子どもにとって親は信じるべく対象であるべきか?この世に生を受けたときから自分を保護し、守ってくれた母親がまさか毒親であるなどと思わない。ただし、自我が芽生えてくると客観的な視点で親を見られるようになる。今まで保護し、守ってくれた母親はどのように子どもに映るのだろうか?自分は幼児期から今でいう虐待を受けていたが、当時は折檻と容認されていた。
折檻とは、体罰を与えて厳しく責め叱ること。古い言葉で、「打擲(ちょうちゃく)」という言い方もあるが、ヒステリー性格の母には幾度か打擲を受けた。漱石の作品に、「若しや兄がこの癇癖の嵩じた揚句、嫂(兄嫁)に対して今までにない手荒な事でもしたのではなかろうかと考えた。打擲という字は折檻とか虐待とかいう字と並べて見ると忌わしい残酷な響を持っている」とある。
残酷な響きをもつ打擲を母親はなぜ子どもに科す?クラインの研究や、「阿闍世コンプレックス」を紐解けば、いずれも母親の情念であり、虐待される子どもは受け入れるしかなかった。ブログを始めて15日後、「愛を乞う人」「鬼畜」というタイトルで、自分が母親と絶縁した時のことを書いている。これらも含めて、我が人生の記録として残しておきたかったことだろう。
父親はなぜ一度もお灸を据えなかったのだろう?なぜに母親はお灸という残酷なことができるのだろう?それら一切が、「阿闍世コンプレックス」で理解できる。自分も父親だから分かるが、幼児の上に馬乗りになって、「じっとしてろ!」と脅しながら、それでも泣き叫ぶこどもの背中にモグサを置く行為など、考えられないし、それを見ても女は残酷な生き物である。
むかし、母と叔父貴が談笑するなかで、不思議と思ったことがあった。それは祖父(二人にとっては父)が、母と叔父の喧嘩の罰として、それぞれがそれぞれに灸を据え合うというものだった。親が子に灸を据えるのはわかるが、姉弟同士が灸を据え合うという行為を科したのが不思議だったが、思うに祖父は子どもに灸を据えることができなかったのではないかと…
祖父は怖くて厳しい人であったという。祖母は怒ったことにない慈母であったといい、我が子に灸を据えることなどもあり得なかった。東京の大学に進んだ次叔父が、母に書いたハガキには、「あなたは僕にとって世界一の母です」という内容に自分は奮えた。まさに絵に描いたような厳父慈母家庭だったようだ。祖母は自分にも優しく、身を挺して厳母から守ってくれた。
「阿闍世物語」を分かりやすくいえばこういうことだ。古代インドに頻婆娑羅(びんぱしゃら)という王には、韋提希(いだいけ)という妃がいた。韋提希は王子の誕生を望んでいたが、自身の容色の衰えとともに王の寵愛が薄れていくのを気にして予言者に相談する。預言者は、「森に住む仙人が3年後に亡くなり、その生まれ変わりとして子どもを身ごもる」と告げられた。
韋提希は仙人を捜し出すも3年が待ちきれず子どもを得たい一心で仙人を殺す。死に臨んで仙人は、「私は王子として生まれ変わるが、いつの日か王を殺すだろう」と言い残す。こうして生まれたのが阿闍世であるが、阿闍世は生まれるにあたって一度は殺された子であり、韋提希は阿闍世には仙人の怨念憑いているのが恐ろしくなり、生んだ阿闍世を塔楼から落としてしまう。
幸い阿闍世は死なないで生き延びるが小指を骨折したことで、「指折れ太子」と呼ばれた。青年になった阿闍世はあるとき仏陀の仏敵である提婆達多(ダイバダッタ)から、自分の出生の秘密を聞かされる。事実を知った阿闍世はそれまで憧れ、理想である母親に失望し、幻滅のあまり母親に殺意を抱くが、殺意が祟ったのか阿闍世は流注(るちゅう)という悪腫にかかる。
阿闍世は病に苦しむことになるが、病のせいで悪臭を放つ阿闍世には誰も近寄らなくなったが、献身的に看病したのは母の韋提希だった。しかし、一向に看病の効果があがらないことで、韋提希は仏陀に悩みを打ち明け救いを求めた。仏陀の教えを心に移した韋提希の看病はやがて効き目を発揮し、阿闍世の病も癒えた。その後、阿闍世は世に名君と称えられる王になる――。
大乗仏教経典の一つ『観無量寿経』には、仙人の話もあり、阿闍世が「折指」と呼ばれたことも書かれてあるが、父王を殺したのは阿闍世で、仙人の死が待ちきれずに仙人を殺したのは仏典では母の韋提希ではなく父王となっている。そこで仏典はこの奇怪な物語を解して、「未生怨」というコンセプトも提示する。これは生まれる以前から父に恨みを抱いていた者という意味。
阿闍世の物語はいつか父親を殺すことになるということがメインテーマであって、これはギリシア悲劇の『オイディプス王』の物語とほとんど変わらない。であるなら、阿闍世コンプレックスは典型的なエディプス・コンプレックスの対象なのである。故に古澤は、「阿闍世コンプレックス」の原型をエディプス・コンプレックスの別バージョンとしてフロイトに差し出したのだ。
父である頻婆娑羅も熱心な釈迦の信者であったことを考えると、釈迦の母性的な支えがあったからこそ、自らを殺した阿闍世の罪を許す態度をとれたといえよう。実は父の頻婆娑羅も阿闍世誕生の前に仙人を殺した。動機はともあれ、仙人を殺す罪を犯している。それゆえに、頻婆娑羅は阿闍世の罪を許すことができたのであろう。しかし、自らが阿闍世を救ったのではない。
阿闍世を救ったのは釈迦である。 釈迦の阿闍世に対する包み込むような暖かい態度は、まさに母親的なそれである。このように見てくると、すべてを許し暖かく見守ろうとする母性的な釈迦の懐に抱かれた中で、仙人―頻婆娑羅―阿闍世という男によるの殺し殺される円環構造ドラマが成立している。エディプスの物語は、父王ライオスを父とは知らずにエディプスは殺している。
つまり、それだけ抑圧し、潜在化した状況のなかで殺害しているのである。それに対して、阿闍世は確信的に父を殺した。エディプス・コンプレックスが父王を殺すことによって、いかに自立した完成した成人になるか、という問題で終わっているのに対し、父を殺し、成人した人間もいつかは自らの息子によって死に直面させられるという先の問題までもが阿闍世のドラマで語られている。
茨城の妻殺害・死体遺棄事件で、2歳の子どもの将来に言及したが、父が母を殺したという事実を子どもは知って生きていくべきと自分は考える。事実を知った阿闍世の苦しみのみならず、秘匿された事実というのは、不意に知るのと、事実として誠実に聞かされるのとでは大きな違いがあろう。できれば知らないままでいるにこしたことはない、というのは明らかに願望である。