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信仰と思考

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加藤諦三に『考えること』という著作がある。43年前の1975年刊行になるが、そのなかに以下のくだりがある。「何を考えるかが大切なように、如何に考えるかもまた大切である。他人に馬鹿にされたくないという自我防衛の強い人間は、如何に自尊心が傷つかないようにするかという自分の立場と利益だけでは、どんなに考えても自由に考えているとはいえない」。

加藤のいう、「己の自尊心を守る思考にいい考えなどない。自尊心を捨てることで自由にものを考えられる」について当初は懐疑的だった。正しく思考するために自尊心は邪魔物であるのか?自尊心を守るというのはそれほどしょぼいことなのか。自尊心が傷つくのを恐れるのは臆病者なのか。確かに人は自尊心を守るために相手と張り合ったり、言い合ったりする。

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そうした場面において、つい何が正しいより自尊心の死守に躍起になりやすい。「正しさ」よりも自尊心を守るのも重要になるのも人間らしい一面だが、自尊心を守る思考にいい考えなどないは、いわれてみるに経験則である。「自尊心を持て!」と激を飛ばしたりするように、大切なものには違いないが、物事を正しく思考する場合において自尊心は邪魔になることが多い。

自分より相手の考えが正しいと思いつつ、自尊心を傷つけられたくないからと、ついムキになったりの経験は誰にもある。自分がムキになった時は頭を冷やし、相手がムキになってるときはなだめるのがいい。他人の考えや個性を尊重することも自尊心を守ることになるが、そのことに気づかず他人を認めることは自分の個性が失われるのではと考える者がいる。

他人を否定するのが自己承認と錯覚するのか、日本人インテリ階層にも個性的な人間をあげつらう傾向がある。「〇〇はダメだ」、「〇〇は低学歴」などと見下げた言い方をする。個性的でないインテリ階層は、個性的といわれる人間を否定することでの自己主張。そんなさまを何処の国だったか、「太陽に照らされた月の光」というが、月は自ら輝かない。

「あいつは月のようにバカ」なども同じ意味でいう。月は日本ではロマンチックな対象であるが…。「考えること」は面白いが発見でもある。何でもないことでも考えることで思わぬ発見があって楽しい。「考え好き」はそのタイプ、「発見」なんかどうでもいい人に考える楽しさはないのだろう。「考えても仕方ない」などと、考えないことを自慢する言い方をするものもいる。

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「信仰」とは考えることなのか?それとも考えないで神に託すことなのか?信仰経験のない自分に信仰がいかなるものか分からない。分からないから想像するが、正しい信仰の在り方とは、「人間の心の奥深くから自発的な要求となって現れるものである」という一文をみたことがある。「そういうものなのか?」と、意味は理解はすれども体験的、実感的な理解ではない。

キリスト教を批判したニーチェは、「信仰は人間に考えないことを要求する」とした。原罪を負った人間の考えなどはろくでもないのだから、黙って神に委ねた方が良いということのようだ。「信仰か人倫」かの対比においては信仰が勝るのか?無神論者たる自分はたとえ信仰が勝ろうとも、人間が下種な生き物であろうとも、間違いを犯そうとも、自らを自からに委ねて生きたい。

日本人の伝統的宗教のなかには、神道・仏教・儒教があり、後にキリスト教も流入したことで、日本人の中には世界有数の宗教が集い、しかも、それらの間に大きな摩擦もなくこんにちに至っている。ヨーロッパの宗教的歴史に比べて極めて不思議なことに思われる。とはいえ、仏教伝来当時には蘇我氏と物部氏の争いがあり、徳川時代にはキリシタン弾圧があった。

が、それらは一時的現象に過ぎない。ヨーロッパにおいては宗教を土台にした政治的陰謀が絶えず、時には流血惨事を起こすこともあったが、それからすると日本には国の根本を揺るがすような、永続的な宗教戦争というものは起きていない。インドから中国大陸、朝鮮半島を経て我が国に伝わった仏教だが、精神が開花したのは本国よりむしろ日本においてであった。

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仏教に深い考察もなく受け売り程度の知識や歴史観しか持たない自分だが、こと宗教に対する日本人の感覚のうちには、おおらかなる純一的なものがあったということなのか。飛鳥・天平より平安を経て鎌倉に至るあいだは日本仏教の黄金期で、法然、親鸞、日蓮などの傑出した僧を輩出した。皇室自ら厚く仏教を敬い、護国の法として国民の安穏を祈念した。

以来仏教は日本人の精神の内に深く浸透し、仏教徒たると否とにかかわらず、我々の感情深くその影響を及ぼしている。確かに宗教的隆盛を極めはしたが、宗派乱立という様相は、信仰の根本においては堕落した面も少なくない。大谷派と本願寺派の二大潮流がなぜに生まれたかは歴史を紐解けば理解は得るが、こうした対立も仏教徒を失望させた要因でもある。

日本の宗教戦争は宗派対立であると思いきや、キリスト教やイスラム教においても宗派対立が血なまぐさい様相を呈したのは歴史の事実である。キリスト教プロテスタンティズムは日本人に馴染深いが、仏教のように皇室自らが率先して崇拝した歴史はない。仏教国家は日本に現出したが、キリスト教国家は出現せず、キリスト教徒は日本では異教徒扱いされ易い。

内村鑑三や植村正久、新島襄ら一部の文学者によるプロテスタントの影響は実に大きく、明治以後の文学のみならず一般的知識階級に仏教に変わる新たな宗教心を与えている。内村は親鸞と同じように弟子を作らないといい、持たなかったが、無教会というグループができ、内村の本からの影響を受けた者は多く、志賀直哉、武者小路らは弟子を自覚する者たちである。

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内村はいう。「自分は生涯において未だかつて人に向かって、「我の弟子となれ」と言ったことは一度もない。それなのに多くの人は私を、「先生」と呼んで私のもとにやって来た。そのような彼らに対して私は、「私はあなたたちの友人であって師ではない。私の宗教においては、師はただ一人キリストである」と忠告し、我が師キリストを紹介しようと努めた。

内村を先生と呼んで来た者のほとんどが、「自分の懐く理想の実現を想像して」やって来たのであって自称弟子たちは口では、「先生」と呼びながらその実、師に教えられようとするのではなく、師に自分の理想の実現を迫っているに過ぎないのであった。内村は『代表的日本人』として、西郷隆盛・上杉鷹山・二宮尊徳・中江藤樹・日蓮の五人を挙げている。

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