8日午後71時53分ごろ、金沢市八田町東、無職北嶋誠吉さん(71)方から、北嶋さんが死んでいると110番があった。金沢東署は首にひもが巻かれた状態で北嶋さんが死亡しているのを確認、殺人事件として捜査を開始。同日夜、同居する孫で無職の祥太容疑者(23)を殺人容疑で緊急逮捕した。北嶋さんは祥太容疑者と、その弟(21)との3人暮らし。帰宅した弟が発見し通報した。
同署は、行方が分からなくなっていた祥太容疑者を捜索し、石川県能美市内のパチンコ店で発見。事情聴取に対し、「おじいちゃんを殺した」と認めたため、その場で逮捕した。家族間のトラブルの有無などを調べている。頭を過るのは2014年3月に埼玉県川口市で起きた17歳の少年による母方の祖父母殺害事件で、少年は殺害後にキャッシュカードまで奪っている。
この事件は弁護団が組織されて最高裁まで争われた後、懲役15年が確定したが、少年の居住環境などが複雑多岐に及び、深い同情を禁じ得ない事件だった。事件のあらましは、父母は就学前に別居して離婚。少年を引き取った母親はホストクラブに通いづめとなる。少年は毎晩のように家に来るホストに付き合わされ、小学4年生からは学校に通わなくなった。
母親はホストクラブに行ったまま、1カ月も家に戻らない時があった。母親は元ホストと再婚したことで、義父と母親と3人で静岡で暮らすこととなり、2〜3カ月間は静岡の小学校に通う。しかし、住民票を静岡に残したまま埼玉に転居し、少年は小学5年生からは学校に通えない日々となる。日雇い仕事をしていた義父は、収入がある日は3人でラブホテルに宿泊。
仕事がない日は、ラブホテルの敷地内にテントを張ったり、公園で野宿をしていた。中学2年の14歳のころには、横浜スタジアム周辺の公園などで生活していた。少年は義父から日常的に虐待を受けており、前歯が4本折れるほど殴られたこともある。ばかりか、母親と義父の指示により、少年は親戚に金銭を無心させられていた。なんという親であろうか。
公判における父方の祖母の姉の証言では、「約4年間で、400万〜500万円を借金で調達した」と話す。塗装会社に就職した義父は会社の寮で暮らしていたが失踪。16歳になった少年は代わりに働いたが、母親は息子の勤務先に給料の前借りを強要する。事件は金が尽きたときに起こった。母親が少年に、「祖父母を殺してでも金を借りて来い!」と指示したという。
少年は、祖父母に借金の申し出をするが断られ、その際、母親の指示通り祖父母を殺害した。夫婦を殺害したことを聞いた母親は、少年に祖父母宅に戻らせて現金8万円やキャッシュカードを奪わせたという。こんなことは物語(小説)の発想にも沸かないような、あり得ない鬼畜の母親との印象だ。この少年は、なぜにここまで母親の指示に従ったのだろうか?
公判の最中に裁判長は被害者遺族(検察側証人として出廷)である少年の母の姉に対し、「あなたを非難しているわけではないが、周囲にこれだけ大人がそろっていて誰かが少年を助けられなかったのか」と問うている。居住地もないままに少年は母と義父とその間に生まれた妹の4人で野宿生活などをしていたが、その際、警察官から数度職務質問をされている。
状況を知った役所の係から生活保護を促され、受給するとともに横浜市内の簡易宿泊所に移っている。ところが、母親がそこでの窮屈な生活を嫌がり、無断で転居したことで生活保護が打ち切られていた。日雇いとはいえ義父は収入を得ていたにも関わらず、野宿生活を強いるほどに困窮していたかと言えば、母親がパチンコなどで浪費を重ねていたという。
重ね重ね思うは何という母親であろう。横浜市が少年を保護した際、児童相談所での一時保護を提案するも母親が、「子どもと一緒に暮らしたい」と希望したことで実行されなかった。弁護団は心理的・精神的に母親の指示に逆らうのは困難として、教育をしなおすために医療少年院送致を求めたが、少年への判決は懲役15年。一方、母親の判決は4.6年の禁固刑となる。
逆じゃないか?と思いたいが、量刑は犯罪に対するものであり、祖父母殺害を実行したのは少年である。「親の指示だった」といえど、指示は指示、実行は実行である。何ともやるせない判決だが、この少年を懲役にすることの何の意味がある?「刑務所が更生させる必要がある」とは、頭の固い裁判官の独善判断であり、刑務所で更生可能なのかの疑問が残る。
なんと少年は刑務所内から個別取材を行っていた読売新聞記者に手紙でこう伝えている。「本当の思いを大事にし、流れに逆らえ」。つたない文章ではあるが、少年は少年の思いを率直に綴ったものと思われる。意訳するなら、「間違ったことを指示する人間(母親)に汲みしてはダメだ。そういう流れには逆らうべきだ」という心の声が自分には聞こえもし、感じられもする。
少年のいう、「本当の思い」という言葉の行間には、祖父母殺しは間違ったことであったという彼の心の中の正義感のこと。そういうものがあっても回避できなかった、逆らえなかったことを悔いている。2014年の4月の公判中、裁判長は少年に対してこう尋ねている。「母親の指示があった前提で聞くが、この事件は一体誰が悪いんだ?」。少年はこう答えた。
「(悪いのは)自分。母親への気持ちの持ち方をちゃんとしていれば、誰かにお金を借りに行くことも止められたはず」。男の自己責任をしかと感じられる程に論理は明確である。論理では分かっていながら止められないものを、「流れ」と表現したのだろう。子どもにとって酷な質問である。裁判長が決めてやれ!「この流れはどうしようもない。止められない」。スポーツの実況などで耳にする。
大人ですら制止できない、「流れ」を16、17歳の少年には止められない。まして母親とは運命共同体として貧困状態にある。お金があればみんなを救えると思ったのだろう。自身の身勝手な欲望で盗みや殺人をしたのではなかろう。ならば、なぜに裁判長は少年の気持ちに立たなかったのか。法は、「分別」あるものに適用すべきなら、人情味のある、「法外の法」も適用できた。
懲役15年は少年を悪人と定めたことになるが、果たして少年は悪人か?母親は強盗のみ立件・起訴されたが心情的に大悪人は母親だ。少年は悪人の使い走りをされた無垢な善人。しかし、彼は自らを悪人と定めた。物事を的確に判断する視点は潔い。一方母親は、「指示などしていない」という。こんな慈悲なき母親に抗わなかったのを悔いている彼がいたわしい。