でありながら、あおの間には極めて特殊な意味での人間関係しか認められない。

そして普通の人間関係的な要素を含んでいないからこそ、あの馬鹿馬鹿しい、どこを見回しても卒然とした開悟を得る。禅問答のなかには、およそこれが問答たり得るのかというものがいくつもある。身近な卑小なもののなかに大きなものを読み取ろうとし、非社会的な活発でない閉塞的人間関係に生きようとする。ここから出るものは、一切を自身のなかで観念化すること。

観念化とは先にも述べたが、現実を観念によって代用せしめること。そしてこれを代用せしめようとする時の最も手近な手段として用いられるものが、文字であり言語である。現実をあるがままにみない観念界を生きることは、宗教的においては可能であろうが、無宗教者には現実的な行動がすべてである。宗教が出す答えは観念的であるがゆえに楽である。

堀の宗教批判は現実的である。例えば仏像についても辛辣にいう。「仏像は、偶像として私たち精神生活からはハッキリ距離をもって存在している。だが、私たちは同時にこれを美術鑑賞物として内面化して眺める。仏像は美化作用を通して、私たち観念の中に入り込む。だからこそ私たちはしれらの観念を通して仏像を美的に宗教的に眺めることになる。

仏像は宗教的感情をそそる機縁となり、切っ掛けとなる以上、偶像は偶像として礼拝されず、偶像は宗教的な情操への一つのてことして私たちのなかに働く。明白な偶像でありながらも偶像的印象が希薄的である。私はここに日本人の、「観念化」の働きを見る。繰り返すが、「観念化」とは、はっきりと物を見ないことである。はっきり弁別して考えないことである。

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