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親族旅行

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旅行とは旅に行くと書くが、旅の分類にはさまざまある。なぜなら旅とは、「定まった地を離れて、ひととき他の土地(場所)へゆくこと。大辞泉には、「住んでいる所を離れて、よその土地を訪れること」とある。旅の歴史を遡れば、人類は狩猟採集時代から食糧を得るために旅をしていた。農耕が行われる時代になった後も、すべての人々が定住していたわけではない。

猟人、山人、漁師などは食糧採集のための旅を行っていた。 その後、宗教的な目的の旅がさかんに行われた時代があり、ヨーロッパでは4世紀ころには巡礼が始まり、日本でも観音信仰が盛んになった平安時代中期には、修験道や僧たちの修行としてはじまった。巡礼を一言でいえば自分自身をみつめ、再発見し、救済し、蘇生する旅といえる。巡礼には心得というものがある。

  ①不殺生(ふせっしょう)生き物を殺さない
  ②不偸盗(ふちゅうとう)盗みをしない
  ③不邪淫(ふじゃいん)邪淫しない
  ④不妄語(ふもうご)うそを言わない
  ⑤不綺語(ふきご)ことばを飾り立てない
  ⑥不悪口(ふあっこう)人の悪口をいわない
  ⑦不両舌(ふりょうぜつ)二枚舌をつかわない
  ⑧不繿貧(ふけんどん)貪欲であってはいけない
  ⑨不瞋恚(ふしんい)怒らない
  ⑩不邪見(ふじゃけん)誤った考え方をしない

上記は四国遍路における守るべき、「十善戒」というもの。宗教的素養のない自分にとって巡礼は無縁であり、「十善戒」なるものも初めて知った。①不殺生とあるが、蚊に食われても追い払うだけで殺してはいけないのだろうか。四国出身者で巡礼コースに居住していた知人がいうには、巡礼者を見かけると戸締りをし、居留守を使って立ち去るのを待ったという。

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「お遍路さんは迷惑?」と聞くと、「乞食遍路はね」という。「乞食遍路」とは、他人の善意やお接待を当てにする「心さもしい遍路」を指す。受けた接待を自慢げにブログに載せたり、遍路修業とはほど遠い。似非遍路には、「口毒遍路」(功徳を積む振りをし、道中で宿の悪口や寺院への不満、少しばかりの知識を振りかざすなど「周囲に口毒を撒き散らす遍路」)。

「無謀遍路」(気合だけで遍路を始める人で、準備も知識も不十分、軽率で周囲に心配を押しつけるタイプの遍路)。「Walker」(お遍路の装束も身に着けず、自分の都合で勝手にウォーキングしている方々)などがあるようだ。長い道中であるがゆえに、国内で最も安全な四国島内であっても、逆遍路側にとって、物乞い、たかり、付きまといなど、不快な場面に遭遇することもある。  

知識も何もない我々に比べて地元の人たちはこういうことを知っており、本物の遍路と似非遍路の見分けも付きにくいことから、関わらぬようにとも用心も分かる気もする。何処にも彼処にも色んな人間がいる世の中である。今回の親族旅行も車3台を繰り出し、大人9名、小人5名の大人数で、広島から高速と普通道を利用して2時間、「神石高原ティアルガルテン」が目的地。

「定まった地を離れて、ひととき他の土地(場所)へ行くこと」も旅なら旅行といえる。福山在の三女が企画した。名前も場所も初耳で、行けば行ったで、こんなところもあるのかである。標高700mの高原で辺りは緑一色のキャンプ地であるが、このクソ暑いのにコテージに冷房がないのに驚いたが、さらに驚いたのが朝夕の冷え冷え感で、厚めの布団をかけて寝ても風邪をひきそうだった。

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な、なんと気温は25度である。エアコン設定温度よりも低く、大人も小人も長袖は持参をしていず、「寒いから」との理由で花火をしなかったというように、それほどの気温であった。毎年8月には、「真夏の雪まつり」という人工雪を積もらせるイベントがあり、本年は4日、5日に行われたようだが、当日予約はかなり前から埋まっており、我々は7日、8日の宿泊だった。

「体が動けるときにできるだけ子どもたちと旅をしたい」という妻の発案から、恒例となった家族・親族旅行も、回を重ねている。自分は出不精だから遠距離に出回ったり、動いたりが好きではなく、助手席に乗っているだけでも気が進まない性向だが、こういうことも一生の一ページになるのだろう。なぜ旅行嫌いなのかを自分で上手く説明できない。

おそらく、定まった場所にじっとしていても、することに事欠かないのではないか?どこにも出かけないでも、退屈するなどあり得ない。趣味が旅行という人はアクティブ、読書や音楽鑑賞という人は非アクティブと分類できるのかも…。自分は、「趣味は思考(思索というほどでもない)」と冗談交じりに本気でいうくらいだから、じっとしていることに何の苦痛もない。

だからか、親族旅行の日取りを聞かされるときは仕方がなく従うというのが正直なところ。出不精人間の典型と我ながらに思う。昔は、「パジャマ党」といったものだ。一緒に出掛けて街でも歩きたいという彼女には、こういう彼氏で悪かったとは思う。新婚旅行ですら観光なしのフリープランでどこにも行かなかった。自分の徹底出不精を最も知るのが妻である。

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「身体が動けるうちは子どもや孫たちと…」という妻の言葉は、「何でそういうことをしたいんだ?」という自分の問いの答えである。大人数で自分が楽しいことといえば、「輪投げ」と「七並べ」で、輪投げは2万、1万、0.5万の賞金、7並べは1回200円の出資で6名で行った。ビリのみ100円追加で一位が総取りなので、勝てば1300円ゲット。自分は4度1位であった。

これを見ても、思考ゲームが好きなのが分かる。2時間のウォーキングより、遠距離の旅の方が何倍も疲れるのはどうしたことか。寺山修司が、『書を捨てよ 町へ出よう』という評論集を出版したのが1967年だった。これは寺山が、大学に入って病気になり、療養生活のあと快方に向かった頃に生きる「実感」を求めて読書三昧の生活から遠ざかろうと思いはじめた。

そしてそこには、それまでの豊富な読書体験から得たモデルがあった。それはアンドレ・ジッドの紀行的詩文集『地の糧』で、「書を捨てよ、町へ出よう」とは、そこに出てくる言葉なのである。果たして寺山はそれを実践したかのようで、実はその後も猛烈なる読書家であったのは、単に自身へのアンチテーゼであったということだ。「書を捨てる」という生の実在感は一行動であった。

イメージ 5本のタイトルの意味は終わりの方で、上記のよう明かされている。「書を捨てる」もいいが、「書を読む」必要もある。「町へ出る」のもいいが、出た後も「書を読む」時間はある。書を読み、体験を積むことで、旺盛な好奇心を絶やすことなく全人格的な成長を図るべきであろう。何がよく何がよくないというのは、個々の自己啓発法であり、鵜呑みにはしないことだ。
時代の流れに風化しない価値感を見失わないことも大事である。「反対したり論難するために読書するな、さりとて信じたり、そのまま受け入れたりのために読書するな。ただ思い考えるために読書せよ」とベーコンはいい、「読書しているときの自分の脳はすでに自分の活動場所ではない。他人の思想の戦場である」とショーペンハウエルはいった。どちらも、「なるほど」である。

「いつも馬に乗る人は歩くことを忘れる」という古語を今風にいえば、「車に乗る人は歩くことを怠る」となる。同じように、ただ読書だけで終わるなら、物知りにはなるが、自分の頭で物事を考えることを忘れ、豊かな生き生きとした心の持ち主になるには程遠い。読書も、他人の文章も、偉人の名言も、考えながら読み、聞きながら考えることが大事なのだろう。

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