貴乃花とて人間だ。神でもなければ絶対善の正義の使者でもない。だから、人は人にぞんざいであるべき。他人の悪なる行為を傍観すべきでないとはいうが、ヤクザに絡まれた人を助けるなどはできない。勇気は必要だが誰も自分がかわいい。ならば大事なことは他人の悪を見逃しはしても、自分がそれから学べばいいこと。人の事より自己の向上に寄与すればいいこと。
貴乃花親方の一連の行動は、ある面において大塩平八郎の如きである。協会相手に一歩も引かずの戦う姿勢は、「貴の乱」といわれもしたが、貴乃花の相撲協会への反旗は2010年、一門離脱で起こした理事選立候補に始まっている。相撲協会の『改革』を主張した立候補だけにマスコミ受けはよかったが、協会内部と貴乃花親方の戦いがここに始まったのは誰もが知るところ。
「大塩平八郎の乱」の直接動機は、天保年間の大凶作で市中に餓死者が続出し、もと与力職にあった大塩は新任の東町奉行に飢饉対策を進言するも一蹴された。しかも町奉行は大坂市内の米確保のための、「他所積制限令」を出しておきながら、幕府から江戸廻米の命を受けると直ちに、「江戸積勝手次第」を発令、窮民救済に当てるべき米を幕府へと差し出す醜態を行った。
これに激昂した大塩は天保8年2月19日、門弟を動員して挙兵した。民の窮乏を憂いての大塩の行動と、弟子の前途を憂いた貴乃花の行動の違いはあるが、思うにどちらも熟慮の行動とは言えず、思い立ったが吉日的な速攻性を共通とした。若き頃から厳格で不正を許さぬ性格の大塩はある時友人から、「君は人と会うときは刀を持ってはいけない」と注意されている。
それくらいに感情の起伏が激しい人物だったらしい。貴乃花の感情の起伏の激しさも元付け人が証言しており、一連の言動からも伝わってくる。大塩の行動の二大目的だった、「腐敗した権力者の打倒」と、「貧民救済」はどちらも果たし得ず全てが裏目に出た。貴乃花の行動によって、弟子たちは裏切り者の弟子という煽りから「汚名」という損害を受けたということになろう。
弟子に罪はないが、「親亀こけたら子亀はこける」もの。親方の短慮な行動が弟子たちに良いことは何もなかったのは大塩も同じだった。大塩や三島が傾倒するところの、「陽明学」というのは行動の「有効性」に背を向けることそのものを指す。三島はそうした大塩の、「かたくなな哲学」に共感したことから、大塩の行動の、「失敗」について何ら言及していない。
大塩44歳、三島45歳が享年齢で貴乃花は現在46歳。大塩、三島は憤死したが、生き甲斐を失った貴乃花が大塩や三島と同じ轍を踏むことはなかろう。生き甲斐とは情熱である。情熱あるところに生き甲斐はあり、情熱が途絶えれば生き甲斐を失う。貴乃花は今後どのような生き甲斐を糧にするのか。相撲道に求道者的片鱗を見せた貴乃花は相撲以外に情熱を見出せるか。
ただ生きるだけの人間もいれば、生き甲斐を重視する人間もいる。貴乃花は後者のタイプである。思うに彼の生き甲斐哲学とは、事の善悪についての一般的な解釈や法則に留まることではなく、積極果敢に行動に現すこと。自分も同じタイプなのでよく分かるし、行為に障害はつきものだ。問題はそれが失敗したときでなく、失敗しないために硬軟織り交ぜた努力だろう。
努力とは行動も必要だが知恵こそが重要で、貴乃花には硬軟の「軟」がなかった。こういう不器用なタイプは思いが貫徹できない場合、一切を投げ出すこともある。貴乃花は今、弟子を案じた物言いをするが全ては遅きに失すで、彼の度量不足が事態を招いたことは否定できない。理想を追求するのは男のロマンであるが、理想を追って会社を潰した経営者は少なくない。
弟子にも親がいる。結果的に一人相撲を取って去って行く貴乃花を弟子の親はどう見るか。斯くの事態になれば自分を信頼して子どもを預けてくれた親に顔向けできない。親方(経営者)の責任で弟子(社員)を路頭に迷わせることになったからには、弟子たちの親にも謝罪は必要である。理想家(ロマンチスト)が失脚するのは歴史が教える。彼らの多くは地道の対極にあった。
貴乃花親方の退職理由は種々あろうが、始まりは貴乃花自身の貴乃花一門離脱である。機を見て敏なり、協会による貴乃花への兵糧攻めが始まった。兵糧なくして部屋の維持はできない、運営もできない。協会は今年7月、すべての年寄が5つの一門への所属を義務とする決議をしたのは誰が見ても貴乃花締め出しの兵糧攻め作戦。後は無所属貴乃花に対して門を閉ざせばいい。
実際そのような形になり、貴乃花はどの一門にも入れなくなってしまった。「一兵卒でスタート」とはいったものの、力士の数に応じて支給される協会からの助成金が入らない形では部屋の存続は不可能である。財団法人としての閉鎖的な体質は法的にも問題ありと指摘する弁護士もいるが、協会は「親方個人に支給される運営補助金の使い道の透明化」を理由に挙げている。
「公益財団法人として個人の(使途)把握は難しい」とし、昨今の大相撲の不祥事も踏まえ、「協会としてガバナンス強化が問われている。一門にそのガバナンスの一端を担ってもらうため」(芝田山広報部長)と説明する。理屈はともかく、貴乃花親方と貴乃花部屋潰しといわれようが素知らぬ顔を貫く。「銭を貰うものが協会に弓を引くとは何事か!」の論理は明白である。
これで万策尽きたも同然だ。元兄弟子の貴闘力はいう。「理事にするための集合団体みたいなもん。そこに対して結束力とか、一部屋総当たり制になっているわけだから、こういうことはする必要ない。100人ぐらいの組織で統制が取れないってアホでしょ。内閣府から5つの一門にしなさいって通達が来ているとかいう話を聞いたが、そんなんあり得ないですよ」と指摘した。
協会は28日、「5つの一門全てが(貴乃花親方を)受け入れる用意があった」とメディアに伝えた。貴乃花が退職完了を待っての発言は卑怯の極みである。貴乃花問題で内閣府から呼び出しがかからぬようにとの思惑もあろうが、これはあんまりだ。人間ここまでされたら人格崩壊するだろう。貴乃花は生きていれるのか?総身に知恵なき連中はこれほど卑怯で卑劣だった。
平成の大横綱は土俵の上では活躍した。人気もあった。しかし、協会の役員として歩調が合わなかった。土俵の上なら歯向かう相手、反りの合わぬ相手は投げ飛ばせばいいが、スーツではそうもいかない。それでも平成の大横綱は出る杭であり続けようとした。遅かれ貴乃花時代は必ず来るのだから時期を待てばよかったのに、彼の若さとプライド、人気がそれをさせなかった。
彼は歴史から学ぶべきだった。特に家康から…。勝負師たる彼は言い訳はしないが愚痴は多い。自分の置かれた境遇に愚痴を言うのは、同じ立場・境遇の人間の悪口を言ってると同じで、好かれることも信頼されることもない。人気横綱故ゆえにメディア受けもよく、テレビで協会の内を暴露したのも失敗だった。世論を味方につけても協会内で孤立を加速させては生きていけない。