はかならずも自分の若者時代は、他人を無視した自己拡張期を生きた時代だった。他人に気を使いながら、気兼ねをしながら委縮して生きるよりよかった気もする。人の風下には立ちたくないという勢いが自分を前に前に進めていた。まさに、"Top Of The World"、世界の中心に恐れを知らぬ自分がいた世界において、他人を意識する余地はなかったろう。
根拠のない自信に満ち、この世の一すべてのものが眼下に広がっていた。どう考えてみても青春の病に罹患した状態である。もちろん、社会にはルールがあり、ルールというものは沢山あったが、そうしたルールに怖気ることがなかったのは、若さゆえの思慮のなさともいえよう。子どもの頃、『大人になりたい』という歌をコニー・フランシスが日本語で歌っていた。
それを伊東ゆかり、中尾ミエ、弘田三枝子らがカバーして歌っていたが、彼女らの所属する渡辺プロの社長である渡辺晋は、伊東や中尾に、「コニーのように上手い日本語で歌えよ!」と激を飛ばしていたという。確かにコニーの日本語は秀逸だった。どれほどレッスンをしたのか、計り知れないプロ意識を感じさせられる。『大人になりたい』の原題は、『too many rules』。
昨日の夜2時10分に家に帰ると
両親の顔は真っ青、猛烈に怒ってた
私は10時15分前にはベッドに入らなければならないの
ほらね また規則なの
両親の顔は真っ青、猛烈に怒ってた
私は10時15分前にはベッドに入らなければならないの
ほらね また規則なの
規則が多すぎる、規則だらけなの
親なんてバカみたい、規則ばかり作って
空のお星さまにお祈りするわ
まだあなたの愛を失っていませんようにって
だって規則が多すぎるんだもの
親なんてバカみたい、規則ばかり作って
空のお星さまにお祈りするわ
まだあなたの愛を失っていませんようにって
だって規則が多すぎるんだもの
『too many rules』を、『大人になりたい』という邦題にしたセンスが、ヒットの要因にもなったようだ。青春期というのは、どこの国でも親の監視がうるさいものだが、"Folks are just fools(親なんてバカみたい)"とこき下ろす。「folks」という単語を両親とするのは、親しい間柄で使われる言葉。確かに、「大人になる」ということは子どもにとって、自由のシンボルだった。
こんな物語がある。「ある村に一人の若者がいた。彼はその村に不満で町に出て行った。が、やがて村に戻った若者は、町の女は美しいなどと村を町と比べて非難した。そんな彼の話に村人は面白がって聞き入ったが、だんだん飽きてきて、ついには誰も相手にしなくなった。若者は町には行く気になれない。町の生活は厳しかったからだ。彼は村での居場所も失っていた。
どこに行けども不満を漏らす者は、結局どこにも居場所がなくなるという例えである。勤務先に嫌なことがあるとすぐに辞めて新たな勤め口を探すが、問題は周囲にあるのではなく、人間関係に対応できない自分にあることに気づかない。どこにだって人間はいるのだから…。人間は自由を好むが、自由といっても無人島の自由ではなく他人の中にあっての自由である。
その点において自由とは人間の試練の場でもある。人間関係が嫌だから家に引きこもって仕事もしない。これを自由というのだろうか?社会的動物たる人間が、社会で活動できないというのは、なんと不自由であろう。人間は自由のもとに成長するが、その自由とは「条件」でもある。誤魔化しの生き方によって、自らの存在意義を確信できるなど絶対にあり得ない。
手軽に海外旅行が可能な時代である。大学の卒業旅行でヨーロッパに行くのが珍しくない時代だが、多くの若者が外国に出ていくにつれ、さまざまな不幸な事件も起きている。日本からの旅行者を騙して金品を巻き上げたり、強奪したりならともかく、レイプや命を奪われたりもある。2012年8月、聖心女子大生の益野友利香さんがルーマニアで殺害された事件は悲惨である。
首都のブカレスト空港から車で約5分の、両側を森に囲まれた幹線道路。道から数メートル入った森の中で益野さんの遺体が発見された。40~50メートル離れた場所で益野さんのスーツケースが見つかったが、財布など金品はなかった。逮捕されたのは空港で益野さんに声をかけたニコラエ・ブラッド。同容疑者はタクシーを探すのを手伝うと言って近づき、犯行に及んだ。
フランス在住の日本人はいう。「ヨーロッパで絶対な安全はどこにも存在しません。深夜タクシーで起きた事件に着目されていますが、そうでなければ大丈夫だったと言い切れるわけではないです。ただ場所と時間と自分の備え方によって危険に会う確率は変化します。その確率を勘案した行動が求められます。確率といっても数学的な話じゃなくて、感覚的なことです」。
海外旅行など考えられない自分たちの若者時代。それでもとにかく、いろいろなことをやる若者は出現した。どれが本物でどれが単なる思いつきか見当はつかないが、エルビスやビートルズは本物だったんだろう。グループサウンズとやらは所詮は真似事にすぎない。村上龍が『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞を獲った選考会は大荒れに荒れたが、ともかく獲った。
作品にならない作品を書き、展覧会にならない展覧会を自前で開く若者も多かった。模索の時代といえば聞こえはいいが、本当にそうであるのなら最初から分かった顔をする方がどうかしている。分からない方が正直だし、正しいのかも知れない。深夜放送の大ブームは何だったのか?「オールナイト・ニッポン」、「セイ・ヤング」、「パック・イン・ミュージック」。
言葉は深夜の空間を叫び声となって飛び回った。刹那的人間をよしとする者、ことさらに自分を追求する者、瞬間から瞬間へ何の連関性もなく存在しつづける若者は、マジメ学生にもノンポリ学生にも表れている。得体の知れぬ若者を、「一人ぽっちで誰にも煩わされず、自分自身の考えや感情に浸っている時にのみ、彼は赤裸々の彼その人である」と評した哲学者がいた。
自分たちと同時代の70年代の若者は何を人生の拠り所としていたのか。なぜ彼らは日常性を拒否し、バリケードを築いたのか。政治行動に走った若者も、芸術行動に走った若者も、彼らにとっては世界が揺れ動いていた。そんな70年代だったろう。当時の合言葉といえば、「若者は若者なんだよ。それ以外の何ものでない。以上でも以下でもない。大人はわかっちゃいない」。
「大人は勝手だ」というが、「若者とて勝手」である。ようするに、人間はみな勝手なのだ。もし、断絶があるのなら互いの、「勝手」が原因の一つであろう。大人たちはみな自分たちがしてきたことを正しいと思っている。本当に正しいのか?それは断じてない。正しいと思い込んでいるだけ。それで、自分たちの言葉を受け入れて行動する若者を、正しい青年という。