Quantcast
Channel: 死ぬまで生きよう!
Viewing all 1448 articles
Browse latest View live

死は分らぬが、老いは自覚する

$
0
0
誰もが老い、誰もが老いを生きる。「年をとるのは嫌だ~」などといっても無意味。できることなら老いを延ばすなど、健康寿命延伸に向けて国を挙げて取り組んでいるが、老いや加齢に対して人々がもつイメージはネガティブなものが多く、それらは青年や壮年者が老人に抱くイメージだけに留まらない。老人自身が自らに抱くネガティブイメージにこそ問題の本質がある。

高齢化社会における様々な問題のなかでもっとも際立つ介護問題。有吉佐和子の小説『恍惚の人』を知らぬ若者は多い。発表されたのが1972年だから、もう47年になる。認知症および老年学をいち早く扱った文学作品で、1972年の年間売り上げ1位の194万部のベストセラーとなり、翌73年には森繁久彌主演で映画化された。その後度々舞台化され、数度テレビドラマ化もされた。

イメージ 1

なぜ「恍惚」なのか?青江三奈のデビュー曲『恍惚のブルース』(1966年)の恍惚の意味は、物事に心を奪われてうっとりするさまだが、『恍惚の人』の恍惚は、頭の働きが鈍く意識がはっきりしないさまをいう。出所は頼山陽の『日本外史』で、戦国時代の武将三好長慶が、「老いて病み恍惚として人を知らず」とあり、それから閃いたものであると有吉は述べている。

有吉はこの作品だけで以後10年間取材を受け続けた。あまりに売れ過ぎたこともあってか、「こんなものは小説なんかじゃない」というやっかみ半分の声も多く、文学賞選考からも外されるなどの冷遇を受けたこと有吉はショックを隠せなかった。高齢化社会・老人介護問題を先取りした同書であるが、老いて長生きすることは本当に幸せなのかということを問いかけている。

人は年をとると乳幼児に逆戻りする。自分のことを自分でできなくなるのは、身体的・精神的に衰えが目立ってくるからで、身体はともかく精神機能が衰えた状態を、「呆け」といった。このことから、「老年痴呆」という言葉も生まれ、「痴呆老人」・「ボケ老人」ということから、「痴呆症」という病名がついたが、2004年に厚労省の指導により、「認知症」に変更された。

「痴呆症」が差別用語であるとの断定はできないが、侮辱的な意味が含まれるということ。認知症の人は何もわからず困ったことばかりする。暴言を吐き、徘徊し、乱暴になり、糞尿をもてあそぶ。介護は大変な労苦ばかり――こんな認知症への否定的な見方に対する問題提起としての『恍惚の人』である。肉体的にも小さい乳幼児の世話とは比較できない老人介護である。

イメージ 2

雑誌やテレビでは年がら年中、長寿、長寿と声高である。そうしたなかで、「長生きは正義でもなければ美徳でも何でもない」というのは反動としてある。ほんの数十年前までは、「長生き」であることは尊敬され、「敬老の日」が制定されたのは1966年である。今の時代にお年寄りは敬われているのだろうか?表向きではないにしろ、「長生きは社会の邪魔だ!」という声も聞こえてくる。

少ない所得から税金を払い、社会保険料を収める現役世代にとって、「長生きは悪だ」と思う人も少なくない。「生と死」は哲学的なテーマだが、「老い」はネガティブであるがゆえに取り上げるのは社会問題としてである。モンテーニュは老いを愚弄することも称揚することも拒んだ16世紀の思想家だが、彼は老いを讃えると同時にバカにするという矛盾を犯していない。

モンテーニュは35歳を過ぎてこう述べた。「私についていうと、この年齢を過ぎると精神も肉体も能力を増すというよりは減ったし、前進するよりは後退した。(略) 年齢とともに学問や経験が増すことはありうる。しかし、活発とか、敏捷とか、逞しさとか、その他、よりわれわれ自身の、より重要な、より本質的な特性は、委縮し衰弱する」。16世紀当時の35歳は老人である。
 
他方、ボーボワールが女性論において論じたことは、女性が女性であるがためにいかに人間性から疎外されてきたかである。彼女はまた、「老い」を取り上げており、「老いたる人々が、女性や私生児と同じようにいかに社会で疎外されているか」を述べている。ボーボワールがサルトルと共に初来日したのは1966年9月で、二人は約1か月の滞在で全国9か所を回り講演を行っている。

イメージ 3

ボーボワールはその4年後の1970年、『老い』を出版した。その中で深沢七郎の『楢山節考』を取り上げている。「日本のいくつかの僻地では、かなり最近まで村が極貧だったので、生き延びるために人々はやむを得ず老人たちを犠牲した。彼らは『死出の山』と名づけられた山に運ばれそこに遺棄された」。世にいう姨捨山(うばすてやま)伝説で、伝説といっても史実である。

ボーボワールはモンテーニュをこのように評価した。「彼こそこの世紀(16世紀)で常套句を徹底的に遠ざけた唯一の人物。彼以前に誰一人それについて語らなかったし、彼自身の経験に基づいて、老年について自ら問うた。そこに彼の深遠さの秘密がある」。モンテーニュは名著『エセー』において、自分自身の老いを何の自己欺瞞なしにありのままに見つけて綴っている。

老いても男 『老人と海』

$
0
0

イメージ 1

老いを自覚するのは人間にとって困難なものだ。なぜなら、自分自身の個体が衰退していくのを知ることで喜ぶ者はいない。自分のことは棚にあげるが、他人の老いには敏感である。「ちょっと見ない間にあんなに老けちゃってビックリ!」などはしばしば耳にするが、人は自分を見ないで他人ばかり眺めて生きている。物忘れが激しく人の名前が思い出せない、それを老いという。

それでも、「年だからなのかな?」、「自分は年をとっているのか?」と断定もしたいが半信半疑でいたい。老人が若者と決定的に違うところは、未来が限られた短いものである。これを「余命、幾ばくもない」などの言い方をするが、確かに多くの老人の未来は閉ざされている。若者の持つ、「惜しみなく自己を消費する」、「無限に開かれた時間」などは一部の老人以外にない。

若者は未来の夢によって幸福であり、この夢に励まされていろいろな試みが出来るが、老人の人生はすでに出来上がっており、やり直しがきかないことを知っている。若いころには未来はあったが、消費してしまった。そうして人生最後の目標である死を迎える。「人間は生きてきたようにしか死ねない」という原則からは、誰も逃れることはできないこと自ら証明して死を迎える。

死ぬということをどのように考えようと、自分がこの世から消えて存在しなくなる程度にしか理解できない。死後の世界も生まれ変わりも信じない自分にとって死はそれで十分だ。「死後のことは死後のこと」そんな風にも思わない。何もないなら何もないでよかろう。老いの深層には深いものがあるが、死の深層など何もないと愚考する。簡単で単純で日常的なことそれが死だ。

イメージ 2

あれこれいう人の自己満足に批判はない。自分にとっての死があればよい。老いも自分にとっての老いが重要であるが、老いの何が重要なのか?老いにあれこれ注釈はつけられるが、老いたる人は、とりあえず毎日の今を生きることが老いを生きることになる。諸問題は起これば解決をすればいい。今から動けなくなった時のことを考えるより、動けるときに動いておけばよい。

とりあえず今は「クズ」として扱われてはいないし、「一個の廃品」として扱われることもない。周囲が自分をどう見るかより自らの生を楽しむ。他人が自分をどう見るかではない。仮に「クズ」といわれれば、「ボケ」と腹でいっておけ。自らが不自由なく老いを生きる自分は、「本当に老いているのか?」と他人事のように日々を過ごしており、動けなくなればその時に考える。

老いの問題は、動けなくなることにあるから動けるうちは問題ない。お金の心配もない。老人に贅沢は無縁である。同年代でパチンコ三昧な輩がいるが、彼にはお金の心配はある。将棋をし、ウォーキングが日課ならゼニはいらない。老いればお金が要らないようになっているなら、性欲の減退とて天の命。若者の肉体は自己の投企のための手段であるが、老いとは投企の衰えである。

無理は禁物でバイアグラ飲んでやりたいものか?情熱の欠如が人を無気力にするが気力は精神に宿る。何事にも情熱はあり、若い者より勝っているかも知れん。老いて諸活動を放棄していないし、現時点において怠情な桃源郷に到達する気はない。乳幼児は見る見る成長するが、われわれも一晩寝るごとに何かが退行するにしろ自覚はない。だから死ぬまで生きるつもり…

イメージ 3

ヘミングウェーの『老人と海』で、老いた漁夫は巨大なカジキを3日間の死闘の末に釣り上げる。しかし、陸に持ち帰るまでにカジキの肉は無残にも鮫に食われてしまう。老人の本当の戦いとは、カジキを釣り上げる3日間の死闘ではなく、カジキを釣り上げた後から始まっていた。84日間もの不漁のなかにいて、漁師仲間から笑いものにされ、彼は失意のなかにいた。

彼の心の支えは少年だけ。同輩たちの多くは無気力な人生であったが、彼はそれを拒否、勇気や忍耐という男的諸価値を主張した。「人間は破戒されることはあっても、征服されることはない」は文中の彼の言葉。骨だけになったカジキを陸に持ち帰るも敗北感は微塵もない。たとえ骨だけになったカジキであろうと、敗北に屈せぬ男の強靭な意志ををヘミングウェーは描く。

「男とは何か!」。「老人に必要な不屈さ」。投企の情熱がこの物語に溢れている。作品中もっとも感動的な言葉がある。「いまは持ってこなかったもののことなんか考えているときじゃない。ここにあるもので出来ることだけを考えるがいい」。その意志だけでカジキと格闘、釣り上げた。あれがない、これがない、だからできない、上手く行かない。これが男のいう言葉か?

言い訳って何のためだ?他人にする言い訳は自己の力の鼓舞。だから力を出せなかったといいたい。自分にする言い訳は自己の誤魔化しである。自分を誤魔化して満足することの惨めったらしさ。自分の不安と無力感のためのいろいろな防衛行動を言い訳という。そうだと分かっている人間がそれをするか?惨めでバカげた言い訳をするか?物事を正しく直視する。それが男。


老いても女 『長寿婆』

$
0
0

イメージ 1

何かと話題になる世界最高齢者のほとんどは女性である。過去、自分の知る限りにおいて長寿男性は泉重千代さんくらいか。泉さんは鹿児島県徳之島(大島郡伊仙町)出身で、1995年までギネスブック公認の人類の世界最長寿、2012年まで男性としての世界最長寿とされていた。マスコミで報道されるや有名人となり、存命中の泉邸には観光バスも訪れるなど、徳之島の観光資源になっていた。

ところが、2009年版以降のギネスブックは泉さんの年齢の信憑性の疑問を掲載するようになり、2012年版で泉さんの記録認定を完全に取り消した。専門家の間では泉さんの120歳という年齢には疑義があり、105歳が通説となっていた。その後、世界最長寿人物の記録はフランス人の女性ジャンヌ・カルマン(1875年 - 1997年)となり、彼女の122歳164日が人類最高齢となっている。

昨年7月22日に117歳で死去した神奈川県横浜市在住の都千代さん(1901年〈明治34年〉5月2日 - 2018年〈平成30年〉7月22日)は、存命中でのギネス認定世界最高齢者であったが、都千代さん亡きあとギネス社は、同じ日本人で福岡県福岡市在住の田中カ子(たなかかね)さん(116歳)を、「存命中の世界最高齢者」に公式認定した。田中さんは1903年(明治36年)1月2日生まれである。

1903年生まれといえば、昭和天皇の妃である香淳皇后、詩人の金子みすゞ、版画家の棟方志功、 映画監督小津安二郎らがいる。ピアニストのヴラジミール・ホロヴィッツ、野球選手でメジャーリーガーのルー・ゲーリッグらがいる。ところが、2018年8月にボリビアで118歳になる世界最高齢の女性が見つかり、大きな話題を呼んでいる。この女性の年齢はギネスブックにも記載されていなかった。

イメージ 2

その理由は単にこの女性のことが知られていなかったからだが、その人の名は、フリア・フロレス・コルケといい、コルケさんは1900年10月26日にサカバ市のケチュア人の家庭に生まれた。コルケさんは人里離れた土地で家畜に囲まれ、たった一人で暮らしており、伝統的な民族楽器を演奏するのが趣味という。コルケさんは事実上、世界の女性最高齢者となったが、都千代さんよりも年上だった。

コルケさんは長寿の秘訣について健康的な食べ物と語る一方で、時にはケーキや清涼飲料水を摂取することもあると打ち明けている。コルケさんは生涯孤独で子どももいない。最高齢を掲げる長寿者には、必ずといって何を食べ、どういう生活をするか、などを聞くがこれは何の意味も裏付けもなく、ただ聞いているに過ぎない。たまたま大きな病気もなかったということだろう。

日本は世界一の長寿国と言われ、食にまつわる関連もいわれるているが、2014年の厚生労働省調査によると、日本女性の平均寿命は86.83歳と3年連続世界一。男性も80.50歳で世界3位の長寿を誇るが、男女の差は約6歳もある。女性の寿命が男性より長いのは世界的な傾向で、これには科学的な裏付けも指摘されている。寿命が長いといってもすべての病気で女性の方がかかりにくいわけではない。

日本人の死因トップ3である、「がん」、「心疾患(心筋梗塞や狭心症)」、「肺炎」はいずれも男性の方が患者数が多く、こうした病気にかかりにくいことが女性の寿命が長い一因といえるかも知れない。男性の方が多い病気の例として、痛風、胃がん、心筋梗塞、狭心症、肺炎、アルコール性肝炎、尿路結石症などがあり、女性は骨粗しょう症、アルツハイマー病、関節症、高脂血症などがある。

イメージ 3

女性が長生きである大きな理由としては、以下の4つの点が挙げられる。①エネルギー消費量の違い、②ホルモン分泌の違い、③女性のメンタルの強さ、④生活習慣の違い。これらを詳細にいうなら、①は一般に男性の体は筋肉質で、女性の体には脂肪が多くついている。筋肉の多い男性の方が基礎代謝量は多く、基礎代謝量の少ない女性の方が省エネルギーで効率よく生きていけるということ。

②女性の体内で分泌される女性ホルモンのエストロゲンには高血圧を抑制し、コレステロール値を下げる働きがある。そのため女性は男性より心血管疾患が少ない。寿命に大きく関係すると言われるアディポネクチンも、女性の方が多く分泌される。アディポネクチンは脂肪細胞から分泌され、血流を良くして高血圧を防ぐほか、もろくなった血管を修復し動脈硬化を予防する働きがある。

③個人差もあろうが、一般に女性はコミュニケーション能力が高く、周囲の人と話すことで悩みやストレスなどを発散しやすい。反面男は一人で悩みやストレスを抱えることしばしばで、ストレスは万病の元と言われるように、明るく元気な毎日を過ごせるのも長寿の条件となる。④行動力の面から過酷な仕事は男が多く、不慮の事故も多い。また喫煙・飲酒などの生活習慣の違は歴然。

女の長生きは平均的・相対的なデータによる。女性が長寿志向で、世界最高齢に女性が多いからといって、だから何だ・どうしたといえなくもない。世界最高齢のある女性は、「長生きしていい事など何もない」といっているように、大事なのは楽しさ、喜び、生きがいである。晩年は人の一生でもっとも幸福なものになり得る。年をとることが、不足や損失の集積であると感じる必要はない。

イメージ 4

長寿についての随想

$
0
0
人が年をとると若者より人生を楽しむことができる。これは自身の経験から断言できることで、それについて二つの理由が挙げられる。一つは、年金生活者は毎日が自由以外のなにものでもないこと。もう一つは、老齢者の方が人生により深い理解をもち、賢明であるからだ。自分の若者時代をどのように眺めても、今よる格段劣っている。ハッキリいって無知でバカであった。

人によっては若い時代の方が優秀だと感じる人もいるだろうが、この際自分のことでいっている。マラソンを見ながら思うことがある。走者が疲労の絶頂のなかで新たな力を盛り返し、後方からトップに躍り出ることがあるが、この光景には感動を抱く。新たなエネルギーがなぜか分からぬがあふれ出して、彼をゴールラインに連れて行くのはどこか新鮮で気持ち良い。

イメージ 1

マラソンを人間のに置き換えると、これは一生にわたって維持されうる新鮮さのように思えてならない。人は何者であれ、幼年期や若いころにもっともよく訓練できるものであるが、しかるに壮年や老年なって、それを取り戻すことに遅すぎるということはなかろう。「四十の手習い」という諺がある。人によっては、「五十の手習い」、「六十の手習い」という人もいる。

どれが正しいというより、人生五十年といわれた時代に造られた言葉と想像するが、〇〇歳と拘らずとも使う者の考え方一つで、置き換え自由で便利な言い回しだ。「手習い」の語源は毛筆で仮名や漢字を練習することだったが、今は何でも御座れの時代だから、「60の手習いじゃないけど、最近ウォーキングを始めた」との言い方をしても全然おかしくはない。

誰でも年一回平等に年をとるが、子どものころに想像した年寄りのイメージと、実際におじいちゃん、おばあちゃんになってみて思いの違いに驚く人は多いのではないか。時にそんな会話をすることもあるが、実際に老齢に達した人の多くは、戸惑いを覚えるほど自分が若いと感じているようだ。人は人を年齢的なイメージで判断するが、年齢は記号でしかないようだ。

65歳以上はシルバーとされ、何かと特典があるが、普段から意識していないので「あ、そうか」とふと意識させられることがほとんど。最初からシルバー特典を狙うことはないほどに忘れている。利用できるなら利用はするが、「なんで自分がシルバーなんだ?」と不思議な思いに駆られることがある。多くの人は老齢という悪習にあっさり慣らされているのではないか。

イメージ 2

「法的年齢」と呼びうるものと、意識年齢の違いには大きなギャップが感じられる。老齢者のなかには時代遅れで時代錯誤の激しい人もいるが、あれこそが彼らのバロメータなら、それはもうパロディでしかない。もちろん、自分とて若者から見れば時代遅れで時代錯誤の老人であろうが、我々が同世代をそのように感じるとき、年老いたことは卑しむべきことに思われる。

高齢者がみな老いぼれているなら、彼らをそうさせているのは、年齢という見解に偏見を抱く世間や社会に迎合しているからである。老荘思想にはないが儒教思想においては、ある年齢に相応しい振舞いをするよう期待され、そうした意識に蹂躙された老齢者がいるのは承知しており、「年寄りは、老齢相応の法的要求に従うよう望まれる」のは理解をする部分もある。

が、ある部分であって全体ではない。そのある部分を逸脱した老齢者を、「老害」と呼んでいるがそれは正しい。若者や壮年者にとって老害ほど迷惑なものはないが、同輩としても老害には立腹させられることしばしばである。老齢者は老害にならぬよう、自らを若者の視点で眺めることは重要である。人間はいつなんどきにあっても、自分のことは見えていない。

2月の初旬、自分と妻と長女とその長男で長崎旅行に行った。それに味を占めたのか妻が孫の連休に合わせて同じメンバーで東京に行こうといいだした。自分は長崎旅行から帰った際に孫と交わした言葉を妻に話してやる。自分が孫にいった言葉とは、「お前、親や祖父母と一緒に旅行して、楽しくなんかないだろう?もし、それが楽しいと思うならお前は可笑しい」。

イメージ 3

予想もしていない言葉に答えにくそうだったが、表情から本心は理解できた。そのことを妻に話し、自分の意見を付け足した。「孫は断り難いからついてくるのだし、そこを理解して誘わないのが利口な人間のおもいやり。年寄がしたいこと、して楽しいことが、子はともかく、孫にまで及ぶことはない」。「そうなんかね~」と妻はいうが、こういうところは男からみた女の近視眼である。

「年寄りは年寄り同士、若者は若者と一緒に遊ぶのが楽しい。それくらいは分ってやれよ」といえば、妻とてバカじゃない。物事を素直に理解するから彼女は良妻の部類と思っている。世には良妻・愚妻・悪妻がいる。何をおいても理解力は良妻の重要事項であろう。自分の利益が果たして子の利益、はたまた孫の利益になるのか?こうした対人関係の基本を人は社会で学ぶ。

とある老爺の随想 ①

$
0
0
随想とは、書き手の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文で随筆ともいう。近年はエッセイという語句で馴染んでいるが、エッセイともエッセー(仏: essai, 英: essay)ともいい、このジャンルの先駆者がモンテーニュ(ミシェル・ド・モンテーニュ:1533年2月28日 - 1592年9月13日)である。彼には哲学者、モラリスト、懐疑論者の肩書がある。

彼の主著『エセー』(『随想録』)は、人間を洞察し、人間活動の場に立ち会う彼の鋭利なまなざしには驚嘆するしかない。観念を排除しリアルな視点で書かれた『エセー』は、誰が目にしても人生の書として奥深いものとなるであろう。それほどに人間の生き方の現実に即している。いささか烏滸がましいが、自分も彼のような、あるいは坂口安吾のような、主観的且つ自由な生き方の模倣を心がけている。

イメージ 1

あえてテーマは選ばず、選んだとしても硬直的にならず、自身の能力の限界を測りつつ自由な歩みを試みてきたが、それにはモンテーニュの影響は少なからずあった。『エセー』がいかに自由度の高いものであるか、文中の言葉から感じられる。1580年出版時の直前に書かれたと思われる、「読者へ」と題された序文を見るだけで、彼が気取らず驕らず高尚ぶったりもなく本を書こうとした意図が分かる。

「読者よ、これは正直一途の書物である。(中略) もし世間の好評を求めるのなら私はもっと装いを凝らし、慎重な歩みで姿を表したことだろう。私は単純な、自然な、平常の、気取りや技巧のない自分を見てもらいたい。というのは私が描くのは私自身だからである。(中略) 読者よ、このように私というものが私の書物の題材なのだ。こんなにつまらぬ、虚しい主題の為に君の時間を費やすのは道理に合わぬことだ。ではご機嫌よう。」    

「文は人なり」というが、こういう記述は人柄であろう。彼はボルドー市長を2期4年やったが、職に就くと同時に自身に忠実に正直に自分がどんな人間かを説明した。「記憶力もなく、注意力もなく、経験もなく、活力もないが、一方、憎しみもなく、野心もなく、吝嗇もなく、乱暴なところもない。私の働きに何を期待すべきじゃを皆に知ってもらい、分かってもらうためである」。彼はやはりこういう人なのだ。

友人として語り合いたいタイプの人間と感じる。飾らぬ人からは得るものが多い。逆説的な言い方だが、「何も得ないという点においてそれに勝る得るものはない」。人柄という自然の贈り物はそういうものだ。「私が書物を作ったのではなく、書物が私を作ったのである」という彼の言葉にも誠実さや人間味が感じられる。いかに人が神のような物言いをしようとも、人は神にはなれない、近づくこともできない。

イメージ 2

聖人のような言葉を並べたところで誰が聖人となり得ようか。モンテーニュは、『エセー』について、「純粋に自身の生来の能力の試しである」と述べているが、フランス語のessaiの本来的意味とは、「試み」や「企て」ということらしい。「書物が自分を作った」と彼がいうように、自身の能力を試すためにモンテーニュは『エセー』を書いた。彼のその言葉の真実性を現すのが以下の言葉であろう。

「たとえ誰も読んでくれなくとも、私がこんなに多くの閑暇を、こんなに有益な愉快な思索に紛らわしたことが、時間の空費といえるだろうか」。「有益な愉快な思索」というところにモンテーニュの人柄が見える。自分も真面目くさった文を書くが、世代観的な真面目さは否めないとして、本性は愉快で楽しいことが大好きだから、自らが笑えるような面白いことを書いたときが何より楽しく充実感がある。

「例え誰も読んでくれなくてもいい」とある。それなら何故に書くのか?それについてモンテーニュはこんな風に述べている。「私にものを書こうなどという気を起させたのは、ある憂鬱な気分、つまり、私の生来の気質とは大いに反する気分なのです」。彼はその気分を孤独の寂しさと記しており、さらには自分が何も書くべきほどのものが何もないほどに、空っぽな人間であることに気づいたといっている。

空っぽな自身を自分の前に差し出して、これを材料とも主題ともしたのだと。モンテーニュという人の自己を飾らぬ性格がこれほど伝わる言葉はない。自分のブログを書く動機というのはよく覚えている。父の死後に、自分の知らぬ父のこと、母や父と同世代周辺の人物のみが知る父の裏の顔などを、何も知らないことが悔やまれた。ならば、自分は遺書代わりの何かを残しておこう。

イメージ 3

そういう動機で書き始めらブログも、気づけば13年6か月も経っている。自分で読むのもうっとうしいほどの量になってしまった。こんなものを子どもに残したところで、読むのもうっとうしく、そんな時間があれば別の楽しい時間を過ごせるはずだ。残そうと思って書いたものだが、今ではそんな気はなくなった。yahoo blog が終了するというのは幸便である。何事にも初めと終わりがあり、受け入れることでもある。

ものを書くことの本質的な楽しみは、書く行為そのことであって、書けばあとは残骸である。「たとえ誰も読んでくれなくとも、私がこんなに多くの閑暇を、こんなに有益な愉快な思索に紛らわしたことが時間の空費といえるだろうか」。モンテーニュの言葉に共感する。2019年12月15日までの限られた命は、「死ぬまで生きよう」の心境である。一切が消えるという象徴的な死の体現に思えてならない。

とある老爺の随想 ②

$
0
0
モンテーニュづいている。彼はなぜ、「読者よ、これは正直一途の書物である」の言葉を置いたのか?ユマニスト(人文主義者)の彼は、ルネサンス期にあって、文学・思想の面でユマニスムに支えられ、それらと表裏をなすものであった。彼が『エセー』を書き始めたのは39歳ころとされているが、これは引用・利用された書物を彼が読んだ年代から勘案した結果による推定である。

言葉や文字で何かを伝えたい欲求から、人は語り、人は書く。その前に、なぜ「言葉」が存在するのか?聖書の、「はじめに言葉があった」は、「なぜ?」を解明する論理ではない。何事も神の命としておけば、それ以上に詮索する必要もなく、だから神は便利な存在であろう。そんなものでは納得できない自分は、なぜ言葉の発生がなされたかを論理的に考えてみる。

イメージ 1

地球上に存在する多くの生物のなかで、いかなる理由、いかなる事情によって人間の祖先となったものが出現したか。それこそ言葉の発生といえなくもない。他の生物には発生しない言葉が、人間の祖先にのみつくりだされ、発達したのには必然的な理由があり、言葉が初めてつくり出されるにあたって以下のことが想像できる。①その事に意欲を持った仲間がいなければならない。

②その仲間である者は、発声することを好み、発声ができるものでなければならない。③その仲間は非常に仲良しで、しかも平等で同情心がよく働いていなければならない。平等で対等であるから意思を伝えようとするのは、現在も昔も変わらぬ言葉のやりとりである。社会のシステムができれば上位者・下位者は必要性からつくられるが、原始社会で上・下というのは親子兄弟だけだったろうか。

対等だから人は争い、だから人間を束ねる長が必要となる。現在の隣組の長、さらには市区町村の長から、県の長、国の長へ社会システムが出来上がった。しかし、「万物は平等である」というのは天地自然における根本原則である。こんにちに文化を生んだものが人間の知恵であるのはいうまでもないが、その知恵を生んだ母なるものこそ言葉であろう。言葉が万物を生んだともいえる。

言葉は便利だが、言葉は災いも起こす。言葉は正しく上手に使われなければならない。言葉を持たないイヌやネコの生活は、あくあで想像だが、言葉がなくとも何の不便もなさそうだ。彼らは一体にどのような思いで生きているのか不思議であり興味が堪えない。モンテーニュが「読者よ、これは正直一途の書物である」とあえて述べている『エセー』という著物は、本当にそうなのだろうか?

イメージ 2

自分はこのように考えた。もし、自分が始めようとするブログの冒頭に、「これは正直一途の書き物である」と書くのは非常に抵抗があるが、書いた以上はそうすべきである。しかし、それが正直であるかないかの判断は自らに委ねられるもので、正直であるか否かは自身のみが知る。言葉は時に嘘も交える。「真実を書きました」という本が真実であることなどあり得ない。それが現代人の判断である。

「人間がウソをつかないでいれるか」という命題には、「人間は不確実であるがゆえに確実である」というパラドクスがある。理想主義者は理想が広大なあまり、しばしばに言葉に酔う。際たるものが観念論者である。観念論とは、哲学における、「イデアリスム」の語訳が一致せず、唯心論(存在論)、観念論(認識論)、理想主義(倫理学説)と訳し分けられているのを、便宜的に観念論とする。

カントはドイツ観念論哲学の代表。彼は、「人はいかなる場合においても嘘をついてはいけない。これは誰もが無条件に従うべき絶対的な掟」とした。こんなことは当時も今も批判はあるが、観念論では以下のように説明可能となる。「誰も相手のいうことを信用しなくなり、誰かと約束を交わすこともしなくなる。しかし、そうなれば約束を破ることさえできなくなる。こういう行動原則は人間を自己矛盾に陥らせる」。

したがって普遍的な、「道徳法則」に合致しない。カントの観念論に対し、フランスの哲学者コンスタンはこう批判した。「Aの友人Bが殺人者に追われてA氏宅に「かくまってくれ」と逃げ込んだ。殺人者はA宅にやってきて、「Bはここにいないか」とAに尋ねたとき、カントの理屈ではAは正直にBの差し出さねばならなくなる。このAの行為はカントの論理には沿っているが、果たして道徳に正しいことなのか?

イメージ 3

コンスタンは、「我々には真実を述べる義務はあるが、それはあくまでも、『真実を知る権利』を持つ人に対してで、誰も他人に損害を与えるような真実に対して、『知る権利』を持たないように、我々は殺人者に対して、『真実を述べる義務』はない」とした。カントはムキになって反論した。「『正直であれ』というのは、神聖なる無条件の命令で、真実を述べる義務はどんな場合にも妥当する無条件の義務である」。

これはもう信念の押し売りで、カントはこんな屁理屈も述べた。「Aがここにはいないと嘘をいっても、BがAの家を抜け出したときに殺人者に出くわして殺されることだってある。反対にAが『Bはここにいる』と真実を述べ、殺人者が家のなかでBを探しているうちに駆けつけた近所の人たちに捕らえられ警察に突き出すこともある。要するに、真実を述べることによってどういう結果を招くかは偶然によるのだ」。

カントの苦し紛れさをみても、観念論は現実に即さぬ空理空論が多い。嘘をいうなと命ずるより、嘘をついた人間の動向や顛末の方が人間的興味をそそられる。「道徳の掟は神聖で、神聖な掟を守るために人が死んでもかまわない」との論理は、ナチスやオウム真理教の論理と何ら変わらない。世の中は嘘なしでは生きて行けないようになっており、その限度を知ることが大事かと。

何のために嘘をいい、嘘を書く?おそらくモンテーニュ自身、自己の許容限度をふまえて書いたものと察する。判断力はあらゆる事柄に向けられるもの、皆目分からないような事柄でさえも、自身の能力的限界に挑戦し、判断力を試みなければならない。自分の背丈以上のことをいってみても、それ以上の先に進めないのなら、それをしないというのも判断力の効能ではないか。

イメージ 4

とある老爺の随想 ③

$
0
0
誰に対しても真実を述べることは、「万人に対する人間の形式的な義務」としたカントは、虚言を、「人間性一般に対して加えられる不正」と定義した。人間愛から嘘をつくことすらカントは認めない。カントにすれば、親切の義務における人間愛に依拠して嘘を肯定するにせよ、否定するにせよ、嘘をつく権利について論ずるということは、そもそもあり得ないことなのである。

果たして我々は嘘をつかないという真実性の義務を守りつつ、困窮している人間を救うことができるのか。殺人犯に追われて、「かくまってくれ」と頼む友人を、「かくまってない」と嘘をつくのは間違いなのか。答えは一つ、カントにしてみれば正しいということに過ぎない。なぜならカントの道徳哲学は、この世で起こるありとあらゆる問題や事例に対応していないからだ。

道徳法則は何ら現実的な解決法を教えない。能書きを垂れる人間はこの世に腐るほど存在する。道徳的義務というのを否定はしないが、道徳的義務を現実に実現するためには、現実について聡明でなくてはならず、目的実現のための手段を命ずるのは、各人個々の経験によって研ぎ澄まされた判断力に任されざるを得ないのではないか。「言うは易し行いは難し」と古人は教えている。

「習うより慣れろ」、「経験は学問にまさる」、「頭でっかち尻すぼみ」、「竜頭蛇尾」などの類似語が浮かぶが、「馬には乗ってみよ人には添うてみよ」もそうであろう。意中の彼女が見つかったとはしゃぐ男がいた。絶品の美女で結婚相手に相応しいと触れ回っている。そこでhanshirouの一言、「女には乗ってみよほとには触れてみよ」。※「ほと」を知りたいなら検索を…

老子十九章にはもこのようにある。「聖を絶ち智を棄つれば、民の利百倍す。仁を絶ち義を棄つれば、民孝慈に復る。功を絶ち利を棄つれば、盗賊有ること無し」。若いころは抵抗があったこの章であるが、今なら何ら不足はない。聖智、仁義、功利は、人の功名心を誘発し、そのことで社会に悪影響を及ぼしかねない。つづく二十章においても、「学を絶てば憂い無し」と述べている。

確かに学問で種々の知識を得るが、同時にこれまでは何とも思わなかったことが悪く見えたり、物足りなく思えるものが増えて、不安や不満が増大することにもなる。これも抵抗のある言葉ではあるが、学を志し、知識を得るそのことは間違いではない。したがって同二十四章の、「跂(つまだ)つ者は立たず、跨(また)ぐ者は行かず」からその真意を理解・実践すればよかろう。

善い教え、良い言葉は山程ある。知るだけでは知識の増加でしかなく、実践がものをいう。行動とは、行動すべきと思ってすぐさま行動するのではない。行動すべきと分かっている場合に我々は行動せねばならぬ、あるいは行動せずにはおれない状況に自分を追い込み行動する、かのようである。真に行動する人の行動論理というのはそういうものだ。行動せぬものには分かるまい。

「苦しみを怖れるものは、その恐怖だけですでに苦しんでいる」。「いつかできることはすべて、今日でもできる。モンテーニュの言葉だが、「今日の仕事を明日に延ばすな」の慣用句を上記のように置き換えたのが面白い。何事も先送りにして行動しない人間は多いが、そうであるなら宿題が溜まるばかりで、窮する人間になりはしないか?身軽な人間は仕事が速く、よって解決も速い。

「明日」、「今度」、「いつか」という環境条件は、己の心を決定的に支配し命令するが、こういう人は、「命令するように感じたい」のであろう。己の心を己の意図する方向へ持っていくために、自然と編み出される都合のようである。ありもしない都合を自らに課すという人間の無意識の作為に他ならない。「決断」というのは慣れぬ人には拷問だが、慣れた者には屁のごときである。

「人間は何だってできるもの」というのが常に頭にあるから、しょうもないようなことに躊躇うこともないし、大事においても「決断」というのは刺激であり快感のようなもの。「明日はどうでも行かなきゃ」、「今回は何が何でもやってしまわなきゃ」などの言い方をしばしば耳にするが、こういう言い方は自分にすればつまらない。何がつまらないかといって、消極さがつまらない。

yahoo blog 終了の知らせを見た時も、何も迷わず躊躇わず、「当たり前だ、人はいつか死ぬ」と瞬時に感じた。恋の終りに躊躇ったこともない。何事も、「終り」というのは必然、それを決めるのは、「時期」という天の声。「終りは始まりの始め」とはいったもの。定めに執着することなどない。「後生だから…」は自分にとっての禁句なのか?将棋も人生も後手を引くのはつまらない。

「何でだ?何でそうなる?」というのを発することはない。他人の決めたことに文句をいっても始まらない。「自分ならこうする」は可能だが、人の言動に衝立は建てられないからだ。物々文句をいう前に、綺麗に受け入れることなら、何事においても積極的となり得る。「潔さ」これが自分の理想とし標榜する男の定義で、後くさりもしこりも残さない生き方に通じると確信する。

とある老爺の随想 ④

$
0
0

イメージ 1

大層なことではないが最近ちょっとばかり驚いたことがある。先週11日にブログを書き忘れたことを翌日まで気づかず、「あっ!」と驚いた。こんなことを忘れるようになったのも年なのかなと愕然。やろうと決めたことをすっかり忘れるなどはこれまでになく、自信をもっていた。確かに今回は重要なことがあったが、書く時間がないわけではないし、忘れているのだからどうにもならない。

「人を判断することの難しさ」という記事を数日前に書く。書いたものの、まったく内容を覚えていない。戻って読むと、こんなことを考えていたのか?本当に自分が書いたのか?である。その日のことはその日のこと、別の日には別の考えになるようだ。誰にもこいうことはあろう。「これは本当に自分の文章なのか?確かに筆跡は自分のようだ」が、最近の書き物は自筆によらない。

人間は多面的で書くことは尽きない。「書くことがない」という人がいるが何で?書くことの「ある・なし」は人間のどういう差か?山の頂上に登るにしても登山口はあちこちある。一つの結論に到達するに方法論はさまざまある。将棋の次の一手に多くの候補手があることも同じ類といえるが、藤井聡太の出現によって、100が500に500が1000になったのを棋士たちは知ることになる。

古市憲寿という社会学者が若者の代表のようにいわれるが、老齢者から見ると彼はパープー(広島弁)。メディアが彼を重宝する理由は、色物としての面白さ、変人格の代表だろう。世間ずれたことをいい、空気を読まない発言もユニークと指摘されるが、自分の殻に強固に埋没した人間である。空気を読まないというより、読めない、読む気がなさそうだ。友人の輪にも入らず独尊に生きる。


空気を読む読まないは状況判断に関連する。状況判断ナシに生きる人間は、他人のことなど知ったことではない。自分の若き時代もその傾向は強かったように思うが、最近の若者は、状況判断の必要性すらも感じないのか?これは強さかパープーかどちらかだ。どう生きようと人の生はその人のもの。どのような人間関係であれ、要は困るか困らないかで、困らないなら変える必要はない。

「バカに寄り添うな」、「バカに同意するな」というのは一般的なバカ対処法だが、「バカにはバカに沿っておけ、彼が知恵者と誤認しないために」。これは古代バビロニアの、「賢者アヒカルの格言」。時たまこれを利用する。バカは豚に真珠だから、真っ当なことを分からせようと骨を折っても無駄。相手にしないか、何事に対しても、「うん、うん」と同意するか、どちらかである。

この二つ対処はできる。血気盛んな若者はこういう境地に至れない。負けたくない、他人に遅れをとりたくないとの闘争心に支配をされて、ついつい激論に走りやすい。それから比べて老齢期というのは何とも省エネの生き方である。「沈黙は金、雄弁は銀」の大事さが分かるようにもなる。何事も、「分からない」、「判らない」、「解からない」、それが若さというものだ。

この一点だけでもバカ。最終的行き着く先が、「人のことは分からない」と、そうした視点をふまえて、「ならばどうする?」となる。妻のいうことには何であれ、「あっ、そう」の返事のみの夫のことを書いたが、現状のままの夫婦生活や家庭生活の一切を肯定し、これ以上どうなるものでもないとの深いあきらめの境地と推察した。妻の教育を試みたものの、手に負えぬと悟ったのであろう。

イメージ 2

この夫は戦士のなれの果てといえよう。もはや家のなかで坐禅を組んでいるようなものだ。これをバカという者もいようが自分の考えはそうではない。同じ光景を実の父に見立てると、母を柱に縛り上げて押さえつけた若き日の父の悟りである。柱に縛っておかねばならぬほどの女を縄をほどいて解き放つ以上、あらゆることに耐えるだけの我慢と自覚を備えるという覚悟である。

と、バカがバカを見下してただ述べたわけではない。足手まといな人間とは付き合わぬ方がよいといったまで。「愚かなことをいったり、愚かなことを行ったりと悟ったところで何にもならない。我々が真に悟るべきは、もっとたっぷりと重たいレッスンなのだ。我々は救いようのないマヌケ以外のなにものでないということなのだから」。と、これはモンテーニュの『エセー』の記述。

人間が自分を知るべきなのは、自分にとって最大の敵は自分であるからだ。だから自分を知る者こそ賢い。人間はみな愚かでマヌケで似非(エセ)な生き物であるのを『エセー』で知ることになる。ところが、『エセー』はあまりに当たり前のことの羅列でつまらないとの批判もあるが、「ならば、人はその当たり前のことができるのか?」という批判をなぜに自分に課さないのかである。

「『エセー』がぼくに示唆したことは、“自分を質に入れない”ということだった。人間というものは、学生になれば学生になったで、仕事につけばついたで、結婚すれば結婚したで、父親になればなったで、政治家や弁護士になるとまたその分際で、その社会の全体を自分大に見たがるもの。とくに選挙に出る政治家は自分を自分大にするだけではなく、社会が自分大だと思い込む。

イメージ 3

つまり、“自分を質に入れよう”とする。そして、どうだ、質に入れたんだぞ、不退転の決意だぞと威張る。そんなことは滅多に成り立つはずはなく、大抵はその質を入れた質屋を太らせるだけ。モンテーニュはこのことをよく見抜いていて、どんなものにも自分を質に入れて偉がることを戒めた。そして、そこからずれる自分のほうを見つめることを勧めた」。これは松岡正剛の『エセー』観。 

「質屋」は死語だが、「質」という言葉は使われる。「こんなつまらぬ本のために大切な時間を潰すのはバカげていますよ」とモンテーニュはいっているが、こんなつまらぬ本を読む以外に価値ある時間があればこそだ。それは読んでみて感じること。決して物知りになるための本ではなく、『エセー』には、人が人生にどう向き合って生きるかについての暗示が記されている。

生きる意味が無い楽しさ

$
0
0
オギャーと生まれた時から偉人や賢人などいない。誰もが凡人であろう。同じように生まれながらに悪人はいない。善人もいない。「すべては、創造主の手を離れる時は善であり、すべては人間の手のなかで悪くなる」と、これはルソーの『エミール』の冒頭文だ。この場合の、「善」とは善人ではなく、人間の善性のことをいう。善性とは何?善とか善性は多種多様である。

例えばプラトンは親切とか人助けとかといった、我々が思うような善をそれほど重視をしていず、かなり違った解釈をしている。プラトンのいう善とは、「存在するものの存続の原因。万物が自己の目標としてもっている元のもの、それによって何を選択すべきか決定される元のもの」と定義した。プラトンのいうところの、「善」はかなり、「神」に近い概念といえる。

イメージ 1

これが有名なプラトン哲学にいう、「イデア」とされている。プラトンという人は偉大な哲学者であるが、あるとき、「回顧録を残しませんか?」と聞かれたとき、「ひとまず名前をあげることが必要」と答えた。彼明敏であの明敏さが伝わってくる。いうなれば賢い。要するに彼は名誉欲にかられた人物ではなく、彼の本心とは、名を残せば多くの回顧録を残したということになる。

自分の歴史をのべることが名前を知られることなどと思ってはいず、自分の歴史や自省録を書き残せる人になりたいと思っていた。いくら書いても読まれなければ何もならない。功名心や虚栄心にとらわれることなく、良いものを書けば多くの信奉者ができるのはブログも同じことだ。義理や付き合いで読まれるものと、そういうものを充て込まないものとでは本質的に違いがある。

思うに回顧録というものは、自分のために書くものではないのか?何かを残しておきたいという自然な内なる情動から湧き出るものなのだろう。西洋哲学の善とは別の我々の宗教である仏教は、善をどのように教えているのかだが、いうならば仏教は「善のすすめ」である。そこで仏教のいう善とは、「善因善果の因果の道理によって、「幸せな運命を生み出す行い」のことをいう。

仏陀はそのような善を、七千余巻の一切経に、具体的にたくさん説いており、これを「諸善万行」という。これどあっては読む者とて大変であり、目移りもするばかりで結局は行わない。そこで仏陀はあらゆる善を6つにまとめて、「六波羅蜜」を教えている。あまり詳しくないので受け売り程度にしておくが、自分は仏教徒とではない。浄土真宗の寺に墓はあるが、参らない法要もしない。

イメージ 2

理由は単純、故人が墓参りを喜ばない、自分が死んでも墓参りを喜ばない。それはさて仏教の、「六波羅蜜(六度万行)」の①布施、②持戒、③忍辱、④精進、⑤禅定、⑥智慧については仏教用語ではなく、①親切、②言行一致、③忍耐、④努力、⑤反省、⑥修養と普通の言葉で理解をしている。仏教徒でもなく同じ意味ならこれで十分、仏陀の教えであれどなかれど関係ない。

宗教には無縁だが凡人に生まれた以上、自らを教育によって高めなければならない。そのために選んだのが賢者という人たちの書籍である。自己教育も含めた人間が教育によって形成陶冶されるのは当然の事で、昨今の教育の意味とはちがって本来的な教育の目的は、“人間を人間たらしめること”。それにしても昨今の学力偏重主義が、結果的によい社会になった形跡は何も感じられない。

斯くいう自分でさえ、人間の欲望に妨げられてか、対象は改善された形跡は認められるが、人間の向上というのは大変なことであり、このまま改善だけで生涯を終えそうな気もする。何事においても一流になるのは本当に大変な事だし、一流を目指すなどはさらさらないし、ならばそれはそれでいいではないかと。とにかくある時期を通じて自分と闘ったのは事実である。


そういえば自分が人生の道しるべと掲げる堀秀彦、坂口安吾、林田茂雄、亀井勝一郎、加藤諦三ら五賢人は、堀と坂口でとん挫したままだから、あとの三人への思いや所感を残しておこう。12月15日までの命だが、書くこと即ち学ぶこと、学び返すこと。高齢者には反復も大事である。堀は、「僕が生きてる意味だって?むろん、そんなものはありはしない。謙遜なんかでいっていない」。

イメージ 3


と、彼もこういう人だ。生きる意味などと、高尚なお題目を掲げずとも、今こうして日々を生きてることが、自分自身にとってどういう意味をもっているか、ということになる。それを正直に答えるなら、飲んだり(お酒ではなく)、食ったり、寝たり起きたり、どこかに移動したり、テレビを見たり歩いたり、本を読んだり趣味に興じたり、そんなことが生きてる証ではないか。

今までもそして今後もそれ以外にやりようがない。分相応なことをしてるつもりはないが、「分」ということを考えたことはない。ただただ、いろいろなことをエンジョイするが、エンジョイするために生きているのか、生きているからエンジョイするのか、正直分からない。どちらでもあるようだ。「生きる意味などない」の持論保有者として、今後も無意味な生を続けていくだろう。

賢人の存在意義 ①

$
0
0

イメージ 1

「自らの足で立つ」ことを若き日に自らに課した。が、自らの足で立つためには精神的な土台が必要となる。頑健な体をもっても精神が未熟では、「独活(うど)の大木」だ。柔らくて弱い材である独活の木は、大きくなっても建築資材に使えない。それを人間に例えて、「役立たず者」をいうようになった。だから賢人の著作を読むことで自己否定から始める必要を感じたのだった。

若いころから自己肯定だけに勤しんだものは視野が狭く、己のつたない考えに頭が充満しており、いい年になってもそこから抜け出せなくなる。バカが生涯バカなままなのは、若い愚かな時期を、「こんなんではダメだ」という自覚をもたなかったからではないか。自らに凝り固まった者は露骨にいうと、自ら神のごとく正しいと思い上がり、他人の意見を耳に入れようとしない。

我々は愚かだから賢者を必要とする。自ら考え、自らの足で立つためには賢者の支えが必要になる。さまざまな賢者にはさまざまの著作があり、その研ぎ澄まされた思考はお金を出して買い求める充分の価値がある。人生の享楽には様々あるが、実用的な観点も含めて読書というのは、もっとも確実な幸福といえるだろう。自分を取り上げてくれるのは古い言葉でいえば産婆である。

秀逸なる、「自己」を生まれさせてくれるのは賢者たちの書物である。身近に影響を受ける人もないではないが、聖書や仏法などに触れると同様に賢者の言葉は身近な人たちのレベルを圧倒する。読書の最終的な目標というのは、賢者の思考や思想に触れ、言葉を追いながら噛みしめることによって、自らが自らを理想の人間像として見出すこと。これは青春時代に限ったことではない。

イメージ 2

「よりよい人間になりたい」の気持ちは、「道」を求める志が失われていないことになる。高校の古典の授業で習った、「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」という言葉がなぜか不思議だった。「せっかくよい教えに触れたというのに、人生で実践する間もなくその日の夕に死んでいいでは、知った意味がないではないか?」という疑問である。実践してこその道ではないのか?

無知で若き自分は、「自分の正しい生き方についての答えは、それほど簡単には出るものではない」という本来の意味を知らないでいた。善い言葉の羅列は聖書にも仏典にも賢者の著書などにわんさと記されている。「朝に道を聞かば夕に死すとも可」は比喩であって、聞く=知る=実践の体現を示している。50年かかって身につけるということなら、「夕」とは50年という意味であろう。

目指して努力をすれば、人間は格調高い人間像を目指すことができるということだ。日本人は戦後70余年を資本主義という実利優先の社会で生きてきた。故にか、「物としての命」を優先し、命に占める心の在り方を低く見る傾向にあった。生き方の質より、命の長さを尊重する傾向にある。そうならないために、賢者の思想に触れることで、生き方の水準を高める必要性がある。

端的にいうと、信仰とはそういうものだし読書もそうであるが、注意すべきは信仰の効果や読書の効果を焦ってはならないということ。何事も、「レンジでチン!」の時代であるが、人間は一朝一夕とはいかない。「朝に、夕に」という言い方は極めて短い時間の用例のようだが、実は物事の収穫の難しさを表している。「朝に道を~夕べに死す」は、人間の一生の時間ではないかと。

イメージ 3

未熟な人間が精神形成のために読書をする。そのためには質のよい本がよかろう。しかしそれだけでは息も詰まろうし、、読書は多方面においては娯楽であることも事実。最上の書物は例外なく難しく、求道の志の深き人ほど真剣になるが、あまり深刻になりすぎると堅物人間になることもあり得る。そのために漫画もあり、艶本もある。趣味の本もしかり。

「人間は人間にならねばならない」といってもその実難しい。ボーボワール女史の、「女は女に生まれない。女になる」も同様。人間は人間に生まれ、女であるのは女に生まれたからだが、こうした比喩を理解するのも教養であろう。教養という言葉は様々に解されるが、教養のもっとも端的なあらわれは、その人の言葉遣いに見られる。「言葉は精神の脈拍」という言葉を知って納得。

その人が言語表現にどの程度に心を細やかに使っているか、そのことだけである程度の精神の在り処が分かろう。学問がある、読書量も多くて知識もある、それも大切だが、そういったものが日ごろどのように消化されているかは、日常の言葉遣いにあらわれる。人の心の許容量というのも人間の質差を示すもの。キャパともいい、懐の大きさともいうが、これら人によって大きく異なる。

「心は広くもつべし」を、知識として知るだけで教養である。人の言動にいちいち噛み付く人は自信がなさの現れというのが経験則にある。「自分が正しい」と思うのはいいが、「自分だけが正しい」と思うのはどうだろう。斯くの人間に人心は集まらない。どんなに偉くなろうと、どんなにお金があろうと、どんなに頭がよかろうと、答えは人の数だけあることを知るのも教養か。

イメージ 4

賢人の存在意義 ②

$
0
0
我々愚者にとって賢者がなぜ必要であるかを、観念性を抜きに現実的に眺めて思考をすれば、賢者の影響を受けるのとそうでないのとでは、人間は大きく変わってくる。亀井勝一郎は自分が賢者の代表とする人物だが、普通の子どもに生まれ育った。彼はこんな言葉を置いている。「自分の半生を顧みて、なるほど、これが人生というものであろうかと、はっきり感じられたものはある。

それは、私を一人間として育ててくれたもの、現に育ててくれつつあるその条件である。私は自分一個の力で生きているわけではなく、自力で成長しているわけでもない。書物を通して接したさまざまの先師、あついは温存している先輩友人の導きによって人間として成ってきたわけで…」と、亀井の言葉を借りるまでもなく、誰もがみなこのような形で自己を育てきたたはずである。

イメージ 2

他者からの影響なしで人間が育つことはなかろう。食って出して寝れば人の体は成長するが、「人間」としての心は育たない。前回しきりに、「教養」という言葉を唱えてみたが、「人間が人間になる」ということは、教養を身につけることではないかと思う。物事の道理理解も教養である。「阿吽の呼吸」などというが、人と人の結びつきは余程の洞察力があるならともかく、言葉をおいてない。

だから、言葉の質も大事となる。コミュニケーションをとるうえで言葉の量は重要でないのは、大人と子どもの会話を見れば明らかだ。しかし、言葉で言い表し切れない点には洞察が必要となる。洞察力を鍛え高めるのも教養で、細かく推量、推察することで他者への理解もなされよう。相手の心が見えれば、それに連動して愛情も湧いてくる。人と人はそういうもので結びつくもの。

“言葉遣いは教養のあらわれ”といったが、同時に表現しきれない沈黙に対する思いやりにおいてもあらわれるもの。教養のある人に比べて教養なき人は言葉遣いが粗雑で、独断的で、他人を洞察する思いやりが感じられない。一人で生きるのと社会(のなか)で生きるのは別だ。事あるごとに自分が勝利者のように振舞う人しかり。教養ある人は決してこのようなことはしない。

言葉遣いはまた、教養ある女性の所作においてもっとも分かりやすい。率直でありながらも気品があり、しかもとってつけたような不自然な美辞麗句がない。意図的に得る、なされるものを人為というが、人の所作から滲み出る教養を感じるように、教養も人為で身につけるものだ。かつて、「清純派女優」に多くの男たちは憧れたものだが、こんにちではあまり聞かれない。

イメージ 3

清純派女優がいなくなったというより、清純派女優という幻影に男どもが踊らされていたのだろう。清純を演じることが時代の求める女優人気のバロメータであり、会社も清純なる振舞いを演じさせた。昨今はそういう価値観が希薄になったことで、清純派という暖簾が不要になった。清純派女優というのは肩書に過ぎなかったが、そうとは知らず我々は彼女たちに清純の夢を見た。

月光仮面などの正義のヒーローしかり。子どもは純粋だから、正義と悪の戦いにおいて、正義は必ず勝つと信じ、作り手もその期待に応えた。いわゆる、「勧善懲悪」ものである。年端もいかぬ子どもはそれでよいが、思春期になって自我が芽生えると、本当の物、真実を求めるようになる。月光仮面やアトムが虚実だと分かり、何が真実かを模索する段階で賢者の書籍が必要となる。

イメージ 4

それが坂口安吾の『堕落論』であり、堀秀彦の『愛と孤独の世界』であったり、林田茂雄の『人生の疑問』、亀井勝一郎の『青春について』や、加藤諦三の『若者の哲学』であった。我々は学校で、「人間は堕落してはいけない」と教えられ、観念として脳にインプットされいた。しかし安吾は、「堕落しろ、堕落しなけれな人間は救われない」というのだから、頭がおかしくなって当然だ。

亀井勝一郎をして“日本一の読書家”というのは、まんざら嘘でもなさそうで、彼は世界の思想に精通した賢人である。東大で美術を学びつつ、マルクス主義運動に身を投じたものの、程なく離脱した理由はさまざまあった。だが決定的だったのは、「政治運動」だけでは、当時の日本社会を是正・超克することはできないと確信したからである。以下は亀井についてのあるエピソード。

イメージ 1

亀井は若者に愛されたが、それは亀井が若者を愛していたからだ。京都大学の学長が卒業式の祝辞で、「むやみに群れるなかれ。孤立を怖れぬ強い精神力を身につけて欲しい」と述べていた。これは亀井、「強い精神ほど孤立する」の引用だろう。ショーペン・ハウエルは、「孤独は優れた精神の持ち主の運命である」といい、 安吾は、「すぐれた魂ほど、大きく悩む」とした。

加藤諦三はこう記している。「僕には、母親以上に醜いものを考えつかない。僕の想像し得る限りにおいて、この世で最も醜いのが母親である。人質をとって金を要求するハイジャック犯以上に醜いのではないか。親が卑怯なのは、子どもは自分の世話をしてくれる他者を選択できないから、親のいうことを聞かざるを得ない。母親に叱られた子どもは、泣いても母親のところに行くしかない」。

賢人の存在意義 ③

$
0
0
確かに加藤の言うとおり、"子どもは自分の世話をしてくれる他者を選べない"。親を断ち切ろうとするなら、自分のこと一切を自分でやればいい。「母には一切の頼み事をしなかった当時の心情はハッキリ覚えている。「この人は鬼だ」子ども心に感じたことだ。母親には何も望まない、要求しない、頼まない、口も利かない。鬼だと思えばそんなことは何も難しくなくやれた。

加藤はまた、「親は卑怯」と述べるものの解決策を記していない。「絶対的強者の立場にある母が、その子どもから自分の基盤なき誇り高きイメージを引き出すのは卑怯である。子どもにとって母親は最も重要な他者である」。と追記しているに過ぎない。五賢人のなかで他の四人に比べ、どちらかといえば加藤は観念的である。分析はすれども解決のための案のなさが加藤の特徴であった。

イメージ 1

堀秀彦、坂口安吾を賢人とする理由を述べた。亀井勝一郎、林田茂雄、加藤諦三ら三人についても述べる予定だが、賢人はあくまで主観である。彼らは賢人であるが聖人ではない。堀は最愛の妻に他界されて生きるすべを失ったといい、妻に先立たれるとまるで母を亡くした乳飲み子のようにうろたえる夫は、どれだけ妻に依存していたかを考えれば、男にとって妻は大いなる拠り所である。

夫に先立たれた妻のハツラツさを見るに、女は一人でへいちゃら生きていく。この違いは本質的な生命力の差か。男もそうあるためには、「おい風呂!」、「おい、メシ!」、「おい靴下!」などの依存を止めて自分のことは自分やる。堀は明治生まれの旧式人間だから、妻の内助や気配りがあった。「自分は恐妻家」といいながらも昔の女性には、「男は兵隊さん」として讃え、一目置く潜在意識があった。

「あなたの生活信条は何ですか?」と聞かれて、「後悔しないこと」答えていた頃があった。今はそんなことも聞かれないし、聞かれても、「食って寝ること」くらいしかいわない。入社面接ならともかく、他人に生活信条をいったところで屁にもならず、得るものもない。そもそも生活信条って本当にあるのか?カルタに、「後悔先に立たず」とあったが、子どもにその意味は分からなかった。

が、意味を知って好きな言葉の一つとなったのは事実。自分が愚かだと悟り、愚かな自分であるがゆえに、後悔したからといって立ち直るすべはないと気づいたこともあったろうか。人はなぜ後悔するのか?分からないが、後悔とは祈りに似た愚か者の情熱なのかも知れない。神仏と戦う無神論者となり、祈りに似た後悔をあまりしなくなった。宮本武蔵は、「我事に於て後悔せず」と残している。

イメージ 2

剣豪武蔵というが、武蔵の思いはウジウジ後悔する自分から生まれたものである。信条というわけではないが、他人の悪口が好きでない。欠点をいうことはあるが、良いところを悪くは見ないでいる。良いところは良いからだ。「あいつにはついていけない」などという奴は結構いた。記憶の限り自分はこの言葉を一度も言ったことはないが、人はこの言葉を目くじら立てていったりした。

はやい話が悪口である。批判を超えた言葉と感じるし、最大級の非難であり悪口である。自分がこの言葉を好まない理由は、そんなこと思うなら、「ついていかねばいいだろ」と率直に思うからだ。物貰いや乞食ではあるまいに、ついていく理由はなかろう。したがってこういう言い方の裏には、恨み・つらみがある。考えてみれば面白い悪口言葉だなと思ってしまう。

一度だけ、「だったらついていかねばいいんじゃないか?」と茶化したことがあった。相手の女はキョトンとし、「そんな意味じゃないんだけど…」のような返答に困った顔をしていた。離婚を切り出す妻が夫に、「もうあなたにはついていけない」というのを映画かドラマで見たことがあるが、強烈な人格否定、存在否定であって、いわれた夫はかなり自尊心が傷つくのでは?

「もう一度やり直そう」みたいなことを夫は言ったが、妻の最終的な引導に対する言葉に対してはいまいち迫力がない。「やっていけない」という相手と、「やっていく」のは所詮無理だろう。だったら、「そうか、分かった!」というのが潔さではないか。「オネガイ、もう一度~」などと、こんな惨めな言葉は自分にはない。「据え膳食わぬは男の恥」がまかり通った世代でもある。

イメージ 3

こういう意識で生きてきた自分だから、「据え膳」食わされた経験はない。こういう意識とは、男は能動、女は受動の意識。男のバカさに我慢を重ねてた妻はいる。それで発した最後通告に、「もう一度やり直そう」という男の惨めったらしさはなかろう。が、最後通告風に思わせる意図なら効き目もあろうが、実体としては妻の毅然とした態度か半分演技かにもよる。

「母と私は憎しみによってつながっていた」と安吾の自伝にあるが、最初は愛に、中途から憎しみによってつながったままの夫婦は決して少なくはない。血肉を分けた親子と全くのアカの他人の夫婦とでは大きく違うものだ。憎しみあう夫婦という経験はないが、こんにちの社会情勢なら離婚は簡単だ。むかしは、「子どもを片親にすべきでない」という抑止力もあったが、現代にはそれがない。

五賢人 林田茂雄 ①

$
0
0
五賢人の三人目は林田茂雄。彼は無学の徒で、堀、亀井、加藤らは東京帝大卒、坂口安吾は東洋大卒。無学といえ熊本第二師範学校中退だから秀才である。師範学校にバカは入学できないが、中退理由は母と反りが合わずに家出をしたこと。林田は17歳で故郷の熊本を捨てて東京に向かう。彼は若き時代に三度の自殺を考えたという。一度目は林田が8歳だから、小学三年生のときだった。

その時の様子を以下記している。「私は2歳の時に母と生き別れ、その後継母の手で育った。芸者あがりの継母は、我儘で寂しがり屋のヒステリーで、私は毎日毎日ひどい目にあい、体中はあざだらけだった」。そんな林田はある日、裸足で家の裏口から抜け出して田んぼ道を北に2kmばかり歩き、隣村との境の大きな川に飛び込むつもりだったが、ある偶然によって自殺は回避された。

イメージ 1

ある偶然とは長くなるので省くが、二度目の自殺は15歳、やはり母の仕打ちが原因だった。姉が婿養子をとって一緒に暮らしていたが、姑(母)の仕打ちがひどくて婿は実家に帰ってしまう。父は茂雄に婿養子に家に戻るよう使いに走らせた。継母が家に来てから騒動が絶えない。義兄を呼び返してもこんな母では騒動が収まることはない。茂雄は母を考え直させる方法を考えた。

林田の考えとは、自分が自殺すれば義兄も自分に免じて家に帰ってくれるだろう、母も驚いて考え直してくれるだろう。二度目の自殺の動機は、絶え間ない家庭のごたごたを修復させるという、いささか幼稚な少年のロマンチックな情動だったが、結局自殺は行わなかった。三度目は20歳から22歳にかけての頃で、このころが林田にとってもっとも危機的な時代であった。

芥川龍之介が自殺をした後、芥川と同じような死の誘惑が林田を捉えていた。自殺の連鎖である。芥川の自殺を機に、林田はなぜ人間が自殺をするかについて思考を巡らせた。そこで分かったことは、人間の命はただ生きることだけを求めていず、生き甲斐を求めていることに気づいたという。騒動の多い実家を飛び出して東京に向かった17歳のとき、彼も生き甲斐を求めていた。

林田は上京するとすぐに日雇い人夫として働いた。何をおいても食べることが先決である。最初の仕事は橋造りの測量手伝いだった。立派な橋ができ、その橋を人が往来するのが嬉しかった。そんな折、マルクス主義に傾倒し、左翼活動を行っていたが、25歳で検挙され6年間の入獄体験をする。懲役という強制労働もプロレタリアートを自負する林田は、社会のためと労働を楽しんだ。

イメージ 2

「人間とは何か?」について、多くの人間が思考し規定したが、当時、もっとも説得力に長けていたのは、「人間は考えるために造られている」としたパスカルの人間観で、林田も感銘を受けていた。人間は考えることで善い行動を選択できるばかりか、考えることは人間を新たな人間に造り変えることもできる。ダーウィンやニュートン前の社会は、形而上学が幅を利かしていた。

「人間は何のために生まれたか?」という命題だが、生み落とされた側に明確な答えを出せない。そこで答えのないことを認めつつ、そのうえで人間の存在意味を認め、論じようとするのが「実存主義」思想である。「何のために生きているのか?」についての意味づけは個々になされる。「この世に尽くすため」との明確な理由もあれば、「死なないから生きている」などもある。

結局、「人間は幸福を目的とする」に行きつくが、自分は安吾のいう、「生ききることが生きる目的」が添う。お金を貯めて世界を巡りたい、100人の美女と寝たい、一篇の小説を書いてみたいなど、個々の目的は様々あるが、「死ぬまで生きよう」という表題のごとく、死ぬまで生きるのが生きる目的といえば聞こえがいい。したがって、死後においては何の目的も願いも要求もない。

「何のために…」という言葉の、「ため」は、自分自身のなかから目的として生み出すことは可能だ。立派なもの、大きなもの、小さなもの、どんなものであれ、無目的であるよりは立派に聞こえるが、毎日そんなことを考えて人間は生きてはいない。自分はブログの表題を考える時、「死ぬまで生きる」ことは大切なことだと思い、だから、「生きよう」と声掛けをしたのかも知れない。

イメージ 3

林田は、「人間は何のために生きているのか」についてこう述べる。「人間が生きているということは、理屈ではなく事実であるとするなら、私たちはただ、この人生をどう生きるかということだけを考えればよい。生命というおごそかな事実が、理屈抜きにただ生きることだけを要求している」。理屈と膏薬は股にもどこにでもつくが、「生きることだけが生きる目的」に理屈はない。

若き頃は単純なことですら人によって意見が違うのが不思議だった。ゆえに論じ、話し合い、時に格闘しあったが、思えば一切が若さゆえである。すべてのことが肥やしとなった今、議論など望まない。運命論者や宗教者らと噛み合わぬ意見を戦わせたりもしたのが懐かしい。「運や不運というのは我々が作るもの」という考えだけは一貫して揺るがなかった。それこそが運命というものだと。

五賢人 林田茂雄 ②

$
0
0
人間が誤った原理や観点で国家主義をとっていることも考えられる。イスラムの原理主義とキリスト教社会の長きに及ぶ対立は象徴的である。死刑廃止国家と死刑実施国家の善悪の根幹にあるのは価値基準の相違である。人道主義か協同主義かを問い直すということも、その場その場に与えられた人間の思考の義務である。人を殺すという価値の正当性とか否定…

戦争の問題、死刑の問題、安楽死の問題、自殺の問題、これらの問題に純然たる真理があるのだろうか?正鵠を射る原点を見つけられるなら善悪の正い価値判断もできようものだが、人類とは雑多な人間の集団である。彼らにとって唯一正しい価値というものを人間は信じ模索し、そこから生まれたのが宗教である。が、その宗教でさえ割れてしまっている。

イメージ 1

道徳や倫理の上に宗教が存在すると考える人たちは、「善悪の基準」を宗教に求めるが、「世界を滅ぼすキリスト教」と哲学者が指摘するように、一神教の恐怖というのは真理を主張するためなら人殺しもやれば、世界を戦火に巻き込むことさえ厭わない。利他愛の実践であるはずの宗教が教義で個人を束縛する。日曜日に教会に行かないことが罪であると…。

「宗教はアヘンである」とマルクスは言ったが、マルクス主義に傾倒した林田は、やがて唯物論から宗教的唯心論へと道を転換する。1948年には二作目となる著書『マルクス主義人生読本 マルキシズムと宗教』、1950年には『たくましき親鸞 共産主義者による再発見』、同年に『般若心経の再発見 仏の道とマルクスの道』を著す。いずれも読んではない。

彼は仏教に傾倒し、親鸞を評価するようになったのは、林田自身が親鸞についての本を読み、これまでの間違った親鸞像から新たな認識に至ったという。これについて林田は、「親鸞を迷信的な諦めの親玉のように思いこませ、自らが搾取者の地位に上り詰めた本願寺僧の、「ねじまげ説教」を罪であると批判する。林田は親鸞に関する本をこれまでに4冊著わしている。

以下は親鸞という名が表題にあるものだ。『たくましき親鸞 共産主義者による再発見』(1950)、『歎異鈔の問題点 親鸞をけがす歎異鈔』(1955)、『親鸞 たくましき求道者』(1956)、『親鸞 知恵と勇気の教師』(1959)、『親鸞の思想と生涯』(1981)で、これ以外にも、「般若信教」や、「維摩経」などの仏教系の著書数冊があるが、読んだのは、『親鸞 たくましき求道者』一冊のみ。 

イメージ 2
 
林田がカール・マルクス思想から親鸞へと移行したのは、「信心は最高の知恵」と感じたとし、以下述べている。「如来の本願が、ただ絶望的な人間の慰めになるだけの話なら、信心なんてくだらないし、社会にとっては何ら積極的な意義は持たない。信心がそれだけのものだったら、親鸞とマルクス主義者とが、同じ道に肩を並べているなどとはいえない。

キリスト教の神は世界を創り人間を造り法を作った。法とは神のこと。神によって作られた世界は絶対不変、不滅であり、神の言葉は永遠の真理である。仏教によれば、世界は久遠の昔から「如」としてあったもので、誰が作ったものでもない。仏法が法を作ったのではなく、法は仏教の中に客観的に存在し、それらを悟ることによって、凡夫でさえ仏になれる。

仏教における信心の智慧とは、如来の智慧である。いったい如来の智慧とはなんであろうか。それをハッキリしないで仏教を知ることにはならない。如来の智慧とは仏の智慧である。といっても分からなければ、仏とは悟りし者のこと。何を悟ったかといえば実在する諸法の真理である。くだいていうならありのままな存在の真理を悟る智慧ということになる。

言葉にごまかされることなく追及するならば、「ありのままの真理を、ありのままに悟る」ためにはどうすればよいのか?そのためには自我という分別を捨てることだということになる。これが林田が、「信心は最高の智慧である」に至った答えであろう。一切の主観や色眼鏡を外して、あるものをあるがままに受け取ること。それこそが如来の智慧であると林田はいう。

イメージ 3

原罪を負った人間は神に従うことによって正しく導かれるというように、仏教においても釈尊の教えを信じて実践することが凡人の人心を高めるすべであるという。信仰とは何かを信じること。宗教とは生きるための宗を教わること。愚かな人間というのは、聖人の教えを受け入れることであると。だからあえて問うてみる。「なぜ賢人ではダメなのか?」と。

 聖人…徳が高く、人格高潔で、生き方において他の人物の模範となるような人物
 賢人…聖人に次いで徳のある人。また、かしこい人。賢者。

聖人は賢人の上にある。「一番でなきゃダメですか?」とはどこかで聞いたセリフ。二番の人と一番の人がいるなら、一番の人の言葉を聞き、従うべきではないのかと、宗教者はいう。それが宗教の本質のようだ。賢人は間違うが聖人に間違いはないのだと。だから、仏典や聖書には絶対に間違いはない。はて…?自分は人間なのだから、正しく生きずとも賢く生きたい。

五賢人 林田茂雄 ③

$
0
0
人間は社会なしには生きられない。人間個人の命というのは他人全体の命の活動に支えられて生き、活動しているということになるが、個人の命はまた他人全体の命を支えている。「人を殺すということがなぜいけない?」の理由は、こうした全ての個人を人間として生かしている協同社会に傷をつけることになるからだ。人を一人殺すと一人分の傷を残す、だからよくないという考えに説得力はある。

このように殺人の善悪を協同の原則から割り出すなら、協同原則を守るためには社会協同の敵を抹殺することが善ということになる。この建前から多くの国が法律で死刑を認め、これが死刑という刑罰の本質である。死刑に議論があるのは事実だが、それは社会協同の敵を殺すことが本当に善であるのかという新たな問でもあるからだ。林田は共同社会・共生社会にユートピアを抱いていた。

イメージ 1

人間が物事を執拗に問い続けるのは、自身の観点の正しさを追求するからだが、上記したように、殺人を協同原則から考える場合と、人の生命を個人の尊厳としてみた場合とでは自ずと考えが変わってくる。社会協同の敵を殺すのを善とするなら、戦争で人を殺すことも善となる。別の観点からみると明らかに間違っている。観点とは国家主義ということでもある。すべてのことは見方によって異なってくる。

などと問い詰めると、絶大なる疑問も湧いてくる。賢人が二番で聖人が一番というなら、人間と神はどちらが優れ、どちらが偉いのだ?もちろん人間というのは聖人ごとき悟った人、帰依した人のことである。つまり、仏教の開祖である仏陀は人間であって神ではない。比べてキリスト教を始めたイエスは人間ではなく神の子なのか?聖書は神の言葉を綴ったものである。

ナザレのイエスには様々な解釈がなされ、新たに生まれては消え、消えては生まれる。イエスが十字架上で息絶えたのは、「数々の奇跡的な行動をした私もあなた方と同じ人間だ」と身をもって示したという考えもあれば、数年前には、「イエスは十字架に磔刑にされず、さらに彼は神の子ではなかった。イエスは神の預言者だった」という聖書が見つかった。

「イエスは生存しており、彼の代わりにイエスの弟子の一人が磔にされた」とするイエスの十字架刑を否定する1500年前の聖書のページが2000年に発見され、アンカラの民俗学博物館に保管されているという。こうした重要な記述が検閲で省略されたというなら、聖書は極めて都合・不都合の問題が多い。1500年前からキリスト教の連中は一体何をやっとるんだ?

イメージ 2

仏教を信じる人とキリスト教を信じる人の根本的な違いは、後者は奇蹟を信じるが、仏教徒はそれを信じない。自分の知人にもキリスト信仰者はいるが、神を信ずるものは間違いなく100%奇蹟を信じている。言い換えるなら、「奇蹟を信じてはじめて神は在りという断言にいたるのだろう。ただし、同じ仏教徒でも法華経信者は奇蹟や超能力に向いた節がある。

強烈な無神論者であるラッセルは、賢人であって聖人ではない。自分は堀、安吾と賢人について書いてきたが、聖人は奇蹟を起こすが賢人は奇蹟などとは無縁である。聖人は理性外の行いを可能とするが、賢人の思考は理性を逸脱しない。聖人は全能であっても不思議でないが、賢人は頭の良い俗人である。神を信ずる人は100%に近い確率で奇蹟を信じるという。キリストの再臨を待ち侘びる。

奇蹟というのは本当に起こるものなのか?奇蹟的なことは過去に多く起こっているが、それらのことはすべて可能性の中で起こったのではないのか?全く可能性のない、あり得ないことが起こるのが奇蹟であるなら、これまで起こった奇蹟とは奇蹟的なことであろう。奇蹟は起こらないが奇蹟的なことは起こる。その程度は自分ですら認める。では本当の奇蹟とは脈拍停止状態からの生き返りである。

脈拍停止とは心停止と同じ状態で、救急医療では心停止後1分間ごとに10%ずつ救命率が下がる。グラフでは5分の心停止で半数が死ぬ。脈拍停止状態が10分以上経過して生き返ることはない。これが現代医療の常識となっている。キリストが人間なのか神なのかは別にして、多くの奇蹟が報告されている以上、ただの賢人ではなさそうだ。もちろん、誰もがキリストを聖人といっている。

イメージ 3

が、神であるのかどうなのかは論議が尽きないアインシュタインもラッセルほどに明確な神の否定は行っていないが、亡くなる一年前の1954年に書かれた哲学者エリック・グートキンドに宛てた書簡にはこう書かれている。「私にとって神という単語は、人間の弱さが生み出した産物以外のなにものでもない。聖書は尊敬すべきコレクションだが、やはり原始的な伝説にすぎない」。

2018年3月に他界した天才物理学者ホーキング博士の最後の著書『大きな疑問への簡潔な答え』のなかで博士は、「何世紀もの間、私のような障害者は、神に与えられた災いの下で生きていると信じられていた」。「だが私はそれよりも、全ては自然の法則によって説明できると考えたい」とし、「神は存在しない。宇宙を司る者はいない」と断言するが、天才科学者の言葉であれど証明ではない。

五賢人 林田茂雄 ④

$
0
0
五人は昔の人である。それをいうなら釈迦やキリストは大昔の人である。短い人生の中でどれだけの人と、どういう出会いをするかが人の一生ではないだろうか。先人の言葉に耳を傾けるだけでは教えとはいわないまでも、教えとは実践ばかりとも限らない。「友情は単なる遊び仲間の交情とはいわない」と、これは亀井勝一郎の言葉である。「悩める魂と魂の格闘による結合こそ友情」であるという。

こんな言葉は先人でなくて耳にすることはない。亀井は、「邂逅」という言葉をしばしば用いるが、「邂逅」とは思いがけない出会いの意味がある。邂逅と友情こそ人生の重大事ではなかろうか。愛あるところに死があるように、邂逅あるとことには別離があるのが世の常。林田は友情についてこう述べている。「友情は気の合ったもの同士でなりたつというが、そうともいえるし、そうでないともいえる」。

イメージ 1

     「人生は多くの出会いを通じて物事を知り、見えぬものに気付くようになって終える」という意味


林田がいわんとするのは、「気が合うばかりでも友人には不向きだが、どこか気が合わないことには友人になれない」。とだけ書いているので、気が合うだけでは友人として不向きの理由を考えてみる。そのことを考える前にかつて自分に、「いい友人」はいたのだろうか?友人と名のつく連中はごろごろいたが、「いい友人」とは一体どういうものなのか?「よくない友人」でないのが、「いい友人」か。

であるなら難しい、「いい友人」を定義するまえに、「よくない友人」を特定すればよい。よくない友人を思い出してみるが、「いない」。そんな友人は早い時点で避けたからだ。自分は昔から無理をして人と付き合わない。自分にも無理をしないから他人にもしないということだが、「無理してもつき合わなきゃいけない人っているだろ?」と人はいう。みんな苦労してるんだろう。が、自分にはいない。

「無理をしてつき合う理由がない」。「何かいいことなどある筈もない」という、簡単な論理である。相手からすり寄ってこようと、自分を害する何かを感じたら、愛想をしなければ相手にだって伝わるし、嫌だから拒否をするのではなく、ワイワイつるむより、独りで考えたいからである。友人とか親友というのはその気になればいくらでもできる。問題は増やした友人をどう処理していくのかということにならないか?

何事も手を広げすぎると収拾に苦労することになる。その辺りのことが分かっているからでもある。友情が愛情に比べて薄情とは思わぬが、人はその日その日を生身で生きているわけだから、自分の都合で友人の誘いを断る事もあろう。無理をする人間は断ることを、「悪」とし、だから無理をする。自分にも他人にも無理をしない生き方を孤立というが、そんな風には思わない。

イメージ 2

   「人はなぜに集まり、なぜに飲み交わし、なぜに騒ぐ」。一人で生きていないという証であるから…?


過去、友人について幾度も自問した。友人は互いが利用したりされたりの関係であるものであることに気づいた。「今日、飲みにつき合えよ」と誘うやつは言葉は悪いが自分を利用している。同じようにやはり自分の都合で相手を誘うのも無意識の利用である。それを友人関係というのか?こういう身近な問題に答えを出すのが案外と難しいが、結論は、「友人ではあるが友情ではない」だった。


友情とは互いに生き合い生かし合いであるから、自分の負担になっても、相手を負担にさせてもダメということ。「飲み友達」というのは時代や状況にマッチした新語であろうが、的を得た言葉ではないか。「飲み友達」とは飲むだけの友達のこと。だから飲まない自分に「飲み友達」はいないが、「将棋友達」というのはいる。将棋友達とはハッキリいって、将棋を指す以外に何の必要性も感じない相手のこと。

しかし、「将棋友達」といえど、広義の友人であろう。が、そこに友情は発生しない。将棋をするのに何の友情がいる?友情には友情という土台があるが、飲み友達や将棋友達は、人を選ぶではなく行動で選んでいる。そうはいっても、「一緒に飲む相手なら誰でもいい」、「将棋を指せる相手なら誰でもいい」とはならず、やはり気の合う相手でなければならない。

「飲み友達だったが喧嘩で絶縁した」ケースがある。「将棋友達」なのに喧嘩で二度と対局をしない同士もいる。カッとなって思わず言い合いから喧嘩になるのは誰でも経験があろう。誰しも平和を望むが戦争は人間の意志に反しておこるもの。人間に喧嘩の本能がある限り、この世から戦争をなくすことはできないだろう。カッとなって喧嘩になったのは、感情に押し流されたということでは?

イメージ 3

        「人はなぜに言い合い、なぜに争い、なぜに傷つく」。一人で生きていないという証である


「思わず」というくらいだから、その瞬間には理性も意志も働いていなかった。したがって、「理性的なところに人間のしるし」があり、カッとなって、「分別を失うのは動物のしるし」といえる。「人間も社会的な生き物」としての動物であるのは疑いない。しかし、人間には理性と意志で感情と闘うことはできる。「思わずカッとなる」のを抑えるのを訓練することができる。

人間の素晴らしさは、動物的な弱点をなくすことである。人が何か善いことをやろうとするとき、孤立することは往々にしてある。善いこととは私益ではなく公益であるが、他人からすれば文句の材料になる。そういう時に腹を立てるのが人間というものだが、腹が立たない方法もある。自分も若い頃は腹をたてたが、自分なりの腹を立てない方法があるので次の記事にて書いてみる。

五賢人の恋愛観・女性観 ①

$
0
0
亀井勝一郎のユニークな視点を、「はにかみ」と題された一文に見る。「善をなすとき、自分はいま善をなすのだと、それを自覚し誇ったらどうなるか。たちまちその善は偽善に化し、相手を傷つけるだろう。友人を救ったり、隣人に親切を尽くすときは、どこまでも"はにかみ"の心をもって、あたかも悪いことでもするように、そっとなさなければならないものだ」。亀井は続けていう。

「本当の美しさはいつも隠れているものだ。美しさを求める心によって発見されなければならないものである。(略) はじめての恋愛のときは、誰でも"はにかむ"のである。決して露骨にはなれない。もし露骨な態度をとったら、そこから美しさは崩れてゆくだろう。隠れている美しさがあるからこそ心をひかれるわけで『情緒をひとしおに深くする』とはこのことである」。

亀井の一貫した、「控えめの美徳」こそが明治人の奥床シズムであろう。そういえば安吾も、「親切について」という似た文章を書いている。その中で化粧は女性を引き立てるが、自分を隠す技術でもある。自分で醜いと思う点を隠すだけではなく、自分を美しく見せようと思うその心すら隠せば最上の化粧である。などと、これは男のトンチンカンな理想で、そういう女性がどこにいる?

かつて、「露骨なもの」は嫌悪の情といわれていたが、今の時代にそんなことを言う者はいない。自己宣伝や自己顕示のなにが悪いとされる時代である。外国の女性の正装とは、"いかに多くの肌を露出させるか"であるが、比べて日本人女性の着物はいかに肌の露出を隠すかであり、両者は根本から隔たっている。外国人女性の、美しい部分をどんどん露出させてアピールすべきといっている。

これらのことから亀井のいう、「本当の美しさはいつも隠れているものだ。美しさを求める心によって発見されなければならないものである」というこの一文には、日本人にとっては分かりすぎるほどに分かる。これに安吾が加わると、「大根足は隠せ!」となる。「脚の醜い人の多い日本で脚を見せない衣装が考案されないのは馬鹿げている」。なんというか、安吾の率直さ辛辣さ満開の一文である。

堀秀彦となると様相が違ってくる。堀は優しい男で、特に女性への理解が半端でない。彼は女性にこんな不思議な物言いをする。「あなたがもし厚かましい自分の態度を肯定したいのなら、厚かましさのあとに、一握りの羞恥を示してほしい。嫌味のない厚かましさと、そのあとからくる思いもかねぬ羞らいが示されるとき、私達は好ましいという感じを持つ。いけないのは羞恥一点張り、厚顔一点張り」。

堀は自身が女性について書きながらもこんな言い方をする。「理想の女を描きうるのは、また描かねばならぬのは女自身であるべき」。男の中にある理想の女というのは幻想に過ぎないわけで、女自らが理想の女を演じよということか。堀はないものねだりを求めない。「ない」なら「演じよ」というだ。「性格の点で陰影のない女は悲しい性格」とまでいうところは、多少なりフェミニスト的であろうか。

極めつけはこの一文。「醜い女というものは男の心をやすめてくれるものだ。平和にしてくれるものだ。美しい女が男の心をかきみだすのと正反対に」。あくまで一般論としてだが、醜い女と美しい女と、どちらが恋愛に有利であろうか。言わずもがな後者である。醜い女性が一目見て恋されることはおそらくない。恋愛が第一印象を原則とするなら、醜い女が不利、得をすることはない。

美人が得をし、ブサイクは損というのは一般的な見方でも、ブサイクから美しさを引き出すのは、宝探しをする楽しさがある。美しさとは人間としての美をいう。その逆、美しい女に醜い部分が見えたときは、1000円の洋服を騙されて10000円で買わされた気持になる。美しい女の心もそれは美しいということも、「ない」とはいわぬが、醜いものからどんどん美しさを見つけるのは開拓精神か。

他人の視点を気にする者もいるが気にならない方だ。自分が良いならそれで良し。「あんな不細工な女のどこがいいんだ?」などはよく言われたが、いわれることをむしろ面白がっていた。「醜い女が醜い性格だったらどうする?」そんな風にいう奴もいた。「ブサイクが好みというんじゃない。良い性格の女がいい訳だから、性悪女は美人だろうがブサイクだろうがダメに決まっている」。

物事は蓋を開けるまで分からぬもの。自分の思うようにはならないのが世の常である。しばしば他人が口に出すような、「宛がはずれた」、「思ってる女と全然違っていた」などの言葉は、そもそも口に出すこと自体が問題だ。見込み違いの多くは勝手に見込んだことの責任である。これらは美人からの場合が多い。醜い女に見込むものはないとしたものなら、彼女の株は上がるばかり…

堀の自著『女性のための71章』で、「醜い女は男の心をやすめてくれる。平和にしてくれる」と書いているが、これには共感させられる。安吾も似たようなことを書いている。「多情淫奔な細君はいうまでもなく亭主を困らせる。困らせられるけれども、困らせられる部分で魅力を感じている」。これは男にも当て嵌まる。モテる恋人、モテる亭主は心配で不安だが、モテない亭主より魅力のようだ。

他人をカボチャに見立てるとき ①

$
0
0
4月27日の記事の最後、「(他人の文句に)腹を立てない方法を次回に記す」と書いたまま忘れていた。まあ、律儀に守ることもないが、「忘れていたと」いうのは自分の過失で、許してはダメだ。これまでになかったことが少しづつ露わになってきている。悔しいし残念であるが、忘れたならそれなりの対処を考えればいいのだろう。自分を責めても起こることなら先ずは対処だ。

人が何か善いことをやろうとするとき、孤立することはある。そのような事はいくらでもある。それに対する不満や愚痴も腐るほど耳にした。男の愚痴は聞くのも嫌で、他人のいう不満や愚痴を耳にする度に、「不満や愚痴を言わぬ方法はないのか?」などと、その都度考えたが、不満や愚痴をいうのを我慢するより、「不満や愚痴がないようにするにはどうすればよいか?」に行き着いた。

イメージ 1

考えてみれば当たり前なこと。が、愚痴はともかく、人間に不満を無くすことができるだろうか?「おそらくできない」といえば簡単、それでオワリだ。完全にはできないにしろ、「できる」努力をする価値がある。答えのない問題や、心地よく生きるための難題を考えるのは楽しい。反面、人間の不満や愚痴が醜いことだと知りながら、それでも言いたい人はなぜだろうか?

これはそんなに難しいことではない。人間が悪をするのは、善悪の判断が分からないのではない。幼い子はともかく、悪いと分かっていてもそれをするのは、自分がそれを自分に許すからである。自分で自分を許すのだから罪にはならない。罪であっても自分を罰することをしないでいれる。だから人間は自分に甘い生き方ができるのだ。だからこそ、「自分に厳しく」が価値がある。

自分の母親は暇さえあれば、他人の悪口と自己の不満と愚痴ばかりいっていた。自分への悪口は絶対にいわない。母親からそういう体験を持った人は多いだろう。人間は不思議なもので、意識・無意識ともに親から多くを受け継ぐという。母は自分を隅から隅まで監視、掌握せねば気が済まない性格で、自分の机の引き出し、持ち物類から手紙に至るまで監視の目を緩めなかった。

手紙類は勝手に開封し、読み、女性からならゴミ箱に捨てるというのを、平然とやった。父が相手の名だけをチェックし、「今日、〇〇という女から手紙が来ていた」と耳打ちしてくれた。かつては母を柱に縛りつけていた父のなれの果てがこれかと不甲斐なさを感じたが、教えてくれるだけでも感謝だった。その時は分からなかったが、父なりのヒステリー対処法だったのだろう。

イメージ 2

とにかく母のすることなすことは非人間であり、非道の意識が強く芽生えていった。「自分は自分の子どもにこんな思いは絶対にさせない」という誓いも必然だった。だからといって、親になれば親の論理が働くものだ。そこで自分を鼓舞させるかどうかであろう。親から受けた精神的打撃が大きければ大きいほど、鼓舞の力も大きくなる。つまり、子どもに対する抑止力が強く働く。

ある日の妻と小5~小6ころの長女との会話を思い出す。「お母さん、また私の机の引き出しを荒らしたでしょう。目印をつけているからすぐに分るんだから。もう止めてよ」。母親がどう答えるかと思って聞いていたら、「別にいいじゃない、見たって。何か困ることでもあるん?」。これはまったく想像しない発言だった。こんなんでいいのか?こんなんで済んでしまうのか?

心に残る不思議な光景だった。二人の会話は何ら険悪なものでもなく、どこか馴れ合いのようなものであった。母と娘のとの心を開き合った馴れ合いの関係である。自分と母には絶対に存在しない阿吽の心の繋がりである。それでも自分は妻に言った。「子どもの机の引き出しを荒らすのは止めたら?」と、その光景を見ていたのでトーンは柔らかめだが、善くないといったつもり。

「いいのよ別に…」と、妻は何ら悪びれることなくいった。自分にはそのやり取りと行為そのものが母と娘の繋がりのように思えた。娘も決して困ってはいないし、いやだといいながら、見るか見ないか、見たかどうか、目印をつけて楽しんでいるようでもあった。母と子というのは自分が体験した以外の在り方もあるのだということを、その体験から知ることができたのだ。

イメージ 3

ブログは公にするものであるから、当然ながら人は見、人は読むが、人が見るものだという前提を忘れてはならない。自分は自他への許容範囲が広いので、自制をしなければ何でも書いてしまうところがある。したがって、結構抑えて書いているところはある。公共物ゆえに歯止めも大事であり、「そういえば…」、と思い出せば、以下のような注意を頂いたこともあった。

「最新記事のトップの写真、まずくはないですか?おせっかいかもしれませんが、気になったもので」。こころあるファンの方からゲストブックに、「秘」での配慮を頂いたこともある。というところでのっけに戻るが、「何か善いことをやるとき孤立することはある」というのは、「当たり前にある」、「当然にして起こり得ること」などを自覚し、改善策はそれにどう対応するかにある。

他人をカボチャに見立てるとき ②

$
0
0
「善いことをやっているのに。文句がでた」、「悪口言われた」、「批判された」などと不満や愚痴をいうくらいならやらぬ方がよい。"何事も想定済み"の態度でなければ物事を推し進めることはできない。将棋の対局中に、相手からこちらの考えにない手を指されて、狼狽えるようでは勝ち目はないのと一緒である。つまり、他人の批判や文句は最初から想定していることが基本にある。

亀井勝一郎のいう、『強い精神ほど孤立する』という言葉にも示されている。いろいろな意味にとれるが、「妥協をしない」、「迎合しない」ということと同じ意味合いであろう。強い精神性は強い信念に裏打ちされている。孤立をしようとも孤立を怖れず、孤立を厭わぬことも強い精神性を示している。「なぜそうなれるのか?」と問われることもあるが、本人は普通と思っている。

もう一つ、他人の意見を聞いて(見て)ムカつくようではダメ。この人はこういう考えで生きているんだなと、他人事でいるべき。さらには、匿名で他人を批判するような態度はむしろ弱者。「堂々と悪いことができない」から、匿名で誹謗中傷する。陰口も同様で、心の強い人は堂々と悪人になれる。むしろそういう人こそ善人かも知れない。「悪を行為する善人」とは分りづらいか?

信念を信念と思わず、普通と思っていることを他人が勝手に信念と呼んでいるに過ぎない。揺るがないのは、食って出して寝るからであって、信念だから揺るがないのではない。批判されようが、悪口・陰口叩かれようが、自分が何かの(誰かの)役に立ちたいとの思いなら、批判や悪口に屈する理由がない。なぜなら、批判や悪口は何ら公の利益にはなっていないタダの文句でしかない。

文句をいうだけの人間はどこにもいる。口を開かず押し黙るのがいいが、露骨な人間には、「お前は文句をいうだけで何かの役に立つことをやっているのか?文句で自分を満たしているだけでは?」など、いうこともある。いわれた相手は逆恨みを持つ以外にない。こういうケースをどんだけ目にしたかもあり、「逆恨みの一丁上がり!」と楽しむことにもなる。人はそれを強さというが?

真に強い人間は、上に出たがったりはしなう。なぜなら強者はもともと、「強い」のだから平等を求めない。自身が不当に扱われる位置にいようと、明らかに実力的に下部の位置にいようと何でもない。そのことをあえて引き受けたりもする。ようするに、上辺を飾る自己満足になど興味がない。また強い人間は虚栄心に生きていない。ウソを拠り所に生きて何が充実した生であろう。

「自分の"弱さ"を武器に特別扱いを求める」、そういう人間とは無縁である。社会が善であるということは、優秀さや卓越さが求められるが、そうではない社会に埋没する人たちは少なくない。また、優秀な人間が他人から逆恨みを持たれることはある。それを嫌がってみてもどうにもならず、人への逆恨みは何の利益にならぬと、気にもせず、無視できるところも強い精神性の証となる。

「善いことをやろうと思ったら孤立は覚悟」というのが大事となる。それはないなら潰されよう。田中正造も幸徳秋水も信念の人であったが、幸徳は中江兆民の弟子で、日本国を愛し、日本の人民を愛する、『愛国忠民の人』であった。幸徳が18歳のときから10余年、兆民から撫育の恩を受けている。坂本竜馬と同じ土佐藩生まれの中江兆民の、「兆民」の号は、「億兆の民」を意味する。

虚栄心は自己顕示欲に関係する。「自己顕示欲が強いと、自分自身を大きく見せるために噓をつく。“空想虚言者”と名付けられており、この特徴は自分がついた嘘を自身が信じ込んでしまい、周りの人を騙していく。最近ではSTAP細胞の小保方晴子が浮かぶ。自分が信じているのだから、他人を騙している気はないが、そこに気づいたエリートはいたたまれなくなって死を選ぶ。

他人というより自己に対する責任感の強さであろう。自殺者には様々な理由がある。世間に顔向けできないほどの羞恥心もあれば、いわれなき醜聞の犠牲となったものもいる。これを名誉心というのか。いじめ自殺を逃避といっていいのか、そこは分らない。失恋の果てに生きる望みをなくしたとの自殺もあるが、「人は何のために生きるべきか」を突きつけられた被害者である。

「何のために生きるか」というような戯言に縛られ、それが見つからぬ苦しさがどういうものか、ある人にとっては、すくなくとも自殺に値するものであるのは事実。だから自分は若者に声高にいう。「生きることは難しいのだから、生ききることこそが素晴らしき目的だ!」。それだけで生きて、何の不足があろう。現に自分にとって、「生きる」ことそのことが素晴らしく楽しい。

御託を並べたところで、誰の評価が得られるわけでもない。それとも、「生きる意味は〇〇だ」といえば、評価されると思っているのだろうか?人間の基本は、自分が自分を評価することだ。チビに生まれようが、ブスに生まれようが、ハゲになろうが、自分のことではないか。他人の神輿を担ぐのもよいが自らを、「ヨイショ」し、「ワッセ、ワッセ」と誉めてあげるべきでは…

五賢人の女性観 ・教養観

$
0
0
「恋愛が第一印象を原則とするなら…」と書いた。ひとり想う恋とちがって恋愛には相手がいる。第一印象で見初められないならそれは仕方のないことだ。第一印象を重視する人間にとって容姿は重要である。容姿が彼らの何を満たすのか?家を建てるとき、建売家屋を買うとき、外観も大事だが生活空間を重視しないのか?といったら、「家と女は違う」という。確かに違うが考え方をいったまで。

いつの時代でも美人というのは評判になる。男はもちろん、女性でも美人への関心は深い。「確かに美人は綺麗」、「均整がとれた良い顔をしている」とはいっても、各人のそれぞれの好みがあって、美人を定義することは難しい。太古の昔、美人といえば巫女であった。その理由は神に仕える神聖な女性であるとともに、神のい告げを受けて伝える能力をもった賢い女でなければならなかったからだ。

様々な地方ではこの資格を持つ娘が巫女となり、その娘のところに夜這いすることが男の喜びであり誇りであったという。大国主命(おおくにぬしのみこと)と沼河比売(ぬかわひめ)との間に交わされた長歌(古事記)のなかで、大国主命は、「賢し女(さかしめ)を、ありと聞かして、麗し女(くわしめ)を、ありと聞こして」と歌っている。賢い女であるとともに麗しい女であるのが美人の条件だった。

一口に賢い女といっても、これも個々によって違ってくる。女性に限らず、賢いというのはそれは様々な見方がある。「あの人は賢い」、「あなたは賢い」、それらは何の基準でいっているのだろうか?おそらく自分が基準だったりするのでは?「頭がいい」と「賢い」が同じ場合もあれば、「あの人は頭はよいけど賢くないね」などという。この場合は教養がないということか?気転が効かないということか?

教養のない人はいる。学問に長け、読書好きであっても、教養なき人間は、どこか神経が粗雑であったりする。神経の粗雑な人間に限って、勝利者のように振舞う。分かり易くいうと自慢がハナにつく。教養のある人で自慢話が好きな人はいない。いたらその時点で教養がダウンになる。教養といえば、いかにもしかつめらしく、難しい本や美術・芸術に関連づけてしまいがちだ。

ようするに教養とは知識の面だけではなく、その人の風習や何気ない所作、ちょっとした言葉の端にもあらわれよう。もっとも感じるのが言葉遣いかも知れない。教養のない人男は野卑な言葉遣い、教養なき女性は、"はにかみ"がない。亀井は、「はにかみこそ文化度の高いしるし」と定義する。彼は女性のはにかみを美ろし、教養とする。なるほど、確かにニュアンスに対して敏感な女性ははにかむようだ。

堀秀彦は教養についてこんな風にいう。「教養のある人とは、一口にいうなら「他人の立場について理解を持ち、やたらに私が、私がという態度を示さず、その人全体として統一のある人柄を持った人。ちぐはぐさのない人」と定義する。確かに人から敬遠される教養の代表的なものは、「知ったかぶり」であろう。決して難しい知識ではなく、人間が社会で日々生きていくための心の糧になるものだろう。

林田茂雄は、「教養のあるなしはどういうことで決まるのか」の表題で、教養が何かをつき詰め、その結尾に、「教養とは、人のその生き方そのものの美しさの中から創造され、蓄積され、発展させるもの」と書いている。「生き方の美しさ」とは何か?気の毒な人、底辺で生活する人をあざ笑い、羨望の相手をこき下ろすような生き方ではなかろう。やはり人への優しさ、思いやりではないだろうか。

そのことそのものがもはや教養なのかも知れない。身につけた数々の教養を値打ちあるものにするためにも、人には優しく思いやりであろう。安吾のエッセイから「教養」という言葉を探そうものならおそらく見つけることはないだろう。次の一文こそが安吾の安吾たるゆえん。「私はいったいに万葉集、古今集の恋歌などを、高度の文学のようにいう人々、そういう素朴な思想が嫌いである。

極端にいえば、あのような恋歌は、動物の本能の叫び、犬や猫がその愛情によって吠え鳴くことと同断で、それが言葉によって表現されているだけのことではないか」と安吾はいうが、言葉を選ばぬなら、サカリついた男女の逢瀬・逢引であろうと。まあ、良いではないか、他に娯楽も何もない時代だ。そんな安吾が教養論など述べる筈がない。彼はロマンチストだから、恋愛論や男女のことは率直に描いている。

「あばたもえくぼ」という言葉について思うことだが、美は愛によって発見されるということだろう。「あばた」でなくとも、恋愛こそが人の発見の喜びである。それまで知らぬ二人が出会って愛情が生まれるのは、互いの姿にしろ内面にしろ、第三者には気がつかない、「美しさ」や「好ましさ」を発見するからだ。隠れたものを見つけるのが発見で、「何であんなブスがいいのか?」という他人の声には笑うしかない。

同じ恋愛であれ不倫が刺激的なのは、秘密でなされるからであり、公にできない秘密性が恋の味を深めるのであって、よって不倫で結ばれた男女の行く末などはたかが知れたもの。人は、不倫で結ばれたのだから、「よほどの…」などと世間はいうがとんでもない。生まれ持った容姿ではなく、恋愛によって美しくなる女性はいくらでもいる。恋愛に比べて結婚とは互いの人間形成の場であろう。
Viewing all 1448 articles
Browse latest View live


<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>