プロゴルファーの松山英樹がプロ宣言をしたのは2013年4月2日だった。彼は当時21歳の東北福祉大の学生で、プロ宣言の第一声は、「やっていけるという自信を持ちました」である。何とも謙虚な言葉なのか、あるいは本音なのか、どちらともとれなくはないほどに彼のアマチュア時代の成績は素晴らしく、まさに、「最強のアマ」に相応しい成績を収めている。
松山の高校は名門・明徳義塾ゴルフ部での寮生活だった。当時の明徳義塾ゴルフ部監督・高橋章夫氏が語る。「うちの中でも過去最高の練習量を誇っていた。皆が寝ている早朝から1人起きてランニングや打ち込みに取り組んでいた。昼休みも、練習終了後も、休日も自主練習を欠かさない松山にくっついて一緒にやる子も出ましたが、途中からついていけなくなるんです」。
やみくもに多くの試合に出場せず、きちんと試合を選んで照準を合わせることで、高2の時には早くも、「全国高等学校ゴルフ選手権大会」で優勝するなどの結果を残してきた。当初松山は高校卒業後にはすぐのプロデビューを希望していたという。高橋監督は、「『それでは大きく伸びない』と大学進学を勧めました。また、将来的なアメリカ行きの話もしました。
アマチュアでチャンピオンになってからプロ転向したほうが名前も売れて、プロとして値打ちも付きますからね」。石川遼もタイガー・ウッズから大学域行きを進言されたが、進学はせずに高校卒業後すぐにプロに転向した。松山は谷原秀人、池田勇太らをはじめとする多くのプロを輩出した名門東北福祉大に進学した。同大ゴルフ部の阿部靖彦監督が回想する。
「入部してきた時から松山は世界でメジャートーナメントを戦う人間になることを強く意識してやってきた。それでも『これだけ練習してます』というのを人に決して見せません。トレーニングの取材は一切受けないしね」。大学1年時の2010年、「アジアアマチュアゴルフ選手権」では日本人初優勝を飾り、日本人アマとしては初めて、「マスターズ」の出場権を獲得した。
翌11年にも同選手権を連覇し、いずれもマスターズで予選通過を果たす。同11年に「三井住友VISA太平洋マスターズ」を制したが、アマでの日本ツアー優勝は、倉本昌弘、石川遼に次ぐ3人目の快挙だった。アマチュアとして十分すぎるほどの実績をあげた松山だが、常に比較されてきたのが、同学年であり、やはりアマ時代から注目されてプロ入りした石川遼だった。
プロ入りは5年も石川が先輩である。アマ時代の松山は、何かと石川と比較されても慎重な受け答えが目立っていたが、プロ転向後のインタビューではこんな思いを吐露している。「アマ当時は、遼を意識しないようにあえて意識しているというのが本心かな。自分より常に先を行っている存在なので、追いかける立場の自分がライバルというのは違うかもしれない。
プロになって少しは近づいたかなと思うけど、追いついたとは思えませんね。だって、自分はようやくプロになったというのに、遼はアメリカですから」。当たり前だが5年も早くプロになっていた石川に後れを取っていた松山である。その時点においては日本ツアーで10勝をあげ、賞金王にも輝いたことのある石川のほうが、実績も人気もはるかに松山を上回っていた。
それでも松山の快進撃は凄まじく、成績で、「石川超え」を果たすのにさしたる時間を要さないのではと思わせた。プロ初戦となった、「東建ホームメイトカップ」でいきなり10位に入り、2戦目の、「つるやオープン」では最速優勝を成し遂げた。連覇を目指した、「中日クラウンズ」は惜しくも2位となったが、早くも賞金ランクトップとなるモンスターぶりを見せつけた。
石川越えなるか?マスコミは同年齢の両雄を盛んに煽りるも、「誰か1人に勝ってもしょうがない」と松山はかわした。その一方で、「出る試合は全部勝ちたい」とも口にしている。そんなことは無理に決まっており、心意気としての発言と周囲は捉える。しかし松山の場合は本気で考えているのではないかと思わされる、とあるスポーツライターは書いている。
明徳義塾高時代の恩師高橋監督は松山のプロ転向後の勢いを、「今が頂点じゃありません。まだまだ進化している感じですね」といい、そうした進化の中で松山は肉体改造に取り組んでいた。誰が見ても松山の肉体の変貌は感じるだろうし、石川遼はまるでスタイリストモデルを堅持しているかのようである。確かにファッション的には断然石川に軍配があがる。
この際率直に、「容姿も…」と言っておこう。石川に遅れること5年の2013年から、松山の、「遼超え」伝説は始まっていた。松山は2013年~14年シーズンから本格的に米ツアーに参戦するが、同時にトレーナーを帯同させて下半身強化を図る。松山のトレーナーは、中嶋常幸プロに従事したこともあり、日本のゴルフ界で真っ先にハードトレーニングを取り入れた先駆者である。
過酷な練習内容は聞こえてこない。15年に拠点を米国のフロリダ州オーランドに移した松山について米国在住のスポーツライターが話す。「ゴルフ場そばの一軒家を購入し、トレーニングマシンを備えている。転戦先のホテルの選別もジムの設備内容で決め、早い時は4時ぐらいに起床、ストレッチに始まり、ランニング、体幹トレ、サーキットトレーニングを1時間ほど行う」。
トレーニングは移動中以外の毎日行われ、帰国先でもサーキットトレは欠かさないが、下半身を鍛えて筋肉量が増えることで、スイングフォームの調整が必要となる。ここがゴルフの難しさだといわれる。下半身強化に伴うフォーム作りに明け暮れる松山は、米ツアーの公式サイトの中で、“練習の鬼”とまで称されている。となると、石川と松山の実力差は練習量の差なのか?
松山の肉体がスケールアップしたのは一目瞭然だが、石川の体形はあまり変わっていないように見える。こんな投稿を目にした。「石川遼と斎藤佑樹の共通点はプロなのに体力づくりに取り組まない」。まあ、プロだろうから全然やっていないことはないだろうが、見た目が変わらないのは、変わる人ほどやってないということか。斎藤佑樹と田中将大、石川遼と松山英樹のライバル。
体形が変わった側が実力をつけているのを見ても、プロは基礎体力あってこそ長い帳場をカバーできる。5月31日から6月3日までの期間、アメリカでPGAツアーの「ザ・メモリアルトーナメント」が、日本では、「日本ゴルフツアー選手権」が行われている。初日松山はトップタイ、石川は2日間を終えて予選落ち。よほど嫌われているのか石川へのエールはない。