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命を奪われし少女たち ①

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「大阪教育大学附属池田小事件」は、2001年6月8日に起きた。昨日で17年になる。当日午前10時20分頃、大阪教育大学附属池田小学校に凶器を持った宅間守が侵入し、次々と同校の児童を襲撃した。被害にあった児童21名のうち、8名が殺害され、児童13名と教諭2名が傷害を負った。宅間は、校長や別の教諭にその場で取り押さえられ、駆け付けた警官に現行犯逮捕された。

宅間は最後の一人を刺し終えると、凶器の出刃包丁を床に落とし、「あーしんど!」と呟いたという。なんというふてぶてしい発言か。宅間は殺人罪などで起訴されるが、逮捕当初は精神障害者を装った言動を取っていた。宅間への精神鑑定は、起訴前と公判中の2度行われ、どちらも、「統合失調症は認められず、責任能力を減免するような精神障害はない」とされた。

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これは責任能力を認める結果が出たことになる。刃物を持って教室内に乱入、逃げ惑う子どもたちを次々に刺した後で、「あーしんど!」などと、まるで一仕事終えたといわんばかりの言いぐさである。これを精神異常者の所業でなくてなんだというのか?と言いたいが、それでは罪に問えないことになる。幸い(?)にも鑑定結果は、責任を問えるものという判定だった。

キチガイに行動理由を問う意味はないが、正常な人間の行為なら、なぜこのようなことをしたのか?なぜ小学校で、なぜ大教大付属池田小なのか?逮捕直後に宅間は、「薬を十回分飲んだ。しんどい」と供述して医師の診察を受ける。宅間が飲んだとされる薬は自宅の捜査から、抗精神病薬「セロクエル」、抗うつ薬「パキシル」、睡眠剤「エバミール」の三種と判明した。

これらの薬剤を10回分服用しても眠くなるだけで、奇怪な行動を起こしたりすることはないとされている。宅間の自宅の捜査からは、睡眠薬や抗精神病薬など10数種類、約200錠の薬物が押収されているが、これは宅間が複数の病院に通院し、医師に「眠れない」などと睡眠障害・不眠症を偽って薬を処方してもらい、飲まずにため込んでいたものであることが分かった。

逮捕後の宅間の供述から血液や尿を採取して仮鑑定したが、精神安定剤の成分は検出されなかった。捜査員がこの事実を宅間に突きつけると、「すみません。薬は飲んでいません。作り話でした」と、あっけらかんと嘘を認めたという。どこまで不届きな男であるかがわかろう。犯行後に精神障害者を偽ったり、作り話をしたのは、罪を逃れようとする意図だったのか?

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宅間の精神鑑定を行ったのは京都府立洛南病院副院長の岡江晃氏である。京都府立洛南病院は単科の精神病院であるが、岡江氏は鑑定の依頼を受けたとき、たとえ世間から非難を浴びようとも自説を主張しようと心に決めて引き受けたという。重大犯罪を起こした統合失調症や妄想性障害の人たちは、刑罰を受けるべきか治療を受けるべきか、氏の考えは治療優先である。

統合失調症なら完全責任能力はないということになる。被害遺族の心情を理解はすれど、医師としての判断は、「情」に左右されるべきではない。岡江氏は大阪拘置所の面会室で17回にわたって宅間に会って話を聞いたところ、彼が統合失調症であるかという判断はすぐに消えた。「宅間守は統合失調症ではない」。これが鑑定人や鑑定助手ら4人の一致した意見となる。


宅間は大阪教育大学附属池田小学校での事件の前から、数々の粗暴な事件を起こしているが、事件と事件の間にしばしば精神科を受診している。1回のみの診察を含めると、15人以上の精神科医に診察を受けている。強姦事件後には自ら精神科を受診して入院し、学校の用務員時代にはお茶に薬物混入という事件を起こし、その時も警察官と共に精神科病院に来院している。

宅間の公判において、彼を診察した幾人かの精神科医たちが証人尋問で述べている内容には共通点がある。それは、「注察妄想」(周囲から、あるいは街中などで他人から、観察されているという妄想)と、「関係妄想」(本人にとってはまったく関係のない周囲の人々の動作や見聞きした出来事を、自分に対してある意味や関係があると強く思い込む妄想)を訴えている。

精神科医は、「統合失調症の疑い」(もしくは「統合失調症」)と診断はしたものの、思考の異常は目立たなかった。と証言をした。宅間はなぜ精神科に受診したのか。精神科医の一人は、「診察の後で医局会を開くが、そのときに数人の医師で宅間君のお茶事件について論議し、これは彼が21歳のときの入院も偽装ではないかというふうな結論に達したわけで…」と証言している。

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宅間は4人の女性との結婚歴があり、離婚訴訟や借金、詐欺などといった様々なトラブルを抱えていた。その中でも3番目の元妻に対しては、別居してから3年半の年月にわたり、「復縁したい、1000万円の賠償金をとりたい、どちらもできないなら殺したい」と考え続けていたようで、本件犯行の16日前には殺すことを決心し、具体的な準備を始めていたのだという。

ところがなぜか目的が小学校での事件に変わっていく。宅間守は1963年、兵庫県で生まれた。小中学校時代から粗暴な言動が目だつ。同性の友人はおらず、女性に対する態度も逸脱的。公務員だったこともあるが職を転々とし、犯罪歴も多数ある。精神科への断続的な通院歴と4度の入院歴がある。また、4度の結婚と離婚をし、犯行の直前には3度目の元妻への復讐を考えていた。

同情しにくい人生ではある。鑑定書が出した結論は、人間的な感情に乏しい、「情性欠如」。ただ、あまりに常軌を逸した行動が多すぎて逆に気になる。鑑定書もまた、「いずれにも分類できない特異な心理的発達障害があった」とし、「現在の精神医学の疾患概念には当てはめることのできないほど、バラバラな症状と非定型的な症状である」ということも述べている。

一方の宅間は公判中に、「下関事件の模倣犯になりたかった」とか、「命を以って償います」という言葉を初公判の際のみ、反省・謝罪の弁を口にしている。「下関事件」とは、1999年9月29日に山口県下関市のJR西日本下関駅において発生した無差別殺人事件である。同日午後4時25分頃、加害者である上部康明がレンタカーで下関駅構内に突っ込み、60m暴走して7人をはねた。

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その後車から降りた上部は、包丁を振り回しながら改札を通過し、2階のプラットホームへと続く階段を上る途中で1人を切りつけ、プラットホームに上がってからさらに7人を無差別に切りつけたが、駅員に取り押さえられ山口県警察鉄道警察隊に現行犯逮捕された。これらの行為により、5人が死亡、10人が重軽傷を負った。事件の3週間前には、「池袋通り魔殺人事件」あった。

上部は公判で、「この事件を意識した」と述べた。2002年9月20日、死刑判決を受けて控訴するも、広島高裁は山口地裁判決を支持し控訴を棄却する。上部は最高裁に上訴するも棄却、死刑が確定する。2012年3月29日、広島拘置所内で上部の死刑が執行された。上部は九大工学部を卒業、一級建築士資格を持つエリートである。宅間は上部をヒーローと仰ぎ模倣したという。

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