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Channel: 死ぬまで生きよう!
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丸の花まるを祝福す!

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元カープの丸佳浩が昨日巨人で入団会見を行った。「やってやるぞ!」の気持ちだという。カープではチームリーダー的存在であり、しかも2年連続MVPを誇る強打者だけに、さまざまな記事や反応がメディアやネット上をにぎわせた。それらすべてを知るわけではないが、移籍理由を巡っては野球ファンならずとも看過できない臆測や中傷が少なくなかった。

細かい事情を知らぬカープのOBが、「間違いなくお金」と言い切り、「裏切り者」と批判する心ないファンもいるが気にすることなどない。ある程度の中傷や批判は予測の範囲だったろうが、それでもフタを開けてみなければ分からないもので、予測を超えた反応は開けてビックリもあったろう。丸の丸い目が、三角・四角になるような記事は有名税の証である。

広島との残留交渉で折り合いがつかなかったのは、丸が悪いわけでも球団が悪いわけでもなく、互いの方針であり選択であった。丸自身は当然ながら地方球団の経営事情は理解していたろうし、4年総額17億円(3年総額12億との報道もある)の提示が、どれほどの意味を持つかも知っていた。だから、悩んだが、落合がいうように評価とはゼニである。

気の利いた言葉は所詮は子供だまし、プロの評価はゼニ以外の何もない。最も出したくないものを出すのが誠意であって、言葉なんかいくらでもいえるし、腹は痛まない。400勝投手の金田正一も、「グランドにカネが落ちてるんや」との名言を残している。止めなかった球団も去っていく丸も、何をいわれる筋合いもないが、自分のことしか頭にないそれがファンなのか?

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丸の人生は丸のもの、丸が決めればいいことだが、他人の口に戸板は建てられない。だったら無視するのが一番。丸のことも、過去のFA移籍選手のことも、歴史の中の一事象と見れなくもない。思うに歴史というのは、天体観測に似ている。子どものころに望遠鏡で毎夜空を眺めていたが、望遠鏡がなくとも月や太陽などの大きな天体もあれば、かすかな天体もある。

肉眼で見える限度が6等星と習った。星の暗さは遠くの距離にあるといい、北極星などは2000年前の光がやっと届いているというのを、子ども時分に理解するのは至難であった。距離とは普通はキロメートルや時間で表示するが、郵便物が届くまでに7日かかってもそれは長い。2000光年という距離は、一秒間に30万Km進む光でも2000年かかるということになる。

歴史は天体観測といったが、距離や時間や明るさではなく、歴史上には光と影に彩られた様々な人物がいたこと。確かに、光だけで実体のない星もあれば、流星のように一瞬で消える星もある。宇宙には知らない星がたくさんあるように、歴史という広大な天体のなかにも多くの無名の人がいた。今後もどんな星が潜み、新星のごとく突然光輝くかも知れない。

丸選手はカープで輝ける星であったが、移籍後の活躍については未定である。心無いファンやOBたちの言葉が、ちょっとしたスランプの際には大きくのしかかることになる。「それ見たことか!お金で動くから、そんなことになる」、「巨人なんか行くからだ」などの無言の言葉を浴びるのも丸なら、それをバネにするのも丸。すればいいじゃないかバネに…

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丸は移籍決断の前にこんな言葉を漏らしていた。「巨人に行ったら、ボクは裏切り者になるんでしょうね…」と、メディアにこんなことを言ったところで、「心配するな、どこに行こうが君の人生。裏切りものの筈がない」など誰もいわない。メディアは丸の友人でもないし、面白可笑しく書いて部数が伸びればいい。丸の心を理解するのは友人のみかも知れない。

運命共同体として支える妻は最高の理解者であり支えである。丸は地元の中学時代の同級生と2012年に結婚したが、今となっては二人とも、「玉の輿」といっていい。「恋人とは誤解、友人とは理解」というが、丸の元恋人は妻に昇格済みだ。一晩寝て起きたら多くが敵に回っていた。それに近い気持ちを丸は味わったろうが、どうってこた~ない、これも長い人生の一ページ。

同僚たちも男らしい友情エールを丸に贈っている。丸の後の四番を打った鈴木誠也は、「あの人のデカい頭を的にして、センターライナーでぶち抜いてやる」。誠也は丸のでかい頭を、「ビッグヘッド・モンスター」とからかっていた。元同僚の投手たちも、「丸さん、遠慮せずに内角攻めをするよ…」。丸にとってはこういう言葉が何よりうれしいはずだ。

もし、自分が同僚なら丸に何をいう?「男は孤独な生き物。それで強くなる。お互い孤独に頑張ろうぜ!」。孤独の意識、孤独の感覚なくして、いかなる友情も発生しない成長もない。仲間を求めてつるむのは、真の友人を求めるというより、寂しさを紛らわすため。孤独とは誤魔化しのきく一時的な気持ちというより、もって生まれた避けがたい宿命である。

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だから孤独を厭わないし、孤独が当たり前と思っている。仲間とワイワイつるむのも嫌いではないし、それはそれで楽しい時間であるが、そうでなければ辛いということはない。その場その場に気持ちを応変させている。青春の孤独、老年の孤独などの言葉を見聞きもするが、「青年の何が孤独?」という気持ちで関連書籍を読んでいた。その流れから老齢の孤独感もない。

「男は孤独が似合っている」。孤独とは山中に一人でいる時の感情ではないし、人の往来の多い街を歩く孤独、気心の知れた友人と談笑しながらも、「ああ、自分はやはりこの人ではないのだ」と実感するのも孤独である。それぞれが質の異なる孤独であり、そんな孤独の中で最後は自分を友とする。これこそが、友情の渇きに対する最後の到達点であろう。

一人で生まれ、やがては一人で死ぬ人間である。誰かを道連れにしたり、巻きぞいに死ぬことなどない。人間のこうした本質的な孤独性について、それらを考えることなしに友情を論ずることも、真の家族や家庭の在り方を論ずることも、どこか虚しさを感じる。自分が孤独であることは、妻も子どもたちもみんな孤独で寄り合っている。それを家族というが、基本は孤独である。

「全ての人に対して友人であることは、誰に対しても友人ではない」というが、そういうものかも…。ある親の元に生まれたというのは偶然であるが、ある友人を作るのは選択である。仲睦まじき夫婦がいる。「私たちって赤い糸で結ばれた宿命かも…」と妻がいえば、「そうじゃない。俺はお前を選び、お前も俺を選んだということ」と、水を注すのが男という生き物である。

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ドラフト制度とFA制度はこれに似ている。ドラフト制度は金満球団と貧乏球団の選手層の釣り合いを図るために考えられたが、選手にとっては自分が選んだ球団には行けない宿命を、FA制度で取り返すことになる。丸は巨人という言葉こそ口にはしなかったが、「子どものころから野球観戦といえば東京ドームでした。夢が叶った気持ちです」と述べた。オメデトウ。

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