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「死にたいなら一人で死ぬべき」の危険性 ②

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今回発信されたツイートを読んで様々な事が頭に浮かぶが、彼はソーシャルワーカーという仕事柄、貧困者など社会的弱者や社会的に疎外されている人々と関係を構築し、様々な課題に取り組む以上このような発言をする。現象面だけにとらわれることなく、社会的弱者の背景や周囲にある問題に取り組み、関連機関や環境にも働きかけるなどがビジネスとして成立する昨今だ。

アメリカにおけるソーシャルワーカーは、州ごとの免許制度となっていて、取得には主に修士以上のソーシャルワーク学位が必要となる他、様々な要件が規定されている。地位も高く弁護士と同等の職業として市民権を得ている。日本においては国家資格として、「社会福祉士及び介護福祉士法」に基づく社会福祉士と、「精神保健福祉士法」に基づく精神保健福祉士が存在する。

スクール・ソーシャルワーカーは、主に学校からの依頼で生徒やその家庭支援を行うが、自治体ごとに教育委員会が採用するもので、必ずしも社会福祉士や精神保健福祉士が対応しているわけではない。生半可な知識や経験で真のワーカーとは言い難いが、それをいうならダメ教師の存在も同じことになろう。資格を持っていようが無能者はいるし、資格はなくても有能者はいる。

今回のツイートにはいろいろな問題が散見されるが、何より被害にあった子どもたちたその家族・親族に想いを寄せた言葉が皆無であったことではないか。ようするに、彼は自分のライフワーク(あるいはビジネス)のみに先走った感がある。加害者があれば被害者もいるが、私にとって被害者のことは頭にないという了見で言い訳なかろうが、彼はそのような人物に受け取れた。

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いじめがあれば、「いじめは止めよう」というのが大衆である。それに対してソーシャルワーカーは、いじめ加害者の背後にある問題について語ればいいのであって、「本人の問題だけではなく、成育歴や社会環境の問題がある」のは当たり前のこと。それに取り組むのが仕事であり、「(いじめ加害者に)いじめは止めよう」などは控えてもらいたい」というバカはいない。

彼の論理は、「いじめを止めよう」というから余計にいじめが増幅すると聞こえる。だから、もう少し頭を使って丁寧に言葉を選んで発信してもらいたい。親に大事にされないで40歳、50歳に育った人間に、「社会はあなたを大事にしてる。決して見捨てない」というのがソーシャルワーカーの仕事ではないだろうが、そのような育ち方をした人間にどういう言葉がふさわしいのか?

大衆のいう、「関係ない人を巻き込むな」、「子どもを巻き込むな」は当たり前の意見だろう。「弱いものいじめなんかするな」というのと同じではないか。いじめは弱ったれが、自分以下の弱ったれを探して起こす。今回のような子どもを狙った無差別殺傷事件も、弱いものをターゲットにする。自分以下のものを自分が支配する快感ではないだろうか。家庭内のDVも同じ論理。

強いものに向かう、権力者に立ち向かうという気概のない脆弱人間が増えたのを実感する。「人は自分が大事にされなければ人を大事にできない」というのと、「人を傷つける」ことは何の関係もなかろう。アメリカにもあるこうした無差別テロのような事件に接して思うことは、「旅は道連れ」という言葉。そのあとに、「世は情け」と続くが母子心中にも腹が立つ。

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なぜに道連れをするのか、多少の偏見も含めてあらゆる可能性から得た答えは、孤独への怖れである。E・H・フロムの「すべての犯罪は人間が孤独でいられないというところから起こる」という文言の影響もあるが、人間はすべてから分離されるほど恐怖はない。「旅は道連れ」はそうした要素もあると思うが、裏を返せば、人間が一人で生きて行こうとの姿勢はない。

むしろ、一人で生きて行かない事を人間の生き方としている。フロムのアンチテーゼとして、孤独を忌避しない生き方を成就させるべきと考える。孤独はいいものだ、素晴らしいものだ、人がものを考える時は孤独なとき以外あり得ない。だから、「孤独は最高の友」といわれるのだ。「人ごみ」に耐えることはあっても、「孤独に耐える」なんてことはあり得ない。

孤独な人間が決して無気力である筈がない。身体だけ動かせば活動ではなく、思考というのは人並み以上の精神活動を行っていることになる。我々は自らの感情に正直に生きることになれば、感情表現を抑圧された息苦しい空虚感はなくなろう。本当の自分を隠すことにエネルギーを使うほどバカバカしいことはない。ありのまま、あるがままの自分を社会のなかに織り込んでいく。

自分の中から湧き出る行動で自分を判断するのだ。自分の成長の度合いもそれで判断する。生きることに関心を失った人は生ける屍状態、もしくは自死を選ぶ。自分の経験によると、子どもの内面破壊をもたらす操作は親によってなされるが、そうした親の支配には断固反発すべきである。親の塾長で東大に入るより、自分自身を生きるために人は生まれたのだと。

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「愛過病」と「愛欠病」= 親

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考えてみるに、親が子どもを育てるということは、親にとっても喜びであり、また子どもにとっても幸せなことであるはずだ。だから、鳥や野生の動物も、親はイキイキと子どもを育て、子どもは親に育てられることでイキイキと成長する。動物園の檻のなかのパンダを見ても疑いのない事実である。ところが、人間の親子にはそうした動物にはない諸問題に悩まされる。

悩まされるのは親だけではなく、子どもすら親の事で苦悩をする。「何で親でこんなに苦しまなければならないのか」。「どうして他人の親はあんなにやさしいのか」。そういう疑問が湧きあがった時、親で苦しまなないためにはどうすればよいかを考えたのは当然である。誰でも苦しい時には、いかにその苦しみから逃れられるかを考えるだろう。自分にとっては親だった。

思考の末に出た結論は、「親を捨てる」ことだった。これ以外に親からの苦しみを逃れる方法は見つからなかった。というより、何度も何度も試してみたが、苦しまない方法を聞き入れてもらえなかった。その理由は簡単で、親は自分を苦しめようなどとこれっぽっちも思っていないのだ。だから、こうして欲しい、こうはして欲しくないといくらいっても効き目がなかった。

親とは母親である。母親が完璧に自分を支配下に置き、親の意のままに子どもを操ろうという魂胆だった。今なら、「何でそこまで」と思うが、されている時はそんな風に冷静に客観的になど眺められない。子どもから見た母親は悪魔の所業にしか見えなかった。小学低学年まではそれは怖いの一字だったが、自我が芽生えるころになると、自己防衛が働くようになる。

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すると、怖くても敵として抗おうとする。闘おうとする。誰にでも起こる反抗期というのは、自我の芽生えのなせる技である。人間の親だけが我が子をダメにしてしまうという、「悪魔の愛情を持つ動物」といわれるが、当時は、「愛情」などと感じるものはまったくなかった。しかし、あれほどのエネルギーをもって親に歯向かったのは、今に思えば自己愛だったかも知れない。

自分はこうしたい、ああしたい、それに協力してくれる親なら有難いが、すべてにおいて反対し、邪魔をする。恋路の邪魔をする親もいるとは聞くが、そこまで立ち入る親は、当時の自分から見ても正常な人間と思えなかった。封書の開封や廃棄すら、そういう行為は人間としてまともと思えなかった。当然ながら親として許容できるものではないが、問題はされたらどうするかである。

「するな」といっても止めない親には、されたらどうするかの報復しかないのだ。しかし、封書が開封され破棄されるなどを自分が把握することは普通はできない。ところが自分には父という味方がいた。父は母の行為を制止することはしなかったが、差出人の名前だけを耳打ちしてくれた。その事実を母に言い、自分は母のタンスの中の一切の衣類を外にまき散らした。

自分なりに考えた最も母親を困らせる方法である。母は和服を多く所有していたが、和紙にくるまれ畳まれた和服を外に放り投げるのは快感ではなく、悔しさの発露でしかなかったし、こんなことをさせない親であって欲しいとの切なる願いであった。母がその状況をどう感じたかは知らぬが、行為を咎めることができなかった母は、その点においては明晰な判断だった。

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もし、そうでなかったら、子は親を殺める以外に報復手段を見いだせなかったろう。我が子に葬られた親の多くはそこを受け容れられなかったことによる悲劇ではなかったか。子どもの怒りを受け容れられない親は危険である。怒りという心情をタカをくくってはならない。特に親は子どもの怒りの度合いを測る必要があると思っている。でなければ親子という線引きがなくなろう。

親だから我慢する。子どもの多くが経験することだが、我慢を超えれば親ではない。そこまでに至らぬ親をバカといい、傲慢というしかない。制裁を加えられて初めて分かるのだろうが、死んで分かることは何一つない。「バカは死んでやっと直る」ということか。便利な育児を好み、都合の良い育児を好む、これが文明社会だが、かつて子育ては力仕事といわれていた。

確かに、「手のかからぬ大人しい良い子」を望む親は多く、できるならそのように持っていく。ところが、文明社会はそういう現象の裏にある屈折した心理を現すに至るようになる。「良い子の悲劇」というのが心理学的にとり上げられ、体系化されていくことで、親の子ども教育も一筋縄ではいかなくなった。押さえつければいいという教育が時代遅れということになった。

学校教育などのあらゆる教育現場で、「抑え込む」が否定され、愛の鞭という教育手法も一掃される時代となった。「愛の鞭」は、「ただの鞭」どころか、心に傷をのこすものという事になった。親や学校の手におえない問題児を矯正することで人気を博した愛知県の、「戸塚ヨットスクール」のような体罰重視で鍛える教育が正しいなどと誰も思わない時代である。

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ディランや中島みゆきではないが、『時代は変わる』のは自然界の摂理である。これまで正しいとされてきたものが間違い、間違いとされてきたものが正しい、そこが人間の英知であり進歩であると誇りをもっていえるのではないか。ガミガミいい、殴り、傷つけ、挙句は殺害などの加害行為をもってしてまで人を教育せねばならぬのか、そこに目を配せることになった。

学校はどんな理由があっても行くべきところ。そこに行かない、馴染めないのは本人に問題があり、そこは指導して変えていかねばならない。一見、正論に見えるが、集団を受け付けない子どももいるというのは、新しい考えである。「男勝りの女は女として問題がある」、「女装を好み、女言葉を使う男は男じゃない」。これらも医学的見地から間違いであった。

賢い人とは 🈡

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ある場面で頓智が利くのも洒落たジョークが出るのも頭のよさであろうか。アメリカの第40代大統領のレーガンが大統領に就任して間もない頃、銃で狙撃され救急病院に運び込まれた。弾丸摘出手術前に、レーガンは医師たちに向かってこう言ったという。「ところで、あなた方はみな共和党員だろうね?」。何ともウイットのあるジョークセンスに、大統領としての人気は一気に高まったという。

これも機転というのだろう。このような状況にありながら、気の利いたジョークがいえるほどのユーモア精神に満ちた人はなんと魅力的であろう。アメリカ人のユーモアはひとえに国民性といえ、ユーモアセンスのないアメリカ人は、アメリカ人にあらずといわれるほどに大統領であれ、大企業のCE0であれユーモアは必須であるが、日本人のユーモアセンスの無さもまた国民性tいえよう。

日本人は娯楽としての笑いは愛好するが、日常生活の中でユーモア感覚を働かすことはあまり得意ではないようだ。というより、さまざまな場でユーモア発言をしようという発想がない。極度なまじめさが尊重されることもあってか、社会生活の中にまぎれこむ笑いは、“不真面目なもの”として排斥される傾向にあるようだ。確かに日本人は、「竹を割ったような性格」を好むところがある。

そこには、ユーモアは住みにくいということになろう。日本人なら真面目に受け答えする場面で、アメリカ人が気の利いたジョークをいうなどは頭の良さと感じられる。これはもう唐突で断片的な、“おやじギャグ”とは似ても似つかぬ異質なもの。日本人が物事の二面を見たりうっとうしい天気を素敵な天気としたり、直進する道の他に曲がった道はないかとか、大は小と言い換えるのは天邪鬼性である。

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ユーモアというより、したたかさであり、ひねくれた僻み根性的ないやらしさといえなくもない。勤勉で生真面目な日本人の国民性にユーモアが磨かれることはおそらく今後もなかろうし言わぬが花かも知れぬ。大統領といえばケネディの演説は定評があった。記者会見席でも唸らせる言葉を述べたが、彼が大統領選に出馬したとき、他の候補を推すトルーマン元大統領はケネディにこう諭した。

「あなたはまだ若いもう少し辛抱して待つことを要請する」。ケネディはこう反論した。「トルーマン氏は若い人間を信頼できないというなら、ジェファーソンは独立宣言を書いていなかったし、ワシントンは大陸軍を指揮していなかったろう。マディスンは合衆国憲法を書けなかったし、クレイは下院議長にはなれなかった。コロンブスもアメリカ大陸を発見していなかった」。

ケネディは事実を述べてはいるが、根底にはアメリカ人のユーモアセンスが言わせる言葉といえよう。もし日本人が老害どもから若さを責められたなら、ムキになって若いことの良さや素晴らしさを強調するだろうが、これでは脳がない。日本人の生真面目さというのは、「お前は何でハゲなんだ?」と皮肉もどきに聞かれたさいに、「遺伝だからしょーがない」と答えるだろう。

嫌なことを聞かれて腹立ち半分に応えるより、「お前には髪が似合ってそうだが、どうも俺に髪は似合わないかな~」などとブラックジョークで返せば相手を面食らわせて楽しめる。ハゲと小舟で釣りに出かけた友人が、「お前はハゲ(ハギ)でも釣った方がいいんじゃないか?」といったところ、舟から突き落とされたという。ハゲは禁句だが、それを禁句にさせないのが度量。

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レーガンは暴漢に狙撃され、命までも失いかれないというネガティブな事実を、プラスに持って行ったのはお見事。昭和35年7月14日、後継首班が池田勇人に指名された直後、岸信介元首相(安倍総理の祖父)は暴漢に刺された。その際、「早く医者を呼べ、早く…」と必死に喚き散らしていたというが、発した言葉が悪いとはいわぬまでも、人間的な器を感じさせられるのは自分だけであろうか。

頭の回転にいいのはダジャレとなぞかけといわれるが、それとは一線を画す品のあるジョークには教養すら感じられる。上手い言い回しや気の利いた比喩もしかりで、頭を良くするにはこれらを好きになることだ。ブラックジョークがいえる人ほど頭の回転がよく、それを言う事によってさらに脳を鍛えれるらしい。議論や言い合いなどの際に罵倒のバリエーションが多い人ほど頭がよい。

つまり、日々の脳の鍛え方で頭の回転はトレーニングが可能である。タダの悪口しかいわない人・いえない人は、いわぬ人よりバカに思えるが、罵詈雑言がその人の品位を落しているということだが、しかも本人が気づいていないところが憐れである。IQの高い人ほどブラックジョークを好むという研究結果もあるが、「皮肉屋はボケ易い」というマイナス面もあるので注意。

最後に、「頭がよくて得すること」ってあるのだろうか?頭がよければ仕事ができる。仕事を効率よくこなす。何かトラブルや難問があった時にしっかりと考え解決策を導きやすい。「stay hungry, stay foolish」。これは有名大の卒業式でのジョブズの言葉。スピーチの最後の一言なので全体を見る必要がある。彼は、「自分の信じた道を突き進むバカになれ」といったのではないか。


心に残る曲 『屋根』高田真樹子

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長らく音楽についての記事を書かないでいた。プライベートでは毎日音楽に包まれて生活している。時に何時間も聴いたりするが、計ったわけではないので長いときで約4~5時間くらいではなかろうか。もし、この世に音楽というものがなかったと仮定したら、人はどうなるのだろうか? どうなる、こうなるといっても想像がつかない。が、音楽のもたらす効果が何かを言葉で説明するのも難しい。

ようするに説明することが難しいものは理屈じゃないからだろう。美味しい料理も同じように言葉では説明できない。「もし、音楽がなかったら…?」ということより、あって良かった。この世にあって良かったものは音楽以外に沢山あるが、どれも存在に感謝したい。ブログにはジャンル別の3つの「音楽」書庫があるが、どういう記事を書いたのかも記憶にないので久しぶりに覗いてみた。

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クラシックの最初の記事を見るとモーツァルトの『フィガロの結婚』である。なぜこれを書いたのか動機は不明だが、その日その時に書きたかったものを書いたということ。洋楽の最初の記事は、「スサーナの時計」というタイトルで、ザ・ピーナッツや中尾・園・伊東ら三人娘についてあれこれ書いている。表題に縛られない自由さは最初からのもので、なにをどう書くことへのこだわりはない。

邦楽の最初の記事は中島みゆきの『時代』である。この曲のインパクトも鮮烈だった。スゴイ楽曲が素朴な少女によってつくられたことに驚きながら聴きいった。記事には八神純子が登場する。実はかつて音楽の書庫では多くの楽曲を紹介して記事を書いたがその数100余りが操作手順のミスですべて消えた。どんな曲を披露したか、覚えているようで覚えていない。

世の中で一番好きなものは、何をおいて音楽かも知れない。好物はたくさんあるから順位はつけられないが、音楽の持つ魔力には自分という人間の内面が相当に相当の影響をもたらせているのではないか。精神の高揚というくらいの理屈はつけられる。というところで、前書きはこれくらいにして、今この時点でもっとも記事にしたい楽曲を書こう。選んだ(選ばれた)のは高田真樹子の『屋根』。

この曲にもとてつもないインパクトを受けた。初めて耳にしたのは1974年のラジオ(FM東京)からだった。当時住んでいた横浜のアパートで夜の8時くらいだった。そこまで記憶しているくらいに衝撃的だったのだろう。高田真樹子は前年度のヤマハ主催の「ポピュラーソングコンテスト」において、『糸』という楽曲で入賞し、翌74年に『屋根』という曲でシングルデビューを果たす。


1973年といえばやはりヤマハ主催の「世界歌謡祭」で小坂明子が『あなた』で魏ランプリを獲った。『あなた』の衝撃も大きかったが、『屋根』と『あなた』にはどことなく類似点が感じられる。別の言葉でいうとパクった感という。『あなた』もポピュラーソングコンテスト(ポプコン)応募曲で、小坂が当時ファンだったガロに歌ってもらいたく、高校2年生のときに詞と曲を書き上げた。

ガロに合わせた三部合唱のハーモニーまでつけ、「歌手はガロ希望」と書いて応募したが、本番直前になってガロの予定がつかなくなり、急遽小坂自身が歌うことになった。しかしこの曲は歌詞の内容からいっても、小坂明子の歌唱の方が曲の雰囲気からいっても正解だ。小坂は本曲でレコードデビューし、発売から1ヵ月後にはオリコンシングルチャートで7週にわたり1位を獲得する。

『あなた』は岩崎宏美が歌手デビューのきっかけとなったオーディション番組『スター誕生!』の、テレビ予選と決戦大会で歌唱しただあった。さて、高田真樹子の『屋根』に戻す。高田を当時テレビで観たことはなく、「新宿ルイード」などのライブハウスが主な活動場所だったが、ナマ高田を観たことも歌声を聴いたこともない。インパクトのあった曲だがレコードも買わなかった。

というのも当時は社会人として仕事に明け暮れ、生活や思考の中心は仕事であった。オーディオ機材には凝っていたが、当時はエアチェックが大流行し、オープンリールデッキを2台所有するなど、録音機材をメインに頑張っていたが、アホなことをしていたとの感慨もある。何であれ人はその時代を生きるもの。♪めぐるめぐるよ時代はめぐる別れと出会いを繰り返し…

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高田真樹子の『屋根』の歌詞からして、主人公は屋根に上がるのが好きだったようだ。屋根といえば、冨田靖子が初主演した映画『アイコ16歳』の主人公も屋根に上るのが好きで、浴衣を着て屋根に上がる場面が妙に明るく、またあぶなっかしくもあって印象に残っている。原作の堀田あけみは、愛知県立中村高校在学中の1981年に本作により、当時史上最年少の17歳で文藝賞を受賞している。

はやいもので堀田も冨田も50歳代。高田真樹子は66歳。彼女の声は印象深く、当時20歳にして声も表現もアダルトで、そこが彼女の魅力でもあった。彼女には『私の歌の心の世界』と題する秀逸な作品があり、八神純子がカバーしているが、彼女の声と歌唱力をもってしても、高田真樹子の世界観は表現できていない。詞を歌わされてしまっていてゆとりが感じられない。

妄想で息子を殺す親

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東京都練馬区の自宅で長男を殺害した容疑で逮捕された元農林水産事務次官の熊沢英昭容疑者(76)は警視庁の調べに対し、「長男が子どもたちに危害を加えてはいけないと思った」との趣旨の供述をしていることが警視庁への取材でわかった。息子が事前に起こすであろう無差別殺人を予感したことになる。予感やインスピレーションや想像は誰にでも備わるものだろうが…

それを能力ともいったりする。我が息子に対し、親が懸念し、想像力を発揮して殺したのだと…?そんなバカな!起こってもいないことを起こるであろうと予測し、食い止める行動が殺人であることに驚いた。予知や予測はあくまで、「たら」でしかないが、「たら」で殺人を起こしたと父は供述したというが、この父親の言い分を、警察や司法はどのように判断するのか?

起こっていないことを、「確実に起こると予想した」。こういう理由だけで、動機だけで、親が息子を殺すことができると自分にはどうしても思えない。起こっていないことを絶対的な確信をもって、「起こる」と予測したといってみても、実際は起こってみないうちは、「正しい行為」とはいえない。それからすれば今回の息子刺殺事件は突飛であって、正当に評価はし兼ねる。

「うちの息子は子どもを殺す可能性がある。だから事件を未然に防ぐために息子を殺した」ということだろ?こんな論理が通用して正義と崇められるなら、いかなる殺人にも口実がつけられる。「殺人が起こる前に殺人を起こすであろう者を殺した」という言葉を信じる者がいるのだろうか?少なくとも、自分にはそんな論理を信じることはできない。殺す相手が息子でなくとも他人でも。

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思うにこの親は長らく抱いていた息子への憎悪を殺人計画として実行するために、川崎の事件が強く頭を巡り、「息子は川崎のような事件をやらかすかもしれない」という自己妄想がどんどん拡大してゆき、遂には息子の殺人を実行する引き金になったのでは?人の起こすあまりの大それた行為の裏には、理性だけでは判断しきれぬ自己妄想的な思い込みが存在する。

父親が長男を殺めた日の朝は隣接する小学校で運動会が開かれていた。「運動会の音がうるさい」と言う息子に父は注意をしたと述べている。「子ども運動会くらい許容しろ」くらいは言ったのではないかと想像するが、注意後に息子が不機嫌になったのを見た父親は、「怒りの矛先が子どもに向いてはいけない」と感じたという。殺人はその数時間後に起っている。

息子の不機嫌な態度から、川崎事件のようなことを息子が起こすのではないかと思ったのだという。思うのは自由だが、そういう考えに増幅されたと解釈もできる。息子がその際、「川崎の事件のようにガキを殺したろうか!」と親に向けて言ったからとしても、普段から息子を持て余していた。息子の言葉をすぐに川崎事件と結びつけたのは、殺す口実を模索していたからでは?

夫婦げんかも親子げんかも、一般人のけんかも罵り言葉が乱舞する。「ぶっ殺したろか!」という言葉も普通にでる。が、そんなことをいわれたからと、先手を打って相手を殺すことはない。「子どもをぶっ殺す」といったからと息子を殺す親は、どうにもならない処置に困っていたからだ。そんな息子を殺す口実として川崎の事件に背中を押された。これが自分の推測だ。

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息子と両親は別々に暮らしていたが、5月下旬に自宅に戻ったことで3人暮らしとなる。夫婦水入らずの平安な日々に雷鳴鳴り響いた解釈できる。それを示すように、事件は息子が親元に帰った直後に起っている。父親はこれまでの調べに、「長男は引きこもりがちで、私と妻に暴力を振るうこともあった」と話しており、「暴力は中学生の頃からあった」と明かした。

「殺すしかない」と書かれた父親のメモも見つかっている。警視庁は父親が精神的に追い詰められていたのは間違いないとみて事件の解明を進めている。本年5月、那覇市の自宅で息子(42)を包丁で刺し切りつけて殺人未遂の罪に問われた父親(70)の裁判員裁判で、那覇地裁の佐々木公裁判長は24日、懲役3年(懲役同7年)、保護観察付きの執行猶予5年の判決を言い渡した。

佐々木裁判長は、「強固な殺意に基づく犯行で、被害者には重い後遺症が見込まれ結果も重大」と批判したが、殺意をもって息子を切りつけた父親には猶予刑の判断がなされた。今回の事件で、「父親は子育ての失敗の責任をとった点で評価できる」との意見もあるが、子育ての失敗の責任が何か、親がどのように責任を取れるのかについての答えを持たない自分である。

「親として取りようもない子どもの責任」。そうした取り返しの利かぬ子育てに真剣に取り組んだ。ここに幾度か書いたが、「子育てとは子どもの甘えを排除すること、我慢を育むこと」とし、親が折れなければそんなに難しいことではなかった。幼児期にこそ厳しく後は緩めていけばいいが、もっともカワイイ時期に甘やかす親たちを笑ってみていたのが懐かしい。

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病む心・病める心

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人間を大きく分けると、子ども、青年、大人、老年ということか。そのなかで青年期こそ時代の鏡である。時代を知るに際して、その時代の青年を見ることも有効な方法であろう。青年は鋭い時代の批判者であり、観察者でもある。サリンジャー(J.D.Salinger)の小説『ライ麦畑でつかまえて』が出版されたのが1951年だった。その後10年間に同著はアメリカ国内だけで150万部も売れたという。

『ライ麦畑でつかまえて』は世界的なベストセラーとなっただけでなく、現代青年の心理を掴んだ幾多のふさわしい表現からして文化史的にいっても注目に値する作品である。主人公のホールディンは17歳の青年である。感覚が鋭敏で大人の規則や習慣に偽善を感じ、価値を認めず、強い抵抗感を持ち続ける。彼にうおると大人たちがやっていることはくだらない誤魔化しにすぎない。

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ホールディンは心にもない事を澄まし顔でいえない正直者な性格ゆえか、神経症を患い、学校や社会からドロップアウトしていく様が主人公の目を通して描かれている。ホールディングの人物像は発達心理学者で精神分析家のE.Hエリクソンのいう「同一性拡散症候群」の典型象とされている。同一性拡散症候群とは、青年が社会に出てどのような道に進むかという自己決定ができない。

ばかりか青年としての役割や勤勉さを失い、現実的な時間の間隔も薄れることで確固とした自己意識を見失ってしまう。ジョン・レノンを殺害したマーク・チャップマンは、事件直後に現場から逃走もせず、警官が到着するまで現場で『ライ麦畑でつかまえて』を読んだりしていた。ホールディンもチャップマンも従来的見地からすれば、いわゆるアンチ・ヒーローということになる。

なぜジョン・レノンを殺す必要があるのかについてチャップマンは、「有名になりたかった」と動機を語っている。ポール・マッカートニーはチャップマンについて、「私は誰でも許せる性質だと思うが、こいつだけは許す理由が見つからない。こいつは正気を失って、取り返しのつかないことをした。そんな人間になぜ容赦の気持ちを恵んでやる必要があるのかわからない」と述べている。

亀井勝一郎は『青春論』(昭和37年)のなかで、「現実の奴隷になってはならない」と若者を説いている。我々は日常生活において、「現実的」という言葉を多用するが、「現実的」という名目で現実の奴隷になるのだけは避けたい。青春をどう生きるかを語れないが、青春をどう生きたかについての経験は語れる。「何か特別な事をしたのか?」、していない。特別な事をするのが青春と思っていない。

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青春期に何を成したかといえば「親離れ」である。これは目的というよりむしろ願望だった。これまでの養育者への依存から社会性を獲得して自立することを親離れという。別の言い方をすれば、養育者以外の他者のなかでやっていく自己を確立する。これが青年期ではないのか。親元がいいという人間、親から離れたいという人間がいる。「親元がいい」という人間が信じられなかった。

「親と一緒で何がいいのか?」と何人にも問うてみたが、答えは決まって、「便利」だの「安心」だのだった。「何が便利?」、「何が安心?」と聞かずとも大体の見当はついたが、川に洗濯に行くわけでもない、山に柴刈りに行くわけでもないのだから一人でいる不便さは何もなかった。人間はこの辺りから大きな差異となってくる。親の監視がきつい者が自由を望むのは当然のことだろう。

「未熟な人間は理想のために高貴な死を選ぶが、成熟した人間は理想のために卑小な生を選ぶ」。これは『ライ麦畑でつかまえて』のなかで教師がホールディンに与えた言葉。「高貴な死」、「卑小な生」を意味するものは何?おそらく未熟な人間はロマンチストで、成熟した人間はリアリストとの意味であろう。高貴な死など考えたこともないが、三島由紀夫が目指したものがそれか。

「高貴な生」は目指すものだが、「卑小な生」は目指すというより自然の成り行き。「高貴な死」も「高貴な生」も興味がない自分は、それが何なのかすらも知りたいと思わない。「高貴」は自分に似合わぬものと思っている。「病む心・病める心」については関心が高い。人間の心は社会や人間関係と密接につながっており、ちょっとのことで病み、病めるものだろう。

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人がその人生における様々な過程でどう病むかは、生育環境や社会環境によって差異がある。疾病は治そうといろいろ手立てをするが心の病の手立ては難しい。治す方法は、生物的・心理的・社会的に区分けされていろいろあるが、そのためには原因を見つけることだ。身体的要因、心理的要因、社会的要因などがいろいろ絡み合い、複雑に作用し合い、病める心となって抜け出せない。

治療が大変なら病まないにこしたことはないが、これが難しい。心の病とは無縁の自分はなぜに病まぬか分からない。だからどうして病むのかも分からないが、おそらく、「病む必要なんかなかろう?何を病む?」という態度で生きているからかも知れない。人間関係においてもつまん相手とわかったら相手を切る。無駄な付き合いはしない。45年前の恋人との再会もそうだった。

昔の恋人に偶然出会ったことの感動はあったし、これはもう合縁奇縁として生涯の友と続いていけばと願っていたが、自分に合わないと感じてスパっと切った。後はもう何事もなかったようでいれた。あまり物事に固執しない性格なのだろう。人は何かに固執するから悩んだり病んだりするのでは?見込み違いと感じたものに執着したり固執したりすることもなかいからアッサリ捨て去る潔さか。

そういえば、「あなたはなぜそんなに潔いの?」と幾度か問われた。潔い者に「なぜそうなのか?」と聞かれても、普通のことなので答えようがない。それができない人にとって潔さは良いことなのだろう。そこで思うことは、できない人はできないといわずやったらよい。できないことはとりあえずやってみる。するとその時点から、「できる自分」に変貌する。できるとできないは紙一重。

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喜びと苦しさの表裏…

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人はなぜ他人がよく見えるのだろうか。真面目に考えたことがある。出た結論は、「その人の苦しみはその人になってみなければ分からない」であった。「隣の芝生は青い」という。「他人の荷物は軽い」という。「他人の饅頭は大きい」と、子どものころに聞いたことがある。これらすべては言い得ている。兄弟二人のケーキを二等分したとき、相手の方が大きく見える。

こういう体験は誰にもあろう。吉田拓郎の『リンゴ』の詞はこうだ。“ひとつのリンゴを君が二つに切る ぼくの方が少し大きく切ってある そして二人で仲良くかじる”。この歌詞を始めて耳にしたときは、「できた女だ」と思ったが、“このリンゴは昨日二人で買ったもの ぼくの方がお金を出して お釣りは君がもらって”という次の詞には、こんなこともあるのかだった。


普通(正常)な神経の持ち主なら、「はい、お釣り」と渡すはずだが、これを100点とするなら、うっかりは80点。故意にいたっては0点。これが自分の考える人間観。人を知るために、こうした思いは誰にも自然と湧くはずだ。このようにしながら相手を知って行こうとするが、自分をどう知るかが実は問題である。人は人を観察しても自分を観察することはない。

人間関係の基本は相手を知り自分を知ることだろう。最近のツイッターブームに思う派、人が人の事ばかりをアレコレとあげつらっている。短文のツイッターのなせる技なのだろう。ブログならしっかりと自己批判もできるが、ツイッターはどこか攻撃的である。他人の事ばかり眺めて生きていると、黙っていられなくなるのだろうし、だから文句の限りでストレス発散か。

ツイッターは憂さ晴らしなのだろう。他人を攻撃することで他人と自分の差異化を図っている。言葉の汚い人間は他人への敬意がなく、そうすることで一掃差異化を強調する。つまらん人間の代表と自分には映る。こういうタイプとの交流は絶対に避けてきた。人と人は敬愛心が大事で、それは言葉や文章に端的に現れる。もっとも、高邁な自尊心を隠すために遜る人間もいる。

そういう所も見ていかねばならない。随分と謙虚な人だなと思ったところ、インチキだったこともあるが、それすら自分の眼力の無さである。「毀誉褒貶」という言葉がある。「毀誉」はどちらも、「ほめる」、「褒貶」はどちらも、「けなす」。人を褒めたり悪口をいったりが人の社会。善悪は別にそれで成り立っている。「自分は人の悪口をいわない」という人がいる。

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「いわない」は、「思わない」ではないが、「思ってもいわない」のは大事なこと。なぜ大事かは、「難しいことだから」が単純にして明快。思っていることを言葉にしないのがなぜ難しいか?それは人間が言葉の動物だからだ。若いことに遠慮はなかった。「青年の主張」ではないが、自己主張こそが若者であり、若い時分から人に嫌われたくない姑息な人間はダメだ。

理由の一つに、「(人から)嫌われる覚悟のある人には強さがある」。こんな二者択一を提起する。「嫌われてる人と好かれている人、どっちがより有利か」。これを考える前に、「有利」という言葉に注意がいる。「有利とは何か」を抜きに出す答えはタダの文字でしかない。同じように「得」という言葉。何に対して得なのかを抜きに損得勘定を考えても無意味であろう。

「善悪」もそうだ。思考というのは難しい。何を基準に判断するかで全く変わってくる。息子を殺した父に同情が集まっている。「この父親に同情できない人間は親の経験がない人」、「他人を殺すような息子と判断したなら、息子を殺すのが親の覚悟」などの意見が理解できない。息子は誰も殺してはいないのに、川崎の事件のようなことをやり兼ねないとの合唱連呼は何だ?

誰かに煽動された人間は思考が止まってしまうところは危険であり、息子が無差別殺人を行うとの前提で論理が組み立てられている。明らかな予断と偏見に満ちており、親が我が子を行動を的確に判断し得るのなどあり得ない。未知の事を的確に当てられる人間はエスパーである。つまり、「父親は先を見通せる超能力者なのだ!」とでも言いたいのだろうか。

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父親に同情などあり得ない。親に命を奪われた息子に同情する。一切が親の蒔いた種によっているからだ。偏見も含めていうなら、親が子を殺するのは責任回避である。「責任を取った」などは目糞ほども思わない。逆に、子が親を殺すのを自分は理解する。なぜなら、昔は子どもで今は親であるから、殺したい子どもの感情も、殺されて然りの親のことも理解できる。

がもし、自分が過去に親に殺されていたとする。これほど不幸な親をもった子どもはいないだろう。子どもは好んでその家庭に、その親の元に生まれてきたかったわけじゃないのだ。子どもには総合的に罪がなく、殺すなどは甚だしく重罪である。唯一許されるとすれば、子を殺した親が死ぬこと。それが親の責任であって、生きながらえながらの責任などは笑止。

人が人のせいにすれば気がまぎれるという。もしそうであるなら、罪のない人に罪をかぶせることにもなる。これで人間関係が上手く行くとも思えない。自分の罪がないと思うのは、自分のことを贔屓目にみるからで、人はまったくの利害を抜きに自分を正しくは見れない。そういう場合にあれこれ言わずに、自分に責任がある、自分に非があると思うのが懐の大きさだ。

「川崎事件のようなことをしでかすと思った」。何を思うのも勝手だが、「思い」は「思い」以外のなにものでない。事実ではなかろう。そんな老害の浅慮で命を奪われた彼は気の毒でしかない。「川崎事件のようなことをしでかすような子に育てた…」なら分かる。幼女誘拐殺人宮崎勤の父は息子の責任を取って自殺したが、そういう「責任」なら理解もする。

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不肖な息子に育てたあげく、命を奪って親の責任を取ったなどを到底理解できない。息子は刃物でめった刺しにされていたというではないか?これが親のやることか?めった刺しの意味は何だ?人が人を殺める際に半狂乱に立ち回るのは死にゆく人間を前にした恐怖である。世のために死んでくれと静かに胸を刺すに比べて、憎悪むき出しの慈悲なき行為である。

平手政秀はうつけの信長を諫めるために腹を切った。若者の未来と先行き短い我が皺腹を交換したのだろうが、信長はうつけをピタリと止めた。信長自身の甘えを見抜いた政秀の明晰さである。不肖の息子を殺める前に、思いを託した文を書き残しての諌死というなら立派な父と思うが、息子を殺めて自ら生きながらえようとの魂胆は、正しいの親の在り方と思えない。

病む心・病める心 ②

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小津安二郎は『一人息子』の冒頭、芥川龍之介の箴言集である『侏儒の言葉』を置いている。芥川は序文にこう述べている。「『侏儒の言葉』は必しもわたしの思想を傳へるものではない。唯わたしの思想の變化を時々窺はせるのに過ぎぬものである。一本の草よりも一すぢの蔓草(つるくさ)、――しかもその蔓草は幾すぢも蔓を伸ばしてゐるかも知れない」。

『侏儒の言葉』のなかで芥川は、「親は子供を養育するのに適しているかどうかは疑問である」とも書いているが、この言葉にはいろいろな意味が含まれているのが分かる。「悪を懲らしめる」というが、「懲らす」、「懲らしめる」という言葉は昨今あまり使われなくなった。「懲らされてこその教育」といい、これを言い換えれば、「甘やかさないことこそ教育」となろう。

「懲らす」とは、精神の上に大きな重荷を与えられた障害物を設けることで、読書でも芸事でも運動でもなんでも障害物とみれば、「懲らす」ことになる。一日のわずかな時間でもよいし、したくないことでも我が身のためと自己を厳格に規定し教育するなら、「懲らす」というのは大事なことだ。人間に限らず動物であれ、障害を乗り越えて生きていかねばならない。

そう考えるなら、陸上競技の「障害レース」や、運動会の「障害物競争」も教育の一貫となる。何事もスムーズにいかない方がよい。障害を乗り越えてこそ強くなるはずなのに、苦労(障害)を避けて通ろうとするは甘えであろう。“子どもを甘やかせて将来のためにならない”という自覚だけは持っていた。誰もが「甘え」を好み、自分で自分を甘やかせるが、甘えであるとの自覚がない。

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自制しなければどんどん甘える。なぜ甘えがいけないか、各自が考えるしかない。人からいわれたこと、あてがわれたことに人間は反発する。だからこそ自制が大事なのだ。朝のジョギングを日課とする人は、他人からの強制でやれるものではない。自らの意志だから続けられるが、それでも続けられない人もいる。自分が自分に甘えるからで、それが嫌なら自分に文句をいうしかない。

自分は自分に文句をいうのが大好きだが、「人から文句をいわれるより…」という但し書きがつく。だから頻繁に自分を懲らしめる。外出から帰ると灯りが煌々とついているのに腹が立ち、何度となく自分を懲らしめた。それが功を奏してか最近それがなくなった。「懲らされてこその教育」である。こんな簡単なことができない自分を、自分以外の誰が懲らしめてくれよう。

自分を甘やかすことを恥じる心。自分を甘やかせる自分を情けなく思う気持ちが自分を懲らしめる。甘やかすだけでなく、責任あでもまぬかれんとする態度は、なんと卑怯であろうか。人間はズルく汚くどんなことでも他人のせいにできてしまう。自分を甘やかすとは楽をしたいからで、楽をしたことを得というより損をした気になるよいう自分を、人は変わっているという。

損を得といい得を損といえば変わっていると、物事の表層しか分からぬ人間もいよう。奥深いところに気づかぬ人に罪はない。ツイッターで噛みつくのはいつも決まった人。噛みつくのが好きなカメに罪がないように人にも罪はない。自己の自由を守る精神があればいいこと。若い時のような批判精神は薄れたが、若者は自己の自由を守るために厳しく批判精神を持てばいい。


自由とは明日を生きる心である。誰でもその日を楽しみたい、それは欲望である。だから娯楽は必要であり、今日を楽しむことは明日にもつながっていく。生きるというのはその連続でしかない。貧しさと厳しい労働のあいだからも、喜びや楽しさを創造しようとの意気込みこそが青年の活力である。自分は心は未だ青年だから、活力だけは若者に引けを取ってはいない。

活力は生きる力だから、活力があれば当然生きることが楽しくなる。一日の何と短きかなで過ごしている。「活力」のある人、「活力」のない人、確かにいるとは思うが、あれば幸せの「活力」である。お金を使うこともない。起きて出して食べて歩いて、将棋を指し研究もし、本を読んだり、ブログ書いたり、テレビは観ないがそれだけであっという間に日が落ちてしまう。

だからか、「病む心」には縁遠い。どうしたら病むのかも分からない。育てるものがあるとすれば人間愛か。人間への愛といってもニュアンスへの愛である。ニュアンスとは日本語化している言葉で、色合いとか微妙な意味合いのこと。つまり、ニュアンスに鈍感になると人を傷つけてしまいかねない。これでは人への愛ということにはならない。ニュアンスを高めるのは大事。

サルトルだったか、「善をなす場合には、いつも詫びながらしなければならない」といった。ようするに、「善」ほど人を傷つけるものはないとの意味だ。我々は「善」に無神経で無配慮だったりするが、「善」というまやかしの言葉になびいているからではないか。その意味で、細やかな感性を持った人間は、あえてぶっきらぼうな表現をとったりすることになる。

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「善」を行うに際してもぶっきらぼうな言葉や態度を見せる。「善人気取り」などは究極の恥さらしとの意識。他人から称賛を得るためにやるのではなく、人の何かの役に立てばとのはにかみ的な控えめな行為こそが、「善」であろう。長く生きていると、自分の思う善が相手の善になるとは限らない。「押し付けの善」もあったりと、善は悪を行為するより難しい。

人間は社会の中出試されて生きている。今後異性と恋愛に堕ちることはないが、人への愛情は絶やさないでいれる。異性を恋した時期はなんだったのか?。恋に苦悩し病んだこともあったが、過ぎ去れば遠き想い出だ。失恋が人間にとって痛手となるのは、おそらく恋愛をただの恋愛として見ず、そこに人生の幸福を重ねるからではないか。そういう気持ちで若者は恋愛をする。

病む心・病める心 ③

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きわめて当たり前の哲学的な真理とは、「在るものは在る、無いものは無い」であろう。「我思う、故に我在り」といったデカルトはいったように、彼は100%「真」といい切れないものは「偽」とみなすとの徹底した懐疑主義の立場を取り、真実を見つけるためにすべてを疑ってかかった。人間の思考のなかで感覚的なものは、真実というより錯覚かも知れない。思考や理性は実か夢かも知れない。

が、「それらを疑っている私」が存在するということだけは、疑いようのない「真」であり、 自分を自分と思っているものすらも夢の人格であったとしても、それを夢かも知れないと疑う「私」だけは確実に存在する。これが「我思う、故に我在り」の意味である。人間は不完全な生き物で、不完全な存在者である。ならば、不完全な存在者である人間が本当の完全性を理解できるのだろうか? 

人は「分からない」と口癖のようにいう。如何に天才的な頭脳をもった学者たちであっても、「分からない」ことだらけである。将棋の最強者である羽生善治をして、「将棋は分りません」といわしめたように、人間は分からないことがあるという状態(不完全性)は明晰・判明に理解できたとしても、すべてを完璧に分かるという状態(完全性)を明晰・判明に理解しているとは言い難いことになる。

つまり、自分が不完全な存在であると理解する人間にとって、完全性の概念を明晰・判明に理解していることはできないのではないか。即ち人間にとって、“完全な存在が実在すること”は証明できないことになる。人間が完全性であり絶対的真理としての神を求めたのである。したがってデカルトの、「我思う、故に我在り」は、不完全ではあるが、この世がまったくの無ではないことを論理的に証明した。

イメージ 2「私は今ここにいる。あなたもここにいる」というのは知覚で論理的証明でない。肉体も精神も「有」であるのは本当か? 「自分は確実にある目的をもって生きている」といえど、それは夢見心地の幻想かも知れない。しかし、その夢を見ている何者かは確実に存在するのは真実である。「在る」と「無い」について突き詰めて考察したのはパルメニデスである。
「在るものは在る、無いものは無い」という自明な前提から、存在を論理的限界まで考究したパルメニデスのいう真理とは、「形もない動きもない多数も多様性もない永遠不動の一者としてただ“在る”ということになる。我々が、「これは真理だ」、「それは偽でこちらが真だ」などといい合い、論説戦わせているその向こうで、本物の真理は音もなく形もなく深として、“在る”のみである。

そんな自らの“在り方”に満足しない何者かが、あれこれと講釈を垂れ、もっともらしいことを発しているとしたら、それこそが茶番であり、それに群がる人は滑稽な人たちということになろう。だから、「信者」、「信仰」、「信じる者」というのは、差し障りのないよい言葉である。「信じる者は救われる」はさらによき言葉である。救われなくても救われるという前提で信仰に入り、結果は後の事。

何事も結果は後のものであるがゆえにその過程において人は病む。病気にかかる前に人は病まず、かかってみて病む。結果が分かっていれば人は病まず、だから過程において病む。もしも、「真理」が、“永遠不動の一者”としての存在でしかないなら、一体われわれは何なのか?日々刻々と絶え間なく揺れ動き、やがては死んでゆくわれわれ、「死すべき者」の一人一人はどうなる?

パルメニデスはこれに対して、「ドクサ(doxa)の道」という答えを用意した。「ドクサ」とは「思惑」、「憶見」などと訳されるが、彼の用意した安全柵を打ち破り、生身一人の死すべき者として、永遠不動の一者たる、「存在」の前に踊りでるとどうなるのか?弾き飛ばされるのか潰されるのか、こちらの方が面白そうだ。単に生きることに何の不快もないが、不快と考える人が信仰に入る。

が、一切のことは結果通りとなる。信仰者も不信仰者も、すべては結果に導かれる。「存在」に反逆して自殺する者がいたとしても、単に死すべき者が己の運命に従った以上のことではなかろう。そこにはポツンと一個の死体があるだけ。「病む心・病める心」の果てが自殺という結論をもたらせたのであって、「自殺は人間の最後の自由」と…、そのことに疑いはない。

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死ぬことは一人でできるが、生きることは一人では敵わない。ところが、一人で死なない人間が出てきたのは困ったことだ。何処に誰に原因があろうと、迷惑の限りを尽くして死んだ人間に罪を問う実質的な意味はない。罪は罰を伴ってこそ機能する。「一人で死ねといってはならない」と警告する者がいる。理由は、一人で死ねに対する反発を起こしかねないからという。

可能性はあろう。世の中に「絶対」はない。人を巻き添えに死んでそれで目的を果たしたなら、それも彼の死に様だ。我々はそういう思慮なき人間に、「死ぬなら勝手に一人で死ねよ、バカもん!」と、心で思えばよい。口に出し、文字にしたところで本人には聞こえない。「一人で死ねよ」の合唱連呼に刺激を受ける社会的弱者がいるなら、彼らの甘えを理解するしかなかろう。

ニーチェは弱者を、貧乏人や病人もしくは特定の個人、組織、団体、党派、職業、階級、人種、共同体、コミュニティなどの規定をしていない。彼のいう弱者とは、人間の質であり「精神の規定」である。したがって、肉体的な弱さや社会的弱さが直接人間としての弱さを意味するのではなく、精神が弱さに同意した時、人間は弱い人間、病的な人間になるのです。精神が弱さに同意というのが甘えである。

「なぜ甘えがよくないか?」はそれぞれ考えるべきといったが、賢者や学識者の文献書籍にはいろいろ指摘されており、われわれ凡人にない「甘え」の怖さを驚きをもって知ることになる。目にしたことはないが、「甘えはよくない」程度は、神の観念言葉と記されているのでは?ただ、実行する上においての具体的な知識や分析は、神より賢人・賢者の方が有用性として遥かに高い。

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心に残る曲 『風にのせて』 イルカ

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イルカの1stアルバム「イルカの世界」(1975年3月5日発売)のA面4曲目に収録されている。当時この曲を1日に一回は聴いていた。LPレコードを最初から順ぐり聴くことはせず、聴きたい曲だけはしょって聴く。本曲と6曲目の『あいつ』だけを聴いていた。時たま2曲目の『冬の忘れ物』と7曲目の『シルエット』を聴いたりと、アルバムとはそんなものかも知れない。

イルカのヒット曲といえば誰もが知る『なごり雪』。この曲は「かぐや姫」のメンバー伊勢正三の詩・曲になるが、彼女は伊勢にぜひこの曲を歌わせて欲しいと頼み込んだというが、『なごり雪』は75年から76年にかけて大ヒットし、最終的には80万枚ものセールスを記録したという。この他に彼女がとりあげた伊勢の曲は、『あいつ』、『雨の物語』、『海岸通り』など、いずれもヒットした。

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『なごり雪』の前からイルカを知る自分にとって、『なごり雪』のヒットは戸惑い気味だった。あまり陽の目を浴びず、人にも知られることのない名曲・楽曲を発掘するのが好きな自分にとって『なごり雪』は、突如現れた絶世の美女に人気が集中したような感じを抱いた。あまりにもてはやされるものは放っておいてもいいだろうと、マイノリティを自負する人間の考えはそういうものだ。

物心ついた頃からなぜか「少数派」を生きてきた。だからか人気の映画は観ない、ベストセラーは読む気がしない。美女に興味はわかぬのもそういうことか。イルカの魅力は不美人の容姿?そうは言わぬが、確かに彼女は美人類に属さない。容姿がいいだけで好きになる女優も歌手も一般人もいないが、ブサイクを好んで好きになるということでもない。そういうものには影響されないということ。

少し太めのイルカの声には中性的な魅力がある。前回、八神純子と高田真樹子の『私の歌の心の世界』の批評をしたが、八神の透明感ある声が高田の世界観に合わなかったと指摘したように、高田の太く厚味のある声に説得力が感じられた。音楽に限らず芸術全般においては、説得力というものが「感動」を呼び起こす。だから、美しい、綺麗だけではダメだと、それを人間にも当てはめてみる。

専門的な音楽理論や理屈を抜きに、誰かのヒット曲をカバーをしても、足りないものは感じられる。オリジナルだから良いのではなく、オリジナルを超えたかのような説得力ある歌い手はいる。例えば中島みゆきの楽曲は演歌歌手も含めた多くのアーチストが歌っているが、研ナオコのみゆきには圧倒されるだろう。オリジナルより表情がある。みゆきは研ナオコについてこんな風に述べている。

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「貴女(研)が歌ってくださるのを聴くと、もとは貴女がシンガーライターとして生み出した作品に聴こえてくる(中略)。この場合、私(中島)の役目は貴女の筆記用具だったかも知れません」。「私はあなたの筆記用具」とは遜った誉め言葉としても、賛辞として秀逸な言葉ではないか。『時代』は好きな曲、芸人としての研ナオコは好きではない、が、研の中島みゆきカバーアルバムは速攻で買った。

ナオコにあってみゆきにないのが「哀愁」である。楽曲をどう受け取るかによるが、みゆきは明るく歌いナオコは切なく歌う。本来は比べるものではなく、どちらの良さにも浸ればいいとは思いつつ、無意識に比べてしまう。元はナオコがみゆきの楽曲の世界に衝撃を受けたところから始まったわけだが、ナオコはみゆきの、「男にふられる世界」を彼女なりに表現して見せてくれたのだった。

研ナオコの歌うみゆきは音楽関係者間でも評判がいい。ナオコ自身も中島みゆきを歌うことへの重圧はあったようで、こんな表現で述べている。「彼女(中島みゆき)の歌声を聴いて何を表現したいのか察し、 彼女の世界観を崩さずに自分の声で表現できるか、と考える。そのプレッシャーはすごかった」。ナオコのこの言葉から、彼女がどれほどのプレッシャーを感じていたかを想像するよりない。

イルカの歌う『なごり雪』や『あいつ』を伊勢のオリジナルで聴いて感じるのは、伊勢の曲作りの才能は認めるものの、歌い手としての伊勢に魅力を感じることはなかった。オリジナル曲を別のアーチストがカバーをし、当たる(人気が出る)理由は何だろうか?おそらくは楽曲に秘められた潜在的な何かを引き出してくれるのだろう。「〇〇のカバーは素晴らしい」というのはしばしばある。


研ナオコの中島みゆきやイルカの伊勢正三を挙げたが、他にもカバーヒットは沢山ある。杏里のカバーによる尾崎亜美の『オリビアを聴きながら』、森高千里カバーによる南沙織の『17歳』、荻野目洋子や井上陽水カバーによる西田佐知子の『コーヒールンバ』などが浮かぶが、目新しさ、美貌(?)、編曲の斬新さなどもカバーヒットの要因であろう。音楽の持つ多様性を我々に感じさせてくれる。

イルカの『風にのせて』は有名な曲ではなく、イルカファンならではの曲。YouTubeで検索したところ、別バージョンが作られていた。リズムセクションが控えられて、弦楽器を用いての多彩で凝ったアレンジで現代人の求める「癒し系表現」というのが適切かどうかはともかく、癒しを求めぬ自分にとって、新しいバージョンには共感できなかった。旧バージョンはSimple is the best.

心に残る曲 『白いページの中に』 柴田まゆみ

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『屋根』、『時代』と同じポプコン曲。われはポプコンの創世期世代なり。ポプコンこと「ヤマハポピュラーソングコンテスト」は、ヤマハ音楽振興会の主催で1969年から1986年まで行われたフォーク、ポップス、ロックの音楽コンテスト。後に年2回開かれるように改訂されたが、グランプリ優勝者には自動的にレコードデビューが約束され、世界歌謡祭の出場資格を得ることができた。

第5回まではプロを対象にしたコンテストだったが、第6回以降はアマチュアのプロへの登龍門となった。あらためて紹介するまでもなく、多くのアーチストがポプコンから誕生し、現在活躍中のアーチストもワンサカいる。ただし、当時はインターネットもなく、情報が少なかったのでシンガーソングライターの人となりや情報はほとんど知ることはなかった。音楽さえあればそれでよかった。

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ポプコンの最大の特徴はブサイクとブサメンの大売り出しといっていい、中島みゆきを筆頭に、高木麻早、谷山浩子、小坂明子、八神純子、小坂恭子、柴田まゆみらそうそうたるブサイクが名を連ねている。ブサイク・ブスは差別用語だが、差別意識のない自分には美女と同じ区別用語。ポプコンにブス、ブサメンが多いのは当然で、才能と容姿は何の関連もないことを示している。

女性は自分がブスだと思っていても、人からブスといわれるのは嫌だという。自分で認めるも他人が認めるのも理屈的には同じだが、これについては理屈が通じない。その辺りのところを女性にを聞いてみたが、「自分が気にしていることを他人からいわれるとイヤでしょう?」と大体が同じ答え。自分で認めるが気にはしているということだが、それって認めることか?

「認めている」のなら気にならない、気にしないのがいいと思うがそこは微妙な女心。彼女らの「認める」って何だ?「自分は将棋が弱い」と認めている。だから他人から弱いといわれて気にもならないし、自分より強い人なんか腐って余るほどいる。それからしても間違いなく自分は弱い。レベルが自分以下の者には強いとはいっても、比較の対象をどこに置くかであり、だから自分は弱い。

自分を認めているのは本心だが、“なかなかそんな風には思えない”と人はいう。「われ以外みな師なり」といったのは作家の吉川英治。自分の知らぬことを知る人間を敬愛すればいいのに自尊心が邪魔をする。「奴が知らぬことを自分は沢山知っている。だから奴より自分は賢い」と思いたい。つまらん自尊心をなびかせるより、知らぬことを教わって感謝する方が自分の為になる。

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話がそれた。美少女コンテストはあってもいいが、ポプコンは容姿・容貌に関係なく音楽の才能のみを競う。楽器製造メーカーのヤマハは、元は日本楽器といったが、「楽器を売るためには音楽を売ることが先決」という根本に立ち返った。当時も今もピアノを習う子どもは沢山いるが、本当に音楽を奏でたい気持ちで弾いているか、先生にいわれた通りに弾いているかは聴けば分かる。

それにしても『白いページの中に』は名曲だ。いつ聴いてもいい曲だと思えるのは間違いなく名曲。多くの人に知られていない埋もれた「名曲」を見つける喜び。兵庫県生まれの柴田まゆみは、高校のフォークソング部に所属し、18歳の時にヤマハ神戸店に出向いて自作曲『その時まで』を第14回ポプコン予選に応募した。結果は東中国大会で作詞賞を受賞。

その翌年(1978年)には再度『白いページの中に』で応募し、地区大会を勝ち抜いて第15回ポピュラーソングコンテストつま恋本選会で入賞した。同曲は同年8月にヤマハ提供のラジオ・テレビ番組「コッキーポップ」のオープニングテーマにも採用されることとなった。柴田も同曲でレコードデビューをしたが、結局シングル一枚のみのリリースで事実上引退する。理由は不明である。

ポプコン応募したときの状況やその後の経緯を彼女は以下のように述べる。「ポプコンに初めて応募したのが18才。それまではポプコンという名前すら知らなかった私は、大胆にも1曲しかないオリジナル曲を引っ提げ、力試しのつもりで予選会場へと向かった。"知らない"という事は時に無謀な事をやってしまうものだと、場違いな雰囲気の中でひたすら後悔したのを憶えています。


2曲目の『白いページの中に』でつま恋本選会へ。人一倍"上がり症゛の私の緊張はピークへと。つま恋のステージは、コントロール不能な自分というのを初めて体感した場所です。その後はレコードを1枚出したきりでほとんど活動も無く、自宅で音楽を楽しみながら時々作品を創る程度でした」。つま恋本選ではグランプリを逃したものの同曲は名曲として歌い継がれている。

カバーしたアーチストは、あみん、笠原弘子、Chieri(伊藤智恵理)、Rizco(リツコ)、上原多香子、岩崎宏美、きんくら(Kinkula)、藤田恵美、良元優作、茉奈・佳奈、八神純子、普天間かおり、石井竜也(カールスモーキー石井)など。柴田のWikiには、生誕2月3日とだけ書かれている。様々な要件から明らかになる生年を隠す気持ちというのは、本人のみが知る謎としておこう。

しつこい橋下徹。君は何もいうな!

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元農水事務次官による息子殺しは6月1日に起きた。動機については週刊文春が以下報じている。事件当日、隣の小学校で運動会が行われていて、その音がうるさいと息子が荒れ、父親と口論になり刺し殺したという。息子は小学生をぶっ殺してやるなどと暴言を吐いたために、数日前に起きた岩崎隆一による川崎事件が脳裏をかすめ、息子が事件を起こしたら世間に迷惑がかかる。

そのように思って自らの手で息子を始末する決意をしたという。が、これら一切は死人に口無しという状況のなかでの独断的な供述にすぎない。犯罪者はどんなことでもいうが、無意識に自己正当化的なことをいうもの。犯罪の事実と供述は整合性があるようでも、紐解いていく過程で別の事由の存在が明らかになる。この事件について橋下はいち早く父親を擁護するコメントを出した。

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「自分も同じような状況なら熊沢容疑者と同じことをするだろう」との理由で、つまり自分もそうするだろうからとの理由で擁護した。自分もそうだから熊沢容疑者が正しいなどとはいってはないし、いえた義理でもなかろう。但し、正しいことを模索し、行為するのが良識人なら、橋下は自分は正しいことをしたといいたいのだ。間違ったことをあえてするとはいわなず同意もしないだろう。

しかし、熊澤容疑者が護身用にナイフを持っていたとか、何十か所もの刺し傷が息子にあった事実などから、供述とは別の要素が見えてくるにつれ、橋下はだんだんとトーンダウンをはじめた。だから今回も自己弁護も含めてこの件に拘り発信しているようだが、橋下には全く承服できない。彼は、「賛否はあるが、“一人で死んでほしい”と言うのも当然だと思う」と変節した。

彼の意見に承服しかねる理由はいくつかあるが、「もし僕の子どもが人様の子どもに危害を加えるということが“明らか”だというとき」、この言説である。「明らか」というのはどういう状況なのか?自分の子どもが人様の子どもに危害を加えることが、何をもって、「明らか」と判断し得るのか?人の判断には誤謬が多い。絶対に正しい判断であるという自信が的確な判断といえるのか?

仮にもし自分が、「明らか」と判断する理由があるとするなら、息子が即座に刃物を掴んで外に飛び出したとき。これは明らかに緊急的な判断が必要となる。突発的な判断もあれば、思考に思考を重ねた判断もある。「明らか」の根拠は可能性としての判断の可能性は否定できない。人は思い込みを的確な判断と自己認識をする。したがって、何が適切、何が軽率であるかの判断は難しい。

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にもかかわらず後だしじゃんけんでは、「息子は子どもを殺す可能性が非常に高かった」などと勝手なことをいえる。すべては殺人という取り返しのつかないあとだから、息子の気持ちすら勝手に曲げられる。ゆえに父親の行為の具体的な立証は非常に難しい。法治国家にあっては殺人という判断の正否が法廷で検証されるというではなく、あくまで行為の情状についてである。

人殺しを安易に正当化してはならない。正当防衛ならともかく、自分たちの命が狙われているとの怯えのなかで、川崎事件を引き合いにした義憤を口実に息子を殺した可能性は高いとみる。何が事実であるかは息子が死んでしまった以上、父親の供述のみを信じるのはダメだ。これはあらゆる殺人事件においても、加害者の動機を詳しく調べると同じこと。という都合のいい言い訳かも知れない。

なぜか今回の息子殺しには川崎事件や池袋事件のことがクローズアップされるが、息子の刺し傷の多さには違和感がある。そのどこが義憤?「自分が父親なら、最終手段として息子を殺す」と橋下はいうが殺すのは彼の自由。ただしテレビでいうな。人間は感情の動物ゆえに正義の刃を正しく行使はできないと考える。間違いを起こす以上、取り返しのつかないことは避けるべき。

それが死刑廃止論の理由の一つでもある。同じように、正当化できる殺人は存在ない。殺人を正当化できるものがあるのは、自分が自分の命を奪う自殺だけでは?すべての自殺には個人的な側面と社会的な側面があるが、個人的側面からみると自殺は当人の自由な行動となるが、社会的側面から見ればすべての自殺は他殺である。例えば殉死というのは、明らかに他殺的要素が強い。

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三島由紀夫とともに命を絶った烈士森田必勝も25歳の若さであった。他にも宗教の教祖とともにする集団自殺の例もある。江戸時代、各大名の間で殉死者の多きことが自慢になったことがある。東北の勇伊達政宗の場合、正宗に対する殉死者15人、その殉死者に対する殉死が5人、あわせて20人の殉死者がでた。今回の父親による息子殺人を、「よほどのことと理解する」という人は多い。

そういう人たちは殺される側の心情に立って考えたことがあるのか?どれだけのことをやったなら、「自分は親に殺されても仕方ないな」といえる事由をもっているのか?殺す側の論理はいっちょ前にいうが、殺される側の論理が果たして明晰に説明できるのか?せいぜい、「他人子どもを殺すような子なら親が殺して然り」というのはいいが、どういう根拠でそれが明白なのか。

橋下は、「自分の子どもが他人の子どもを殺すのが明らかな場合」と、この後に及んでしつこく絡むが、息子を殺すことが正当化できる「明らか」とは何かを説明すべきである。勝手な憶測で論理を組み立て、罪を犯していない者を殺すことが許されていい筈がなかろう。それを「明らかな」という言葉だけで正当化するのは止めろ。私情が絡めば人間は判断を誤りやすいのを知るなら…

息子が包丁を手に、「子どもを殺ってくる」と飛び出したのを追っかけて息子を刺し殺したというなら、父もそれなりの評価は得られようが、「人様に危害を加えることはあってはならない」は起こっていないこと。勝手に罪を着せられ殺された息子をなぜ悼まない?影響力のある人物は、つまらん憶測をいうためにテレビに出るな。「タラ」が好きなら北海道で食って来いよ!

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繰り返すが人間は誤るもの。人間の判断力には私情が大きく絡むもの。なぜに起こっていないことの不安要素ばかり煽り、息子が殺された事実に言及しない?父親が殺人に慎重であるべきを責めない?息子を殺したことで確実に何かが解決したのか?「起るであろう無差別殺人を防止した」と思いたい者たちの自己満足なのか、起こってもいない犯罪を防止したと思いたい人間の精神を疑う。

昨日、広島で49歳の母親が21歳の娘を自宅で刺し殺し逮捕された。親の子殺し容認発言は事の遺憾にかかわらずすべきではないし、影響がなかったとはいえない。こんな子どもなら殺してもいいんだと短絡的に考える親が増える事もあり得る。橋下の口に戸板を建てられないなら、せめてワイドショー媒体が子殺しを肯定するような発言は一切取り上げるべきではない。

元農水事務次官“御曹子殺人”

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この表題は実際にあったもので“御曹司”という響きが美味である。自分は御曹司でなく我が子も御曹司ではない。熊沢英昭容疑者の息子がなぜ御曹司なのかは事務次官の息子だからだろうが、御曹司を親が殺してしまった。だから“御曹司殺人事件”となる。これが娘なら“御令嬢殺人事件”となる。東大出の元事務次官が人殺しとは、時代も時代というしかない。

おそらく息子以外ならを殺すことはなかったろうが、他人では起こり得ない動機が家族にあったことになる。殺すって行為は憎いからだろうし、生きていては困るからだろうが、親が子どもを殺していい訳がない。世間の冷ややかな反応は予測でき、それで思いついたのが、「息子が人様の子を殺すかも知れない」という体裁のいい事由。それを未然に防いだのだと…。

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東大出の元事務次官ならこれくらいは考えるだろう。彼らは体裁を拠り所に生きる人種だ。当初から自分は一貫してそんなバカなと思っていた。義憤で息子を殺す親がいるか?しかし、すっかり騙されたのが橋下で、彼も父親の義憤に賛同し、「自分も同じ立場なら同じことをしたかも…」と述べている。なぜ橋下は即座に反応したのか?彼も体裁をとり繕う人間だから?

自分にはこういう発想は全く浮かばなかった。つまり、自分が熊沢容疑者と同じ立場にあったら、という仮定において思考することなど、目糞ほども考えられなかった。他人の状況や環境に自分を置いて、「もし、自分だったら…」などと疑似的に考えることはままあるが、我が息子が人様の子を殺すなどという、そういう仮定の状況を考えることなど思いもよらなかった。

理由は、「絶対にありえない」からである。「この世に絶対はない」とはいうものの、それでも、「絶対にない」くらいの想像力は働く。自分の息子は36歳で所帯をもち、2人の子と平凡に暮らしている。熊澤容疑者の息子とは似ても似つかぬ状況であって、川崎事件のようなことを起こす理由も動機もない。要するに川崎事件にはそれなりの素因があったことになる。

自分もいろいろな想像はしたが、専門家である精神科医は以下の分析をする。「川崎事件」と、「次官事件」の当事者は、同じひきこもりでも生活態様はまったく異なるが、この両者こそがひきこもりの二大類型だろいう。ひきこもりは2つに大別され、川崎の岩崎隆一容疑者のように家庭内暴力がないタイプ、他方は亡くなった熊沢英一郎氏のような家庭内暴力を伴うタイプ。

イメージ 2「家庭内暴力が激しいタイプは親を責めたてる。俺がこんなになったのはお前のせいだ、自分がうまくいかないのは全部親のせいだと責める。彼らはある時期までは勉強ができて、その自負が本人を支えている。が、その後にうまくいかなくなって、それをすべて親のせいにすることで暴力にいたる」。これが家庭内暴力の典型といっていいほどに親への復讐行為である。

幼いころから親に勉強を強要され、友達と遊ぶことやテレビゲームを禁じられるようなエリート家庭に多く、勉強に挫折したりと、ちょっとした歯車が噛み合わなくなったことで引きこもり、身近な親を従えて君臨して憂さを晴らす。一方の、「おとなしい」ひきこもりタイプというのは、「親を責めてもどうしようもない」、という気持ちを強く持っている。

「彼らは家族とは距離を取る。岩崎容疑者の場合は実親ではない伯父夫婦と同居し、育ててもらった恩は感じながらも接触を避け、微妙な距離感を保って生活していたが、自らはひきこもりを『否認』し、絶妙なバランスの中で日々を安定させてきたのだと思う。ところが、伯父夫婦が行政施設に宛てたの手紙から、自分がひきこもりであるという現実に向き合わされた。

それによって保たれていた距離感が崩れ、ひきこもりを続けていくことが無理だとの思いにいたり、自暴自棄になった可能性が高い」。これについて『「子供を殺してください」という親たち』の著書がある押川剛氏も同じところに注目する。「川崎のケースは、岩崎容疑者が親族を完全に従えている状態でしたが、自分より下に見ている相手から“ひきこもり”と指摘された。

それでプライドを傷つけられた彼は逆上してしまった」との見方をする。岩崎宅からは猟奇殺人事件を扱った雑誌が押収されたが、それはデアゴスティーニの「週刊マーダー・ケースブック」の「シャロン・テート殺人事件」「パリ留学生人肉食事件」の2冊であった。これらを読みながら人を殺す意志が固められていったのだろうか。すべては想像であり分析でしかない。
  
家庭内暴力で憂さを晴らしているタイプは、秋葉原事件や川崎事件のような無差別殺戮事件を起こす可能性は低いと自分は見ていた。それを父親の供述で多くの人間が同意したのには、橋下のバカげたコメントの影響も大きかったろう。つまらんことは早急に口に出すべきものではないが、目立ちたがり屋がワンサカ生息する社会では疑似や似非情報が瞬時に広がる。

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引きこもり、家庭内暴力などの躾の失敗は、甘やかしを厳禁に子育てをした自分には想像すらできず、「自分も同じ立場なら同じことをしたかも知れない」の発想はまるでなかった。そんなことを仮定で考えられる親もいるのかと、そう思うだけ。子どもに厳しかったというのは自分に厳しかったことで、もし自分の箍が緩めば子どもはどうにもならなくなるとの危機感をもっていた。

子どもにはそれほどに真剣に向き合っていた。本気が伝わったから子どもも真剣に育ったかもしれない。ただ、厳しいとはいえ、エールや励ましの言葉は執拗にかけていた。「男だろ?そんなことで泣くんじゃない」、「辛いけど我慢しろよ。世の中はもっともっと厳しいぞ」などの掛け声は忘れなかったし、すべては子どもが社会で生きていくために厳しさだった。

自分は当初から熊澤容疑者の、「息子が川崎事件のようなことをやらかすと思った」は作り話と思っていた。運動会の音がうるさいと口論になったのも嘘だと思っていた。すべては父親が息子を殺めるための前振りで、殺人を義憤に思わせる工作とみている。息子との日常は危機感に満ち、母親を愚母と見下げ、尊敬する父にまで手を出し始めた親子関係はまるで地獄絵図。

親は息子と顔を合わせないように二階に引きこもっていた。それこそ親の思いは、「うちの子を殺して!」だったかも知れない。その思いは母親に強く、父にも気持ちは伝わったろう。息子が実家に帰って以降、家庭内ではいつ踏むかも分からぬ地雷に、両親は息をひそめていた。そんな親が義憤で息子を殺す筈がない。すべては自分たちの利益、逆恨みだろう。


『十二人の怒れる男』に学ぶ、予断と偏見

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人間の判断力は極めて不安定なものと書いた。ある事件や、人物、作品について判断する場合、大抵は自分の欲する側面しかみない。ないしは、先入観や偏見も大きく影響する。そうであってはいけない、TOTALな判断が必要と分かっていても、実際にそれを運用できるかどうか。とくに社会の出来事には著しく判断が動揺し、核心を知ることは容易でなくなった。

人間関係が多様化することで人間社会も複雑になる。さらには人間の行為自体が抽象性を帯びるようにになってきた現代社会。文明の進歩と合わせて様々な欠陥もあらわれるが、その中で顕著なものが、「過剰」である。「無為を為し、無事を事とし、無味を味わう」 (老子第六十三章) とあるが、「無為」とは何もしないではなく、行動においての無執着を意味する。

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物事を判断する場合に、判断すると同時にその判断自体に執着しない。と同時に、世間体や予断や偏見や周囲の顔色にもとらわれず、配慮もせず、ひたすら真摯な判断を心がける。「無執着」というのが自由の核心と思うが、「執着しない」といいながら人が如何に執着しているかを考えれば、自由が困難であるのもわかろう。幸いにして自分は物事に執着しない性格だ。

yahooブログが終わる?終わるものは終わればいいし、自分は何も変わらない。こうした自己訓練は平凡なことから始めるといいが、平凡が難しい。だから社会は混乱し、無用な争いが起る。自己の判断や行動に誤謬ありと気づけば、即座に認めて取り消すことこそ、平凡な行為であろう。「事は無為を以て事と為し、相は無相を以て相と為す」。これは老子の影響を受けた聖徳太子の言葉。

「無相」とはいかなる限定も与えないの意味。現実の社会は様々の限定で成立しており、いかなるものも名称によって枠に嵌められている。親といえば親、子どもは子ども、男は男で女は女、青年は青年で老人は老人だがみんな同じ人間だ。そうしたものにとらわれずに判断するのが正しいと太子は述べているが、これが難しい。人間は偏見の塊だからである。

書物からいろいろ学んだが、映画から学んだものも少なくない。シドニー・ルメットの『十二人の怒れる男』(1954年)は自分に大きな影響を与えた作品である。社会派ルメットの骨頂ともいえる作品で、これ以上の映画があるかと長らく思っていた。観た人もいるだろうが、今の若者はこういう映画を観ないだろう。この作品の何が凄いか、一人の陪審員の勇気から始まる。

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18歳の少年が父親殺しで起訴された。誰が見ても有罪と分る簡単な事件に思えたことで、事件を審議する12人の陪審員のうち、第一回投票では11人が有罪となった。ところが8番陪審員(ヘンリー・フォンダ)だけが反対票を投じていたのだ。彼は他の陪審員に嫌味をいわれたり、「こんな簡単な事件なのにお前は何だ!」などと罵られる。彼無罪を確信したわけではなかった。

こうして8番陪審員は様々な疑問を持ち出し、不良少年という周囲の偏見と戦いながら、周囲を説得していく過程は見事で、最後は無罪の評決を得るのだった。しかし、その中で最後の最後まで有罪を主張するのが3番陪審員(リー・J・コッブ)だった。宅配便会社の経営者の彼には、どうしても父親殺しの少年を電気椅子送りにしたかった理由が最後にわかる。

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彼は長年に渡る息子との確執から、父親殺しの被告を自分の息子と重ねていたのである。2人の目撃者がいて動機も明確にある。全ての証拠が少年の犯行を示している。少年は曖昧な発言をし、事件当時のアリバイも無い。陪審員室に集まった12名が最初にやったのは、「有罪」か「無罪」かの1回目の投票がなされた。その結果、11人の陪審員が有罪に投票したのだった。

明らかに有罪とおぼしき事件が一人の陪審員をきっかけに無罪に覆ったが、映画の見どころは8番陪審員の勇気と卓越した論理と説得力ではなく、真の見どころは、3番陪審員の執拗なる有罪支持と8番陪審への強烈なる口撃、その裏には彼の息子との確執と苦悩があった。他の陪審員が次々と無罪に変わっていくなか、人間の偏見がいかに醜いものであるかを思い知る。


 3番:「たった1人のお伽噺話を聞いて全員腰ぬけになりやがって。あんなガキはさっさと電気椅子に送ったらいいんだ!」

 8番:「あなたは少年を処刑したい。だから有罪にしたいんだろうが、なんというサディストだ!」

 3番:「こいつ、殺してやる!」と、ナイフを手に8番陪審員に襲い掛かる。

 8番:「本当に殺すつもりで言ったんじゃないんでしょう?」

 3番:「……」

議論の過程の中で被告の少年が父親に、「殺してやる!」といったことを3番はこう主張した。「殺す気も無いのに殺すと言う馬鹿がいるもんか」。それが今、我が身に降りかかっている。そのことを捉えて8番は3番をたしなめた。最後まで有罪を主張していた3番はうなだれ、「無罪だよ」と踵を返す。かくして有罪11、無罪1で始まった審議は、全員が無罪評決となる。

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心に残る曲 『サルビアの花』 もとまろ

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『サルビアの花』を初めて聴いたときの高揚感は忘れない。『時代』も『屋根』も同様だったが、さだまさしは初めて『時代』を聴いて、「別の宇宙すらを見る思い」とまでいってみゆき才能に絶句したという。『サルビアの花』の詞の内容は、好きになった女性を諦めきれず、結婚式に乗り込んで花嫁を奪って逃げる。これは映画『卒業』から影響を受けたものと思われる。

『サルビアの花』という楽曲から初めてサルビアの花の存在を知った。いや、サルビアという花の名前だけを知った。実際にサルビアを見たのは何年も何十年も後だった。『サルビアの花』という楽曲があったからといって、サルビアを見たいという気持ちは起こらなかったし、花そのものへの関心はまるでなかった。男は一般的に「花オンチ」で「花より団子」である。

花になんか興味がある男の子は正直キモイ奴だと、勝手な男イメージを抱いていたが、周囲にそんな男はいなかった。♪パンジーパンジー三色すみれ、と歌われる『夢見るパンジー』は昭和37年のヒット曲だが、花オンチの自分がパンジーなんか知るわけもなかった。やはり物心つくまでパンジーを見たことも見る気もなかった。たまに女性で花オンチもいるようだ。

懐かしの映画『卒業』(1967年制作)の花嫁強奪シーンはカッコイイが、『サルビアの花』の詞では、♪泣きながらキミのあとを追いかけ、花ふぶき舞う道を転げながら彼女を追って走りつづけたとある。場面の状況を想像するに、なんとブサイクな醜態であろう。どうにもアメリカ映画のスマートさにはひけをとってしまう。日本人に『卒業』のような映画を作ることはできない。


作詞の相澤靖子は、作曲の早川義夫とは高校時代(神奈川・和光高校)の友人のようで、おそらく映画『卒業』に憧れていたのだろう。早川はジャックスというバンドで有名になるが相沢はこの曲以外の作詞を知らない。サルビアの花を窓から投げ入れたいとあるが、何でサルビアの花なのか?後に花を見て分かったことだが、真っ赤なサルビアの花は情熱の証ということなのか。

が、紫や青のサルビアもあるようだが、そんなことはどうでもいい。この男は彼女の部屋にサルビアを投げ入れたく、サルビアをベッドに敷きつめて彼女を死ぬまで抱いていたいなどと、なんのこっちゃでこの詞は…。甚だしき女の自己妄想というしかない。逆さに吊るされて鼻血はでようとも、こういう詞の発想は浮かばないだろうの自信がある。ならばこれも才能か?

あげくこの曲は性行為を望む歌だといわれ、ホンマかいなのあんりゃビックリだ。一体どこに性行為の描写がと思いつつも、「サルビアの花をあなたの部屋に投げ入れたい」の歌詞がその比喩表現であるらしい。何を想いながら歌詞を作ってもいいが、そんなことを独善的に比喩で表現されて誰が理解に及ぶ者がいる。暗に述べているとはいえ、意図を聴いたらつまん曲になる。

歌った三人の女子高生はそんなことは夢にも考えてないだろう。作詞の相澤は作曲の早川にそのような暗示をしたのか?もとまろのメンバーである三人は、青山学院高等部に在学中にTBS『ヤング720』の番組スタッフに、番組のコーナー『フォークグループ勝ちぬき歌合戦』に出場することを進められて出場して5週勝ち抜いた。その後にレコードデビューを飾る。

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『サルビアの花』は5週目に歌った曲。レコードデビューをしたものの本人達はプロになる気がまるで無く、『サルビアの花』一枚だけをリリース、大学進学に合わせて解散した。三人の名は海野圭子、山田真珠美、織間千佳子といい、ネット情報による近況として、海野圭子は現在結婚して姓は松本となっており、エッセイストの玉村豊男経営のワイナリーで働いている。

山田真珠美はもとまろ解散後、1972年10月8日に開催された『第4回ポピュラーソングコンテスト』に、「びっくり箱」のメンバーとして出場、『カーニバル』という曲を演奏した。現在音楽に携わっているかは不明。織間千佳子についての情報はまったく分かっていない。レコードジャケットには当時の三人の姿が映っているが、どの子が誰なのか分からない。

早川は自著に以下のエピソードを記している。2003年、もとまろのメンバーだった海野圭子はライブハウスで早川のオリジナルに衝撃を受け、アンケート用紙に以下の記入をした。「はじめまして。18才の頃『もとまろ』というグループで『サルビアの花』を歌わせていただきました。初めて本物のサルビアを聞き頭をガーンと殴られた気がしました」。早川は感謝の礼状を出したという。

男の心情を歌った曲だがこの曲は女性歌唱が合う。自分も初めて早川の『サルビアの花』を聴いた時はあまりのショックで、以後は彼の歌唱では聴きたくない曲となった。多くの女性歌手によってカバーされているが、早川の他にも甲斐よしひろ、井上陽水、あがた森魚ら男の声で聴けるが、彼らが歌いたい気持ちとは別に、男の歌唱が曲の情緒を壊してしまっている。

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考察 「死にたいなら一人で死ね」

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      情報は便利で、横着な時代になったが、何事も自らの目で視、自らの頭で考えるのが最善


「『一人で死ね』は絶対に言うべきではない呪いの言葉」と小島慶子が述べている。彼女の陳腐な理由を読めば反論するのもバカバカしいが、彼女はその理由を、「憎悪の言葉だから」などというが、小学生ならともかく出版社が物書きに雇った人間がこんな無責任なことを時代である。小島といえばヒステリーのイメージしかなく、論理型というより感情支配型。

「憎悪は憎悪を呼ぶ」と小島はいうが、他人へ憎悪むき出し発言するのを何度も見聞きしたことからいえば、彼女はいつもそう思いながら憎悪発言をする確信犯だろう。「憎悪」はともかく、「一人で死ね」が禁句というなら、説得力ある理由を述べてもらいたい。「一人で死ね」が刺激的な言葉というなら、「一人で死んでください。お願いします。」ではどうか?

「一人で死ね」は何ら憎悪発言でない。誰かを巻き添えにして死ぬ人間の、社会への憎悪こそ問題。死を望む者は一人で死ぬべきだが、問題はそれをいうなということらしい。人が誰かの前で、「死にたい」というのも迷惑なことだが、助けを求める合図であれ聞いた人は迷惑である。「死ぬのは止めろ」というしかないが、死にたい人間に何をいうのも無責任だ。

相手が本当に死ぬ気なら何をいったところで無理だろう。止めるのが人道的といっても、彼が本当に死ぬべきでない理由は彼の問題で他人に分からない。それでも人道的に止めるのが正しい事とされる。人道的に正しくとも彼にとって死が正しいかは別である。「どうしても死にたい。お前が止めてもどこかで死ぬよ」といってきかない人の死を止められない。

     髪の長い女性の自殺を見ながら思った事は、人が人生の最期を自らケリをつけた美しさである


がもし、「一人で死ぬべきかな?誰かを巻き添えにしたい気分だか…」などと問われたら何て答えるべきか?そんなことを問う者はいないが、おそらくはすべての人が、「一人で死ねよ」というだろう。死にたい者は一人で死ぬ。これは誰が考えても正しい。だから正しいことは躊躇わずにいうべき。小島慶子であってもそのようにいうだろう、それほどバカじゃない。

「憎悪の言葉だからいっちゃダメ」などといってる場合でもない。「死にゆく者は一人で死ぬべき」は地球上の正論なら、「一人で死ね」も間違いではない。神経症者への配慮というなら、「どうか一人で死んでください。罪のない人を巻き添えにしないでください」といえばよい。「一人で死ねは呪いの言葉」と小島はいうが、「一人で死にましょうね」と敬語でいってみよう。

どういう根拠があるかは知らんが、刺激を与えるというなら、「どうか一人で死んでください」と、遜ってお願いすれば、社会的弱者をいたわってることになろう。ダメダメばかりでなくこういう言い方もある。「絶対にいう言葉ではない」と気取った自論を押し付けたい者は、物事を分かっているようで、実際は小心者による自己束縛である。それほど他人に責任を持ちたい訳でもなかろう。

持論に執着し、それを社会にかざしていきがる者もいようが、物事に執着する人間には自由な発想がない。だから己の判断に誤謬はない、絶対に正しいと思い込む。余る知識と素養をもっていってるわけでもなかろうが、自己満足の放言まき散らす陳腐な人間とは言い過ぎか?「我侭」と「小心」という二つの自己束縛が人間に所有される以上、そうした推論も成り立つ。

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  成仏できずに此の世に未練をもって執着する者を幽霊という。ダメだろ?ちゃんとあの世に行かなきゃ…


したがって人間の判断を様々考察すれば、ある場合には極めて誇張され、別の場合には極めて委縮する現象を引き起こす。いいことではないが、そういう状態から脱却するのは自制しかなかろう。もしくは老子のいう、「無為」の境地。先日述べた「無為」とは、「無執着」のこと。物事を判断する際、その判断に執着しないことを心がける。これが自由の核心とも述べた。

自説を堅持し譲らぬことが美徳とされることはあるが、自説に絶えまぬ懐疑を怠らぬそんな自説は、対立の破壊を起こすことからして悪徳である。人が存在する以上対立は避けられない。それなら対立は認めるべきだが、強烈なる自説に酔う者は少なくない。昨今は、有名人だから芸能人だからと、つまらんことをいう者が増えたが、彼らはどれだけ他人に責任を持とうとするのか?

自分のような何の影響力もない俗人は、他人に無力であることを知っている。彼らは知名度もある公人としての影響力はある。小島も物書きとしての自身のそれを誇示したいのか、以下のようにいう。「今は無数のつぶやきがネット上で可視化されます。公共空間で可視化されたものは、たとえそれが匿名アカウントの憂さ晴らしであっても、数が多ければ世論に見えます。

それにテレビなどで発言する人物が同調すれば、ますます『社会の声』のように見えてしまう」。この発言も滑稽だ。都合のいい時にだけ自分を客観視しているところが女の浅知恵で、これを、「いい子ぶる」という。小島の邪推には以下の反論も的確である。こういう時代に必要なのは情報の選択である。数年前、世界が情報化時代に移行際の警告としていわれたことでもあった。

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心に残る曲 『マイ・ピュア・レディ』 尾崎亜美

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尾崎亜美を初めてレコジャケで見た時、ワリとかわいい表情だなと思ったものの、その後に映像で見た時は「おむすびコロリン」的なブスだった。が、ブスだったことに親近感を抱いた。レコジャケの画像というのは、修正まではしなくとも、プロカメラマンによる何十枚のスナップ撮りからいいものを選ぶ。写真というのは瞬間だから、それはそれは超絶見栄えする瞬間もあろう。

が、映像は連続なのでそんなにうまくはいかない。修正も効かない。そういえばお見合い結婚が主流だったころ、お見合い用の写真をどれだけ美しく撮るかが、写真屋さんの腕のみせどころだった。が、写真を念頭に実物を見て、「これって別人?」と思った人たちの何と多きこと。過去にレコジャケでもっとも騙されたのが因幡晃である。彼の実物映像を初見したときの驚きは今も忘れない。

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「こ、これが因幡晃?」彼もポプコン出身者でブサメンは当然にしても、『わかって下さい』のレコジャケはあまりに、あまりのカッコよさに、「それはないだろう」と思った人は多かったろう。「詐欺プリ」という言葉は近年のものだが、『わかって下さい』(1976年2月リリース)のレコジャケはとんでもない「詐欺ジャケ」。容姿はともかく因幡の声と才能には異論はない。

尾崎亜美は1976年に『瞑想』でデビューしたが、この時期の音楽シーンは自分の中では途絶えていた時期。仕事と恋愛中心に生活が回っていたからだ。だから、尾崎亜美は知らなかった。三曲目の『マイ・ピュア・レディ』が、資生堂のCMソングに起用されヒットし、一躍注目を浴びる。その時は楽曲以上に小林麻美のCMモデルが話題になり、曲のヒットにも影響した。

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小林麻美の美しさはブサ好みの自分としては、あまりにリアル感がないほどに、神の如きに美しくスタイルもよい。松田優作主演の映画『野獣死すべし』では、優作から胸に銃弾を浴びて死んでしまうが、彼女の死ぬ場面のスローモーション映像は、人の死の美しさが高濃度で表現されていた。「優作!こんなべっぴんさんを殺してはダメじゃないか!」と思った一人だ。

『マイ・ピュア・レディ』の亜美のレコジャケは、普通にブサイクに田舎娘っぽく映っているが、おそらくこれも何十枚からの一枚だろう。心に残る曲 『マイ・ピュア・レディ』 としたが、この曲を好んで聴くようになったのは、ここ4~5年前であるがこれもYou-Tubeの御利益であろう。映像付きのYou-Tubeが手軽に聴ける時代になってか、ここ10年くらいCDを買っていない。

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映像のインパクトはかなりのもので、聴きながら視るという相乗効果である。音楽は五感といわれるなかの視覚、聴覚を刺激する。残りの嗅覚、味覚、触覚はなくとも十分。五感全部を堪能できるのはSEXであるらしい。視て、聴いて、触って、臭って、味わって…、いわれてみればその通り。だから人気があるのか?それプラス法を犯しているとの刺激が加わる不倫が廃る理由はない。

『マイ・ピュア・レディ』は、『マイ・フェアレディ』をもじったもので、「フェアレディ(fair lady)」の意味は端正で美しい人だけでなく、fairには、「口先だけ、うわべだけ」の意味もある。1964年にオードリー・ヘプバーン主演で映画化もされたが、1956年3月~1962年9月までブロードウェイで6年6ヵ月に及ぶ2717回のロングラン公演となったミュージカルのタイトルである。

My Fair Lady」の由来は、ロンドンの高級住宅街「メイフェア(Mayfair)」であるとの説がある。したがって、「高級住宅街に住む下町出身の貴婦人」と、かなり皮肉を込めた意味がある。『マイ・ピュア・レディ』の意味は歌詞から感じるに、♪あっ気持ちが動いてる、たった今~恋をしそう、のところなのか。勘違いかも知れぬが、何がしか意味付けをする自分がいる。

純粋、純潔という意味のピュアな気持ちとの意味であろう。そんな気持ちで生きていたいとの願望もあろう。当時20歳の尾崎はレディというよりほんの少女であるが、あくまで「マイ・フェアレディ」をもじったもの。楽曲のヒットは編曲のウェイトも大きく、松任谷正隆のアレンジもいい。時代の感性を見事に捉えたこの曲は、若者にメロディと尾崎亜美の名を刻み付けた。


『マイ・ピュア・レディ』は尾崎亜美というシンガーソング・ライターの名を世間に知らしめることとなったが、尾崎の名を不動にしたのは『オリビアを聴きながら』(1978年11月発売)ではないだろうか。元は杏里に提供された楽曲で、発売当時はオリコン最高で65位で売り上げも5万5千枚と大したヒットではなかったが、時を経て多くの歌手にカヴァーされ名曲となる。

そういえば作詞家の松本隆がこんなことをいっていた。「あっという間に100万枚売れた曲より、何十年もかけて100万枚売れた曲の方が価値が高いと思っている」。松本のいう高い価値とはパッと売れて忘れられる曲よりも、地道に多くの人に愛されたことを示す。スタンダードナンバーともいうが、これは“多くのカヴァーもあって広く親しまれた楽曲”という和製英語である。

心に残る曲 『あなたの心に』 中山千夏

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中山千夏という女性がいた。死んではないので現在もいる。テレビ等で見かけることはないが、1948年7月13日生まれだからもうすぐ71歳。女性の平均寿命が85歳を超えた昨今で71歳といえばまだまだ若い。経歴を見ると、元歌手、元女優、元司会者、元テレビタレント、元声優、元参議院議員とあり、唯一「元」がないのが作家であり、これだけが現役ということか。

元々子役で売り出した中山千夏である。彼女は小学3年生のときに初めてテレビドラマに出演して以降、5年生のときには梅田コマ劇場で『母』と題する舞台に出演していた際、劇作家の菊田一夫に見いだされて東京・芸術座での菊田作・演出による『がめつい奴』に抜擢、「名子役」として一躍脚光を浴びた。舞台俳優、テレビドラマ、テレビ司会などの多彩な活躍ぶりから才女といわれていた。

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そんな彼女が21歳の時にレコードデビューしたのが、『あなたの心に』。自作の詞に都倉俊一が曲をつけたが、都倉はこれが作曲デビュー。当年度レコード大賞新人賞にノミネートされるほどのヒット(オリコン2位)となった。彼女の大きな口から生まれるハキハキした歌声が今でも耳に残っている。シングルレコードは15枚くらい出しているものの、自分が知るのは『あなたの心に』だけ。

確かに彼女の明るくハキハキした声の魅力は、後に声優としても活躍した。1960年代に放送されたNHK総合テレビ『ひょっこりひょうたん島』の博士役が声優としての初仕事。彼女が担当した博士とは、インテリジェンスなその風貌からも彼女にマッチした適役だった。虫プロアニメ映画『クレオパトラ』では主人公を、『じゃりン子チエ』でも竹本チエの声を担当した。

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70年代に吹き荒れた女性解放運動(ウーマン・リブ)に参画し、このころから政治運動に入っていく。77年、芸術家や知識人からなる政治団体・革新自由連合の結成に参加した後、1980年6月22日の第12回参議院選挙に全国区から出馬し、162万もの票を得て最年少当選し、タレント議員といわれた。一期6年を勤めたが86年には東京選挙区で出馬したものの落選となる。

さて、『あなたの心に』の千夏の歌いっぷりというのは、さわやかで澱みのない歌声である。舞台で慣らしたからか、地声の声量もありそうで、特別な歌唱テクニックがなくとも、よく通る声質もあってか、歌の力を感じさせてくれる。そんな千夏と長谷川きよしが1999年7月13日に行ったジョイントライブのCDが、2016年7月13日にリリースされた。なぜに千夏と長谷川?


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理由は二人の誕生日が7月13日であったこと。中山の方が1948年で一年先輩。『あなたの心に』のカヴァーは、You-Tubeで以下の10人が聴けるが、自分の好みで順位をつけると、①藍美代子、②林あさ美、③森山愛子、④林原めぐみ、⑤藤あや子&香西かおり、⑥石川ひとみ、⑦岩崎宏美、⑧辛島美登里、⑨浜田真理子、⑩初音ミクとなる。やはりこの歌も、Simple is the best.

歌手というより子役で政治運動家で声優のイメージ千夏の楽曲について書くことは少ない。近影を拝見すればさすが40年の歳月を感じるが、これはお互い様であろう。中山千夏が持て囃された時代があった。『あなたの心に』が街で流れていた時代である。「歌は世につれ」というが、歌こそ世代を現すものはないのだろう。最近の歌がさっぱり分からぬ自分は、半分死んでいる。

歌詞を眺めてみると、単純にして明快である。何が単純かといえば、男に従う女の生き方を歌っている。「わたしはあなたの心にしたがい、ついてゆくのよ。どこまでも…」とあるが、これは千夏の願望であって、依存型でない彼女の、“ないものねだり”である。彼女は1970年代における日本の女性解放運動(ウーマンリブ)に参画し、反差別・反戦の旗手として主導的に活躍していた。

誰にも自分の心にないものを要求する気持ちはある。ないから求め、あればあったで持て余す。人間はそういうものかも知れない。あなたの心の風に吹かれみたい、あなたの心の青空をのぼってみたいという歌詞に嘘があるのは三番の、あなたの心に涙の海があるなら、その中で泳いでみたいというところに感じられる。男を泣かせてその涙の海で泳いでみたいとは、さすがの千夏嬢である。

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巷でいわれる良妻賢母なら、♪あなたの心に涙の海があるならでなく、あなたの心に大きな海、もしくは広い海とすべきところを、涙の海と書いているのには、さすがにネコはかぶれないということか。♪だっていつもあなたは笑っているだけ、そしてわたしをだきしめるだけ…ここの意味は何をいおうとしているのか?「あなたはいつも笑っているのね?」と、そんな風にいわれたことがない。

だからか想像しづらい。思うにいつも笑ってる男というのは心を誤魔化すのが上手いのか?笑顔には本当と嘘があり、嘘をつくり笑いという。自分は苦手だからあまりやらないが、女は作り笑いが日常なのか。依存型ではない千夏は23歳で結婚したが、29歳で離婚、以後は浮いた話もないままに気楽な独り身だが、才女というのはそういう傾向があり、またその方がお似合いなのかもしれない。

五賢人 加藤諦三 ①

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五賢人が四人で中断、残るは加藤諦三。堀秀彦、林田茂雄、坂口安吾、亀井勝一郎を知らない世代も昭和生まれの加藤諦三なら知るだろう。「明治は遠くなりにけり」といったのは俳人の中村草田男で、「降る雪や明治は遠くなりにけり」(昭和6年作)と詠んでいる。昭和時代に明治は遠いといったのだから、令和になれば、「昭和は遠くなりにけり」であろうか。

明治元年は1868年(1868イイヤロヤと暗記)だが、昭和元年は西暦何年?といわれても知っていれば1926年である。ついで平成元年が1989年、令和元年が2019年となる。始まったばかりの令和だから馴染は薄いが、いきなり、「平成は何年まで続いた?」と聞かれて困ろうか?正解は31年だが、こんなことすら忘れてしまうほどに平成とは無縁になってしまっている。

平成元年が昭和64年ですら忘れてしまう。昭和64年は7日の短命だった。子どものころ、大正15年が昭和元年である意味が理解できなかったのを覚えているが、平成元年と昭和64年が同じである意味を理解できない子に対し、親は親切に紙に書いて子どもに説明したほうがいい。肌で覚えた知識というのは忘れないもので、同じ知識でも関連づけて意味を知るのがよい。

加藤は自著で自身の青春期の苦悩や闇について書いているが、書かずに自身を認識することはできない。加藤は高校生時代の日記を『高校生日記』とし、ママのタイトルで刊行している。初出は1965年だから加藤が27歳で、儲かるから何でも本にしてしまおうではなかろう。加藤の初出版書籍は、昭和39年に刊行した『あやまちだらけの青春』(朝日新聞社)である。

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以降凄まじい出版を重ねている。1960年代に12冊、70年代に29冊、80年代に44冊、90年代には49冊とうなぎ上りに上昇。そんな加藤に噛みつき、文句をつけたジャーナリストが田原総一朗。あまりに世間受けの良い加藤が気に食わないのか、何が問題というのか、田原は1972年3月号の『現代の眼』(現代評論社刊)のコラム、「続・現代虚人列伝」で加藤批判をする。

「すりぬけ論理の虚弁教祖」と題した8ページに及ぶ批判は中身が薄い。田原は『朝まで生テレビ』で知名度を上げたが、1972年当時は東京12チャンネルのディレクターで、開局したばかりの同局はインディーズ的存在であったが田原の、「やらせ的演出によっておきる、スタッフ、出演者、関係者に生じる葛藤まで全て撮影する」という手法で話題を呼ぶ。

71年には桃井かおりを主演に起用したATG映画、『あらかじめ失われた恋人たちよ』の制作・監督を務めたが、共演者の石橋蓮司や緑魔子らには無能監督呼ばわりされていた。物怖じしない特質性格の田原は、規制の価値を壊すことに長け、そこを自身の生き場としていた。田原は加藤との対談を前に彼の著作『俺には俺の生き方がある』を一冊読んで向かったという。

三浪して東大に入った加藤は、浪人生という汚名を痛感した人物。「浪人生」とは職を失った武士の「浪人」と同じ記述で、浪人生というだけで人生の落伍者といわれた時代であった。加藤は東大受験を失敗した直後の日記に以下のように書き留めている。「世の人達が騒いでいる優秀な人とか秀才というのは、ただ彼等が運がいいか、悪いかではないだろうか。

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俺がもし人より優れたる人となるならば、それはなにも俺のためではなくて、運がいいからだ。もし今自分が、父母なくして一人で世の中に生きていかねばならない境地に追いつめられたら何が東大であろう。(略)ニーチェが病苦と共に、人生に打ち勝ったように、俺は浪人とともに人生に打ち勝ってみせる。(略) すべてに覚悟せよ。もう思い煩うのはやめろ!」(『高校生日記』)

田原が加藤との対談前に資料として読んだ加藤の著書『俺には俺の生き方がある』の前書きにはこう書かれている。「はじめにことわっておこう。僕は無名の青二才だからこそ、この本を書かねばならなかった。どうしても書かねばならなかった。幸か不幸か、僕は優秀じゃない。人生論を書いているようなエライ先生でもない。女性にもてる男でもない。

しかし、僕は強烈な自己というものをハッキリと感じるようになってから幸福になった。誰の人生でもない。僕自身の人生を生きるようになってから僕は気持ちが落ち着いた」。(以下略) 当時の加藤は二年前に大学を卒業し、大学院2年生在学中であった。しかし、のっけの記述も加藤的で加藤らしい言葉に溢れている。彼は『高校生日記』の後書きにもこう記している。

「受験に生き甲斐を感じる人間は、おおいに受験をやれ。人がエゴイストだ、点取り虫だ、などといったってかまわない。徹底的に受験に没頭することだ。人のいうことなんか気にしていたら青春は味わえぬ。受験がくだらぬと思う人間は、決して受験などやるな。クラブ活動でも何でも他のことをやることだ」。このように加藤の記述は、主体的自由意志に貫かれた論調が多い。



五賢人 加藤諦三 ②

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他人からの押し付けを好まぬ加藤は、だからか押し付けをやらない。「自分は受験は嫌でやりたくない」と思っても、親がそれを強要し、受験回避を許さない場合にどうするか?などと世の中はこうした矛盾こそが現実であるとし、加藤なりに考えたアドバイスをする。通り一遍の答えなら誰でもいえるし書きもするが、こうした板挟み状態での“選択の最善”は難しい。

世の矛盾はあれども、矛盾を解決できないものと放置していたのでは、哲学者や賢人・賢者らの存在価値はない。加藤のスタンスは、個々の家庭の問題は直接人生相談でもやらない限りああだのこうだのは言えない。それが分かったが故に加藤は文字による無責任な答えを出すことなく、人生相談として直に様々な個別の情報と照らし合いながら、ともに最善を考える。

加藤のいうもっとも現実的で正しい方法がこれだ。観念を排除し病むもの、悩めるものに真摯に向き合った人こそ加藤諦三である。的確で正しい状況判断を行うためには、もたらされる多くの情報や状況の把握が必要だからであるが、人の生き方の基本として、したくないことはするな、できないことはできない、分からぬことは分からぬなどが、間違いとはいえない。

昭和も遠くなりにけりの加藤諦三は昭和13年生まれの81歳。日本人男子の平均寿命辺りにいる。女性は87.26歳というのは凄いことだが、昭和4年の我が母も今月12日で90歳。子どもは親の誕生日を忘れないものなのだろう。父の命日を忘れることがあっても誕生日だけは忘れない。加藤諦三が自分にとって賢人であったことで、多少なりとそのご利益はあっただろう。

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人が80歳、90歳まで生きている気分はどんなだろうか?同年代で他界した人間もいるわけだから、悪い気分であろうはずがなかろう。死は突然やってくるとはいえ、若い時期は寿命が湯水の如くにあると思うが、80歳、90歳にもなるとそうもいかない。たまに死について考えるが、死ぬという現象より、自分の死後はどうなるのかについて想像力を巡らせてみる。

自分が大事にしていたあれこれやのコレクションはどうなるのか?それらを気にする人は、「あれはこうして欲しい」などを書き残しておくことになる。自分はそれをするのか?おそらくしない。死ねば死んだで残されたものが考えればよかろう。「後のことを考えるのは死にゆくものの責任」。そういう考え方もあろうが、あれこれと指示しないのが無責任と思わない。

「ねばならない」は個々の範疇と思っている。そのうえで必要最低限のものを、自らの意志に添わせるにはどうすればよいかを考える。人にはしたいこともしたくないこともあろうし、だからといってしたくないことを徹底避けて生きれば、人間の生き方は偏執的なものとなろう。かくして加藤諦三は、人間のそういうところに立ちはだかってメスを入れている。

加藤自身の主観より普遍性を重視した物言いやアドバイスが特徴ゆえに貴重な意見となる。それでも別な人からみれば独断的偏見に思えるだろうし、人の感じ方ゆえに押し付けは禁物。話が前後するが、加藤が何かと話題になり始めたころ、噛みついたのが田原総一朗。雑誌の企画で加藤と対談を受けた田原は、そのときの事を『現代の眼』という雑誌に書いている。

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月刊誌『現代の眼』は総会屋の木島力也がはじめた現代評論社の刊行誌で、学生運動が全盛の時代に一世を風靡した雑誌だった。木島は右翼的でスケールの大きい人物として定評があり、『現代の眼』は左翼雑誌で丸山実編集長以下の編集部全員が左翼であった。丸山は全共闘運動を全面的に支持し、「『現の眼』(げんのめ)は全共闘の機関誌」ともいわれた。

新左翼セクト激突の場でありながら、『現代の眼』は質の高いアカデミックな雑誌で、これを読まぬは学生にあらずとまでいわれ、大学教授、作家、評論家らにも認知されていた。「原稿料はいいから原稿を書かせてくれ」と大学教授が言ってくる(丸山編集長)ほどに反体制・反権力雑誌であるが、1976年2月号には鈴木則男と野村秋介の対談が載ったのは驚き

反体制の新左翼雑誌に右翼の対談などあり得ない、編集部は大反対だったが、オーナーである木島の裁量で決まったという。1982年(昭和57年)の商法改正による総会屋規制のあおりから、『現代の眼』は1983年(昭和58年)5月号で廃刊となる。こうした雑誌ということで、「加藤諦三/すりぬけ論理の虚弁教祖」と題した田原のコラムは、“凡人の顔をした凡人”で始まる。

「加藤諦三をどう思う?」と田原はテレビや雑誌関係者41名に聞いたところ、加藤を嫌いといわなかったのは、作家の小中陽太郎と、女性アナウンサーの村上節子の2名だけだった。村上と田原は後にダブル不倫のあげく、田原の妻がガンで死去した後の1989年に結婚した。不倫当時は互いの家庭を壊さぬよう関係を続けていたというが、不倫とはそういうものだ。

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