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命を奪われし少女たち ③

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前記した状況を経て1990年3月30日午後1時10分、東京地裁刑事第二部(中山善房裁判長)は、宮崎勤に対する殺人等被告事件の第一回公判を開いた。審理を行う一〇四法廷は傍聴席96席と最も大きい。裁判長が起訴状を読み上げ、「起訴状に書いてあることに間違いはないかね?」と宮崎に問う。罪状認否に対して大抵の被告人が、「間違いありません」といって頭を下げる。

そうした改悛の情を示すことで、裁判官の心証を良くしようとの戦術であるが、宮崎はこう反論した。「(絵梨香ちゃんに)誘拐を企てたとか、殺意をもってとか、そういうところは間違っている。(八王子で)裸になってね、とは言っていない。性的欲望を満たす目的というのは違う。醒めない夢を見て起こったというか、夢を見ていたというか…」などと答えている。

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「公訴事実の訂正を求める?」と裁判長が確認すると宮崎はこう述べた。「(綾子ちゃんの)両手と両足を投棄したのは間違い。両手は自分で食べた。両足は、家に出入りするキツネかネコに食べられたと思う」。宮崎は衝撃の発言をするが、表情は何ら変わるところはなかった。思い出すのは今野真理ちゃんの父親が葬儀の挨拶で列席者に向けて言った言葉である。

「遺骨の中に真理の手と足がなかった。これでは天国で歩くことも食べることもできない。天国で歩けるよう、食べられるようしてあげたいので全部返して欲しい」。綾子ちゃんの手を食べたという宮崎は、今野真理ちゃんもそうであろう。親としては耳を塞ぎたい気持になる。初公判時のこうした宮崎の発言から弁護側は宮崎の異常性を強調、精神鑑定を要求した。

逮捕後の宮崎は1989年8月24日に東京地検で簡易精神鑑定を受けているが、一回の面接により精神障害の有無を見分けるもので、宮崎に面接した鑑定医は、問診とロールシャッハーテストを行い、「直ちにわかる異常はない」と報告している。それを受けた東京地検の検察官は、宮崎を刑事責任能力を問えるとして起訴に踏み切った。弁護士が正確な鑑定を要求したのは当然である。

弁護士の請求を受けて宮崎の精神鑑定は1990年12月20日から92年3月31日まで1年3か月に及んだが、これを第一次精神鑑定とする。というのも、宮崎の精神鑑定は第一次精神鑑定終了後、92年4月27日から審理が再開されたが、犯行の異常性から「責任能力有り」の精神鑑定に納得しない弁護団は、宮崎被告の再鑑定を請求するが、これが第二次精神鑑定である。

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第二次精神鑑定は1992年12月18日より、94年11月30日まで二年にも及んだ。ところが再鑑定の結論は、「多重人格症」と、「精神分裂病」に割れてしまう。逮捕直後の簡易精神鑑定を含む三つの精神鑑定を裁判所がどう判断するかに注目が集まったのは当然である。人が人を裁くのも主観だが、人が人を鑑定するのも精神医学という科学的手法を用いながらも割れてしまう。

宮崎勤は4人の少女にどのように接し、どのような経緯で殺人に及んだのか、供述書から彼の行為を知ることになれば、専門家でなくとも個々の判断はなされるだろう。当時はまだ裁判員制度はなかったが、裁判員になったつもりで宮崎についての異常性が、正常な範囲であるのかを思考するのもやぶさかでない。最近言われる言葉に、「サイコパシー」というのがある。

「サイコパシー」とは精神病質であって、病気(いわゆる精神病)ではなく、ほとんどの人々が精神病質を持ちながらも通常の社会生活を営んでいる。犯罪心理学者のロバート・ヘアが講義中に述べた有名な言葉がある。「すべてのサイコパスが刑務所にいるわけではない。一部は取締役会にもいる」。その時の講義のタイトルは、「身近にひそむ捕食者たち」であった。

「サイコパシー」、「ナルシシズム」、「マキャベリズム」…精神科学の分野ではこの3つが、「邪悪な人格特性」としてセットされる。そして高い職位と経済的成功を得た人々の間で、これらの特性がより顕著に見られるということに我々は驚かされるが、邪悪な性格は成功にどう関係するのかについても研究され、まとめられている。今回はそのことに言及はしない。

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が、一般的なこれらの特徴的性質は、「サイコパシー」は、不正直、自己中心的、無謀、非情といった傾向性を見る。「ナルシシズム」は、誇大妄想、過大(往々にして不安定で脆い)な自尊心、他者を思いやらない利己的な特権意識などと関連し、「マキャベリズム」は、上辺だけの魅力(愛嬌のよさや話の上手さなど)、人心操作、偽り、冷酷さ、衝動性などと関連する。

邪悪な性格は病質であっても病気ではないと、二つは区別されている。「異常」と、「正常」には大きな開きもあれば、さほどの開きがない場合もあるように、「病質」と、「病気」もそういうことになる。「あいつは普通じゃない。病気だよ」と比喩的に言ったりするが、実際は病気の場合もある。宮崎は異常性はどちらであろう?我々自身、供述書から判断は可能である。

「今野真理ちゃん事件」
1988年8月22日、宮崎はディスカウント店の帰り、入間ビレッジで真理ちゃんを見かけた。一人と分かって性器を見たり触りたいと思った。今ならこの子を盗めると、ドキドキした。自分のものにしたいと祈るような気持ちで、「お嬢ちゃん、涼しいところへ行かない?」と誘ったらついてきた。

真理ちゃんをクルマに乗せ、すぐにドアをロックしてクルマを発進させ、すぐにラジオを鳴らした。「ボタンさわっていいよ」、真理ちゃんはラジオのボタンを押し、選局して面白がって遊んだ。クルマを八王子市へ走らせながら、この子を解放すれば誘拐が発覚するので、人目につかない場所に行って殺すしかないと思い始めていた。「寝てもいいよ。お昼寝するんでしょう」。


話しかけて不安がらせないように努め東京電力新多摩変電所先の空き地へ乗り入れ真理ちゃんを下ろした。「今度は電車に乗ろうね」。ハイキングコースを1キロばかり歩き、「ここで休もうね」と、日向峰山林内で並んで腰を下ろすと真理ちゃんがシクシク泣き出した。鳴き声がハイキングコースを通る人に聞かれると怪しまれて犯行が発覚すると思い殺すことにした。

並んで座っていたが、私が真理ちゃんの前に回るとビックリした表情を見せたが、すぐに親指を首に当てると真理ちゃんは私の顔を見て、私のすることを悟ったような目つきだった。怨んでいるような目なので、顔をそむけて覆いかぶさって押し倒し、体重をかけて首を絞めた。翌23日朝、杉並のレンタルビデオ店に行き、ビデオカメラを借りて再び殺害現場に立ち寄った。

その場で死体の陰部などに指を入れるなどし、ビデオ撮影した。真理ちゃんの衣服を自宅に持ち帰り、物置に隠した。4か月後の12月15日ころ、テレビ報道で真理ちゃんの母親が娘の身を案じているのを知り、真理ちゃん宅に、「魔がいるわ」と書いたハガキを送ったのは、生きていると思わせたかったからで、「入間川(いるまがわ)」をもじって、「魔がいるわ」とした。

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