突然の引退、親方廃業、残されたのは弟子、かくして平成の大横綱は終焉せり。協会への恨みつらみ会見には、感動的の「か」の字も沸かない。あれが貴乃花という人間の貴乃花的生き方というなら我々は黙って貴乃花を眺めるしかない。黙って眺めることはできても心に種々を感じるのが人間である。自分は貴乃花をどう見た?相撲協会をどう見たのか?その思いを言葉にする。
貴乃花親方の突然の廃業は、かつて同部屋の兄弟子で、引退後も昵懇であった元関脇貴闘力にとっても寝耳に水だったらしい。テレビでそう公言した。断絶中の実兄花田氏も驚きを隠せなかったようだ。貴乃花親方は弟子の暴力騒動が発端となり、協会役員を解任されて以降、協会内で孤立無援状態だったというが、25日に急遽引退会見を行ったのはそれなりの理由があるという。
その理由とは、25日の番付編成会議と27日の年寄総会出席を避けるためといわれている。年寄総会に出席せねばならない貴乃花親方だが、年寄総会では親方が内閣府に提出した告発状が議題のひとつになる予定だったという。この問題については3月場所終了後の年寄総会においても散々つるし上げを食らった貴乃花親方だったが、気丈にも最後まで自分の非を認めなかった。
協会の親方衆にとって、自分たちの生活圏を脅かす貴乃花親方の言動は許せない存在で、総会で再度つるし上げを食らうのは分かり切ったこと。しかも親方は審判部所属のために出席義務がある総会前日の番付編成会議において、包囲網を敷く親方たちと数時間もの間、顔を突き合わせなければならない。これはプライドの高い貴乃花親方にとっては我慢のできないことだ。
そうした憶測から急遽しつらえた25日の引退会見といわれた。そのあたりを察知したのか協会の芝田山広報部長も、「貴乃花親方は退職届を出すべきで引退届は受理していない。よって番付編成会議には出席義務がある」と、これはいじめとしか言いようのない追い打ちだ。貴乃花は両日ともに欠席、あたらに退職届と千賀ノ浦部屋への弟子転籍に関する書類を代理人が提出した。
貴乃花親方自らが姿を見せず、代理人が受け付けに書類を置くのみという手法に、いつもは甘い笑顔の芝田山部長もぶちきれた。「あれだけの大横綱。しっかりケジメをつけてもらいたい。彼のこれからの人生のためにもきちっとしないと」と声を荒らげた。書類も重要だが、大事なのは仁義。まずは八角理事長に願い出るのが筋とし、貴乃花親方に対し、協会に来るよう命じた。
「告発状は事実無根」とする協会に対し、「真実を曲げて告発は事実無根だと認めることはわたしにはできない」と貴乃花はいうが、これは言った、言わないの水掛け論である。ただ、こうなる以前に親方は告発状について協会に、「認識が違っている部分があれば教えて欲しい」と注文を出し、それに対する協会の「事実無根」である。協会は八百長問題のときもこう突っぱねた。
貴乃花親方の告発状の中身は内閣府の関係者がいうところでは、言い掛かり、イチャモン、こじつけのオンパレードだったらしく、「部屋で暴力事件を起こしていた春日野親方(元関脇栃乃和歌)に理事の資格はないと指弾し、貴乃花親方が落選した理事候補選の選挙方法にも問題があるとし、記名式の投票は公益財団法人としていかがなものかと主張している」と語っている。
理事候補選についてある親方はこう指摘する。「前回の理事候補選は理事にふさわしいと思う親方の名前を記入する方式で行われた。貴乃花にすれば、筆跡で誰がどの親方に投票したのか分かってしまう。自分の名前を書けば執行部に目を付けられるのを怖れて票が集まらなかったと言いたいのでしょう。貴乃花にすれば選挙で親貴乃花の裏切り者をあぶり出す目論見があった。
ところが、フタを開けてみれば獲得票は自身も含めてたったの2票。ほとんど全員に裏切られていた。春日野批判にいたっては、どのクチが言うかと言いたくなる。貴斗志裁判の裁判記録には、貴乃花自身が付け人を殴ったと書かれている。後に貴公俊が付け人を殴ったことが明るみに出て告発状を取り下げたものの、自分のことは棚に上げた完全なイチャモンですよ」。
貴斗志裁判とは、2014年10月18日の朝稽古中に幕下貴斗志が貴乃花親方から、「不良みたいな態度を取りやがって。荷物をまとめて出ていけ」などと怒鳴られ、部屋から追い出された。 貴乃花親方は元貴斗志について、「起伏の激しく、精神が乱れることが多々あった」、「やる気がなく、力士の模範とならず更生も望めない」と判断し、同20日に引退届を提出した。
裁判記録で浮き彫りになったのが貴乃花部屋内の暴力問題。貴斗志は、09年初場所でともに初土俵を踏んだ同期で、当時すでに幕内の関取だった貴ノ岩と暴力騒ぎを起こしている。元貴斗志の主張によると、14年4月に番付上位の貴ノ岩が、「お前、挨拶もしないのか」と絡んできたため、「すみません」と謝ると、「お前何様のつもりだ」と平手で3発殴られたという。
とことが貴ノ岩は法廷で、「貴斗志が『あんたの若い衆(付き人)ではない』と殴りかかってきて、喧嘩ではなく一方的に暴力をふるわれたのが真実」と反論している。貴斗志は、「格上である関取に手を出してしまったことでのけじめが必要」と一旦は引退の意向を示し、断髪式も予定されたが、相撲への強い思いから撤回。その半年後に師匠から追放されたことになる。
かつて貴ノ岩の付き人で14年名古屋場所を最後に引退した貴翔馬も以下の証言をした。「貴ノ岩関は私には暴力を振るうことはなかったが、他の力士には先輩、後輩関係なしに暴力を振るったり、新弟子時代から先輩力士に対して聞く耳を持たなかったり、いじめていたのはよく知っています」。日馬富士の被害者貴ノ岩が、実は部屋内では毎日のように暴行を振るっていた。
貴乃花親方は貴斗志が引退に至った経緯について、「貴ノ岩の印鑑を使って、協会の経理に巡業手当を取りに行き、そのまま着服していたため」と証言。「(貴斗志に)問いただしたところ答えないので、『答えないではすまないぞ』と言いました。彼はそのあと部屋を出て行きました」と説明している。ところが貴乃花親方は、元弟子の貴斗志から訴えを起こされた。
その際、このように述べたという。「ウチを辞めていったオキ(元貴斗志)が裁判をかけてきている。あいつはカネをふんだくりたくて、裁判をかけてきてるんだ。同じ釜の飯を食った仲間なのに。そんなヤツに俺は負けるわけにいかない。若い衆、力を貸してくれ。証言してくれ。オキの悪いところを知っているやつは全部俺に教えろ」と力士たちに協力を求めたという。