「昭和十年十二月十日にぼくは不完全な死体として生まれ、何十年かゝって完全な死体となるのである」。知る人は少なくない寺山修司の有名な一文である。これにはさまざまな解釈がなされている。「人生を反転させ、裏返して見、望遠鏡をさかさまにして見るような、近くは遠く、遠くは近いという、覗き穴からの視線であり、寺山らしいパラドシカルな言葉である」というもの。
別の解釈として、「完全な死体とは自分が望んだ完全な生き方を全うした果ての最期のことか」というのもあれば、現実的な解釈としては、「寺山はネフローゼ症候群という生まれながらの持病と向き合いながら、いつ訪れるとも知れぬ「死」と隣り合わせの生涯を貫いた。不完全な死体として生まれとし、そんなに遠くはない完全な死体となることを自覚していた」などがある。
「ネフローゼ症候群」といえば将棋の村山聖九段を思い出す。この難病のために彼は、小学校の半分を療養所と病院で過ごした。29歳で他界したが死因は膀胱がんだった。病とはいえ村山の人生は不完全であったろう。もっともっと将棋を指したかったし、結婚願望もあったとされる。不完全な人生とは、死以外にも言われる。いろいろあるが、不完全と思えばそうだろう。
完全に生き抜くとは比喩的な言い方で、今日死ぬと思って生きることではないかと。朝起きて仕事に行く際も今日死ぬかも知れないと思って頑張る。それが緊張感をもった生き方だろう。いつ死ぬるか分からないのだから、今日死ぬと思って生きれば、一応は準備をしたことになりはしないかと。これについては後程記すが、死はあまりにも突然に訪れるものでもある。
とにかく、今日のことは今日やっておくことで、明日の心配をしないでいいばかりか、その日にやり残したことはなくなれば、今日を懸命に生きたことになるというのが自分の考えで、これ以外には浮かばない。人にはそれぞれの生き方があろうし、そして行き着くところに行き着けばよい。到達点より過程に生きるエキスがある。東大が立派でスーパー勤めがダメというのでは全然ない。
それなりに力いっぱいやって行き着いたところを立派と思えばいい。人間は卑屈になっていいことなど何もない。場所が人間に価値を与えるのではなく、人間が場所に価値を与えるのだと思っている。頑張る自分は立派と思えるなら、立派な人間が行き着いたところが立派となる。反対に、ダメな人間が行き着いたところはダメな場所となる。視点を変えるだけで人は幸せになる。
もっとも偉いのが学者と信じていたカントが、人を軽蔑しない人間こそが偉いと理解に至ったのは、単に視点を変えただけで、それを変節ともいういうが、視点を変えれば人はガラリと変わる。毎日がつまらない、今の人生がつまらない、これではすべてがつまらない。能力のギャップに苦しむことなく、自分の限界を気づくことになれば、無理もしないし高望みもない。
誰の言葉だったか、「真実を直視し、そして笑うこと」は、「足るを知る」と同じ意味のいい言葉。ただしできればの話。人には見栄や欲もあって、自分の限界を率直に認めるのは劣等感の原因になりかねないので勇気がいるのだろう。素直な性格なら別に勇気はいらないが、「自信がない」を口癖の奴は、口癖を止めて自信がつくような何かを考える方がいい。
乞食が乞食であることを何とも思わないのは、乞食に自信を持っているというより、乞食であるのを知っているからで、これも自然な生き方。金持ちも貧乏人も賢者も愚者も社長さんも平社員も美人もブスも、間違いなく死ぬのだから、それぞれがそれぞれに合った、嵌ったように生きれば楽しかろう。叶わぬ欲に苦しむより、与えられた現実を楽しく生きるべきかと。
生に安住している時はさりとて不安を感じないが、生とは、"生きうるかも知れない"という空想でもある。新聞で様々な事故や事件に触れるとき、死はいたるところに潜んでいる。空からコンクリートの塊が落ちてこないとも限らないし、歩道を歩いているのに、スピードあげた鉄の塊がぶつかってくることがないとはいえない。まさに「犬も歩けば…」である。
明日は生きていないかも知れない、今夜の0時に自分に死が訪れるかも知れない。そんな思いを胸に自己煽動をし、奮励努力するのもアリかなと。昔の人は良く働いていた。工事現場にしろ、一般的な会社にしろ、しょぼい機械や道具を手にし、空調設備のない暑さ寒さの室内で文句も言わずによく働いていた先人たちの凄さ。戦争にまで駆り出されたり…。
戦地からは中身のないからっぽの骨壺が届く。これが笑顔で戦地に向かった我が息子の姿か。我々は恵まれた時代に生を受けたものだ。国のために命を捨てた人たちや遺族の心中を想像するしかない。生命に満ちあふれた青春期に、死のことなど考えもしないが、死と隣り合わせだった若者たちの思いが何であったかは、残念ながら活字で知り、想像するだけだ。
死の忘却の刹那は今の若者にもあるはずだ。考えるか考えないかの違いであって、自分の若き時代においても、死への切迫感はまるでなかった。以前から死についての文献は好んで読んだが、誰も死の経験については語っていない。死に瀕した経験という記述といえども生の一事実に過ぎない。人は死そのものを実感として語ることはできないのはそうであるが。
我々が死を恐れるのは、死そのものより死についての想像力かも知れない。自分の死後に家族はどうなるかをあれこれと想像はするが、実体として見聞き・感じ・考えることができないことが不安にさせるのだろう。死そのものは案外平穏なものかも知れないが、想像するなといっても無理からぬこと。死を身近に感じる年代になるほど想像は高まっていく。
人が死を怖れるのは死後の自分の行き場ではなく、現世との隔絶である。死は無意識・無動の状態ゆえに就寝状態のようだが、誰も就寝を怖がらないのは朝の目覚めが約束されているからだろう。それに反する死の約束事は一切ない。人が就寝中に息を引き取るというのはあまり聞かない。日中の活動時の死が多いのは、やはりどこかに無理をしているからか?
我々人間は死に向かって成熟していかねばならない。こうした命題を自らに課す人、そうでない人、直前に迫った死に切実に臨む人、のんきでいられる人、などと人は様々である。真面目で堅物な人間が、「あいつはのんきでいいよ、羨ましい」などというが、のんきであるを望むなら物事を深く考えぬことだ。人間は苛烈なる思惟に永続的に耐えるのは至難である。
誰しも気晴らしを望むし、快楽を得て今を忘れようとする。これら人間的なエロスが趣味や道楽として生き甲斐となり、生き甲斐は別の言い方で死に甲斐といえる。「死んで良かった」とは誰も思わないが、死の淵に臨んで、「良き生であった」と思うのは、生き甲斐の充実と考えられる。趣味・道楽はなくとも、生きることにひたむきであるのも、生き甲斐であろう。
生き甲斐なくても楽しむ人は、何を支えに生きているのか?「あなたの生き甲斐は何?」と問われたら、そんなものを特別持たない、求めもしない自分はおそらく、「生き甲斐を求めず人生を楽しむのが生き甲斐かもしれません」と答えるかも…。厳密には、「生き甲斐がない」ではなく、「生き甲斐を意識しないでも生き甲斐を感じている」といきがっているのだろう。