子どもの悲劇の多くは親がもたらすもの。といえば、「親だって子どもによって不幸にさせられる」という反論を受けたことがある。例えば、少年Aこと酒鬼薔薇聖斗の両親、先日犯人逮捕となった広島・廿日市女子高生殺人事件の両親をはじめ、子どもの犯罪によって煽りをくった親の多くは近所付き合いもできずにひっそり暮らすか、多くは転居を余儀なくさせられる。
自殺を遂げた親もいた。「今田勇子」の名で犯行声明をした、「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」の犯人宮崎勤の父親である。宮崎は10か月の間に4人の幼女を殺害した。第一の事件は、1988年8月22日、埼玉県入間市に住む4歳の女児が行方不明となった、これが「今野真理ちゃん事件」。第二の事件は、同年10月3日、埼玉県飯能市に住む7歳の女児が行方不明となった。
これが「吉沢正美ちゃん事件」。第三の事件は同年12月9日、埼玉県川越市に住む4歳の女児が行方不明となる「難波絵梨香ちゃん事件」。3つの事件の関連が取り沙汰されるなか捜査が進められた。1989年2月6日、入間市の今野真理ちゃん宅玄関ドアの前に段ボール箱が置かれていた。中には黒っぽい灰や泥、焼かれて炭化した木片に交じって人骨や小さな歯が混じっていた。
埼玉県警は、段ボール箱に入っていた乳歯3本、永久歯7本について鑑定した結果、歯は真理ちゃんではなく、別な幼児のもの」と発表された。ところがその後、鑑定にあたった東京医科歯科大鈴木和男教授は、朝日新聞社の取材に対し、「詳しくしらべた結果、真理ちゃんとは別人の歯とする根拠はなくなった」と答えたことで、県警の断定発表が批判されることになる。
鈴木教授は、県警発表の時点では別人と断定していたわけでなく、県警に対し、「断定発表をせぬよういっておいた」と話したがつまらぬ失態である。その様をあざ笑うかのように1989年2月10日、東京・中央区築地の朝日新聞東京本社に、「社会部」宛の封書が届く。差出人は、「所沢市 今田勇子」名で、B4判のコピー用紙三枚の、「犯行声明」が入っていた。
中にはインスタカメラで撮影された真理ちゃんの顔写真が同封されていた。翌11日には真理ちゃん宅宛てに朝日新聞社に届いたものと同じ文面のコピーと、真理ちゃんの顔写真が送られてきた。差出人は同じ、「所沢市 今田勇子」である。声明文には、「今野まりちゃん宅へ、遺骨入り段ボールを置いたのは、この私です」とあり、連れ去ったときの概要が記されていた。
こんなものを読まされた親の心境はいかばかりか。生きていれば現在は29歳になる真理ちゃんである。犯行声明文は、利き手とは反対で書いたと思われる特徴ある筆跡だった。届いた犯行声明や真理ちゃんの写真などから埼玉県警は狭山警察署内に、「今野真理ちゃん誘拐・殺人事件捜査本部」を設置する。真理ちゃんの葬儀・告別式は3月11日正午、入間市蓮華院で行われた。
父親は、「遺骨の中に真理の手と足がなかった。これでは天国で歩くこともできない。食べることもできない。天国で歩けるように、食べられるようにしてあげたいので、是非、全部返していただきたい。」と述べ、450人余の参列者の涙を誘った。真理ちゃんの葬儀も終わった3か月後の6月6日、今度は東京都江東区内で5歳の女児が行方不明となる。これが第四の事件。
「野本綾子ちゃん事件」である。綾子ちゃんは5日後の6月11日午前11時頃、埼玉県飯能市宮沢の宮沢湖霊園の公衆トイレ脇で、バラバラ死体の胴体部分が発見された。遺体が発見されたのは、第三事件の難波絵梨香ちゃんと第四事件の野本綾子ちゃんの二名だけで、絵梨香ちゃんは、不明となった6日後、埼玉県入間郡名粟村の山林内で手足を縛られた全裸死体で発見された。
犯人逮捕の契機となったのは、同年7月23日、東京・八王子市内の美山街道に面した手洗い場で、9歳と6歳の姉妹が水遊びをしていたところ、乗用車から降りてきた青年が、「写真を撮らせて」と二人に近づいてきた。姉妹を撮影した青年は、6歳の妹を姉から引き離し、「川の向こうに行ってみよう」と連れ去る。不信を抱いた姉が自宅に駆け込み、父親と一緒に妹を探し回った。
妹は沢の岩場で服を脱がされて全裸の状態で左足をあげるポーズの被写体の最中であった。色白でやや小太りの青年は、父親に取り押さえられてポカポカ殴られたが、いったんその場を逃れて沢の奥に逃げ込んだ。しかし、砕石会社の前に駐車したクルマを放置したままでは逃げても無駄と気づいたのか、引き返して通報で急行していた八王子署員に逮捕された。
わずか10か月の間に4人の少女が誘拐され、無惨に殺害されるという、日本中を震撼させた、「宮崎勤事件」のあらましと逮捕に至る経緯である。以下は宮崎が現行犯逮捕された後におけるこれまでの事件についての自供経緯であるが、青年を取り押さえることになった姉妹の父親は、後に連続幼女誘拐殺人犯宮崎勤と知って愕然とし、多くのマスコミの取材を受けている。
父親にすれば、自分の娘も同じことになったかもという気持ちがよぎり、姉の機転があったからこそと考えるだけで胸を撫でおろしたことだろう。いつなんどき何があるか分からないと考えるなら、幼児(特に女児)の一人遊びは危険である。それにしても姉と二人でいる妹を狙う宮崎の大胆さというのか、軽率というべきなのか、結果的にそれで墓穴を掘ったことになる。
たまたま姉の機転で救われた格好である。取調官による宮崎への尋問は数十時間もの音声記録として残っている。普段は世に出るものではないが、こうした取り調べ段階の録音を初めて聞いたのは、1963年3月に発生した、「吉展ちゃん誘拐事件」の犯人小原保と取り調べを担当した名刑事平塚八兵衛とのやり取りだった。犯罪者の切々と語るありふれた声に漂う恐怖感…
人を殺した人間による殺す場面の生々しい供述は、被害者の親族・身内にとっては耐えられない苦しみや痛々しさである。我が娘を見知らぬ男に弄ばされた挙句に殺害されるという理不尽さに加えて、犯人のみが知り得る事実を耳にしながら、怒りと虚しさと、憎しみと嫌悪と無念さが入り混じった形容しがたくも、犯罪被害遺族が受け入れねばならない現実である。
「あの日(8月22日)、クルマで走っていたらトイレに行きたくなり、団地にクルマを止めて茂みで立小便をした。クルマに戻ろうとしたら女の子が歩道橋に一人で立ってるのが見え、周りには誰もいないので近づいて、「一緒に涼しいところにいかないか?」と声をかけた。クルマに乗せて八王子方面に向かい、山の中で首を絞めた」。と、今野真理ちゃんについての供述した。
難波絵梨香ちゃんの状況はこうだ。「団地に一人でいるところを見つけて、暖かいところにいこうと声をかけた。最初は写真を撮るだけで殺すつもりはなかったけど、急に泣き出してどうしていいか分からなくなり、駐車場にクルマを止めて首を絞めた」。クルマで少女が泣き出したくらいで殺すのか?「家に帰ろう」といえば泣き止むが、宮崎には隠された動機があった。