「自由恋愛」という言葉がある。考えようによってはおかしな言葉で、人は誰もが自由に恋愛するのではないのか?強制的に結婚させられることはあっても、強制的に恋愛をしろといっても無理というもの。なぜに、「自由恋愛」という言葉が存在するのかを紐解くと、「自由恋愛」とは男女が互いの意思で恋愛することがよくないとされた時代に用いられた語句である。
現代人にはピンとこないだろうが、かつては男女の恋愛に関して封建的な制約があった。戦前の家父長制度下においては結婚相手の選択権も決定権も親が握っていた故に自由な恋愛は許されなかった。親同士が勝手に決めて、結婚式当日まで本人は顔を見たこともない結婚もあった。こんにちのように自由に恋愛して結婚相手を自分で見つけるなどとんでもない時代である。
不思議な時代だが、それが当たり前としてまかり通っていた。そういう時代だからこそ、「自由恋愛」という言葉が生まれ、親の反対を押し切って二人の気持ちだけでする結婚を、「自由結婚」といった。まだ、「恋愛結婚」という言葉がなかった時代である。愛情にもとづかない結婚に異を唱え、親の決めた結婚相手と挙式はしたものの、指一本触れさせずに逃げた女性がいる。
彼女の名は伊藤野枝。野枝は家父長制度時代に恋愛結婚を遂げた勇気ある女性である。明治時代に恋愛結婚の事例は北村透谷ら、あるにはあったが野枝の場合は単に「恋愛から結婚へ」という成り行きを辿ったというより、思想的な確信のもとに「体制」の圧力や妨害や親族らの罵倒などの激しい闘争が敢行され、当時の「自由結婚是非論」の渦中に立った女性である。
野枝は親の決めた相手の家から挙式直後に脱出し、女学校時代の恩師辻潤の元に逃げ帰る。この騒ぎで辻は学校を辞職、野枝と結婚する。辻は野枝と昼夜を問わず情交を重ねたと回想しているが、二人の婚姻は続かなかった。野枝は自由結婚を失敗とし、1917年9月の『婦人公論』に、『自由意志による結婚の破滅』と題する論文を掲載した。書き出しは以下の内容である。
「破滅ということは否定ではない。否定の理由にもならない。私は最初にこの事を断っておきたい。不純と不潔をたたえた沈滞の完全よりははるかに清く、完全に導く」。保守反動の輩は、「それ見たことか」と、自由結婚の破滅を野枝の敗北とみず、自由結婚そのものの当然における敗北といいたてた。昨今の離婚ブームにも同じ論調があり、同じ批判がなされている。
他人の恋愛も、悲恋も、結婚も、離婚も、それぞれに千差万別の理由があり、性急に非難すべきものではないが、評論家気取りのタレントが分かったように批評するご時世で、そういった悪口罵倒を面白がる視聴者で番組は成り立っている。野枝はこうした思慮なき野次馬世評への抗議を辛らつに述べている。頭の良い彼女らしい、まこと一読に値する説得力ある文面である。
最後に野枝は、自己弁護や言い訳に終始することなく自己断罪も忘れない。「私は自分の失敗に対しては、自分の不用意に責任を持たなければならないと思っている。それはほとんど、全てといっていいくらいに、私の心持や行為と、私の根本思想や態度との矛盾に対しての判断がはっきりしなかったためである。私は、自分の失敗から、これだけの結論を受け取った。」
野枝から湧き上がるのは、自己の意思と真の愛情を大事にし、それを妨げるものと闘った自由結婚者として我慢できない相手から逃走する勇敢さも分かろう。当時の多くの女性が自身の意思を無視、あるいは否定されて押し付けられた結婚にも従順でしかなかった弱さは、我慢すらでき難い夫の元でも従順であり続ける。統計上、離婚が少ないのはこうした理由もあろう。
「私は私の恋愛には成功した。私は朝夕を愛人と共にする事が出来た。二人いれば、どのような苦しみもさほどには感じなかった。私達は本当に幸福であった。私達の生活の全部が、愛で完全に保たれた。けれど、それは夢の間だった」。彼女のこうした正直な告白も、失敗の陰に隠されるものでもない。結果が悪くても過程において満ち足りた日々はあったのである。
離婚したからとすべて一切が否定されるものではない。「破滅は否定ではない」と、冒頭に野枝も述べている。自由結婚における野枝の最初の誤算は、彼女は辻潤と結婚しただけのつもりだが、実態は辻家の嫁になっていた事。彼女はこう記している。「そこには姑も小姑もいた。私達とはまるで違った思想、違った趣味、違った性格をもった、私にとってあかの他人がいた」。
無理もなかろう、当時彼女は女学校卒業したばかりの17歳である。いかに才媛とはいっても社会体験は未熟である。彼女は自分の親とは闘えたが、姑や小姑など「あかの他人」に囲まれた辻家では闘えず、さぞやいびられたことだろうが、飛び出すこともできなかった。辻家を出ることは辻と別れを意味し、せっかくの自由結婚を放棄することになる。野枝は耐えたが力尽きた。
最終的に彼女は大杉栄と結婚するが、死ぬまで大杉野枝になることはなかった。彼女が選んだ同棲という形態は、失敗から学んだ結論の実行であろう。その点はフランスのボーボワールと同じ思想を抱いておたことになる。こんにちのように、結婚が自由なものであるなら、離婚もまた自由なものでなければならない。「自由とは壊れることを認めること」と先に述べた。
古いものを壊して新しいものを生み出すのも自由な発想である。コペルニクスやニュートンやアインシュタインがそうであったように、古いものを壊す自由は誰にも止められない。もしも今、真理があるとしてもそれは暫定的なものである可能性が高い。これまで真理とされたものがどれだけ覆されたことか。となれば、真理は真理として通用している仮定でしかない。
いつひっくり返るか分からない、そんな頼りないものにまともに取り組むことなどできない。我々の、「知る力」には限りがあるのは誰もが認めるところ。「今はそうだが、いつかはなくなる」、そんな普遍的な真理とされる一切が、思い込みの産物の可能性もある。「知る力」を無限に発揮させて真理を手繰り寄せればいいが、足りない「知る力」を補うものが仮定である。
世の中には仮定となったままで止まっているもの、保留されたものは多いが、やがては仮定の域を脱することになろう。人間の歴史は戦いの歴史である。戦いといっても土地の奪い合いや戦争に限らず、人間を脅かす病原菌や疾病を撲滅する戦いに勝利してきた。そして今、人類を脅かす最大の敵である癌と格闘中だが、必ずや癌を撲滅するであろう事を信じて疑わない。