「老兵は死なず。ただ去りゆくのみ」。これも有名な言葉であるが、若かれしころには疑問であった。子どもや若者は疑問の宝庫、だんだん大人になっていく。「老人が死ぬのに、なぜ老兵は死なないのか?」そういう疑問でなく、比喩と分かりつつ言葉の真意が理解できない。後年、さまざまに解釈されたが、いろいろな含みもあってか、真意はマッカーサーのみが知る。
実はこの言葉は引用であった。ウェストポイントの士官学校で歌われたバラードの一節にある、"old soldiers never die, they just fade away"から採られ、自身も、"old soldiers"のように消えていくと述べた。士官学校の歌詞の元は以下のイギリス軍歌で、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」のあとに、「若い兵士は消え去ることを願う」と続いている。
ここにいう、「消え去るのみ」というのは、名誉あることを指し、幾多の戦場を生き延びた古強者にしか許されない静謐な最期ではなかろうか。若き兵士たちもそうあるよう歌われる。「老人は老醜をさらすまえに後進に道を譲るべき」、「私は自らの義務を果たし、今ここに静かな最期を迎える」、「私は軍を去るが、私の魂はここに置いておく」などの解釈が考えられる。
マッカーサーが職を解かれた際のスピーチであり、彼は、解任という不名誉を名誉に置き換えた。「老兵」を、「老人」に置き換え、カッコよく当て嵌まる語句はないだろうか。老人は解任されることはなく、「私はいずれ死ぬが、私の足跡は自らのなかで決して消えることはない」というような月並み言葉しか浮かばない。凡人においては生きるも死ぬもただの摂理である。
他者に誇るほどの名誉も、自らを癒すほどの自負もないままに、誰に知られず死んでいく無名の市井人は、自ら正直に生きたという自負があれば十分であろう。生を受けた者の義務であり、自分を生きることこそ役目である。ひとたび生を得れば自身の精神も肉体も自身のものである。親のものでもなく国家のものでもない故、誰にも自分の人生を支配させてはならない。
「我」を生きるとはそういうことだと書いている。自分を支配せんとの親には鉄槌を、同じくそういう妻なら、追い出すか出ていくかを奨励する。逆において同じ理屈だ。自分(親)を支配するような子どもであるなら寄りかからない、妻を支配せんとの夫なら捨てるがよかろう。支配は我慢で耐えようし、耐えたいとなら、それも自らの選択だが、我慢するにもほどがある。
無慈悲な親に虐待されて命を終えた船戸結愛ちゃん、つたない言葉で謝罪文を書いた彼女への想いが今も頭に残る。子どもは親を捨てられない。そのことに児童相談所が積極的に関わらねば子どもを救えない。児相は安易なお役所仕事ではあってならないという、国民総意の憤りである。自分たちは子どもを守り、救うのだという使命感のない者は児相の仕事に就くな。
幼い命が奪われし後に取って付けたような安易な言い訳。誰も責任を取ろうとしないこうした風潮が、この国の特質である。責任を取るために置かれる責任者が責任も取らず、断罪されない。子どもが命を落とすのは親の責任であって、自分たちとは無縁であるといわんばかりの児相である。児相施設再点検が命じられたが、人道姿勢は体制よりも意識の問題である。
国家が若者の命を奪う戦争も悲惨だが、幼児の命を奪う保護者の存在根拠は何だ。「こんな親は死刑にしろ!」という怒りもあるが、死ぬ価値すらもない親である。いかなる刑罰よりも、子どもへの愛情も含む、親の主体的な意識の問題は、誰が教え、諭し、指導すべきなのか?核家族化という問題も原因の一端なのか?かつて孫にとって祖父母は救いだった。
身を挺して母から守ってくれた祖母。そんな祖母との別れは切ない思い出が過る。生まれ育った地から車椅子に乗っけられ、叔父貴(長男)の居住する京都に旅立つ際の、赤子が如き祖母の号泣は、容赦ない叔父貴への恨みのようですらあった。良かれとの思いで母を引き取る叔父貴の心痛に思いを馳せていた。別離という親不幸の叔父貴にあって、それが祖母の宿命だった。
親と子どもの関わり方は、子どもと親のそれも含めて様々に変貌する。一切の人間関係を捨てて、見知らぬ地にいく辛さとはいかばかりであろう。「老いては子に従い」とはいうものの、自ら死地を選べない祖母にとって身を裂かれる心情であった想像する。祖母は明治の最後の年に生を受けたというから、西暦にすれば1912年となり、明治はますます遠きなりけりだ。
よほどのことがない限り、明治生まれの人に出会うこともない。大正5年生まれの父ですら生きていれば102歳だから、大正も遠き時代となっている。いずれは昭和もその命運をたどることになろうが、昭和の最後の年は1989年で、その年生まれは29歳、昭和が懐かしい時代はずっとずっと先であろう。長きを生きて今の時代を眺める立場にあるのは事実である。
その類を老人と呼ぶ。数日前、いつもの坂を上る前方に女子高生らしき姿を見つけ、さっさと追いつき、追い越し間際に声をかけた。「しんどそうだね」、「はい」、「だいぶ後ろから目標に追いついたよ」、「すごいですね」、「何歳にみえる?当ててみようか」、「そうですね~、52歳くらい?」、「残念ブー!もう少しで70歳…」。といえば、「えーーーー!」。思わぬ地声にちょい躊躇う。
女性と違って男はそんなことを喜ばない。いくつにみえようが、実年齢は変わらないし、相手が勝手にそう見たことを喜ぶ理由とはならない。喜びたいはむしろ体力の強さである。体力測定で体力年齢とやらを、機会があれば測定してみたい。それくらいに同世代の人間がいうに、自分は驚異的な脚力であるらしい。が、こちらも相対評価より絶対評価を重視したい。
何事も絶対基準で物事は判断したい。誰と比べて、「〇〇」や、「△△」というのは気休めである。自分を向上させることの方が先決で手っ取り早い。人はそれぞれが個々であって比べる意味がない。松山英樹がプロデビュー時に、何かと石川遼と比べられて発した言葉が印象深い。「一人の人間に勝ったところで、どうなるものでもない」。自身の絶対価値を高める名言だ。
己の絶対価値を高めんとする姿勢、生き方に憧れる。邁進したい。勿論、精神的な価値も含めてだが、そのためには何よりも他人と比べてのささやかな自己満足を戒めること。人間はズルく弱いからついそうして楽をしようとする。「昨日までのことは、自分にとって意味がない」というイチローの言葉も、極めつけの自己向上心である。カッコいいではないか!