死とは多分に絶対的孤独である。ならば、そうした絶対的孤独を求め、憧れる神秘性もあろう。あるいは、観念的な求道者としての自殺は、仏教徒などの抗議の焼身自殺に見られる。さらに人間にはロマンチストの一面があり、心中などは外国人にはあまり見られない日本人の典型さであろう。良心の呵責や多大なる罪を背負うことでの自殺は究極の謝罪であろう。
一口に自殺といっても、個別には様々な違いが伺える。今の時代、失恋の痛手から自殺をする女性は皆無とはいわぬまでも事例は極度に少ないだろうが、その理由としては女性に対する社会の締め付けがなくなったことも要因かなと愚考する。堀秀彦に『女の悲しみ について』という著書がある。副題は、「愛するが故に味わう 女の悲しみ」となっている。
1967年(昭和42年)に出版されたもので、明らかに時代を反映するタイトルであるが、現代においてこういうタイトルの書籍が書店にあれば、「何が悲しいのだろう?」と若い女性は疑問を抱くに違いない。そしてパラパラとめくってみて、あまりの時代錯誤的な内容に、ついていけないばかりか笑ってしまうのではないか?表題の理解はどの世代あたりまでの女性だろうか。
著者の堀は、「女の悲しみ」についてこう前置きする。「私の考える『女の悲しみ』とはひとり一人の女の、あれやこれやの悲しみではない。女という人間が、多分宿命のようにしょわされているのではと思われる、女一般の悲しみなのだ。思うに、『女の悲しみ』の一番根本的な理由は、あるいは原因は、とにかく女のひとがいつも何かを愛せずにおられないというところにある。
女のひとはいつも何かを愛している。女は愛の人間だ。なにかを愛するために生まれてきたひとたちだ。なんにも愛することをせず、ぼんやり、ひとりきりで、孤独で満ち足りたように見える、そういう女の風景を私は思い描くことはできない」。堀は、街を右往左往する女性をみても、晴れ着をきて歩く女性をみても、いろんな意味で悲しくなるというセンチメンタリストである。
なにが悲しくなるのかといえば、「この人たちもいずれはどこかえ消えてなくなるんだ」と思うからだと述べている。この本は堀が65歳の時に書いたもので、思うに娘を嫁がせる父親のような、ナイーブな視点で女性をとらえているのだろう。美しく咲く花は刹那的で悲しいものだ。「花の命は短くて…」と林芙美子はうたっているが、短いから悲しいのではない。
命が短かかろうが、少しくらい長かろうが、花の生涯はとかく悲しい。いずれは散りはてるに決まっている運命である。老齢者の感傷もないとはいわぬが、堀の感受性の高さが感じとれる。生まれて死ぬまで一人ぽっちの男の視点からみる女の悲しさとは、孤独の悲しみというより、「愛するもの」、「愛されるもの」としての存在の悲しみを述べているようだ。
「無常」としての悲しみも伝わってくる。1902年(明治35年)生まれの堀の情緒なりを正しく理解するのは難しいが、彼が、「女は悲しい生き物」という見方をするのは、いかんせん男のロマンも繁栄されていようか。書かれた昭和42年当時の女性は、「男の人がみる女の悲しみなんてそんなのではありません。男の人に女の心なんかわかりっこないと思います」という声が聞こえてきそう。
堀には女性に向いて書かれた著作が多い。同著以外にも、『女性へひとこと』、『女子高校生のための21章』、『女性のための71章』(初版では103章だったが改訂版では71章に削られた)『若い女性への手紙』、『女性のための人生論』、『愛と孤独の世界』、『戀愛 そのロマンと真実』、『この女たちの愛と人生』、『主婦のための人生論』など、他にも多数。
『貴女に・これだけは知っておいたら―賢い“主婦”といわれるために』という長いタイトルもあるが、女性向けの著作の多さは堀ならではの領域だが、堀はなぜ女性に向けて書くのだろうか。もし、自分が女性に向けて何かを書くなら、何を言いたいことがあるかを考えてみる。結果は、「何もない」。その理由は、「女性はこうあるべき」というのがないからだ。
1902年(明治35年)生まれの堀の時代は、「男らしさ」、「女らしさ」という限定された価値基準が煌々と存在していたが、そうした、「~らしさ」というのものはいつしか崩壊してしまった。ともに脚本家の早坂暁(1929年生)と石堂淑朗(1932年生)が、「男が男で、女が女だった時代」ということで語り合いながらも、「日本人はなぜかくも醜くなったのか」と憂いている。
堀より30年ほど後の彼らがそう言ってるわけだから、堀の時代は推して知るべし。間違いなく堀には、「女性はかくあるべし」という固定観念があったことは、書籍に反映されている。男の視点からみれば確かに女性はどうあるべきかというのはないわけではないが、それをいうなら男がしっかりしていればこそである。昨今の脆弱男には強い女性が相応しかろう。
『女の悲しみについて』は、第一章「女の悲しみについて」、第二章「若い女性への助言」、第三章「女性について考える」の三章からなっている。あらん限りの女性の言動について事細かく書かれているのには驚くが、あまりにも擬態的な記述ゆえか、さすがに第一章の最後にこう述べている。「私はいろいろな"女の悲しみ"を捏造してきたようにも思われる。
私は随分とあてずっぽうを書いたかも知れない。だが、言い換えてみれば、「人間」ちうものがいつもひきづって歩いている悲しみの姿かも知れない。(中略)悲しい人間的状況のなかで生きながら、自分自身はその悲しさに少しも気づかないって、これほど悲しいことがあろうか」で結んでいる。いかんせん堀はどうしても女性を悲しい存在とみたいようだ。
堀はセンチメンタリストな男類といっていい。もし、「女性を悲しい存在と思うか?」と聞かれたら、「ぜんぜんそうは思わない」と自分は答えるだろう。男よりもむしろ女性の方が、世の中を楽しく、ぬかりなく、きびきびと、したたかに生きている。堀は同著の第二章の冒頭、「若い女性への助言」においても近年の女性が読むと、助言どころか見向きもされかねない内容である。
具体的にどうこうではないが、一言でいうなら、「(考え方が)古い!」ということか。若者が旧世代に同じことをいうが、自分からすれば50年近い年齢差の堀である。やはり、「古い!」で事足りるだろう。もちろん、この書籍が著された昭和41年ころの若い女性にとっては、古さを感じなかったかも知れないが、最近の女性は読む気も起らないというのも、時代の変遷であろう。
女性という未知なる生き物について、懸命に書き上げたものを揶揄するというより、やはり人はそれぞれ時代を生きるしかない。トヨタの高級車クラウンは、昭和27年ころから開発に着手され、1955年(昭和30年)1月1日に初代トヨペットクラウンとして発売された。当たり前だがその造形はいかにも古いが、当時としては文句なしの先進のフォルムだったのは言うに及ばず。
フランソワーズ・サガンが、『悲しみよこんにちわ』で文壇に颯爽デビューしたのが1954年である。当時彼女は18歳だった。小説の主人公の17歳の少女セシルにあやかり、セシルカットが大流行した。斉藤由貴が同名タイトルの『悲しみよこんにちわ』をリリースしたのは約1986年で彼女は20歳だった。同曲の作曲者は玉置浩二だが、前年85年に、『悲しみにさようなら』を描いている。
ボブ・ディランは『時代は変わる」といい、中島みゆきは、「時代は巡る」と歌っている。「変わる」は分かるが、「巡る」の正しい意味はなんであろうか。みゆきは、時代の何が巡るといっているのか。仏教思想が盛り込まれているともいわれる詞だが、みゆきの、「巡る」は、めぐり逢いのことのようだ。めぐり逢いとは?これこそが亀井勝一郎のいう、「邂逅」のこと。