母とは何?父とは何?こどもとは何?と続いてみると、「親子とは何か?」も必然であろう。考えるのは論理的に頭を働かせることだから、結論の有無にこだわらない。筋道立てて知的に分析し、客観的に判断することで得られるもの、それが「考える」という作業であって、「思う」とは異なる。「思う」は、突発的・瞬間的な心の変化や感じ方を率直に伝える時に使う。
「親子についてどう思う?」と聞かれて、「自分はこう思う」と即答できるのが、「思う」の気楽さである。他者の論や知識を基に深く思考するのを、「脳トレ」などの造語が示すスポーツのようなもので、体力とは違って思考力が必要となる。目の前にある事実は一つであれ、見方を変えることで結論も変わる。ある種の結論をまとめたつもりでも年齢や成長とともに変わる。
一口に、「思考」といっても、根本が違えば導かれる結論も変わってくる。「存在論」や「認識論」などを持ちだせばそれこそ念仏の世界となり、馬の耳を持つ我々には馴染めない。難しい専門用語を駆使したブログもあるが、宗教も哲学も突き詰めれば難解となり、「ひょい」と棚からぼたもち程度ならさらりと読めて、宗教や哲学のご利益に与ることにもなる。
親と子の問題を語るときにすぐに浮かぶは芥川龍之介の以下の警句。「人生の悲劇は親子になったことに始まる」。小津安二郎の『一人息子』の冒頭に取り上げられたことでこのブログにも書いたが、親子関係の始まりそのものの中に人生の悲劇の始まりを見るなどというのは、容易ならざる言葉であろう。この警句の意味がどれだけ複雑な内容を含んでいるか見当もつかない。
が、悲劇の意味はいろいろあるくらいは思考できる。人生そのものが悲劇であるかないかはともかく、我々の人生は例外なく親子の関係から始まることになる。厭わしい親であろうと、好ましい親であろうと、親との関係からしか始まりようがない。生まれてすぐに親に捨てられ、親とは無関係になろうとも、「親に捨てられた」という関係の中からその子の人生は始まるのだ。
親子には血のつながった親子、そうでない親子、実子を非嫡子と誤解した山崎豊子の『華麗なる一族』悲劇もある。親子の血に絡む悲劇は、小説、映画の題材となる。子を捨てた母がある日突然現れ、「私があなたの実の母よ」といったとする。そんな母に息子は感涙するだろうか?そんなのあり得ない。ほとんどの場合、「今更なに母親づらしてるんだ!」であろう。
こどもを捨てて去っていった母親に対する当然の報いであろう。思慮ない母親を描くからドラマ性の面白さがあるのだろうが、子どもを置き去った父親が同じようにぬけぬけと、「お前の本当の父だ」などの場面は想像できない。これは思慮の問題というだけではなかろう。父と母の本質的な違いと考えられる。単に子種を撒いただけの父と、腹を痛めて生んだ母のちがいかと。
親と子が何らかの理由で引き裂かれていたとして、親にとって耐えがたいのは母親ではなかろうか?気にもならない母もいるだろうが、一般論でいうのなら気になるならないは、非情というより性格的なものかなと。「岸壁の母」という言葉がある。映画にもなり歌にもなったが、言葉の意味も映画も歌も知らない世代が増えた。二葉百合子って誰?ということか?
「岸壁の母」とは、第二次世界大戦後にソ連による抑留から解放され、引揚船で帰ってくるであろう息子を待つ母親をマスコミ等が取り上げた呼称である。息子の生存と復員を信じて昭和25年(1950年)1月の引揚船初入港から以後6年間、ソ連ナホトカ港からの引揚船が入港する度に舞鶴の岸壁に立つ未帰還兵の母端野いせがモデル。いせは後に『未帰還兵の母』を発表した。
「人生の悲劇は親子になったことに始まる」について時々の年代ごとに考え、時々の答えを出してみた。最終的な結論としての親子の悲劇とは、互いが他人でないというところから起こるものということだ。当たり前のことがなかなか結論されなかったのは、親子が肉親であるというのが盲点になっていた。「親子」や「兄弟」の争いは、「血の醜さ」と言われたりする。
「兄弟は他人の始まり」というように、血肉を分けた熾烈な争いは他人の比ではない。最近、長嶋家(長嶋茂雄を父とする)のことがいろいろ取り沙汰されているが、少し前は若貴兄弟のこともあったが、世俗ではそんな話は腐るほどある。兄弟はともかく、「親子の愛情とは血とは無関係」である。「血は濃い」などというが、親子の本能的な愛情に寄与することはない。
なぜなら、他人同士の間の愛情の場合は、離婚した夫婦の例においても、友情だとか恋愛とかにおいても、愛し合えるだけの条件が失われた時には解消してしまうのが一般的だ。ところが親子間の愛情は、親子であるという関係そのものが愛情の土台と信じられている。だからか、友人に母との確執を述べても、「親子でそんなにいがみ合わないで仲良くしろよ」などという。
平和な家庭環境の人間にとっては、親子がいがみ合うこと自体が異常らしい。体験しないものには何も分からないというのがよく分かった。親子は愛情で結ばれる関係である。こんにちのような情報社会になれば、50年前とは多少は違い、いや大いに違っているような、親子や兄弟の確執は報道もされたりで、何ら珍しいものではなくなった。尊属殺人も多発している。
子が親を殺めるのは何事か?と、尊属殺人は一般殺人より刑罰が重かったが、それも改訂された。他人を殺す場合に比べて、子が親を殺すなどは余程の情状があろうという人道的な判断をされるようになった。子の親殺し、親の子殺しは多分にそういうものである。苦慮に苦慮、耐えに耐えとの事情から発生するもので、近年の尊属殺人は大いに酌量の余地がある。
したがって、「人生の悲劇は親子になったことに始まる」というのを、「親子の悲劇は互いが他人ではないところから起こる」としていいのではないか。実の母と思って育てられたが違っていた。「自分の本当の母は何処の誰なのか?今は何処にいるのか?恋しい母よ…」そんな風にはならない。気にならないといえばウソになろうが、思い悩むことなどない。
『瞼(まぶた)の母』という歌がある。今は耳にすることはないが、子どものころはよく流れていた。題材は戯曲からとられ、「番場の忠太郎」といえば思い当たる世代もいよう。番場の忠太郎は30歳すぎの旅姿の博徒。番場の旅籠屋「おきなが屋忠兵衛」に生まれるが5歳で母のおはまと別れ、12歳で父も死去。以後やくざの世界に生きるが、母恋しさに博打で貯めた百両を懐に江戸へ行く。