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日本人であることの原点 ⑩

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維新後に文明開化の波は日本中を駆け巡った。西洋文明の摂取に奔走したことで伝統的な日本文化を軽視する風潮が生じ、維新以前には大名と素封家を中心に栄えた茶道も衰退の一途を辿ったが、世の中が落ち着いてくると新しい支配階級となった人達が茶器の蒐集を競い始め、次第に衰退していた茶道が勢いを取り戻す。岡倉天心が『茶の本』を書いたのは明治39年である。

天心は日本人自らが外国人に向かって日本を語ることにおいて、優れた実践者として功績を上げた明治の偉人の一人である。日露戦争に勝った東洋の一小国の真価を外国人に理解させようとの意図が、『THE BOOK OF TEA』を英文で書いて出版したと推察する。著書には以下の記述がある。「いつになったら西洋が東洋を了解するであろう、否、了解しようと努めるであろう。

吾々は、鼠や油虫を食べて生きているのではないとしても、蓮の香を吸って生きていると思われている。これはつまらない狂信か、さもなければ見さげ果てた逸楽である。印度の心霊性を無知といい、支那の謹直を愚鈍といい、日本の愛国心をば宿命論の結果といって嘲けられていた。甚だしきは、吾々は神経組織が無感覚なるため、傷や痛みに対して感じが薄いとまで言われていた。

西洋の諸君、吾々を種にどんなことでも言ってお楽しみなさい」。禅の精進静慮という精神性の極めて高い儀式から発達した茶の湯であるからして、茶室はおびただしい絵画や彫刻や骨董品などで飾られた西洋の建築物や室内とはまったく異なり、簡素に作られ、ただ掛け軸や生花といった物を除けばまったく空虚で、塵一つない清潔を旨とする儀式としての茶道である。

哲学者である九鬼周造が8年間に及ぶヨーロッパ留学中(1921-1929)に書いた日本文化論が、『「いき」の構造』で、解説者の多田道太郎はこの書を異郷の哲学と書いている。「一言でいえば『「いき」の構造』は異郷の哲学である。異郷にあって、異郷の方法を使い、母国の、もっとも俗で、もっとも微妙な、もっとも儚く、もっとも鋭利な美意識を、抉り出したのである」。

九鬼周造は、「いき」という言葉に注目し、それは他の民族にはない日本民族固有のものである、という観点から「いき」の意味を考察し、日本文化を解き明かそうと試みた。第一次大戦後、まだまだ西洋文化、文明の豊かさに瞠目していたその時期に、日本の花柳界の女性の媚態に着眼し、それを恥じたり、否定したりするどころか、九鬼はそれらを肯定的に分析している。

九鬼はヨーロッパに居住しながら、パリやドイツの自立心の強い外国人女性には魅力を感じなかったのか、ブロンドの髪をけばけばしい、腰を左右に振って露骨に演じる西洋女性の媚態を抑制と節度が欠けていると言う九鬼である。美においても個性的で自己主張の強い西洋女性には何ら魅力を感じなかったのであろう。彼女たちには、「いき」が欠けていたからである。
 
「いき」とは主観的なものではなく、九鬼はその、「いき」に関係する他の類似した語句の意味との区別を考察することで、「いき」を外延的に把握する。上品、派手、渋味を取り上げ、意識現象の下での、「いき」を考察し、さらには客観的表現をとった、「いき」としての身体的特徴、すなわち全身、顔面、頭部、頸、脛、足、手を主として視覚の上から考察をする。

九鬼周造はまた、花柳界の粋人であるから、彼はすべて和服を着た女性を対象にして論を進める。洋服を着た女性もいたはずだが、それは彼の対象外である。あくまで、「いき」は日本的な徴表である。浴衣を無造作に着た湯上がりの姿も、「いき」であり、細っそりして柳腰の女性も、「いき」であると。春日八郎の、『お富さん』の歌詞には、♪粋な黒塀 見越しの松に~、とある。

歌詞の意味は、黒い塀と松の木のある典型的な妾を囲っている邸宅のことだ。九鬼は、「いき」の定義を、「『垢抜けして(諦)、張のある(意気地)、色っぽさ(媚態)』ということができないであろうか」、考察した。同じアジア人である韓国人の李御寧になる、『「縮み」志向の日本人』(1982年・学生社)は、韓国人による日本人論ということで、結構話題になった著作である。 

「拡大志向」に比べると、「縮み志向」は悪い意味にとられがちだが、日本はちっぽけな島国だから心が狭量ということではない。日本文化には、大きなものを縮めるときと、小さなものを拡げるときがある。その縮めるときに日本文化は華開いているということを書いている。石原裕次郎が歌う、『粋な別れ』という曲があるが、歌詞を読む限り、粋な別れかよく分からない。

「日本人はムダなものと共生することができない体質なので、必要でないもの、余計なものには我慢できなくなり、それらを見るとすぐに払いのけたり、切り捨てるのです。そしてゴミを許さない自然は真空的なものになってしまうのです。しかし、本当の自然というのは、少しずつはみなムダなものであり、汚れているのです。だから、韓国人はゴミに対してさほど神経質な反応は見せません。

むしろ若い嫁がホコリをあまり払ったり、汚れを落として家を磨きすぎると、年老いた姑はそれを不自然なものと考え、こんなふうに諭すのです」。同じアジア人とはいえ、日本人は韓国人や中国人を理解するのは困難だ。同じ欧州圏とはいえ、フランス人がイギリス人の理解が困難であるように…。日本人は世間体を気にするが、韓国人や中国人はどうなのか分からない。

世間体を気にするから、「恥じらい」の文化であろうし、ベネディクトが言わずとも世間体を思う日本人の心情は、日本人のまさに日本的な基底感情である。母親が世間体ばかりを持ち出し、それが躾であるかの如き物言いにはうんざりさせられたが、それもあってか子どもの躾に世間体を持ち出すことをしなかった。理由は、子どものころの自分が嫌だったからである。

親のいう世間とは、自分が毎日具体的に接するご近所さんのみを世間といっているようだった。しかるに世間というのは、仮にも自分とは異質な、つまるところ価値観を異にする集団がたくさん存在していることなを考えもせず、自分の思いと同じものが世間だ世間だ、やれ世間だというのは、滑稽も甚だしい。したがって、世間を口にする人間は総じて視野が狭いとなる。

我々は我々の道を歩めばよい。いや、歩むべきである。ただ、自戒としてたえず広く世界に目を開き、自分たちの、「世間」が独善に陥ることがなきよう、注意を怠る必要はある。そのためには、我々は、「完全なる自己決定」が前提にあらねばならない。家庭とは親の妄信ではなく、子どもにとって自己決定を養う場であるべきだが、それを許さぬ親は子どもの障害である。

戦前の一般的な家族構成は大家族であり、姑が自我なら、嫁は犠牲者だった。戦前に限らず親と同居の大家族では否が応でもそうなりがちである。思うに嫁・姑問題というのは、姑にだけ自我の主張が許され、嫁は姑に隷属するというのを、嫁の夫がどう捉えるかによって変わると思っている。夫が母親に頭を押さえられている場合、姑がのさばるに決まっている。

日本人にとって親が、「絶対悪」には決してならないという大前提がある。それは儒教の影響で、孔子ですら親が悪いことをしてもお上に密告などしない。なぜなら、親が絶対者であるからだ。親も絶対者如く振る舞うなら、息子も嫁も絶対者と崇めて振る舞うのか?バカバカしい。絶対者など不要である。悪いものは悪い、善いものは善いと是々非々に生きるべし。

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