思慮分別のある親から目いっぱいの愛情を受け、伸び伸び育った子どもがいいに決まっている。そういう親子には一般家庭にありがちなネガティブな問題はほとんどないが、分別の無い支配的な親に育てられた子どもは、親との軋轢から道を外す場合もあるが、それでも親に苦しんで育った子どもは親子の機微について多く考えさせられたことは後のプラスとなる。
そういう人間は親子関係に問題意識を持つが、親に苦しむことなく育った人間に比べて貴重な体験を得ることになる。気持ちの持ち方一つでハンディは長所に変えられるし、そういう柔軟性のある人間には禍を吹き飛ばすバネもある。親への不満をあげつらい、ブツブツ文句を言ったり、自らを悲劇のヒロインに見立てて癒しを求めたところで何も変わらない。
禍は自らで跳ねのけるしかない、そのことを我々は戦争や自然災害の被災者から教訓を学んだ。想像しかできないが、原爆や空襲で瓦礫と化した街や森や、阪神、東北の二度の巨大地震や大津波に遭遇し、心折れることなく再生に立ち向かった人たちの気概には賞賛すら贈りたい。崩壊と蘇生の連続のなか、人間とは究極的には蘇生であると確信を抱かせられる。
人間は脆弱な生き物というが、機に臨めば斯くも能動的で頼もしい。能動的であるということは、傷ついてなどいられないということでもある。傷つくことを回避する方法は二つしかない。一つは傷つける相手と関わらぬこと。もう一つは能動的になる事である。能動的になるためには甘えを克服せざるを得ない。これが自分が母の呪縛から逃れるために取った手法である。
子どもなら誰にでもある自己中心的な心情や、他人から特別に注視されたいという気持ちや思いから決別する必要がある。それが、「母親になど褒めてもらいたくない」に行きつく。人間は不思議なもので、自分が嫌う相手からの評価などはむしろ嫌悪感にすらなる。母親に褒められたい、母親を他の兄弟から独占したい、これが幼児の中にある自然な甘えである。
母子家庭の子どもの方が自立心も高く、精神年齢が高い傾向にあるのは、甘えを排除するからであろう。依存する母が四苦八苦、汗をかいて働く姿を見れば、負担をかけることは躊躇われる。というように、環境が自然に自立を促していく。それに比べて子離れできない親は無惨である。こういう親が子どもの人格形成にどういう悪影響を及ぼすかなど知る由もない。
自明の理として一例を記しておく。甘えた人間は受け身的依存心が強いがゆえ、周囲に対して必要以上に受け入れられることを望み、要求もするが、それが受け入れられないことで劣等感・不安感を抱く。あげく彼らは、周囲の人間から無視や軽蔑されることを極度に恐れる。数日前、中三の少女が友人宅から1000万円もの大金を盗んで逮捕される事件があった。
盗んだ金の使い道は同級生に配っていたという。深刻な話である反面、滑稽さも自分には映った。1000万円を盗んだ先は彼女の友人宅であった。なぜに1000万円もの大金を簡単に盗むことができたかである。そのお金は友人の母親が実家から支援してもらったもので、リビングに保管していたという。この事実だけを見ても、友人の母親の無頓着さが分かろう。
少女は、「友人から仲間外れにされているように感じ、ストレスがあった」と供述している。少女に罪がないとは言わないが、彼女に罪を作ったのは紛れもない友人の母である。我が家にも同じケースがあった。長女が小4くらいだったか、近所の姉妹が遊びに来ていた。妻が台所の引き出しに入れた財布から現金が消えているのを知り、種々の行動分析から犯人を姉妹の妹と特定した。
「どうすべきか」と相談があった。額は7~8千円くらいで、全部取らなければ見つからなかったろうが、そこは子どもだ。「証拠をつかんでないからな」と言い含めたが、そのことは近所付き合いの難しさでもある。すると妻は、「分かった。私がそこに財布を入れているのがよくないのよ」と閃いたようにいい、「今回のことはこちらの不手際だから…」と不問にした。いい判断と感じた。
罪は、作らせる方も悪いのだ。1000万円もの大金をリビングに置いておくなど、親からもらった不労所得だからそんな風だろうし、バカな親というしかいいようがない。何事においても人間は、相手の罪ばかりを問題視し、取り上げるが、相手の視点から見ればこちらにも罪はある。最終的に人間は、相手の視点で自分を見ることができるようになれるか否かである。
それができて一人前の端くれかも知れない。他にも至らぬところは多だあろうが、何でも他人のせいにして、自分の罪を軽んじる人間の多きこと。人間の自尊感情は分からぬでもないが、これができるようになれば人間は「立派」という称号を贈っていいと思っている。それくらいに難しいことである。誰も完ぺきな人間はいないし、なれるものではないし、だからである。
ここに記す幼少体験の一切は、自身の苦悩を元にしたもの。自暴自棄なることもなく、不良になるなど考えたこともない。その理由は、父の存在である。寡黙であまり息子と話すことのなかった父とのコミュニケーションなるものは皆無に等しい。それでも幼少時代は本から仕入れた知識や、戦争体験の話を聞かせてくれ、さらには将棋という無言の会話もあった。
自分は何事においても、このような交換条件を提示されたが、母親の意図が分かり、腹の底が見えると、「その手に乗るか」と反抗的になっていった。子どもが何をやっても褒めることはなかった母が、あるとき見え透いたような誉め言葉をいい出したが、急な変わりようについて行かない自分である。どうもそれが上手くいかないと分かったときにこういった。
「『先生が、褒めてあげましょう。褒めることでやる気も出ます』などといったからやったのに、ぜんぜんいうことを聞かない。だからもう止めた」と、こんなあからさまなことをいうのである。「何をすればいい、何がよくない」と、そんなことより大事なのは親子の信頼関係の有無だろう。それがないままに、カンフル剤を注入したところで、子どもは見透かしている。
自分は母が優しい言葉をかけてきたとき、彼女の本質をとっくに見抜いたこともあってか、不自然極まりない感じを受けた。人間が急に変われるものではないし、親が急に変わったところで、子どもは受け入れない。「三つ子の魂」というのは、そういう意味もある。やさしい親は幼児の時からやさしく、強圧的な親はやはり幼児期の時点で子どもにその印象を与えている。