「その後、絵梨香ちゃんの遺体が発見され、テレビで絵梨香ちゃんの父親が、『死んでいても見つかってよかった』と言っていた。89年1月中旬ころ、真理ちゃんの遺骨を両親に届けるために殺害現場に行った。現場には頭蓋骨など白骨が散乱していたのでいくつか拾い集めてバッグに入れて持ち帰る。骨を燃やして拾い集めて段ボールに入れ、2月6日に自宅玄関前に置いた。」
8月22日に行方不明となった真理ちゃんの骨が半年後に自宅前に置かれたタイムラグには、上記のような経緯があったと伺える。他人の金品を盗む者は、盗まれた者の気持ちなど考えず、己の実利だけでなされる行為である。他人を不幸に陥れてまで己の幸福や快楽優先の人間というのは、どのような家庭環境から形成されるのか?宮崎の父親はなぜ自殺をしたのか?
宮崎の父親は東京都西多摩郡五日市町の、「印刷センター・新五日市社」社長で、新聞折込みチラシ広告を印刷しながら、1957年に週刊『秋川新聞』を創刊した。社長の父は町会議員、祖父は村会議員を務め、地元の名士という家柄である。勤は宮崎家の長男として生まれ、地元の小・中学校を卒業後、高校は私立の名門明大付属中野高校に、片道2時間かけて通学した。
高校卒業後は東京工芸大学短大部画像技術科に進学、1983年に卒業して父親の口利きで小平市の印刷会社に3年6か月勤め、86年9月から新五日市社で家業に従事する。父親は、「秋川市に支店を出して息子に任せたいので、そろそろ結婚させねば」と周囲に語るも、アニメ愛好家の勤は離れの居室にビデオ6千本を所蔵し、マンガ同人雑誌を発行するなどしていた。
宮崎は上記の事件で少女の父親に取り押さえられ逮捕されたのが7月23日で、翌24日に父親が五日市警察署に電話をし、「新しいカメラの試し撮りに出かけた息子が、丸一日たっても帰宅しない。交通事故でも起こしたのでは?」と問い合わせた。地元でPTA会長も務め、署長とも面識のある父親に対して警察は、「八王子署に留置中だが大した事件ではない」と知らせた。
「他愛もないことで警察に迷惑をかけたようですが、将来のために厳しく戒めて下さい」といい、面会に出向くこともなかった。宮崎は警察署で家族との連絡を求めることもなく、留置中の雑談として、「去年5月に大好きだった祖父が急死して、家族に味方はいなと」と刑事に話している。警察は送検し、8月7日、東京地検八王子支部は、宮崎を猥褻誘拐・強制猥褻で起訴をした。
1989年8月 9日 - 野本綾子ちゃんの殺害を自供。
1989年8月10日 - 綾子ちゃんの頭部発見。犯人のマスコミ報道が始まる。
1989年8月11日 - 野本綾子ちゃんの誘拐・殺人・死体遺棄の容疑で再逮捕。
1989年8月13日 - 今野真理ちゃん・難波絵梨香ちゃんの誘拐殺人を自供。
1989年8月21日 - 宮崎の自宅から押収された約6千本のビデオテープの中から、真理ちゃんの遺体を撮影したものが発見される。
1989年8月23日 - 綾子ちゃんを撮影したビデオも発見される。
1989年8月24日 - 東京地検が庁舎内に精神科医を呼び、宮崎の簡易精神鑑定を実施。結果は「直ちにわかる異常なし」。
1989年9月 1日 - 警察庁が「広域重要指定117号事件」に指定。
1989年9月 2日 - 東京地検が「綾子ちゃん事件」で起訴。
1989年9月 5日 - 吉沢正美ちゃんの殺害を自供。
1989年9月 6日 - 東京都西多摩郡五日市町日向峰で吉沢正美の遺骨発見。
1989年9月 8日 - 埼玉県警が「真理ちゃん事件」で宮崎を逮捕、狭山署へ護送。
1989年9月13日 - 西多摩郡五日市町日向峰で今野真理ちゃんの遺骨発見。
1989年9月22日 - 東京地裁が国選弁護人として鈴木淳二、岩倉哲三を選任。
1989年9月29日 - 埼玉県警が「正美ちゃん事件」、「絵梨香ちゃん事件」で宮崎を逮捕。同日、東京地検が「真理ちゃん事件」で宮崎を起訴。
1989年10月19日 - 東京地検が「正美ちゃん事件」、「絵梨香ちゃん事件」で起訴。
1989年8月10日 - 綾子ちゃんの頭部発見。犯人のマスコミ報道が始まる。
1989年8月11日 - 野本綾子ちゃんの誘拐・殺人・死体遺棄の容疑で再逮捕。
1989年8月13日 - 今野真理ちゃん・難波絵梨香ちゃんの誘拐殺人を自供。
1989年8月21日 - 宮崎の自宅から押収された約6千本のビデオテープの中から、真理ちゃんの遺体を撮影したものが発見される。
1989年8月23日 - 綾子ちゃんを撮影したビデオも発見される。
1989年8月24日 - 東京地検が庁舎内に精神科医を呼び、宮崎の簡易精神鑑定を実施。結果は「直ちにわかる異常なし」。
1989年9月 1日 - 警察庁が「広域重要指定117号事件」に指定。
1989年9月 2日 - 東京地検が「綾子ちゃん事件」で起訴。
1989年9月 5日 - 吉沢正美ちゃんの殺害を自供。
1989年9月 6日 - 東京都西多摩郡五日市町日向峰で吉沢正美の遺骨発見。
1989年9月 8日 - 埼玉県警が「真理ちゃん事件」で宮崎を逮捕、狭山署へ護送。
1989年9月13日 - 西多摩郡五日市町日向峰で今野真理ちゃんの遺骨発見。
1989年9月22日 - 東京地裁が国選弁護人として鈴木淳二、岩倉哲三を選任。
1989年9月29日 - 埼玉県警が「正美ちゃん事件」、「絵梨香ちゃん事件」で宮崎を逮捕。同日、東京地検が「真理ちゃん事件」で宮崎を起訴。
1989年10月19日 - 東京地検が「正美ちゃん事件」、「絵梨香ちゃん事件」で起訴。
逮捕・起訴後の宮崎は、2日後の9日に第四事件となる野本綾子ちゃん殺害を自供した。10日朝には奥多摩町の山林から綾子ちゃんの頭蓋骨が発見されている。一連の動きは宮崎家のみならず、日本中の家庭を震撼させた。10日の午後、宮崎の両親はテレビのインタビューに応じている。「息子は子ども好きな優しい性格で、あんな恐ろしい事件に関係するとは思いません。
小さいときから大人しい物静かな子です。趣味といえばアニメのビデオを収集することで、あの子の部屋を見てもらえば分かります」。母親は、「お父さんも理解を示し、印刷の仕事に向いていないなら、ビデオで生計をたててもよいと言ったほどです」。取材陣が、「部屋を見せてくれませんか」と持ち掛け、親は息子の部屋を公開し、〝ビデオの部屋〟に日本中が注目した。
「どんな親でも親は親」というのは、儒家思想的洗脳だろうが、「どんな子どもも子は子」という言葉はないが、子を持った親の自然な思いかも知れない。子どもを虐待で死に至らしめる親もいるが、子ども憎しというより、親の理想や要求を子どもに課したり求めた結果ではなかろうか。どのように考えてみても、4~5歳の幼児を親が殺したいほど憎むなどはあり得ない。
「親の心、子知らず」、「子の心、親知らず」というのは確実に起こること、それぞれの立場、それぞれの視点で物事を判断するからだ。親は子どもを所有物としてみるから、子どもの人格を無視できる。子どもが親を権威と感じれば反抗はできない。子どもを従わせることが親の喜びなら人権無視、親の権威に尻尾を振ったりするのは自分のために生きていないことになる。
それなりの知識があればどちらも良くないのは親には分かる。後は分かって歯止めをかけるかどうかである。残念ながら親に依存しなければ生きていけない子どもにはそれが分からない。強権的な姿勢を強める親に対し、それに従おうとする子どもは多く、これは「貢ぎ」の心情である。「貢ぎ」は、「幼児的依存心」と置き換えられ、そうすることで親の愛を得る。
子どもの頃に親に貢いでいた人は、大人になっても貢ぎの心を変えられない。つまり、「貢ぐことが相手の愛を得ること」というのが内面化されているからで、これは真に不幸なことだ。なぜなら、相手に貢いだり媚びたりしなくても、愛情を得る方法はたくさんあることを体験的に知らないのだろう。他人に媚び諂う性格は、親が子どもをそのようにしてきたからである。
また、そういう志向の親であっても、媚びることを子どもが嫌悪するならその限りにない。子どもはできる限り早い時期に、自分の幸せにとって相応しい相手(親)であるか、そうでないかを考えられる子の方がいい。真に頭の良さとはそういうものではないだろうか。親に媚びているのが楽だの、得だの、都合がいいだの、それは賢さであってもズル賢さというものだ。
確信や断定というわけではないが、オヤジに数万をもらって援交するような女子中高生は、報酬を餌に何事かを躾けられたのではないのか?それなら、論理としては理解しやすい。お金を貰って親に自由を売った子どもと即断するのは間違いかも知れない。ただし、そのようなことをする親の躾が、「決していい親でない!」ということは知っておくべきである。
こどもにとって害悪とする躾が、そのままに子どもに身につくとは言い切れないが、そうした可能性を含むという危機感をもっていれば、子どもにつまらぬ習慣をつけさせなくて済む。習慣というのはその時点では身についてはなく、数年、数十年を経て現れるものゆえに親は油断をする。「これくらいは…」、「この程度のことは…」という油断が後の習慣化となる。