武士社会は父親という存在が家庭の中で最も重要づけられていた時代であった。時代劇映画を見ながらなぜか美しいと感じていた。これは遥か昔のことなのか?封建時代が明治維新で終わり、近代においても第二次大戦で敗北するまでの日本社会においても、家長として父親は、慣習的にも法的な面においても、大きな権限を家庭の中でふるっていたのはつい80年前のこと。
家長としての父親の権威は日本の場合、社会における一つの単位としての家を担っていく者に与えられていた。つまり、社会の最小単位としての家と密接に結びついていたことになる。戦争に負て以降、父親が権威を失い続けている間、母親は家庭の中で権威を確立していたのだろうか。父親が失ったものを母親が得てきたのではなく、母親自身も心もとない不安にあった時代であろう。
フロイトが、「エディプス・コンプレックス」という考えを明らかにしたのは1900年で、その卓越した理論は、以後の深層心理学の領域のみならず、様々な分野に影響を与えたものの、精神分析学において父親は何がしか否定的な要因として考えられているようにも見える。他方、ユングの分析心理学で常に重要な役割を振り当てられたのは、「グレートマザー」が示す母親である。
二人の巨人が奇しくも、片や父親、片や母親と方向を別にしたのは二人の宗教観の違いもあったろう。フロイトはユダヤ教徒、ユングはプロテスタント牧師の家庭に生まれた。それはともかく、ユングは父親の問題を等閑りにした訳ではなく、分析心理学派たちの仕事におって、こと親の問題に関しては、主として母親や母性に主力が注がれ続けたのは相応の理由がある。
それは母親の有する養い育む側面と、破壊的な一面という相反する二つの側面の研究に重点をおかれたからである。ユングは父親の問題を著作の様々な箇所で述べてはいるが、まとまった父親論についての記述は少ない。1909年に発表した『個人の運命における父親の意義』と題した短い論文で、四人の患者の臨床を軸に子どもに及ぼす父親の影響について述べている。
この中でユングは、「父親の背後には父親の元型が存在しており、その元型こそが父親の子どもに対する影響力の秘密である。その力というのは渡り鳥が渡りをする力のようなもので、それは鳥が自分で自ら作り出した力なのではなく、その鳥に代々伝わった力なのである」と、このように父親の元型について述べているが、一体、父親の象徴するものとは何であろう。
父親の元型についてユングは母親と父親を対置して次のように述べている。「もっとも直接的な元型像はおそらく母である。母はあらゆる点においてもっとも近い、もっとも強力な体験で、母親として稀有の表層可能性をはらんだ、神話類型として体験される」。とし、中華思想でいう陰陽の陰を母と定義すれば、陽が父にあたるという解釈を唱えている。
ユングは父の陽的なものとして、「創始者としての父は権威であり、したがって法律であり、理性であり、自然力であり、国家である。風のように世界の中を動くもの、創造的な風の息吹であり、精神であります」と、元型としての父親を「万物を包括する神」であり、力学的な原理と説明する。抽象的だが、実際に我々の心の中で父親の元型と、どんな時に、どのように現れるのか。
さらにそれは、如何なる役割を実際に果たしているのだろうか。我々が生まれて最初に出会うのは母親であり、母親と我々は他に比べるものもない合一した状態にいた。意識が無意識と分化はしていない状態から、徐々に自我が形成される意識世界が形造られる。世界創造の神話のような過程から、光と闇を分かち、天地を分け、形のない不定の海に島を作る神が現れる。
それがユングのいう父親の元型である。しかし、父親の果たす役割がどのようなものであるかかを、誕生から死にいたる人生にわたって考察するには、あまりに大きな課題がありすぎる。「父なるもの」の難しさは、世界各国の寓話や古事記などにも現れる。誰でも知っている童話の、「浦島太郎」の物語は、『日本書記』に雄略天皇二十二年のこととして記されている。
竜宮城に三年いた浦島が、故郷の村が恋しくなって乙姫様に別れを乞う。乙姫様が、開けてはならないと禁止をつけた玉手箱を与えて太郎を地上に帰すというものだが、村に帰った浦島は竜宮の三日が陸では三百年であったことを知り、乙姫様恋しさに禁止の玉手箱を開けてしまう。乙姫様や竜宮城、海の中の国という女の原理に支配された世界とあまりに結び付いた浦島太郎。
この話には『古事記』の日子穂穂出見命の物語で見られる、主人公と向う側の世界の支配者、即ち元型的な父親との交流が一切存在しない。日子穂穂出見命の物語は、別の名を『海幸彦・山幸彦の物語』として知られ、明治の画家・青木繁の絵も有名だ。山の猟が得意な山幸彦(弟)と、海の漁が得意な海幸彦(兄)の物語。兄弟はある日猟具を交換し、山幸彦は魚釣りに出掛けた。
ところが兄に借りた釣針を失くして困り果てていた所、塩椎神に教えられて小舟に乗り、「綿津見神宮」に赴く。海神(大綿津見神)に歓迎された山幸彦は娘の豊玉姫と結婚し、楽しく暮らすうち既に三年もの月日が経っていた。山幸彦は地上へ帰らねばならず、豊玉姫に失くした釣針と霊力のある玉、「潮盈珠」と、「潮乾珠」を貰い、それを使って海幸彦をこらしめ、忠誠を誓わせた。
ことごとく海神の教えを守った結果、山幸彦は兄を貧しくしてしまう。幾度か兄は弟に攻め寄るが惨敗してしまい、「わたしは今後、あなた様の昼夜の護衛兵となってお仕え申し上げましょう」と兄にいわせるにいたる。こうした自己実現の社会的側面の成就の過程に、元型的な父親が重要な役割を果たしている。父はまさに神であり、法であり、理性であり、自然力である。
いくつかの神話や昔話の中心に据えられているのは、ユングのいう自己実現の過程であり、こうした自己実現の過程の中で、元型的な父親が果たす役割、父親の象徴を見る。自己実現という一人の人間の究極的な目標の中の社会的側面を象徴するものこそが父親の元型である。母親のような個別・具体的な影響ではないが、父親の象徴的意義は極めて大きい。
日本で象徴といえば天皇である。国家元首ではないが、象徴としての天皇の存在意義は大きい。父である自分が我が子に対してどういう意義があり、存在感があったかを知ることはできない。しかし、亡き父について回想すれば、自分の人生においてこれまで出会った誰よりも、存在感や存在意義を実感する。その意味でも父は象徴的なものだったといえよう。