『菊と刀』の第十二章、「子どもは学ぶ」にはお灸について以下の記述がある。「日本の子どもが受ける最も厳格な罰さえも、"くすり"とみなされる。それは子どもの皮膚の上にもぐさという粉末を、小さな円錐形に盛り上げて、それを燃やすのである。その痕は一生残る。お灸は古くから東アジア一帯に広く行われている療養で、日本でも伝統的に病気を治すために用いられた。
お灸は癇癪や強情をも治すことができる。6、7歳の少年は、こんな風にして、母親や祖母から、"治療"を受ける。難症の場合は二度用いられることもあるが、子どもの腕白を治すために、お灸を三度用いられることは滅多にない。お灸は、例えばアメリカで、「そんなことをすると平手打ちを食わせますよ」と言うのと、同じ意味において罰であるのではない。
しかしながら平手打ちなどとは比べものにならぬほど、烈しい苦痛を与える。そして子どもは悪戯をすると必ず罰せられる、ということを悟るようになる」。自分はこの行を読んで笑わずにはいられなかった。思えばお灸を何度すえられたことだろうか?ベネディクトは、「お灸を三度用いられることは滅多にない」というが、それが一般的というなら、我が母は鬼であろう。
5、6歳の子どもに大のオトナが馬乗りになり、ばたばたと泣き喚く子どもに、「じっとしてろ!」と大声で威圧しておとなしくさせ、素直に従う子どもにもぐさの塊を乗せて線香で火をつける。その熱さは今でも背中が覚えている。泣き喚きながらバタバタ動きまくればもぐさは落ちてお灸はできないが、言いつけを守って耐える子どものいじらしさは、子ども自身に罪の意識があったのだろう。
親の威圧に慄き、じっと動かぬ子どもの素直さをいいことにお灸をすえる親の無慈悲さである。自分の記憶では母親が威圧する声の記憶が脳裏に焼き付いている。お灸をするのは母親か祖母とベネディクトはいうが、確かに父や祖父にされた経験がない。この国で子どもにお灸をすえるのは母や祖母だったのか?母はともかく祖母は優しく、灸をすえる娘(母)を叱っていた。
今では明らかな幼児虐待であるが、その当時お灸をされるのは当たり前の罰だと思っていた。当たり前の恐怖と言った方がいい。悪戯=お灸は、子どもにとって疑問の余地のないそんな時代であった。が、苦痛を与える母親を憎み、恨むのは当然であり、子どもは自分が行った悪戯がお灸という苦痛罰に沿うものなのか、相応しいかはわからぬままにされてしまう。
それは親の恣意的な判断によるものだから、子どもが行う悪戯の度合いとは関係なかったように思う。分かり易くいえば、母親の気分によったのではないかと。しかし、父親がお灸をしないのはなぜだろうか?子どもは父親の手に負えないというより、母親の手に負えないからであったからか?父親の手に負えない子どもは存在せず、つまり父親には子どもの悪戯への理解があった。
男の許容量とでもいうのだろう。男だから分かり合える部分があるからで、それを理解できないとか、親としてバカにされたとかなどと、勝手に判断して怒りまくるのが母親ではないか?何でそんなことでお灸をすえるのかと父は思うが、母的には容赦できない子どもの悪戯なのだろう。ベネディクトはお灸を治療と勘違いしている向きもあるが、治療と思ってする親は皆無である。
お灸が体罰で用いられたのは鎌倉時代の文献にあるというが、それ以前については不明である。親が子どもに課す体罰を実体験であげると、殴る蹴るの他に、正座、縛って押し入れ、脅し(どこかに捨てる・寺に預ける)、書き取りなどが思い出される。ベネディクトはこれらの体罰を、「子どもは学ぶ」という標題にしたのは、親の子への先見的愛情を前提にしているからであろう。
『菊と刀』の第七章、「義理ほど辛いものはない」も面白い。日本人なら親や友人や上司などの人間関係に、「義理・人情」は自然派生するが、福沢諭吉、会田雄二、加藤周一、梅原猛、船曳建夫、山本七平らの「日本人論」を読む限り、「義理・義務」に関する記述はないのを見ても、オフチンニコフやベネディクトら外国人にはかなり奇異に映っている。ベネディクトはこう述べる。
「人は『義務』を返済せねばならぬように、『義理』を返済せねばならない。しかしながら、『義理』は『義務』とは類を異にする。これに相当する英語はまったく見当たらない。また、人類学者が世界の文化のうちに見出す、あらゆる風変りな道徳的義務の範疇で、最も珍しいものの一つである」。日本人として自分も『義理』の意味も処遇も分かるが、滑稽と思う義理もある。
滑稽と思いながらする人もいるだろうが、性格的に強い自分は、慣習や因習、道徳といわれるものでも、納得できないもの、滑稽と思われることはしない。そんな標準的な日本人ではないのかも知れない。つまり、行為の是非を思考することを前提とし、慣習や道徳を妄信しない。「妄信」とは、むやみやたらに信じることで、打ち消すと、「むやみやたらに信じない」となる。
慣習を踏襲しないことで、見下げられ、笑われたとしても、思考の上で無意味と判断したのなら、他人の嘲笑などは屁でもないと、それが強さだと思っている。付和雷同は弱者の論理であるのを疑わない。「人と同じようにしていなければ笑われる」という意識こそが日本人の弱さだと思っている。したがって、自分が何かをしたいなら、他人の目を気にしないでやる。
裏を返せば、人の目を気にしたら、やりたいことはできないであろう。気にしないから主体的にやれるのだと。自分の行動をなぜ他人の視点で捉えるのかについては、いろいろ理由は考えられるが、先ずは自身に対する自信の無さもあるのでは。失敗して笑われたくないが先に来る。自分が失敗したことは自分の問題なのに、他人に笑われて何がいけないと自分は考える。
他人には関係のないことだろう。おそらく他人の目を気にする人は、失敗も恐れると同様に、成功の評価を(他人から)得たいのではないかと。失敗を気にするから評価も気になり、評価を望むから失敗も気にするというのが導かれる。したがって、どちらも気にしないでいれば、自身の行為は真に自身のために行われることになる。自分の行為は自分のためが本質である。
そのように、何事も本質重視でいれば、雑多なことは空気に混じる屁の臭いみたいなものではないか。そういう自分も日本人である。『菊と刀』に対する批判の中でベネディクトは、「平均的日本人」という言葉を使っているが、「平均的」とは何かという問題がある。社会階層と身分職業や育成環境を一切無視して、「平均的」とひとまとめにしているとの批判であるが…
ベネディクトは多くの文献を読み、活用してはいるが、彼女自身は一度も日本に来て調査はしていないし、日本語もできなかった。彼女は日本の代表的な文学作品は読み、戦前に輸出された日本映画も観、戦時中は日本人収容施設で一世の日本人にいろいろ尋ね聞いている。歴史的見地の欠如との批判は妥当であれ、史料がよく吟味・検討されていないという批判は手厳しい。