「いわゆる」という連体詞は、「世にいわれている」、「いうところの」という意味であるから、実態とは違うことになる。「いわゆる弱い女」とは、本当は違っていたとしても、「弱い女」と見られている。「いわゆる真面目男」が変態だったというようなものだ。人は人のことなどわかっちゃいないということだが、人は少なくとも実体験から人について学んでいく。
麻原の元に走った多くの高学歴信者をインテリと称されたが、インテリの本来的意味からすれば彼らは、「いわゆるインテリ」である。インテリの悲哀とは、自分より無学な者にこき使われる無念さであろう。そうした誇り高きプライド保有者たちをインテリ気質という。実体的にインテリでなくてもそういう枠づけになる。オウムのインテリたちも社会のあぶれ者だった。
インテリ気質にいうところの高邁な自尊心所有者は、使う側から見ても、「哀れ」というしかない。「仕事もできない、機転も利かない、率先して動くこともないただの指示待ち人間でありながら、プライドだけはいっちょ前の頭でっかち…」との印象である。インテリまたはその原語であるインテリゲンチャとはロシア語である。知識階級とも訳されるが、早い話が勉強馬鹿のこと。
大学を出た彼らの就職先の上司や先輩を見下すことはあったろうし、彼らが理想と思い描く社会への反感と苦渋が、麻原のような人畜無害の人間を拠り所としたのかもしれない。自分は彼らを怠け者の類という見方をしている。つまり、石にはいつくばっても社会の荒波の中で生きていこう、生き抜くんだという人間としての地道な努力に対し、ウンザリ感があったのだろうか?
自分たちが躍起になった受験勉強の果てがこういう社会だったのか、そうした挫折感があったものと推察する。勤め人には、「五月病」という言葉がいわれるが、正式な病名ではなく、五月の黄金週間のある日本にだけ言われる虚脱感の比喩である。学生気分からの変化疲れが要因ともいわれる。人間は基本は怠け者だから、かのヒポクラテスが紀元前400年頃にこの病気に言及している。
彼は、「サタンの仕業だ!」といったというが、こうした非科学的な思想は、いつの間にかかき消されていった。「石の上にも三年」という言葉は、とかく社会は辛抱するところという教えであろう。が、理想意識が強い者や自尊心が高く忍耐力に欠ける者は、自力で変えられない社会から逃げ出すことを考える。しかし、職を失いことは食を失うことゆえに不安は否めない。
そうした不安を一掃し、自分がすべてをかけられるもの、信じるに値するものが見つかったときの人の行動はさまざまである。拠り所とする対象を英雄と仰ぎみるようなヒーロー待望論の時代に合致したように麻原彰晃は出現した。すべての始まりはこの一冊という本がある。以下の文言は、1986年に出版された麻原彰晃著『超能力「秘密の開発法」』のはじめの言葉である。
「驚かないでほしい――これが本書を手にしたあなたへのお願いである。本書には知られざる超能力の世界が広がっているのだ。超能力といっても、知られざるとわざわざ付け加えたように、普通考えられるような力だけではない。まず、本書の口絵の写真をご覧になっていただきたい。わたしの身体が宙に浮いているのを確認することができるだろう。これはトリックなど使っていない。合成写真でもない。
空中浮遊と呼ばれる超能力の一種なのだ(1986年1月25日撮影)。重さのある肉体が重力の束縛から解き放たれて宙に浮くというこの超自然的な現象を、現代物理学で説明できないのはもちろんである。(中略)。わたしは、以前は超能力者ではなかった。ごく普通の人間だった。ふと人生に疑問を感じ、真実を求めて試行錯誤を繰り返すうちに、超能力を獲得する秘伝に巡り会ったのである。その秘伝を今明かそう、そう決心した…」
この一文を読んでどのように感じるかは人によって大きな差があるだろうが、つまり、オウムの問題の本質は、宗教的な教義がどうのこうの、マインドコントロールがどうのこうのという前に、麻原の同著が信者を増やしたきっかけになったのは事実であり、同著はまた信者にとっての必読の書でもあった。ということは、今回死刑を執行された6人も麻原を超能力者と信じていた。
1980年代とは「超能力」の時代である。ユリ・ゲラーが頻繁にテレビに出演し、超魔術をうたったMr.マリックもテレビでどんどん有名になっていく。1989年、日本テレビ系『木曜スペシャル』でMr.マリック単独の特別番組の放送が始まり、28%を超える視聴率を獲得した。彼は、「超魔術」、「ハンドパワーです」、「きてます!!」の言葉で、一大超魔術ブームを巻き起こした。
社会がブームを作り、ブームはまた社会を席捲する。1986年の流行語で最も印象的な言葉は、「新人類」と、「亭主元気で留守がいい」である。ヒーロー喪失の時代とは、父性喪失の時代でもあった。日本で「父の日」が行事化されたのも1980年代になってからで、それを助長させるような時代のムードがあった。「亭主は粗大ゴミ」という言葉は評論家の樋口恵子が紹介した。
日本語俗語辞書によると、「『粗大ゴミ』とは定年退職後の手間がかかり邪魔な夫に対する嫌みを込めた例えで、評論家の樋口恵子が主婦から聞いた粗大ゴミという表現を1981年に新聞で紹介したことから広まった」とある。『拝啓「粗大ゴミ予備軍」殿―30代・40代夫婦の生の声』といった書籍も発刊され、主婦たちの夫に対する「粗大ゴミ」コールが過熱した時代である。
オウムに入信した信者たちの社会に対する苦渋と、ヒーロー待望論の証としての麻原という人物を、宗教家を装っただけの山賊の親分と見抜けなかったことが信者の人生を狂わせた。国家転覆を狙った麻原の霊言に操られ、無間地獄への道を辿った山賊集団の末路は、国家によって命を奪われることだった。拠り所とした相手を間違ったのは如何とももいえど自己責任である。
「信者」というのは、信じる者のことをいう他に意味はない。「これはトリックではない。合成写真でもない。空中浮遊と呼ばれる超能力の一種。重さのある肉体が重力の束縛から解き放たれて宙に浮くというこの超自然的な現象を、現代物理学で説明できないのはもちろんである」。この程度の言葉で、なぜ超能力や空中浮揚を信じてしまったのか、と疑問を持つのが良識である。
ところが、疑問を持たずに信じた人たちが信者となった。つまり信者は疑問を持たない人たちだったということ。前出の上氏は、「剣の達人になれば、気のエネルギーで接触しなくても切れる」と言われて不信感を抱いたというが、人間の差というのはあることを「信じる」、「信じない」というものである。神を信じる人、幽霊を信じる人と信じない人の差でもある。
神を信じない自分はどこの誰が何を言おうが、この目で見ない限り神を信じることはないが、麻原の空中浮遊を見ないで信じた者は、当然にして自己責任である。当時、麻原の空中浮遊の写真はインチキとされ、「オウム被害者の会」の弁護士自らが同じ写真を提供した。にも関わらず、オウムの信者たちはそんな声に耳を貸さず、麻原を信じたのはヒーロー視という呪縛である。