昨日は広島カープの三連覇で、選手もファンも大騒ぎの広島の街だが、135試合目にしての長い道のりでの優勝だった。長いといえば長いが、それだけファンもヤキモキ、一喜一憂させられる、それがまたファンにとって、選手にとってのプロ野球である。それに比べて大相撲の15日はあっけない。場所が始まったと思えば、「え?もう千秋楽?」と、わずか2週間の決着である。
大相撲人気とプロ野球人気が異質なのは、個人とチームの違いもあるが、数年前には八百長問題や力士の野球賭博問題でテレビ中継中止という陰りもあった。それにもめげず相撲人気が回復した理由の一つは、貴乃花親方が打ち出したサポーター制導入など、これまで相撲界では敬遠されがちだった積極的なファンサービスなど、「親しみやすい相撲」を作り出していったこともある。
取り組みが行われる会場には以前にはなかった、たこ焼きやおでん、ピザなどの売店が次々と並び、プロ野球スタジアムのようなビールの売り子も登場した。また、横綱に赤ちゃんを抱っこしてもらえるという「特典付きチケット」が販売されるなど、新企画も続々と投入され、Twitter、Facebook、LINEといったSNSにおいても相撲に関する情報が発信されるようになった。
そうしたソーシャルメディアの影響もあって、ジジ・ババ人気の相撲から若者の相撲人気も高まったが、なんといっても、若乃花・貴乃花時代は忘れることができない。兄弟力士といえば逆鉾と寺尾も人気があったが、やはり兄弟横綱には及ばない。極めつけは平成7年11月場所の二人の優勝決定戦である。なかなか実現しない取り組みがリアルに起こって大騒ぎとなった。
それから5年後の平成12年3月場所、5日目に栃東戦で敗れて2勝3敗となり引退を発表する。若乃花は引退後年寄藤島を襲名し、当初は後進の育成に専念するような発言をしていたが、引退相撲を終えて間もない2000年12月18日に突如日本相撲協会を退職、29歳だった。貴乃花は兄引退の3年後の2003年1月場所の9日目に引退を決める。引退後は一代年寄貴乃花を襲名する。
引退から二年後、貴乃花は協会運営などに関する持論をメディアで繰り返し発言し、その挙動が連日マスコミを連日にぎわせたことで相撲協会内との確執が表面化した。見かねた役員全員が口頭で貴乃花を厳重注意し、この時ばかりは本人も頭を下げている。 やはり改革は内部からと決断したのか、2010年1月場所後に行われる理事選に急遽立候補することを表明した。
2月の相撲協会理事選挙は10人の改選で、5つある一門ごとに理事候補を調整し、無投票で決定するのが慣例であった。貴乃花所属の二所ノ関一門は既に現職理事の放駒と二所ノ関のほか、新人の鳴戸が立候補を予定し、これに貴乃花が加われば4名となる。前例のない事態に二所ノ関一門は候補者選定会議を開き、4人の中で最年少であった貴乃花に立候補を断念させる方針に傾く。
ところが貴乃花親方は2010年1月8日に一門を離脱し単独で理事選に出馬することを正式に表明した。これを一部マスコミでは、「貴の乱」と称した。さらに2010年1月17日の1月場所8日目、6年半振りに大相撲中継で正面解説を務めた貴乃花は、テレビの前で理事選立候補の所信を表明した。 なりふり構わぬ貴乃花の行動に対し、二所ノ関一門は同年1月19日に緊急会合を開いた。
そこで下された結論は、貴乃花を支持する間垣、阿武松、大嶽、二子山、音羽山、常盤山の親方6人および間垣部屋、阿武松部屋、大嶽部屋の3部屋は事実上破門された。既に一門からの離脱を表明していた貴乃花親方と貴乃花部屋に対しても、同様の措置が執られた。同時に二所ノ関一門からは現職の放駒と二所ノ関のみが立候補し、鳴戸は立候補を断念せざるを得なくなった。
4期(8年)ぶりに評議員の投票で、11人が10の理事を争う形になったことを受け、武蔵川理事長はこの騒動を厳しく批判した。貴乃花の固めた票は上記7親方の票だけで当選ラインの10票まで届いていないために苦戦が予想された。2月1日の理事選の投開票では落選という予想に反し、上記7親方の票以外にも他の一門から3票の上積みがあり、10票を得て当選した。落選は大島親方だった。
新理事会の結果、理事長は武蔵川親方の続投となるも、相撲界にも新しい波の到来かと期待もあり、その旗手としての貴乃花親方を、一部のマスメディアは「相撲協会の革命児」と報道している。 貴乃花とその支持派閥は暫くの間、マスメディアで「貴乃花派」、「貴乃花グループ」と呼ばれる派閥を形成し、合同で稽古を行うなど一門に準じた形態で行動していた。
協会としてもこの状態を放置しては、貴乃花いじめとメディアが騒ぎ立てるばかりで、それを懸念してか2014年度より他の一門と同じく協会から助成金を支給される待遇を得たことを契機に、同年5月23日から正式に「貴乃花一門」となった。これによって、これまで5つの頑なな一門構成が1つ増えることになる。これを機に貴乃花は理事とは一線を画し、独自の主張を繰り返していく。
2010年7月4日に行われた臨時理事会では、大関・琴光喜が野球賭博に関与して解雇処分になったことを不服として、貴乃花親方は処分軽減ならびに現役続行を強く訴えたが、外部理事からの反発で却下された。また、理事選にて自身を支持した阿武松の弟子と床山、それに大嶽が野球賭博に関与して処分の対象となったことも背景にあり、貴乃花親方は理事の退職願を提出した。
これは保留扱いとなり受理はされなかった。その後、貴乃花親方は部屋の朝稽古を見た後に退職を撤回した。男の一言を翻したことで協会内からの批判はあった。このあたりのところを見ても貴乃花親方の性格が読み取れる。敵と味方を明確に区別し、感情の起伏が激しく一時的に盲目になってしまう。他人のために尽くす蓑をかぶり実は自己の保身優先でこれを「男気」といわない。
この時の貴乃花は、「(退職願を提出した事実に関しては)何もお話しすることはありません」と明言を避け、「弟子の育成のことが常に頭にあります」と協会に残留する意向を示した。思い立ったら吉日が如くの感情的に振る舞い、冷静になると前言を翻す行為は、男としては見っともない。二所ノ関理事(元関脇金剛)は、協会内部を代表してか、辛らつに貴乃花を批判する。
「とんでもなく無責任すぎる。あれだけ立派なことを言ったのに。誰が見てもおかしい。何のために理事になったのかね」。二所ノ関一門を離脱し、「改革」を掲げて当選した貴乃花理事の今回の行動に対し、残留という形で矛を収めたものの、貴乃花への不信感は免れない。一匹狼を気取ってみても、こんなことでは協会内での立場は厳しいものとなるのは当然であろう。
大きな志を掲げて進む人間というのは、その信念を疑われるようなものがいささかも虚偽でなきよう振舞わねば不信は増す。三島由紀夫の言葉を借りるなら、「行動の美はあくまでも孤独に関係する。男の美が悲劇性にしかないことが確実なのは、行動というものが最終的には命を駆ける瞬間にだけ煮詰められることと関係している」。三島は最終的に、「一回性」に辿り着く。
我々の人生とは、うつろいゆく時間から成り立っており、何ひとつ再び戻ってくることはない。己の口から吐いたことを翻すのは、時間の経過に逆らい過去に戻ること。このようなことを繰り返す人間に、その時その場の責任感などあり得ない。よくよく考えないで発言・行為するバカならともかく、明晰なる男子は不動の信念を軸にあらゆる、「一回性」を生きねばならない。