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「闘争心」

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本能とは、一般に、特定の刺激に対する前もって定められた自動的な反応で、特定の情動を伴うものをさす。本能の反語は特に定められてないが、近いものは理性だろう。が、理性の反語は感情であり、となると感情≒本能となる。感情は先天的、本来的なものだから本能だが、理性はどうなのか?後天的、経験的なものであるから本能でないともいえるが、理性は知性。
 
電車の中でトイレに行きたくなったが(本能)、次の駅についてトイレに行くまで我慢しようと「理性」が働くものだが、知性なきものは犬や猫がようにその場でするかも知れない。「あの人は知性がある」というのは、いうまでもない電車でトイレを我慢できる人のことではない。知性とは問題解決能力であって、知性の高い人はその能力が高い人を我々は指す。
 
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学究的にいう「知性」とは、ある状況にせまられたさいの、もっとも適切で好守備な反応と考えられており、この点からも本能と知性は正反対と捉えられる。「闘争心」は「闘争本能」というように、生来的なものである。動物学者のローレンツや、『狩りをするサル―人間本性起源論』を著した劇作家アードレイは、人間は生まれつき攻撃的であるとする。
 
人間の悪質な行為を宗教的"原罪"であるとか、"生来的な罪悪心"などのせいにするのは簡単だ。人間の歴史は戦争・闘争の歴史、これがアードレイのいう、「人類はモノマネドリのようになわばり的であり、なわばり本能のもたらす衝動で土地の権利や国の主権を守る」ということなのか。アードレイの論に意を唱えるミードやモンターギュらは別の説を立てている。
 
イメージ 7「攻撃性を導き出すような先天的傾向が存在するのは疑いない事実であるけれど、と述べる一方で、人間本能論と言えるのかどうかは諸説ある。人類の歴史の汚点を残すような残虐行為を「原罪」という格好の教義にする宗教を自分は信じない。「闘争心」は攻撃性とは似て非也。「闘争」とは読んで字の如し、闘い争うことだが、様々なレベル(段階)に分かれている。
ヒトラーの『我が闘争』の英語タイトルは『My Struggle』まれに、『My Battle』となるが英語圏では通じず、原語(ドイツ語)で『Mein Kampf』が一般的のようだ。ヒトラーは何と闘ったのか、彼の世界観の中心は何と言っても反ユダヤ主義である。彼は最後までユダヤ人への攻撃を止めなかった。彼の反ユダヤ主義は同時に、反資本主義、反共産主義であった。ヒトラーはこう述べている。
 
「ユダヤ人は、疑問の余地なく一つの人種であって、宗教的共同体ではない。さらに、ユダヤ人は自らをユダヤ系ドイツ人、ユダヤ系ポーランド人、あるいはユダヤ系アメリカ人としてでなく、常にドイツ系、ポーランド系、アメリカ系ユダヤ人として描写する。ユダヤ人は、彼らがその直中に生活している外国の人民から、彼らの言語よりも多くを吸収したことは一度もない。」
 
ヒトラーだけがユダヤ人を嫌悪したというより、ユダヤ人はヨーロッパ中で嫌われていた。だからヒトラーのユダヤ人攻撃は、実はヨーロッパ人に受けていた。ユダヤ人、キリストは"白人"ではなく、アラブやアジアなどの有色人種である。白人のユダヤ人もいるが、ヒトラーは、「なぜ白人のユダヤ人がいるのか?」と〝白人ユダヤ人〟を良く思っていなかった。
 
ユダヤ人排斥は、ヒトラー以前からヨーロッパにあった宗教的差別が経済的な問題と結びついて起きたことで、ヒットラーだけの責任では無い。現実的にナチスのユダヤ人迫害が騒がれたのは戦後になってからだった。要はヒトラーのドイツが負けたからで、日本もそうであるように、戦争に負ければ惨めなもの。何をいわれようが、どんなことされようが仕方がない。
 
ヒトラーの『わが闘争』を読んでないし、本のタイトルを知っているだけだ。全世界で1200万部も売れた。政治の分野で『我が闘争』ほど発行部数の多い本はこれまでにない。1933年、ヒトラーが権力の座につくまでに、既に10万部が売れていたというが、ヒトラーは、ドイツ国民が『我が闘争』を読むことを恐れた。自分が戦争を望んでいることがばれてしまうからだ。
 
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本は読んでないが、1960年封切りの映画『我が闘争』をわざわざ映画館で観た。中学一年生当時で、ヒトラーはなぜかカッコイイ英雄だったというのがその理由だった。それにしても『我が闘争』というタイトルのカッコよさ。いかにも男の子が憧れてしかりな表題である。そういえば斉藤哲夫の『されど我が人生』という表題も、歌詞のカッコよさにも憧れていた。
 
全共闘世代は「権力闘争」がカッコよかったのだ。「闘わずして若者か!」みたいな風潮が、ノンポリさえもかり出された。60年安保の凄さはテレビのニュース映像からも伝わってきた。またアレに毛も生えていないガキだったのだが、権力に挑む男達の姿はカッコよかった。闘争は人間の本能といったが、とはいえ人間は本能の壊れた動物であるというなら矛盾である。
 
そうはいっても、巷にあふれる「本能」の語はともかくとして、ヒトが本能を必要としなくなった理由は、人間は本能以外に精神を持ってしまったからだ。ただ「食う」、「寝る」、「子孫を残す」といったシンプルな行動以外に、感じたり、思ったり、考えたり…の精神がはいり込んでしまい、本能が本能らしくなくなり、ヒトのすべての思考や行動は知性によって制御されている。
 
イメージ 2山にキノコを採りに行った人が、毒キノコを食べて死んだ例は多い。食用キノコと毒キノコの知識がなかったからだ。これをみても人間が本能の壊れているのは一目である。動物は食べ物を「本能的に」食べられるか、そうでないか区別している。学習で得た知識でない本能の凄さである。動物は生きるためにエサを食べ、危険を回避し、子孫を残すために交尾をする。
 
これに対し人間は、食べ物は選り好みをし、ダイエットや断食と称して食べなかったり、危険と分かっていて自らタバコを吸ったり、子孫を残す目的ではない性交渉をする、といった意味で「本能が壊れている」と表現される。人間の行動はすべて後天的に学習によって体得したもので、同じヒトという動物であっても、文化などの環境や個人の経験によって左右されている。
 
生まれたばかりの赤ちゃんがおっぱいを吸うが、指を口に入れても吸い付いてくる、あるいは手のひらに指を入れると握り返してくれる、などの行動は、反射と呼ばれ、情動を伴わないことで情動のともなう本能とは区別されている。したがって、こんにち「本能」という用語は「死語」と化し、心理学、社会学といった専門的にはほとんど用いられなくなっている。
 
「母性本能」、「闘争本能」、「狩猟本能」などなど…。これら日常的によく使われる語句も、実は何の専門性も意味もない言葉だったということ。近年、草食系男子は"争いを好まない"点が顕著であるらしい。いうなれば、この特徴こそが、草食系男子を"草食"と言わしめている理由といえる。また、彼らは出世に興味がない。現在の自分の待遇に不満を持つケースも少ない。
 
人と争ってまで出世レースに参加する気は毛頭無く、自分の生活や趣味を楽しみながら飄々と生きている。ようするに争いごとが嫌いのようだ。別名「闘争心」がない。異性を巡って三角関係になるくらいなら、自分からアッサリと身を引く、…というより、はじめから恋を巡る駆け引きなどという面倒くさい事はしませんよ~。などなど、なるほど確実に本能が壊れている。
 
女を争奪のためにロシアンルーレットで命を落とす男は確実にいた。「世界を変えた科学の理論」の一つに加えられるガロアの『群論』がある。数学や科学の世界には小保方晴子のような偽物でない、真に天才とよぶべき人間がまれに登場する。まだ少年であるのに難解な「群」の概念を確立したエバリスト・ガロアも疑いないその一人。彼は15歳で数学的天才を発揮した。
 
イメージ 3ガロアはわずか21年の生涯だった。1832年5月31日にガロアはパリで決闘を行い、突如とその若き生涯を終えた。なぜガロアがそのような結末を終えたのかについての詳細は不明だが、ペシュー・デルバンビルという青年と、一人の女性をめぐって決闘は行われたという。女性の名はステファニー・デュモテルといった。ガロアはある沼の近くでピストルで撃たれて死んだ。未明の決闘後負傷、その場で放置され、午前9時になって近くの農夫によってコシャン病院に運ばれた。ガロアが牧師の立会いを拒否した後しばらくして弟アルフレッドが病院に駆けつけた。涙ぐむ弟にガロアは言った。「Ne pleure pas, j'ai besoin de tout mon courage pour mourir à vingt ans!(泣かないでくれ。二十歳で死ぬのには、ありったけの勇気が要るのだから)。」
 
ガロアはなぜか死を予期していたらしく、彼の親友と級友シュバリエに宛てて最後の研究論文を書き残している。ガロアがいたからこそ、群の概念は現代代数学に広く応用されている。フランスでは16世紀終わりから17世紀はじめ、アンリ4世の時代、年平均235人が決闘によって命を落とした。申し込まれた決闘を受諾しないことは死に値する不名誉と考えられていた。
 
20世紀はじめまで、フランス国内で決闘はごく普通に行われ、その結果が新聞に掲載された。これも「闘争心」の表れだろう。ベンジャミン・フランクリンは決闘を激しく非難し、決闘を申し込まれても受諾しないことを積極的に奨めた。ある幼稚園の教諭は言う。「年長児でも、"このヤロー"、"てめえエ~"と言いながら、興奮状態になって飛びかかってくる子どもは少なくない。
 
興奮といってもふつうの興奮ではない。狂暴的になる。目つきが鋭く、別人のようになってしまうこともある」という。飛び掛られた教諭は、「人間の子どもというより、ケダモノそのものだった」というように、ある程度の闘争心は、この時期よい方向に作用するし、闘争心がまったくないのも好ましくない。が、その闘争心が度を超すと、いわゆるキレた状態になる。
 
『巨象も踊る』で有名なルイス・ガースナーだが、彼は1993年、約50億ドルという巨額の赤字を出し、瀕死の状態にあった"倒れ行く巨象"IBMのCEOに就任し、それからわずか5年で60億ドル強もの利益を計上するまでに復活させた。一体、彼は何をやったのか?なにぶん彼が闘う相手は、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズら新世代の起業家たちだった。
 
イメージ 4ゲイツやジョブズたちは若くどう猛で、相手を打ち破るためなら24時間働くことも厭わぬ肉食系である。一方のガースナー率いたのは慣れ合った家族主義的で草食系のIBM社員たち。ガースナーから見て彼らは、ガラパゴスの生き物のような、「近親交配を重ね、強さが失われていた」。ガースナーは社員たちを鼓舞し、敵と戦うための闘争心を植えつけていった。
ガースナーは幹部会議でビル・ゲイツらの顔写真と、IBMを見下した発言を引用、「12万5千人の職を奪ったのは彼らだ」と訴えた。「社員は打ちのめされ、傷つき、混乱していた。しかし、会社への愛着と正しい行動を取ろうという気概はあった」とガースナーがいうように、幹部社員に与えたショック療法は闘う姿勢を取らせるきっかけとなったという。
 
「情熱」や「闘争心」は、日本の大企業では重視されることが少ない。しかし、異業種から競合が参入したり、海外企業との競争が激化のこんにち、経営者に闘う姿勢が求められる時代もないと言える。「言わぬが花」という言葉はいかにも日本的だ。これは「あれこれ言わない方が人間関係を害しない」ととられているが、真の意味はそうではない。
 
「ハッキリと口に出して言わぬ方が、趣きや味わいがある」と、そういう情緒的に日本的である。すべてをあからさまに表現しない方が、確かにいい場合が多い。言わないからといって決して意見を持っていないのではないが、外国人からみると、「何も言わない人は、何の意見も持っていないと見なされる」。つまり日本人は「自己主張力」を鍛える必要がある。
 
日本人はコミュニケーションのスタイルが謙虚である。日本人同士なら分かり合える部分もあるが、それでも誰かが大きな声で意見を言い出すと、異論があっても黙して大きな声の人に言われっぱなしとなる。表だった対立は避けたい、和を尊重するスタイルといえなくもないが、こういうスタイルは日本では通用しても、国際社会ではまったく通用しない。
 
大声で話している人を遮さえぎってでも自分の意見を積極的に発信しないと、何の意見もない無能な人間と見なされてしまう。日本人コミュニケーションスタイルの基本は、まず時候の挨拶から始まって、のらりくらり、まわりくどく、そうして最後に結論が来るが、諸外国の人たちと話をするときには、最初に「バーン」と結論をもってきたほうが説得力は増す。
 
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前置きが長かったり話が冗長だと、周囲は何を言いたいのか分からず、そういう場合、別の人にすぐに割り込まれてしまう。何かを強い気持ちで言う場合は、結論を短く、分りやすくが大事だ。それも闘う姿勢、「闘争心」の範疇だ。スポーツ選手が負け試合後監督から「お前ら闘争心があるのか!」と叱咤される場面は多いが、何より思い出すは広島カープ初優勝。
 
お荷物球団と言われ続けた広島カープが初優勝したのは昭和50年、優勝監督は古葉竹識であった。が、優勝するなどとんでもない、誰もそんなことなど考えたこともない、選手もコーチもファンも…、そういうぬるま湯体質に「渇!」 をいれたのが、日本プロ野球史上初のメジャー出身監督のジョー・ルーツだった。昭和50年、広島カープはジョー・ルーツ監督で開幕を迎えた。
 
ところが、わずか15試合で彼はチームを去る。日米の野球の違いなどで審判と事あるごとに衝突したルーツは、1975年4月27日の対阪神タイガース戦で、佐伯投手が投じた掛布への投球をボールと判定されたことに激昂、審判に暴行を加えたことで退場を命じられたがそれも拒否。審判団の要請を受けた重松良典球団代表が説得し、その場は引き下がった。
 
しかし、ルーツ監督はその日のダブルヘッダー第2試合を前に選手を集め、「今後広島の指揮は執らない」と言い残して球場を去った。前年まで3年連続最下位だった広島カープの帽子の色を紺色から燃える闘志を表す赤色に変えるなど、「赤ヘル」の生みの親である。当時の主力選手、山本浩司や衣笠祥雄、大下剛史らは、「ルーツが我々に闘争心を与えてくれた」と語る。
 
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