もし、人が生命の意味を発見するとしたら、「求道」だったり、「快楽」だったりではなかろうか。他にも人生の意味はあっても、大きくこの二つには人を没我の境地に誘う魔力がある。「求道」は分かりやすいが、「快楽」は多岐に及んでいる。海で泳ぐも山に登るも道を歩くも走るも広義の快楽である。泳ぐが高度になれば潜水、登山が断崖絶壁に向かえば快楽は増幅する。
冒険家というのも求道家だろう。アムンゼンとスコットによる南極探検、ヒラリーとテンジンのエベレスト登頂などは、子ども時代に本で読んだ。南極点一番乗りを競ったノルウェーのアムンゼンが、雪上車など最新文明機器を備えたイギリスのスコット隊に勝利した理由は、エスキモーの衣類や犬ソリ使用などの生活様式に殉じた現地主義によるものだった。
その後、アムンゼンは北極で行方不明になった友人救出にでかけ消息を絶つ。エベレスト登頂のヒラリーとテンジンも興味深い。ヒラリーはニュージーランドの登山家・冒険家、テンジンはチベット人のシェルパ(現地案内人・荷担ぎ)。ヒラリーはともかく荷担ぎ風情のテンジンが栄光を分かつことに当時の人は驚嘆した。シェルパへの認識が低かったからだ。
重い荷物は全部シェルパたちが持つことになり、危険は彼らの方が多かったろう。にもかかわらず、登山家とは食事も衣服・寝所等も別。立派な装備も与えられなかった。成功すれば栄光はすべて登山家のものとなり、シェルパは消耗品扱いであった。友情の芽生えもあったが、利用するだけ利用するという主従態度に、次第に不満を持つシェルパも多かった。
このままではヒマラヤ登山も、「民衆を犠牲にしたエリートのスポーツ」と言われかねなかった。ところが1947年、テンジンの前にデンマンという英国育ちの登山家が現れた。デンマンは彼に言った。「君とエベレストに登りたい。ただし、主人とポーター(荷運び)としてではなく、友人として」。対等の“山の仲間”として一緒に登ろうの言葉にテンジンは感動した。
しかし、この時のチャレンジは失敗に終わるが、テンジンはデンマンの友情を生涯忘れなかった。6年後の1953年、テンジンがヒラリーとエベレスト登頂に成功した時にかぶっていた帽子(毛糸製の防寒ヘルメット)は、デンマンがくれたものだった。登頂報道の多くがヒラリーのみ主役とし、テンジンは完全に脇役だったのは、シェルパなど眼中になかったからだ。
ところが実際は、テンジンの力なくして成功はあり得なかった。テンジンの存在こそが「世界最高峰」を極めるという“人類の快挙”を真に意義づけたものだった。ヒラリーとテンジンは世間の思惑とは関係なく、互いに深い尊敬と友情で結ばれていた。極限の苦労を共にした、「岳友」に隔てはなかった。登頂から10年後の1964年、テンジンはこう述べている。
「山には友情がある。山ほど人間と人間を結びつけるものはない。」
日本人冒険家として知られる植村直己は、43歳の誕生日だった1984年2月12日、厳冬の北米マッキンリー単独登頂を果たしたが、翌13日の無線連絡を最後に消息を絶つ。あれからもう34年になるが彼の口癖は、「冒険とは生きて帰ること」である。2015年北海道の大雪山系の黒岳で21日から行方が分からなくなっていた女性登山家の谷口けいさんが、22日発見された。
彼女は幼い頃は運動とは無縁で小学校ではインドア派少女だった。図書館にある本をすべて読んでやろうというほどの本好きで冒険小説にはまった。そんななかで植村直己という冒険家に出会った。「植村直己の冒険に憧れたのもひとつの原点なんですね。だから、「登山家」と呼ばれるのはあんまり嬉しくないんですよね。どちらかと言えば旅人なんだけれど…。
"冒険家になりたいなぁ"とは今でも思っています」。そんな彼女はこんな言葉を残している。「凍りつく寒さ、荒れ狂う嵐、雪崩…、次々とたたきつけられる現実と、そこで迫られる判断。登山という挑戦は、人生になぞらえられる」。そっか、登山は人生になぞらえられるのか…。経験のない我々には理解のしようはないが、植村と谷口はともに43歳没であった。
冒険とは日常とかけ離れた状況の中で、なんらかの目的のために危険に満ちた体験に身を置くことで、小さな冒険もある。冒険好きな少年の自分は、自分の殻を破る勇気は絶やさなかった。とりたて勇気を必要としなくとも、「冒険好き」というだけで備わる勇気もあろう。アランは『幸福論』の中で以下の言葉を述べているが、自分の好きな言葉でもあった。
「人間はもらった楽しみに退屈し、自分で獲得した楽しみの方をはるかに好むものだ」。この言葉はす~っと自分の中に入った。行動するということは、お膳立てされたものを排し、自分の何かをするということだ。「警視総監は幸福な人だ」と彼はいい、その理由が、彼はいつでも行動しており、それも予見できない新しい条件の中で行動している」と述べる。
『幸福論』は結構あるがアランのそれは難しい。例えば、「小さい子どもがはじめて笑うとき、(中略) 幸福だから笑うのではない。笑うから幸福なのだ」。これには京大教授の鎌田浩毅が以下の注釈をつけている。「アランは人間が感情の奴隷になることを首肯しない。むしろ、自律的に行動することによって、情念さえコントロールできると雄弁に主張する」。
人は自分の気持ちに大きく左右される。自分で倒れそうだと思えば倒れる。何もできないと思えばできない。このように人間は自分でお天気も作れば嵐も作り出す。「negative」、「positive」といわれるが、前者はマイナス、後者はプラスで、善悪の意味はないがプラスがよいことになる。アランの『幸福論』のなかで鎌田の極めつけの注釈は68章の以下のくだり。
「私がもし信頼すれば、彼は正直である。非難をすれば彼は私のものを盗む。彼らはみな分に応じて私に復讐するのだ」。鎌田はこうのように注釈をつけている。「ここには現代心理学が教える『対人関係論』の要諦がある。すなわち、良好な人間関係を築きたいと思ったら、こちらの方から誠意をもって相手に丁寧に接しなければならないのである」。
確かに人はそういうとこともある。「女は自分を愛してくれる量の分だけ相手を愛す」というが、確かにそういう女もいる。これが恋の駆け引きなのか?「惚れた方が負けなのよ」という女がいたが、恋愛に勝ち負けはなかろうと、自分は心で秘かに反駁したが、見え透いた駆け引きをする女は、「策士策に溺れる」というように、上手く行くとも限らない。