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親子とは何か? ②

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日本人の意識構造は住居環境が大きく関わっていると和辻哲郎はいう。ならば親子関係にも影響はあろう。近年はどこか旅に出向いても、古い旅館に泊まらぬかぎりお目にかからなくなった襖について和辻はこう述べる。「襖は、それを"へだて"として使用する人々が、それを"へだて"として相互に尊重し合うときにのみ、"へだて"としての役割を果たす"へだて"である。」

なるほど。ことはそれだけにとどまらない。つまり、部屋の中に人が居り、襖が閉ざしてあるときは、ある場合は「入ってくれるな」、ある場合は入るときには「合図をしてから」という意思表示である。あるいは風よけたらめだけで、何のへだても意味していない場合もある。内側で誰かのヒソヒソ話が聞こえれば、「聞いてはならぬ」という意味である。それが襖というもの。

西洋の家屋に比べて完全なプライバシーが保たれてはいないが、それでも襖はプライバシーの役割を果たすものでもある。完璧なプライバシーを保てる部屋にすればいいものだが、それをしない日本人の、「察しと思いやりによる相互理解」という文化が生まれた。別の観点でいえば何事も曖昧にする日本人気質も、こうした居住空間からもたらされたといえなくもない。

子どものころに、襖から漏れる両親の会話や、あの声などを聴いた子どもはおそらくいるはずだ。思い出すのは実家の隣のNという同級生の女がこんな風にいっていたこと。「〇〇ちゃん聞いてくれる?うちの〇〇(末の妹)が夜中に、聞いて聞いていうから何かと思ったら、『今お母さんがエッチな声出してる』とかいうのよ。あの子はホントにどうしようもない」。

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Nは三人姉妹の次女。長女は絵にかいたような落ち着いた優等生タイプ。二級上なのにずいぶんお姉さんに感じられた。三級下の三女は愛らしく憎めないユニークなキャラで、屋根伝いに窓から自分の部屋に遊びに来るような子。ただただそれだけなのに、自分の母は勘違いをして、隣の親に文句をいっていた。そんな母の行為に、「バカじゃないの?」と二人は笑った。

文化は家屋や生活からも作られる。民族はまた個々の生活や言語を有し、それが民族として文化の基になっていく。佐藤真知子氏の、『日本育ちでない日本人の子供が見た日本』には、彼女らが外国の現地校に初めて入ったときの戸惑いやいじめ、現地語に慣れて友達ができ始めたときの喜び、帰国後、日本の学校へ再編入したときの逆カルチャーショック体験などが味わえる。

日本人の形式主義的な文化を改めて知るが、いかにも日本人的というくだりは以下の記述である。「娘たちが転校生として日本の学校に初登校した始業式の日。まずは職員室によばれ、副校長が居並ぶ先生の前で娘二人を紹介。大勢の先生の視線を浴びて二人は上気する。されにはクラスの教壇で、自分で名をいい、「どうぞよろしく」のいわゆる転校生としての儀式がある。

その際教師からは、「声が小さすぎて全員に聞こえない。やり直し」と声がかかる。この教師は、はきはきとしたクラス作りを目標に掲げているのだろう。二人は家に帰ってこういった。「あんないやなことはなかった。あんなことしなくたって、だんだんと他の生徒にもわかってくるのに…」。転校生や転任の先生に対してこんな儀式めいたことは外国にはありません。

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娘たちは日本の学校環境のなかでは、自分の意志で行動するより、学校の管理体制の糸で操り人形のように動かされることに閉口した。日本を脱出してオーストラリアに戻るときに二人の娘は、「もう二度と日本などには来ない」と囁く。子どもたちにこんな風に感じさせる日本社会の構造因子はなんなのか、管理主義から得るものは一体何?責任を取ることにビビる日本人?

先に述べたが、血縁による先験的な愛情は迷信である。血縁関係は共通の遺伝子を有すことで同じ特技を持っていたり、姿形が似る傾向はあるが、固定的なものではなく、流動的で常に変化していくもの。深まる関係もあれば絶縁もある。親子は互いが成長し、変革させていく関係でもある。以下はある作家が生き別れになった実の母について自伝的に書いたもの。
           
「私が彼女のことを実の母でないと知ったのは、郷里の実家に帰ってからでした。毎日の折檻やいじめを受ける私を憐れんで近所のおばさんたちは、時に慰めの言葉をかけてくれた。「あんたもさぞや本当のお母さんが恋しかろう」というのだが、その意味がよく分からないでいた。不思議とどんなに辛く悲しい時でさえ、実の母を恋しがったことは一度たりともなかった。

懐かしがろうにも、私には実母の記憶がまるでなかったからだ。小学4年生のころ、生母はときたま学校に会いにくるようになる。が、私はそれが迷惑で仕方がなかった。なぜなら、生母に会うことは父や継母から厳しく禁じられ、背いたら腕をへし折るとか家を追い出すとか脅かされていたからだ。それでも恋しい母なら脅しにひるまず内緒で逢って喜びを噛みしめたであろう。

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それもなかったことで、私は無理やり会いにくる生母を恨んだ。腕を折られたり家を追い出されたりの恐ろしい材料を押し付けにくるとしか感じなかった」。なるほど、ありがちな体験である。実母・生母が何かを当の作家は述べているが、単に罰を与えられるから嫌だったとはいえ、本当に恋しい母なら何をおいても会いたいものだから、生母に恋しさがなかったようだ。

血のつながりなど関係ない。生母との接触は小・中・高と続いたが、迷惑と思いながらも無碍に断ることができなかった。それは単に言い出しにくいというだけで、配慮でもなんでもなかったようだ。観念で実母と思うことはあっても、心で「母」を感じることはなかったという。いきなり知らないおばさんから、「あなたの実の母ですよ」といわれても、キョトンである。

「母もの映画」というのは、母性愛の美しさを強調される。母性は無条件にて無償のものであるがゆえに感動的であり美しいとされている。頑なに信じられていた「母性愛」や「母性本能」が女性だけの遺伝的特徴であるというのは、科学的に証明されておらず、将来的にも証明されることはないであろう。なぜなら、「母性本能」とは「学習行動」であって本能行動ではない。

哺乳動物においては科学で判明した本能機能として、「子供を可愛いと感じる遺伝子」が発見されている。これが母性本能の正体ではないかと考えられているが、この遺伝子は男女を問わず両方に存在する。と同時にそれは、「父性行動の動因」でもある。愛情というのは、我々が共同に生き合っていく具体的な人間関係のなかから、自覚的な感情として形成されるもの。

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本能の中から生じる感情は、見かけ的にどんなに愛情に似ていようとも、愛情とはいいがたいものである。性欲に突き動かされて本能を満たしたいためだけの気持ちで異性を求めるのも恋愛とは言わないようにだ。人間の自覚というのは時に都合の良いように自身に認識され、そういった思い込みは他者から否定されても無駄であり、自己に正しく向き合うことも難しい。

親子に限らず、友情であれ、恋愛であれ、師弟や同志において、それらが愛情である限りはそれが生まれるための条件があり、育つためにはそれなりの法則がある。だから、か条件を失わぬよう努力し合うもの。ところが、親子の愛情は決して無条件的なものではないことを知ってか知らずか、愛情関係の土台を踏みにじるような行為が、多くの悲劇を生んでしまった。

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