そもそも、「日本人論」の基本的問題は、大きな社会変革によって日本人は変わるのか、変わらないのかということで、福沢諭吉は、上からの文明開化の掛け声が巻き起こした西洋崇拝の盛んな時期のただ中にあって、醒めた眼で西洋対日本の問題を取り上げた。西洋の進んだ文化、文明に触れると、日本がそれに及ばない、特に技術面においてはるかに後れを取っていた。
しかし、当時の日本人でこうした客観的な意見や考え方を持つ人は少なかった。一部の日本人以外は西洋学問や科学の知識がなかったからである。天保の時代になると、医師や芸術家らには西洋の文化、文明への憧れが一層強くなっていく。洋学者で医者でもあった箕作阮甫(みつくりげんぽ:1799~1863)は幕府の天文台を作った人であり、しきりに西洋に行きたがっていた。
それが適わないならと、家の障子をガラス張りにし、西洋風の時計を置き、食事にはスプーン、酒はコップで飲んだ。日本人でありながら西洋風な生活をし、日常生活にまで及んだ阮甫のような人間が出てくるようになった。まさに、"西洋かぶれ"のようであるが、彼の行動は西洋を理解する手段であった。西洋に追いつき、追い越すために日本人が何をせねばならないか?
阮甫の根底には、日本人として、日本人のために尽くしたいという考えがあった。この時代に書かれた数多の「日本人論」は、西洋の優れた面を取り入れて、一刻も早く西洋に劣らない国にしようという、強烈な国家意識に支えられていた。幕末の洋学者で暗殺された佐久間象山の、「東洋道徳、西洋芸術」という言葉が当時の様相や立場を表わしている。「芸術」とは技術こと。
幕末までの日本人論は断片的なものであったが、西洋人との対比において福沢諭吉は卓抜した「日本人論」を展開したのは先に述べた。彼は日本人を変えようと、教育にも力を注いでいる。日本人の美意識とは何であろうか?そうした歴史的背景を知ってか知らでか、昭和の30年代後半に日本に来たオフチンニコフは、親への恩義などは日本人の先天的資質で変わる余地はないとした。
ベネディクトのいう、「恥の文化」としての日本も大きく様変わりしている。「日本人の義理・人情は何処へ?」、「日本人が美徳とした羞恥は何処へ?」という声を耳にするようになった。自分は最近の若い日本人女性の所作に、それらを感じることがある。女子高生の自転車を漕ぐ姿の多くがガニマタ漕ぎなのは、スカートの下に半パンを履いているからだが、所作としては美しくない。
美しくないが、楽な漕ぎ方であるのは間違いない。日本人の美意識も合理性へと変貌しているのかも知れない。日本人の美意識とは何か?その著書『風土』や『古寺巡礼』を通じて、早くから日本的な美について考えた和辻哲郎がいる。彼は、風土と日本人の美意識を結び付ける試みを行った。これは本居宣長のいう日本人の基本的な美意識が「もののあはれ」と説いている。
宣長にとって、"もののあはれ"とは、「見るものきくものふるゝ事に、心の感じて出る。歎息の声」であり、自然の月や花をみて、「あゝみごとな花ぢや」、「はれよい月かな」と感じるのがもののあはれを知るということ。風土論的な日本人学にもあるような、古典的日本人論が、自然に抱かれる日本人、自然を愛する日本人、自然の美に動かされる日本人というイメージである。
そうした中、こんにちの風土は自然環境のみならず、社会環境とも結び付き、山を崩して整備された団地などの宅地開発も、国土の狭い日本に多くの人が住むことを思えば、自然環境破壊や公害も必要悪となっている。一時ほどの自動車公害という言葉は使われなくなったが、便利なもの、必要なものはなくせないなら、動力や燃料にクリーンを求めることとなる。
日本人の美意識は様々あるが、日本料理も日本人芸術の分野であろう。「人為をもって創るなかれ、見出せ、しかして、ひらけ」これが日本料理の奥義といわれるが、日本料理は皿の上に静物画を作り出す芸術であろう。日本料理は中華料理やフランス料理に比べ、異常なまでの簡素が特徴あるが、これは料理人がまったく別の目的をもっているからであろう。
日本料理人の腕の見せどころは、その腕前を目につかないようにすること。そうした奥床しさを含んでいる。つまり、食べ物の外見や味が、その食べ物本来の特徴をできるだけ保つよう心掛け、魚や野菜を調理しても、もとの姿や食材の持つ味がそのまま残るようにする。中華料理は、魚を使って鶏肉と見分けのつかない料理が作れることを誇りとするのと、大違いである。
フランス料理はソースが決め手だが、日本料理には食べ物本来の味を損ねるソースや薬味類の占める余地はない。刺身で醤油に混ぜるワサビは、魚の味を引き立たせるもので、魚本来の味を殺すことなくただ強調する。さらに日本料理には四季折々の季節感がある。外国人は日本料理を素朴で淡泊というが、日本人にとって季節感のない西洋料理はどれも同じに思えてしまう。
素材そのものの味を生かした素朴な日本料理であるが、「日本人特有の細部に対する繊細な目配り」は随所に感じられる。すまし汁の中に楓の葉の形に切ったニンジンは、いかにも秋の季節感を映し出している。日本の俳句には季語があるように、日本料理は美と色彩のハーモニーを表現する中に、かならず食べ物の中に季節を示すことを大切にされている。
日本人の美意識に、「わび・さび」という尺度がある。「わび・さびは、『侘しさ』・『寂しさ』を表す日本語に、より観念的で美的な意味合いを加えた概念であり、現代では二つをひとまとめにして言う場合が多い。わびの本来の意味は、気どったところ、目立ったところ、わざとらしさのない、日常の中に存在するあたりまえのものの美しさをいい、「侘」表記する。
「さび」は、「寂」と表記することから、「閑寂さのなかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさ」をいう。どちらも茶道に取り入れられたもので、茶道の影響は日本文化の多くの分野に現れている。生け花ももとは茶道から生まれている。日本各地には、「〇〇焼き」というすぐれた陶器の芸術があるが、これも茶道によって高い水準に到達したもの。
世界のどこにもない、日本独自の文化こそが日本的なもの、日本人的なものであるが、西洋のネイチャーに相当する天然自然という言葉は近代以前の日本にはなく、自然を表わすには多くの場合、「花鳥風月」、「草木虫魚」などと言いかえた。どこかに自然という、「もの=事物」があるのではなく、具体的な場所として大地や海に結びついての花鳥風月・草木虫魚であった。
自然というものをその様に感じ取っていたのが伝統的な日本人であった。自然の中の小さな存在を慈しむ精神性が、「もののあはれ、わび、さび、いき」という他国にはない独特の美意識の流れを生み出したのだろう。今から約百年前、「日本風」に熱烈なる恋をしたエリザ・R・シドモアという一人の西洋人女性がいた。彼女はアメリカの紀行作家である。
シドモアはワシントンに日本の桜を植樹したことでも知られるが、彼女はアメリカの日本人移民制限政策に反対してスイスに亡命し、生涯母国の土を踏むことはなかった。シドモアは、日本人の民族性は、「普遍化することも要約することも不可能」と言ったが、それから約半世紀経って、ルース・ベネディクトが、日本人をかなりほぐして、普遍化・要約してみせた。