もらい子の悲劇というのがある。もらい子はもはや死語、今は、養子・養女という。実の親でない養父母に甘えながら、何のわだかまりなく育ってきて、青年期になって偶然に自分がもらい子であることを知った時のショックは、目の前が真っ暗になるほどのものかと想像する。事実を知った後も親を慮って知らぬ素振りをするが、親とてまさか気づいたとは思わない。
どちらも押し黙ったままのギクシャクした日々に何の意味があろう。ならばいっそのこと事実を明らかにした方が気持ちは晴れるというものだ。血がつながっていないことの不安感や、不信感など何もないのだということを分からせるために、養父母は躊躇うことも遠慮することもなく、自信をもって子に事実を告げるべきである。それが揺るがぬ子どもへの愛情かと。
林田茂雄の本に感銘を受けたことがある。『若き日の疑問』など、三一書房から若者向けの啓発本が数冊でていた。彼の言葉の一節に、「真の愛情とは互いに一つの幸福を築きだすために傾け合う。その美しき努力の中から生まれ固まる」というような言葉があった。親子の愛情は血のつながりでおこるのではなく、喜びや悲しみもともに味わう生活のなかからおこるもの。
血は濃いというのは単に事実として、血のつながりがなくても一緒に生活をしてきたものにとって、血のつながりの有無は特段問題にならないことを我々は知ることはできる。そういうものだということは思考によっても実感できる。広い視点でいえば、師弟の愛、友人の愛、男女の愛や人と人の愛についてもいえる。若い時は大いに疑問は持ち、成長がその答えを出してくれる。
「愛情とは何か」、「甘えとは何か」、「厳しさとは何か」、「躾とは何か」。いずれも単純な行為だが、単純であるだけに兼ね合いが難しい。これらをキチンと理解し、適宜に行為できる親がいたらそれこそスーパーマンであろう。上記の問いは節度ある子育てをする上で必須の要件だが、何が甘えで何が厳しさかをできるだけ理解できるように客観的な見方を必要とする。
そのためには教育書や精神構造に関する書籍をみるのがよかろう。『甘えの構造』という有名な本がある。精神科医で精神分析学者の土居健郎によって1971年に出版された代表的な日本人論の一つで、1950年代に学術雑誌に発表されていたが、1971年に一般書籍として出版された。著者が1950年代の米国留学時に受けたカルチャーショックをもとに日本を把握しようと試みた。
同著の「甘え」は日本人の心理と日本社会の構造を理解する重要なキーワードで、諸外国にない、「甘え」という言語にも着目した。周りの人に好かれて依存できるようにしたい、日本人特有の感情と定義し、この行動を親に要求する子どもにたとえる。また、親子関係は人間関係の理想な形で、他の人間関係においても、親子関係のような親密さを求めるべきと著者はいう。
異文化圏でカルチャーショックを受けるのはままあること。土居も第一章「甘えの着想」でこう述べている。ある時、私を指導する精神科医に些細な親切をされ、サンキューというべきところを思わず、″I am sorry″というと、怪訝な顔をされ、″whst are you sorry for?″と聞き返されて面食らった。日本語では、「ありがとう」を、「すみません」と言ったりする。
土居がすぐに、″thank you″といえなかったのは、英語慣れしていなかったこともあるが、目上の人に対して対等な口の利き方に躊躇ったこともある。相手からすれば、「なんで謝られなければならないのか?」は当然であろう。日本人女性も、「ごめんなさい」と場違いな謝罪をすると前に書いたが、それとはまったく違ってまるで通じない、「すみません」である。
土居はまた、″Please help yourself″(自由にお使いください)、(自由にお召し上がりください)の意味を、「どうぞ御自身を助けなさい」と直訳し、なんでこのような突き放されたような表現が、親切で好意的な言い方なのかをなかなか悟ることができなかったという。さらにはR・ベネディクトの『菊と刀』を読んで、日本人とアメリカ人の心理の違いに心が掻き立てられた。
それが『甘えの構造』を著す契機になったという。土居は日本人にとって、「甘え」が何であるかを徹底的に思索した。同著は、第一章「甘えの着想」、第二章「甘えの世界」、第三章「甘えの論理」、第四章「甘えの病理」、第五章「甘えの世界」に分かれているが、どの章にも日本人として抜き差しならない、「甘え」についての考察と見解が述べられている。
記事の表題が、「母とは何か?」であるから、その辺りに限定し、「甘え」について考えてみる。土居のいうように確かに、「甘え」の語彙は日本語独特の表現であるのを以下の体験からも述べている。「恐怖症」に悩むハーフの女性患者の治療最中のことだった。彼女の母親から彼女の生い立ちについての話を聞いていたが、母親は日本語の熟達したイギリス人であった。
話が患者の幼少時代に及んだとき、それまでは英語で話していた母親が急に日本語で、「この子はあまり甘えませんでした」と述べると、すぐにまた英語に切り替えて話し出す。土居は話が一段落したときに、「さっきなぜこの子はあまり甘えなかった」というときだけ日本語でいったのかを聞いた。彼女は少し考え、「これは英語ではいえません」と答えたという。
土居はこの経験をドラマチックなものと認識している。これ以外の日常の臨床においても、「甘え」の概念が患者の心理を理解するうえで極めて有用であることを確信したという。『甘えの構造』の「甘え」という概念は重要だが、この「甘え」という概念を日本人自ら誤解しているように思われる。例えば、「日本人は甘えん坊。だから自立できない」とか使われたりする。
「日本人は自他に甘える相互依存体質」などといわれるが、土居のいう、「甘え」とは、日本人の精神構造として特異なものであることの、「発見」から提唱されたもので、彼のいう「甘え」の概念が諸外国には類型するものがないことに気づき、そこに日本人独特の心性を求めた。日本人は他人との協調や連帯を大切にする反面、自分の行動や意見を制限するところがある。
集団的価値観にそぐわない突出した個性を押しつぶす。「他人や世間に迷惑をかけてはいけない」日本人の超自我は、主観的な基準に基づく良心としては機能するが、超越的な善悪の判断基準を持たないために、相互的に罪や誤りを許しあう寛容さ=甘えを容易に孕む。土居が『甘えの構造』を著して50年、欧米人にはないとされた「甘え」も決してないことも分かった。
主体性や自己責任が重視される欧米社会にあって、「甘え」は深く抑圧されたものと認識されるようになった。そのことで、「甘え」は日本人の精神病理を特徴づけたものではないと、諸外国の精神分析家からも注目を浴びている。「エディプス・コンプレックス」では、子どもと親との葛藤・対立を合理的に避け、「社会人として親離れしていく」という帰結に至る。
「阿闍世コンプレックス」では、深い罪悪感の中で救いを請い、その対象との融和によって、「社会人としての救いを得る」という帰結に至る。それぞれは、「独り立ち」という精神構造と、「許しによる一体感」という精神構造の違いを表しているとの理解に立つが、日本人も西洋人も、言葉ひとつでは語れぬややこしさが人間の精神構造の中にあるのは事実であろう。