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オウムの麻原ら7名に死刑執行 ⑤

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1987年、「オウム神仙の会」と改称、宗教団体「オウム真理教」が設立された。
1989年、オウム批判をしていた坂本堤弁護士とその一家を殺害。
1990年、真理党を結成、第39回衆議院議員選挙へ麻原と信者24人が集団立候補。
1994年6月27日、松本サリン事件。
1995年2月28日、東京都内で公証人役場事務長逮捕監禁致死事件。
1995年3月20日、地下鉄サリン事件。
1995年4月23日、村井秀夫刺殺事件。
1995年5月16日、上九一色村の教団施設内で麻原彰晃逮捕。
1996年4月24日、麻原彰晃こと松本智津夫被告第一審の初公判
2004年2月27日、東京地裁が松本智津夫被告に死刑判決。弁護側は即日控訴。
2006年3月27日、東京高裁が同被告の控訴を棄却。弁護側は最高裁へ特別抗告。
2006年9月15日、最高裁第三小法廷は特別抗告の棄却を決定。死刑判決が確定。
2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚らの死刑執行。

オウム真理教全盛時にはオウム、オウムと、オウムのように繰り返され、オウムの話はもうたくさんだったが、久々にオウムや麻原の活字を見ると新鮮である。オウム真理教事件は近代社会において未曽有の出来事であり、見方を変えるとオウム真理教は小規模ファシズムといえる。党が支配し、旗が振られ、制服を着た軍隊が闊歩し、独裁者が演壇で演説する。

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こうしたファシズムの観念的イメージがあるが、先進工業国でこういうファシズムは起こることはなく、宗教を土台にしたファシズムである。ファシズムは、①秘密警察、②強制収容所、③独裁者直属の親衛隊という3つのテロ機構からなるが、この機構を駆使したのは世界史上、ドイツのナチズム国家とスターリズムの共産国家で、北朝鮮にはわずかに残骸が残る。

オウムにはこの3つの機構が備わっていたが、一体オウム真理教とは何の宗教だったのか?キリスト教やチベット仏教だったり、こちゃまぜの混雑イデオロギーの臭いがあった。なぜオウム真理教は生まれ、なぜインテリジェンスな若者が麻原に魅了されたのかについて、多くが語り尽くされたが、根本的な要因は麻原彰晃という人物の存在である。ドイツにヒトラーがいたように…。

麻原の魅力は我々には分からない。AKBのファンしか彼女たちの良さがわからないように。ただし、アイドルやアスリートのファンと違って宗教は心の問題である。各自がどのような信仰を持つ自由はあるが、信者が抱く宗教的善が国家国民の善とは違っている。宗教が国家国民の枠を揺さぶらないよう、EC諸国は、「カルト決議」という対抗措置をとっている。

「カルト決議」には細かい条項がある。①未成年者を強制的に勧誘しない、②献金したり入信の際は熟慮期間を与えること、③入信後も家族や友人・知人との連携・連絡を保証すること、④学校に行きたい者を抑えてはならない、⑤棄教、脱退希望者が外部の助言を望む権利の尊重、⑤資金の獲得に強要があってはならない、⑥住所氏名を告知しなければならない。

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まだまだたくさんの注意義務や遵守項目があり、これに違反した団体は強制的に解散させられる。このような決議は欧州ならではで、曖昧な日本人には毅然とした覚悟はない。なぜなら決まりは順守してこそ決まりである。国民はオウム事件や統一教会の壺販売などが骨身に染みていると思われるが、そうはいっても喉元過ぎれば熱さを忘れてしまう国民である。

新興宗教とは、「お金もってきなさい宗教」である。たくさんのお布施や献金=幸福度というまやかしは、傍からみれば暗黙の強要にみえるが、信者は肯定的にとらえている。これこそが宗教の旨味と自分は考える。初詣の賽銭箱には、一円玉から万札まであるというが、賽銭なしのお願いは気が引けるのだろう。神仏を拠り所にしない自分は寺にも神社にも出向かない。

そもそも賽銭というのは神仏に、「祈願成就」の御礼の気持ちを奉納する金銭のことで、事前のお願いではない。それがいつの日か、お願いが聞き入れて貰えるという考えに変わったのはどうかと思うが、今さらそんなことを言ってみても神仏祈願の慣習は変わることはないだろう。「感謝の意」を表すことと、図々しい、「祈願」というのは大きな違いがある。

「祈願成就」も、「大願成就」も自分の努力と思って、自分に美味しいものでもご馳走してあげたらいいんじゃないか?といったら、「運もあったのだから神様には感謝しなくちゃ」といった女性がいた。「偉いね~、いい心がけだ」と褒めておくのが無難だろうが、「そうかい、そうかい」と言っておく。神仏に祈りたい人の気持ちは分かるから否定も肯定もない。

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他人の価値観に配慮を心がけるよう自分は変わった。若いころは何かと自己中で、そんな配慮などすることはなかった。「神様にお願いごとも、御礼も意味はないのでは?」などといっていた。傷つく人もいたから無神経な言葉である。言葉は性格を表すもので、性格を直したいなら言葉も注意がいる。一にも二にも配慮、三、四がなくて五に配慮の昨今である。

強い性格は抑えるようになった。他人への配慮は気づかれというが、自己変革と思えば何でもない。セクハラ同様無意識に備わるようになればいい。率直な性格である自分は、その意味でも自己変革が必要である。他人を傷つけぬよう配慮するなどは意識を深めておかないとできないことで、できないことをやるのも自己への挑戦と思うこともプラス思考となる。

自分にプレッシャーをかける勉強法というのがある。遊び気分でやるより効率はいい。巷に出回る、「〇〇勉強法」とか、「知的△△術」とかの本は、売らんがためのものだろうし、役に立つとも思えない。自分に合ったものや方法を見つけるに限る。学生時代は嫌いで退屈な勉強も、ある年齢で好きになることもある。ま、それが本当の身になる勉強かもしれない。

オウムで書き始めたのでオウムに戻すが、「現存する宗教修行者のなかで世界でも有数の人物」とまで持ち上げた吉本隆明の麻原擁護論を再考する。麻原が史上類のないテロリストの首謀者として裁かれると、「彼の犯罪は根底的に否定する」と腰砕けになった吉本。それでも犯罪者としての麻原と、宗教家としての麻原を分離できる独善思考をもっていた。

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吉本が代弁せずとも麻原の宗教観は麻原が語ればいいことだが、左翼思想家あがりの吉本にとっての麻原評価は、国家転覆を本気で企てた行動性への羨望ではないのか。思想家吉本は所詮は、「書斎の人」。麻原や三島のような、「行動する人間」の実践性に親和性を抱く。現に三島の自死を吉本は、「自分にできないことをやった」という言い方をしている。

科学の世界では、いかに理路整然とした美しい理論であっても、色々な科学的批判や検証作業を経たもの以外は単なる『仮説』に過ぎない。全共闘世代にとってカリスマと崇められた吉本であるが、如何に彼が激烈な思考をしようと、観念世界に埋没して実践できない。そうした潜在欲求が麻原擁護になったと考えるなら、いかにも吉本の幼児性であろう。

「殺人はなぜ悪なのか?」と観念論思考で問い続けるのはいいが、殺人を犯して確かめるのとでは距離感があり過ぎる。ラスコーリニコフはついに実行してしまうが、実行後に果てしなき問いが彼を追いかけた。国家転覆を図ろうとした三島や麻原に傾倒する戦後の思想界の巨人は、実践なき観念論者であるがゆえに、「麻原擁護は間違い」の言葉を残さぬままに他界した。

共産党神話を突き崩した剛直の思想家吉本隆明であるが、共産党が衰退すると吉本自身色褪せた感もなくはない。晩年は娘ばなな作品を目尻を下げての礼賛はいいとして、麒麟も駑馬に劣る麻原礼賛である。「自分が正義の代弁者ごとく振る舞うときは、どんなに謙虚になってもなり過ぎることはない」。こんな言葉を残した吉本も、麻原擁護者として晩節を汚した。

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