子どもは、「甘やかす」のがいいのか。「厳しく躾ける」のがいいのか。結果が出るのは数十年も先である。「甘やかせて失敗した」、「厳しくしすぎて失敗した」、これらどちらも耳にする。再度いうが、大事なのは親子の人間関係で、これが上手くいっていれば甘やかせるにも厳しいのも然したる問題ではない。親子関係が良好なら親子に障害はない。
躾や教育の問題より究極的に大事なことは、親子の信頼関係だと思っている。自身の教育理念を子どもに託したい親は、円滑な信頼関係が保たれているかを重視すべきだが、それがないのに価値観を押し付けるからいがみ合う。親子に先験的な愛が存在していても、子どもの成育過程で種々の問題を経験する。巷いわれるのは、「親は子どもと共に成長すべき」である。
親の成長とは子どもへの理解であろう。人間が他者と関係を結ぼうとするとき、自分の中にある好ましからざるものを互いが突き出すことが大事なように、親子関係においても双方が曝け出すのがいい。なぜなら、親はすべてにおいて子どもの見本であり続けるのは難しい。親がドジをし、へまをしても子どもが笑って容認するのが信頼に満ちた親子関係ではないだろうか。
記憶を辿れば子どもが親に抱く最大の不満は、子どもに厳しく自分に甘い親であった。子どもに厳しいことをいっても、子どもは親をちゃんと見ている。そういう親への不満を口に出さない子もいれば、ハッキリいう子もいる。子どもに嘘はつくなといいながら、親につかれた嘘を子どもは忘れない。故に親は子どもの嘘を暴く検事になってはいけない。こういう事例は頻繁にある。
男の子は、「お母さんだって嘘をついたじゃないか!」という。最低な親は、「嘘ついてないよ。何いってるの!」といえば信頼は損なわれたも同然。子どもの指摘には誤魔化さず、言い訳もせず、誠実に対処すべきである。「そりゃお母さんだってつい嘘が出ちゃうのかも…。でも、その時はちゃんと言って。次から嘘をつかないために指摘し合おう」。これが親子の信頼である。
親も子も成長をしていくなら、互いが一歩一歩、新たな自分に近づく過程で互いの関係も変わっていく。変わった関係によって互いが高められていく。関係は常に流動的だ。姑・嫁の仲たがいは、姑がいつまでも息子と思うからだ。息子は親以上に大切にすべく伴侶を見つけることが、「人間界の法則」であるのに、息子に大事にされる嫁に嫉妬し、反動から嫁を憎むようになる。
こういう姑は息子の人生設計の障害者である。姑が嫁に過敏になり、憎むようになるのは、「とらわれ」の心理であり、息子への依存心が拭い去れない、「甘え」と類縁の心理である。依存心の強い人間は、「安らぎ」を得られない。自分を充実させるための目的は、「依存心」であってはならない。結局、「依存心」は、人を不安に陥れる目的であることに気づくべきだ。
馴れない他人を避ける対人恐怖の心理は、子どもの場合は人見知りとなるが、姑は嫁に攻撃的になるのは息子の親という威厳を示したいからでもある。何事も自分が決めたように事が運ばなければ気が済まない性向の姑にとって、嫁は禍の種でしかなくなる。嫁・姑問題は我が家にもあった。拭き掃除は濡れ雑巾かサッサか、などとくだらない問題に自分は以下のように諭した。
「昔にサッサがなかっただけで、雑巾よりも衛生的だから生まれたもの。たらいで洗濯するか?畳をホウキで履くか?そんな時代ではないだろう。それと同じ、濡れ雑巾がサッサに変わっただけで、雑巾の時代に戻す必要はない。サッサがダメなら、洗濯機や掃除機もダメだろ?」。昔の人間は昔のことを基準にモノを考えるが、便利の恩恵にあることに気づいていない。
都合のいい事だけ「気がすまない」では、矛盾もいいところだが、「気がすまない」という感情は、論理で説得も納得も無理だから、言うだけ言って自分で分かるようになるまで放っておく。すぐに分からせようとするから軋轢となる。とかく頑固な人間は他人に迎合しないのでほっとくに限る。「気がすまない」と同じように、善悪<感情だけの問題は結構ある。
うるさくしつこい女がほっとくしかないように、感情は論理で解決しない。だからほっとく以外に手立てはない。男づき合いは論理で解決がつくが、訳の分からぬことをいう女の扱いは面倒くさい。「面倒くさい」を禁句にする自分は、結構辛抱強く対処する。だからか人から、「マメだ」と言われるが、説得術を身につける訓練と思ってポジティブにやっているだけ。
子どもから見た親を、「難しい」とは思わない。あくまで親から子どもに対処する、「難しさ」である。子どもが幼少時期は親が主導的で子どもは受動的だが、いつしか子どもが親に対して主導的になる。「老いては子に従え」とは、親自身を戒める慣用句で、そういう言葉は沢山ある。自分の祖父に感激したことがあった。その時、祖父と祖母のまるで違う様をしかと見た。
祖父と祖母の違いは、男と女の違いと自分は理解をした。祖父母には2人の息子と1人の娘がいた。自分の母が長女である。自分が小学生辺りに祖父は長男をアキラ、次男をカズシ、長女をミチヨと呼んでいた。それがいつしか、アキラくん、カズシくん、母をミッちゃんと呼ぶようになった。そのことを自分は不思議と感じていたが、壮年期になるとそれが祖父の理だと気づいた。
他方祖母は、死ぬまでアキラ、カズシ、ミチヨの呼び方を変えなかった。祖母がその様に呼ぶさまは、まさに偉大なる母にふさわしい心情と感じられたが、祖父の、「くん」、「ちゃん」付けには遠慮がちさが感じられた。祖父がなぜそのように変えたのかを考えたことがあった。それはある時から自分に対して、「〇〇くん」と呼ばれ、心が動揺したからだった。
父から自分の名を呼ばれたのは記憶の限りない。「おい」とかもなく、いきなり用件だけを言ってくる。そんな父に自分も、「お父さん」と呼んだ記憶はない。同じようにいきなり用件をいう。二人の間に何があったのかを想像するに、父と息子という肩書めいたものはなかったのか?父が息子の名を呼ばず、息子も、「お父さん」と呼ばなかった理由の分析はできない。
が、祖父がある時期から自分を、「くん」付けで呼んだのは、祖父の自分への敬意のように感じられた。昔の人だから、「元服」という習いが頭にあったのかも知れぬが、祖母はやはり死ぬ間際まで名前だけを呼び続けた。祖父も父も息子や孫をある時期から離れた視点で見るのだろう。その様に理解した。祖母や母はそういう離れた視点で捉えることはしないようだ。
これが男と女の違いと感じる。離れた視点で捉えないのは、言い換えれば遠慮がないということ。離れた視点で捉えるのは、同じ言葉でいえば遠慮となるが、自分はそれを「思慮」と考える。思慮の無さがいつまでも子は子となり、男の思慮分別が一親等の肉親であれ、離れて見る。自分は息子も娘も未だ呼び捨てだが、妻は随分前から長男には、「くん」付けで呼ぶ。