人は人をどれだけ許容できるかが試される。同じ一つ屋根の下に居住する夫婦とはそういうものではないか、老齢にして実感するものだが、若い夫婦にはそれができないこともよく分かる。しかし、殺すという発想にまで不満が昇華するというのは、人間的に問題があるとしか言いようがない。「夫婦間の不満がたまり、妻の首を絞めて殺害した」と弥谷容疑者は述べている。
殺したいほどの憎しみがあったと推察するが、やはりそれは彼にとっての憎しみであろう。「殺したい!」思うだけならともかく、実際に殺害するというのは異常性格といえる。「殺すくらいなら離婚すればよかったのでは?」。誰もが思うことで、それができるのが夫婦の良いところという考えもできる。血と肉を分け合った親子に比べ、夫婦は本質的にアカの他人である。
いっそ別れてしまえばきれいさっぱりできる関係である。弥谷容疑者に限って離婚ができない事情があったわけでもなかろう。殺害に至った理由は、殺したいほどの憎悪があったのではないか。離婚して他人となるだけでは済ませられない憎悪、自ら手をかけてでもこの世から抹殺してしまいたいほどの憎悪ではなかったのか。自分には殺す理由がそれ以外に見当たらない。
親子や兄弟の殺人は、まさに「血の悲劇」ともいえるが、夫婦にはそれがない。おそらく弥谷容疑者は偏執的性格、偏執鬱だったと推察する。偏執症は一般的にパラノイアという語句でいわれており、妄想性障害と同類の疾患である。内因性の精神病の一型で、偏執的妄想がみられる。妄想の内容には、血統・発明・宗教・嫉妬・恋愛・心気などが含まれ、持続・発展する。
夫婦の衝突の原因が偏執症からもたらされることも珍しくない。実際にパラノイアと診断された夫から、「料理に毒をもっているんじゃないか」、「浮気をしているんじゃないか」、「財産目当てで結婚したんじゃないか」、「君の意見はコロコロ変わるが精神病では?」、「君は最も信用できないタイプの人間」などと言われた妻がいる。言われたというより、絡まれるだろう。
育ちや価値観の違いから夫婦には様々な壁にぶつかることもあろう。しかし、こうした精神病質に罹患した場合は、得体のしれない大きな壁が構築される。衝ばかりが続くと、衝突を避けるために言葉を交わすことを避けるようになれば、会話のない家庭内別居状態となり、精神的に重くのしかかることになる。陰湿な家庭内別居を続けるなら、別居や離婚がはるかに望ましい。
殺された麻衣子さんの父親も力のない声で、「(弥谷容疑者には)我慢してほしかったというのはありますね」と語っていた。手に負えないとまではいわないにしろ、我がまま娘という認識はあったかもしれない。弥谷容疑者にしろ、妻の麻衣子さんにしろ、親の子育ての問題はあったにしろ、事は殺人事件である。成人としての判断認識の欠如としか言いようがない。
結果には原因がつきものだから、麻衣子さんにも原因はあったろう。子どものいじめで女子にもっとも多いのが、「無視」といわれるように、女は無視という卑劣なことをやれる動物のようだ。男の子同士の悪ふざけ的ないじめに比べて、「無視」は精神的ダメージが大きい。夫婦の家庭内別居がどういう事情、理由の遺憾で始まったにせよ、トータル的には双方の責任である。
2男一女を持つ46歳と44歳の夫婦が家庭内別居から、夫の不倫を興信所の調査で知った妻が以下自省を述べている。「私たち夫婦は仲が悪く家庭内別居に近い関係でしたが、夫の不倫発覚後も私の心に留めています。成長期の子ども3人を抱えて離婚はしたくないからです。相手はラウンジのホステスで、日曜は彼女と終日一緒に過ごし、手をつないで仲良く出かけているようです。
思いおこせばこれまでにも夫を無視したり、つれない態度を取り続けたことも、不倫に走らせた原因であろうと思われ、夫を失いそうになったいまは申し訳なく感じています。自分にも責任があることでもあり、子どもたちの安定した将来のためにも離婚意思はまったくありません。であるなら、今の状態のまま、現状生活を続けるべきでしょうか?」という苦悩である。
原因の一端が自分にあり、子どもの将来的安定のこともあって離婚をしないという彼女の選択の理由は、夫の経済力に依存することである。そこを重視する以上、石になった気分で今後の婚姻生活を全うするしかなかろう。離婚を望む者は経済力とか子どもの将来とか以前に、荒んだ日常生活が耐えられないからで、この女性が現状維持を選択するなら今の状態を続けるしかない。
人間は欲だから不満を言えばきりがない。そうした中で、絶対に譲れないものを一つと定め、そのためにゆるぎない覚悟を持つなら、目的成就の方法であろう。そうと決めたならこの女性は邁進すべきである。1か月後、1年後に気持ちが変わるなら、時々の新たな選択も芽生えよう。現時点での覚悟で人は生きて行くしかないなら、それ以外のことは欲と見定めることだ。
相談には2通りある。とりあえず先のことより今をどうするかの判断。将来を規範にして今をどうするかの判断。不倫は悔しいが子どもの将来のための判断、今の荒んだ夫婦の現状が我慢ならないという判断というように、限定しなければ解決はできない。限定するということは、限定外のことはとりあえず捨てるということ。自分が何かを解決する際も、取捨選択で判断する。
あれもこれも、これもあれもでは何も解決しない。多くをため込み、捨てきれない人が物事を解決できない人である。最も身近な問題である夫婦のことは難しく、悩ましい。相手を亡き者(殺す)以外の選択で乗り切る以外になかろう。その際、相談する相手を間違えると火の粉を浴びることにもなる。妻を殺した夫が、母に相談したことが、今回の問題を大きくした。
物事は最初を間違えるとすべての方向性を失う。「嫁を殺した」と息子は母に相談したことが間違いだった。母の恵美容疑者は、「息子を助けたかった。守りたかった」、「息子から頼まれて手伝った」、「夫にバレたらマズイと思い埋めた」などと供述している。「息子を助ける?」、「守る?」という母の言葉に依存し、自身の理性的判断をしなかった息子の幼児性。
父親に相談すれば様相は違ったろう。母親が、「夫にバレたらマズイと思った」というように、夫は死体遺棄に協力せず、息子の犯罪を隠蔽しなかった。これが、男と女の社会認識(警察は甘くない)の差である。父は自首を勧め、罪の軽減にもなった。母親の誤った判断が、死体遺棄罪、証拠隠滅罪、犯人蔵匿罪、共犯罪を加増させた。返す返すも、「開いた口が塞がらない」。