囲碁はできない自分は囲碁界のことも詳しくない。が、人間への興味は、囲碁や将棋以外のあらゆる世界において対象となっている。思うに人間の興味や関心は様々で、同じテーマに興味があっても、興味の内容や持ち方は人によって異なる。人間が人間に興味を持つのは自然なことで、心理学や行動分析学などで体系化されるなど、人間が人間に興味を持たないハズはない。
ただし、興味の深浅は人による。人間にさほど関心はなく、モノやお金に興味と関心を抱く人もいる。例をあげると、将棋に興味がある人が棋士や将棋界の事に関心を持つ人も、将棋というゲームそのものだけに興味を持つ人に分かれる。将棋が強くなるという観点からすると、将棋の戦法や詰将棋などに関心がある方が有利となる。そういう人はあまり人間に関心がない。
お金持ちになるには人よりモノへの執着が重要かも知れない。人物に対する興味は一種の恋愛感情であって、恋愛といってもなにも異性間とは限らない。男が男に、女が女に興味や関心を抱いてもよい。最終的には、「好き」か、「嫌い」かが重要であって、好きであれば自分の利害を抜きに入れ込む。また、嫌いな人間なら、どんなに利得があろうとも拒絶してしまう。
反面、モノや仕組みに対する興味は恋愛とは逆の一種の相対化である。対象から一定の距離を置いて冷静に対象物を見ることができるのは、恋愛と区別される点だろう。人物に興味関心が高い人は、コレだと思った人に対し、素直に無邪気に飛び込んで教えを請うことができるが、モノやお金に興味のある人は、「この世で信じるものはお金だけ」というような心情であるらしい。
投資や利殖やギャンブルにはまったく興味のない自分は、日常そんなことに神経を使う時間が惜しいと感じている。株式チャートに釘付けになって、日々の上げ下げに一喜一憂するなどは、人間の刹那の生涯を考えた時に大きなロスではないかと。預金通帳の数字を眺める快感は分からなくもないが、お金というのは食べて着て雨風しのげれば十分と感じるようになった。
あとは多少の娯楽である。先日将棋の羽生善治と共に国民栄誉賞を授かった囲碁棋士井山裕太の名前と顔くらいは知っている。彼がタイトルを総なめしていることも知っている。2012年に将棋の女流棋士室田伊緒二段を妻に娶ったこと、2015年に離婚したことも知っている。二人は2年半の交際期間を経て入籍したが、どちらも1989年5月24日生まれという、珍しいカップルであった。
入籍の日付け、離婚の日付も同じなのは当たり前である。死ぬときはおそらく別の日となろう。室田伊緒二段は、愛知県春日井市出身で、同じ瀬戸市出身の藤井聡太六段と同門の姉弟子にあたる。二人の結婚はお目出度いことだが、離婚となると囲碁・将棋界双方に激震となった。口数の少ない似たもの夫婦との印象だったが、似たもの夫婦のデメリットもあるのだろう。
大勢の棋士仲間に祝福されての旅立ちだったが、離婚を祝福するものはいない。囲碁界には疎い自分だが、囲碁界にも変人がいるだろうといろいろ調べてみた。それによると、趙治勲名誉名人の名があった。対局中、自らの打った悪手に腹を立て、脇息を投げ飛ばしたという。また、対局を見学していた日本棋院院生が私語をしたところ、ペットボトルを投げつけたこともあった。
もう一人は故藤沢秀行名誉棋聖で、派手な女性関係が知られている。愛人の家に入り浸って自宅に3年帰らなかったこともあったといい、所要で帰らなければならなくなった際、自宅の場所が分からず妻を電話で呼び出して案内させたという。こうした奇行からして、変人よりも上位の奇人に該当する。孫の藤沢里菜女流三段は、最年少で授流本因坊タイトルを取るなど活躍中。
極めつけといえば現在離婚係争中の依田紀基九段(52)と原幸子四段(47)夫婦の金銭を巡る泥沼訴訟合戦を文春が報じている。依田は囲碁界における最後の"無頼派"とされ、歌舞伎町で豪遊やバカラで大散財などのエピソードには事欠かない。全盛期には1億円近い年収があったとされるが、2004年、仕手株に手を出したことで多額の借金を負い、都心の高級マンションを売却した。
今、夫妻の間で最大の問題なのはこの売却金の行方で、妻の原はいう。「マンションを売ったお金は弁護士が預かり、借金返済も弁護士が行い、残金は基本的に子供たちの学費に充てるという約束でした。しかし依田はこの約束を破り、3000万円を自分のものにしたのです。子供たちは自分たちの学資を取られ、何より父親に騙されたと感じ、大きなショックを受けています」。
自分の預金も夫の借金の肩代わりのために使い果たしたという原は、その返済を求め、依田に対し訴訟を起こす。一方の依田も、離婚を求めて提訴している。依田はいう。「僕は天に向かって恥じるようなやましいことは何もしていません。ただ、やり方はまずいところがあったなとは思います」。かつて二人は、NHKの囲碁番組で一緒に司会を務めた人気者であった。
依田紀基は小学5年の夏に北海道岩見沢市から上京、安藤武夫七段の内弟子となり、そこから小中学校に通う。入門当初の棋力を安藤はアマ五段と認定した。中学3年のとき彼はプロ棋士になる。小さい時から彼は囲碁以外のことには興味を示さなかった。ある時、安藤先生は自宅の庭で野球をしようとしたが、依田は野球の仕方を知らなかったという笑い話がある。
6年間の内弟子生活においても、彼は囲碁以外のいかなる事にも関心を持たなかった。成長して成人になった後も彼は小さい事には無頓着で、いつも周りの者を冷や冷やさせた。1998年に原幸子四段と入籍したが、「とにかく主人はびっくりするくらい何もできないんです。新婚当初は、私も主人が困らないように料理を作って、あとは温めるだけにして出かけるわけです。
帰ってみるととりあえず無事に生きてはいるんですが、ひげは伸び放題、ビール缶は散乱し、なんとガスコンロに火がついたままでした。主人はコンロの消し方がわからないんです。もしも私が3日間ほど彼の元を離れていたら、彼は餓死するかもしれない」などと冗談めかしていう。依田紀基といえば、山下敬吾や井山裕太が出てくる前は世界でいちばん強かった棋士であった。
「金の切れ目が縁の切れ目」か、縁が切れての金の争奪戦か、離婚がらみの金銭争奪は最近あまり聞かない。お金で品位を落とすのは下半身以上にみっともない気もするが、双方譲れない現実なら仕方ない。才媛のほまれ高い原幸子だが、「依田の面倒をみられるのは原しかいない」といわれ、まるで幼児のような依田の面倒を見た末路がお金の争いとは縁は異なものだ。