さまざまな国の文化を網羅した文化論なるものは、どこの国であれ大体においてイデオロギーと言えるものだが、それを前提として日本文化論の特色をあげると以下のようなものがある。「和の強調」、「集団(全体)主義」、「(集団主義における)協調性」といったものが、土居健郎の『甘えの構造』、中根千絵の『タテ社会の人間関係』などの日本文化論名著を生んでいる。
文化論がイデオロギーなら、イデオロギーというのは大衆に受けなければいけない。大衆に受けるためには、大衆が受け入れる論理が必要となる。大衆にアピールするためには、日本文化批判よりも、日本文化はユニークとか、日本人は立派な国民であるとか、和を貴ぶ日本人は節度があって慎み深いというような、日本人をオダテあげるような要素なくて日本文化論にはならない。
社会科学主体による社会交換論を打ち出せば学者や教養人は、「日本人は立派だ」というかも知れぬが、「これをしてくれるからあれをしてあげる」の日本人は、利己的、打算的、自己中心的などが浮き彫りになる。いわゆる、"袖の下"などの贈収賄や、互いの潰し合いを避ける共存共栄の、"談合"などは、いかにも日本文化の特徴だが、こうした日本人に醜さを晒すことにもなる。
維新後の日本文化は西洋崇拝が基本で、経済的には追いついた、追い越したといいながらも、文化的にはいまだに西洋に憧れている。文明の中心はパリであり、ロンドンであり、日本はそれらに次ぐものという考えは取れないままの情勢で、いったい日本人とは何か、日本文化とは何かという疑問に対する答えを出さない限り、答えとしての日本人論、文化論はないも同然だ。
文化論とは比較文化論であるべきで、日本を他の社会や文明と比べて日本文明は何であるかを規定するのが文化論という学者もいるが、案外と一方的な比較になりやすい。人類学で行うような比較論なら、世界に存在する数百の文化を全部拾い、その一つを日本とみなして処理せねばならないが、文化論はそういうことをしないものであり、それは文化論にとって無意味である。
文化は固有のものであるが、日本文化論で問題になるのは、西洋文明との兼ね合いで、日本に根付く土着文化を、ブータンやフィリピンやボルネオと比べてどんなに違っているかを論じることに興味はなく、多くの日本人は、日本はアメリカやイギリスやドイツやフランスとどう違うかを知りたいのだろう。いみじくも自分もそうであるが、理由はやはり西洋崇拝だろう。
ベトナムやボルネオと比較なんぞさらさらない。理由は、日本が上だと思っているからだろう。あちらの文化の詳細は知らずとも、日本文化が上位だというのは、無意識の東南アジア蔑視かも知れぬが、やはり日本がこれまでアメリカやヨーロッパに追いつき追い越せと生きてきたからであって、戦時中の大東亜共栄圏文化の名残りと自負を世代を超えて日本人は持っている。
日本の国際化が始まったのはいうまでもない。その国際化論でいえば日本人の海外でのコミュニケーションのまずさ、不得手さである。それらもあって、日本人は海外で誤解を受ける場合もある。日本人が何者であるかを定義する試みは、実は長い歴史を持っており、江戸時代の国学の伝統や、「和魂漢才」の概念にまで遡る。それが明治に、「和魂洋才」に移行したのだった。
ところが、1970年代に情勢は一変する。日本経済は技術面での自立性を確保し、海外での影響力も強くなり、外国文化の輸入も増大した。あらゆるところで、「カナ英語」を含まない広告を見つけるのは難しい。明治・大正時代には洋装が風俗を変え、「蓄音機」、「野球」、「写真機」、「社会学」などの新しい言葉が、カナ文字なしで創出されたのが懐かしい。
こんにちカメラを写真機などという者はいない。さまざまな外来物品が輸入された当時、アコーデオンを、「小田原提灯型音出機」、ピアノを、「洋琴」、サクスフォンを、「金属的曲がり尺八」などといった。ナイロンなどの化学繊維を、「人絹(じんけん)」といったのも、「人造絹糸」の略である。「LOVE」という英語に相応しい訳がなく、「御大切」としたのも笑える話だ。
「和魂洋才」なる語句はもはや死語、「和洋折衷」なる言葉は建築や料理や衣類などの分野において現在でも使われている。かつて外国輸入製品を、「舶来品」といったが、当時の輸入品の一切は船便にて日本に運ばれてきたことから生まれた言葉で、foreign goodsを直訳すればよかったかも知れない。「舶来品」を持っているだけで自慢できたのが懐かしい。
それを揶揄した、「舶来かぶれ」という言葉。日本研究者のG・B・サンソムはこう述べる。「日本人は、他国の文化は百貨店で買物するように自由に選び買うことができると思い込んでいる。しかし、イギリス人が経験したように、外来文化を受け入れるかどうかということは、その文化を生んだ国なり民族なえいの力を受け入れるかどうか、自国の運命を決定する最重要事である」。
「ながら族」という言葉は、深夜放送を聴きながら受験勉強をする若者を言ったのが始めではないか?新聞読みながら食事をする、携帯で話しながらクルマの運転をする、うんちしながら考え事(これは普通か)など、いろんなパターンがあり、器用な日本人は「ながら族」の代表だ。電車に乗ればほとんどの人間がスマホをいじっっているが、他にすることはないのだろうか?
とはいえども、元祖「ながら族」に二宮金次郎がいる。彼の銅像は多くの小学校にあった。これは国家が、「ながら族」を奨励していたことになる。ながら族はいけないことか?「~しながら」、「~する」というのは、古き日本人の切羽詰まった生活の知恵であろう。「誠に遺憾に存じます」は政治家の国会答弁だが、欧米の精神に支配されてしまった近年の日本人。
その日本人にもっとも忘れ去られた日本人の心というものがある。それは、日本人の原点ともいうべき日本人の「掟」を次の言葉に見る。「人間とは哀しい存在だ。それを認めよう。そして、お互いに許し合おう。自らが神の立場に立って、人を裁いてはならない」。愛とか正義とかいうものは、確かに大切なものに違いない。が、人間いつも愛や正義に満ちているはずはない。
愛や正義の獲得を目指して努力はせねばならないが、人間の「弱さ」というものから我々は誰も免れることはできない。庇い合う必要まではなくとも、他人を非難することでいい気持ちになるのだけは止めるべきと思うのだが…。自分がこの上なく批判をするのは実母である。この場で多くのページを割いて批判をしたが、悪口で自身の気持ちを満たすためではない。
実母批判を書き綴る真の意味は、世の母親の子育てに対する憂慮であり、子どもの心を歪めることなく真っすぐに伸ばすために、親は何をし、何をすべきでないかを実体験を基に書いている。先日ある障害者女性が、障害をもつことで親に迷惑や負担をかけているので、親からどんなに罵倒されても、「一人部屋に声を出さずに泣くだけです」との切ない言葉を聞いた。
どんなに辛いことかと考えさせられた。自分も子ども時代にヒドイ言葉を親から言われ、言い返すなどの反抗をするようになったが、それができない頃には一人部屋で傷つき泣いたこともある。「どうしてこんな目にあわされるのか」という切なさは、30代の障害者女性と同じ気持ちである。日本という国は親が子どもに対して権力を持ち、そこの点はドイツに似ている。
が、ドイツ人の親が権力を嵩に子どもに服従を要求したり、強いることはない。親への恩や孝行に独特の解釈を持つ日本人のいう親の恩とは、父母からしてもらう日ごとの愛護と骨折りのことで、子をもつ親にとって当たり前の行為が日本人にとっては暗黙的な恩の強制となる。虐待の連鎖は抑止すべきだが、忘恩の連鎖も、自らが歯止めにすべきと考えるようになった。