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開いた口が塞がらない母・息子 ①

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「開いた口が塞がらない」というのは、相手の行動や態度やあまりの出来事に呆れかえって物が言えないことをいう。人はあまりに呆れると、ぽかんと口を開いたまま思考停止状態になるというが、そこまでの経験はない。ぽか~んと口が開いたまま…というまではいかないにしろ、「呆れて発する言葉がない」状態に近いのが、妻を殺して実家の庭に埋めたという事件。

柏市南柏中央の銀行員、弥谷鷹仁容疑者(36)と、鷹仁母親で茨城県取手市に住む弥谷惠美容疑者(63)が、鷹仁容疑者の妻麻衣子(30)を実家の庭に埋めたと供述し、千葉県警が弥谷恵美容疑者の自宅の庭を掘り起こしたところ、供述通り土中から年齢、性別不明の遺体が見つかった。司法解剖の結果、見つかった遺体は弥谷容疑者の妻の麻衣子さんであることが判明した。

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県警は弥谷容疑者が麻衣子さんの死亡に関与した可能性もあるとみて捜査を進めている。事件の経緯は3月6日、鷹仁容疑者が千葉県警柏署に、「4日に妻と車内で口論になり、妻が我孫子市内で車を降りて戻って来ない」と行方不明届けを出したことに始まる。県警が周辺の防犯カメラなどを調べたが、鷹仁容疑者の車は写っていたが、妻が車を降りる様子などが確認できない。

他にも不審な点があったため、鷹仁容疑者から任意の事情聴取を続けていたところ、今月17日になって鷹仁容疑者が、「妻の遺体を埋めた」などと話したことから、取手市内にある鷹仁容疑者の実家の敷地内を捜索。18日午前4時半ごろ、供述どおり土中から年齢、性別不明の遺体が見つかったことで逮捕となる。その後遺体は司法解剖されて麻衣子さんと判明した。

「開いた口が塞がらない母・息子」の表題が示す理由はいくつかある。鷹仁容疑者は、「妻の性格などが我慢できず、他に道がないと思い首を絞めて殺した」と供述している。ならばとりあえずこの妻を、口うるさく陰険で小ばかにした物言いをし、家事もせず、嘘つきでわがままで、性根が悪く愚痴も多く、悪口大好き女だったとしても…、「殺す以外に道はない」は短絡的。

こんなことをいう夫の方が常人とはいえない。もうひとつ、開いた口が塞がらない理由として、殺した嫁を土中に埋めたのが母子なら、埋めた場所が住居の庭であるという異常性。毎日歩いたり眺めたりの自宅の庭に、人を埋める神経には開いた口が塞がらない。言葉は比喩としても、この子に在りてこの母在り。この母に在りてこの子在り。どちらであろうとイカレタ母子である。

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鷹仁容疑者はSNS上で、麻衣子さんへの目撃情報を呼び掛ける画像を公開していた。文言は、「探しています!」、「千葉県我孫子市内で別れて以来、行方が分からなくなっています」、「似た人を見かけたり、思い当たることがあれば」、「ご連絡お願いいたします」。【千葉県柏市で暮らしていた夫婦】。ということだから、さぞや麻衣子さんの両親も心配だったろう。

ところがどっこい、娘が嫁ぎ先の庭の土中に埋まっていたと知った親の心中こそ、「開いた口が塞がらない」であろう。なんでこんなことに?麻衣子さんの父親は、「悔しい気持ちでいっぱいです」と語っているが、怒りを抑え、絞り出したコメントであろう。人間いろいろ、人の人生もいろいろ、夫婦もいろいろとはいうから、これもいろいろの中の一つであろうか…

娘が行方不明になった折に両親としてみれば、「どうして?」の思いもあったろうし、それも4か月も前のことだ。夫は、SNSで懸命に探していることですら、申し訳ない思いもあったろう。それが一転、実家の庭に埋まっていたとは、晴天の霹靂である。人間がどんなものかは分かっているつもりだが、こんな事件に触れる度に、猛獣よりも恐ろしや人間である。

クルマの中での他愛ない夫婦喧嘩から、飛び出したまま行方不明になった妻を、画像を公開して探す憐れな夫を4か月も演じたことになるが、事件性のない夫婦や家庭内の問題における一般的家出人捜査は、警察に届けたところでやってはくれない。警察官も社会の一員である以上、困っている市民の力になりたいのはやまやまだが、個々の家庭の問題に税金を投じた捜査はできない。

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警察のもとへは日々多くの捜索願が届け出されているが、これらの捜索願を受理後、全ての行方不明者の捜索にあたっていては、時間的猶予のない解決すべき難事件の捜査の妨げになる。警察当局の取捨選択として当然である。夫婦がクルマで痴話喧嘩をし、クルマを飛び出して行方不明になる?動機は薄いが個々の家庭には嫁姑問題など根深い事情もある。

よくよく話を聞けば納得できる家出理由もあろうが、勘のいい刑事はふとしたことから事件の臭いを感じて追及に本腰を入れる。今回のケースが4か月も要したのは、そういう事情と考えられる。事件の臭気とは「嘘」をついている場合ではないだろうか?家出人捜査依頼者が嘘をつく必要はないが、本件は妻がクルマから飛び出した形跡は防犯カメラで確認が取れていない。

夫の言動に齟齬を感じ取った警察による、本格的な聴取が始まったと見る。結果、4か月を経て完オチしたようだ。妻を殺してバレないならマヌケな警察である。逆も真であるから、生活に最も身近な存在者である妻や夫を殺してバレないなどは至難である。いかに自信のあるストーリーを組み立てても、嘘というのは綻ぶものだ。それを思うと遅刻の言い訳の嘘すら羞恥である。

よって自分は嘘をつく際、相手に嘘が許容されていると思ってつく。絶対騙せない、隠し通せないと思っている。浮気をして妻に嘘はつきたくない。事実を言っても許容する女である。だからといって事実をいう必要はどこにもない。問われるならくだらん嘘はつかずに真実をいうが、黙っているのは嘘ではない。言う必要のないことを言わないのも思いやりであろう。

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真実というのは言う側も聞く側も傷つくことを考えるなら、黙っておくのが正解である。嘘はつかねば嘘ではないし、陰で不道徳的行為をするのは、人間が不完全であるということだ。嘘をつくのと、不道徳行為をするのと、どちらが「悪」なのか?実生活に支障をきたさぬ程度の不道徳行為も人間の証なら、互いが許容し合うのが長年連れ添った夫婦の、「良心」ではないか。

実社会に寄り添って生きる同士は、すべからく現実的な対応に殉じるべきであろう。人間が多元的である以上、経年を生きた夫婦愛が試されるなら、見て見ぬふりというのも愛情である。子どものころに家の金を盗んでいたが、それを知りつつあえて黙っていた父の深遠な思いは、今となっては尊敬に値する。愛情(放任)と躾(甘やかせる)の大きく違う点は何であろうか?

子どもは叱ったり注意ばかりされるとストレスがたまり、攻撃的な性格になりやすい。気弱な性格の子は逆に不安が増大する。朝から晩まで容赦ない母の小言に愛情に欠片も見えなかった。見て見ぬふりという度量は、慈愛を持った親にしかできない。真似ができないのは、黙認の責任を親はどうカバーするかが問われる。だから度量のある親でなければできない。

愛情を伝えることは物を買い与えることではない。親にしか出来ないことをしてやれるかということもある。黙って見て見ぬふりをするのはジレンマに陥るが、大事な愛情表現かと。将来において、あの時の親の態度が黙って見て見ぬふりであったと知った時、子どもはかけがいのない親の愛を感じる。ごちゃごちゃ小うるさい言葉よりも遥かに重い愛情である。

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